かきしま海道と『はげ山の一夜』 | 新労社 おりおりの記

かきしま海道と『はげ山の一夜』

当ブログをご訪問頂き、ありがとうございます。

 

○ 日本法令DVD

  「東京都と厚生労働省の助成金の比較でわかる活用の仕方」はこちら

○ 中小企業福祉事業団DVD 

    「助成金活用の第一歩!『事業内職業能力開発計画』作成のススメ」はこちら

○ 助成金の無料診断、最新状況はこちら

○ メルマガ「新労社が贈る、人事のツボ!」(無料)はこちら

=================================================

はげ山の一夜のようなサイクリング

 

 

かつて雨の中を自転車で往来し、ムソルグスキー作曲「はげ山の一夜」のようなサイクリングだ!と思ったことがあります。今回の、主にかきしま海道を行く、松山⇒呉⇒江田島⇒広島⇒帰京の、舟航⇒サイクリング⇒輪行は、雨を気にしながらの緊張感ある旅行になりました。ただしまずは晴れた1日目。

 

☆ 松山⇒呉航路

 

松山の実家を自転車で8時に出て、9時前に高浜の松山観光港に着き、高速船でない、広島行きのフェリーで朝9時半に出ます。切符は自転車連れは豪華なコンコースではなく、自動車専用の窓口で買います。呉に寄港するのでそこからサイクリングで「かきしま海道」をたどって、島でキャンプし、適当なところで広島に出ようという作戦です。今日は令和5年9月10日、日曜日。ラッシュはなく5~6台の自動車とともに乗り込みます。

 

 

フネは瀬戸内海汽船の誇る特徴ある900トンほどの小型客船「SEA PASEO」。私は船尾の展望室「ひき波のHANARE」に陣取り、他の船室もあちこち探検してみます。デザインとコンセプトを重視した楽しい船室で、椅子席の他、前方には家族連れ用の桟敷スペースもあり、家族連れも数組います。

 

 

この航路のハイライト、音戸大橋の他に、イルカがフネと競争して泳ぐのも目撃しました。高速船、貨物船、客船、フェリー・・・すれ違う船を観察するのも、いろいろ種類があって楽しいものです。

 

(第1音戸大橋とイルカ)

 

呉到着11時半ごろ。隣接の戦艦大和ミュージアムでは興味深い展示をやっていて食指が動きますが、以前行って見たこともあるので、直ちにフネから降りて右へ、呉線の電車など見て、先ほどくぐった音戸大橋を今度は渡るためにj自転車で目指します。

 

(呉の山側と大和ミュージアム)

 

☆ 呉⇒音戸大橋⇒倉橋島⇒早瀬大橋

 

海岸を走るのは、特に呉のような人口が多くて崖の迫るような土地では、けっこうアップダウンがあるのです。海自の港があって、上がっては降り、廃れた製鉄所があっては降りて上がるうちにお昼時。

 

(何度目かの坂道と自衛艦)

 

うどん屋や定食屋は押すな押すなの大行列で、スーパーで弁当を買います。そのうちにさっき通った音戸大橋です。自転車の目印がありませんが、急坂を登って、自転車も渡れる第2を行きます。

 

(自転車も渡れる第2音戸大橋)

 

渡り終わった景色のいいところでさっきの弁当を開きます。平和な景色ですが、この辺り、旧日本海軍の根拠地であるともに、終焉の地なのです。昭和20年、燃料がなくて動けなくなった大艦が空襲で次々と着底したところです。呉のみならず、周囲の緑の島々に偽装して疎開していたのですね。ただ見破られて攻撃され、底が浅いので上部構造物は生き残ったのです。

 

(戦艦伊勢最後の地、倉橋島坪井海岸)

 

今では住宅が建ったり、カキが養殖されたり静かな海ですが、80年前の光景との違いに、平和のありがたさが身に沁みます。映画「この世界の片隅に」に由来する案内板もありました。

 

(重巡洋艦青葉、音戸大橋手前)

 

そこから南下して倉橋島中部を回る予定でしたが、いつの間に北岸に出てしまい、港町と浜辺を、大型車にあおられて進むことになります。自転車は公式には推奨されていない道です。おかげで「倉橋島らしい」ところは通りませんでしたが、江田島を結ぶ早瀬大橋には予定より早くたどり着けました。

 

(倉橋島)

 

途中コンビニで補給して、また急こう配のアプローチを登って大橋の上に。瓦屋根の多い市街で、水上スキーや小型船が広島へ抜ける海峡「早瀬」を行き来しています。

 

(早瀬大橋)

 

☆ 江田島(能美島)

 

ここからY字型をした江田島へ。まず西能美島、次に東能美島、最後に江田島と、橋を架ける必要のない陸続きの島を行くことになります。どこまでが能美島で、どこからが江田島か、分からないところがまた面白く、今晩は江田島のキャンプ場に予約を入れています。

 

最初はもとの大柿町の東岸を行きます。大柿、能美、沖美、江田島の4町が合併して江田島市になったのですが、大柿の中心街と能美の中心街が核になっている感じです。沖美と江田島の中心街は島全体からするとやや偏った位置にあるのです。

 

 

位置的に大柿と能美は東京と大阪のような感じで、大柿の方が大きい街ですが、広島へは能美の方が近いのです。2015年までは旧能美町に市役所があったのですが2016年に旧大柿町に移りました。それともトロイカ制で市役所をかつての4町各地に回すつもりでしょうか。

 

東岸からひと峠越えて西岸へ。地方都市の住宅街のようなところを過ぎて、江田島市役所です。学校や店もあって、ヒトはあまりいませんが、フネも含めてどことなくにぎやかな感じです。秋祭りの準備も炎天下で休んでいますがしています。

 

 

市街を抜けると能美島西岸へ。別に海の色が変わるわけでもないですが、大柿市街から旧能美町に入ると、何だかひなびた感じ。坂を上ってキャンプ場が近づくと、急にデカいスーパーが現れます!もっけの幸い、この一晩のメシと水1.5リットルを仕入れてキャンプ場に登ります。

 

☆ 真道山森林公園キャンプ場

 

大柿から能美に抜ける島の横断峠から右に折れてさらに山奥、結構な谷地のキャンプ場です。水は飲めず、谷地ですが山頂が近く、ため池も下流に点在し、キャンプ地は山すその小高い丘の上で、洪水、鉄砲水などの心配はありません。音楽演奏などもできる多目的公園で、キャンプ場はやや狭いのですが、テント一泊1,030円は安い!地方公共団体がやっているからです。フツーの野宿と比べると、水が飲めない以外は雨や害虫の心配が比較的少ないのです。

 

(キャンプ場と料理場)

 

ここは管理人さんも評判がよく、親切です。トイレの場所やごみの分別を習ってテントの場所を決めて張ります。日曜夜ということもあって、今日は私の他、オートキャンプが一組だけ。日没までは暑いので外で読書。午後7時過ぎに真っ暗になって、音楽を聴きながら寝床に入ります。

 

トイレに行ってちょっと軒下を見たらスズメバチの出入りしているところがありました。大急ぎで避難。闇でもしばらく行動するモンスズメバチでしょう。テントに戻るとき蚊が一匹入りましたがつぶして撃墜。

 

(テント外と内)

 

ところが日中はずっと快晴だったのに、8時になって雨がパラパラ。9時に止んだものの10時からまた降り出し、日付が変わって豪雨になりました。スマホで見た予報通り。暗くなる前に自転車は誰も使わない屋根のある料理場に、その他全財産はテント内にしまっておきました。

 

風はほとんどなく、周りに排水溝もあり、テントの倒壊水没の危険はなかったものの、パラパラがバラバラになり、雨を防ぐフライシートの裾の隙間から雨粒が地面に落ちたしぶきが顔にかかるようになると、ちょっと安らかには眠れないのです。緑豊かな森ですが、まったく雨の奏でる交響詩「はげ山の一夜」のようで、ウトウトしつつ夜が更け、日付が変わります。

 

つづく