583系電車が走った時代 | 新労社 おりおりの記

583系電車が走った時代

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583系特急型電車、登場して55年、引退して5年がたちました。私と同い年。実に日本らしいトピックあふれた車両でした。昼は座席特急、夜は寝台特急、役目を終えてからも普通電車に改装され、文字通り晩年に至るまで働きとおした高度成長時代の象徴のような電車だからです。

 

急行きたぐに:新潟)

 

べネシアン・ブラインドの食堂車、グリーン車には乗ったことはないのですが、昼間の普通車、B寝台車上段、下段には乗ったことがあります。幼少時の北海道行(はくつるだったか?)、急行きたぐに、さらに特急型から近郊型に改装された北陸の419系、東北で715系にも乗りました。普通の車両に比べて数奇な運命をたどった電車です。

 

(全盛期の583系はつかり)

 

最初に乗ったのは物心つかない昭和40年代の東北特急でしたねえ。はくつるかゆうづるだったでしょう。飛行機がのしてきている時代、乗り継ぎで北海道まで行ったのです。北海道での小学校時代、学研教材の付録で、583系寝台特急の車掌が、急病人を深夜にケアして救急車を呼んで、最寄り駅に降ろして助けた話など、ワクワクして読みました。

 

(食堂車サシ581)

 

583系は登場して、まずは食堂車にグリーン車も備えたスピードある電車特急でデビューし、東海道新幹線連絡の意味もあってクリーム色とブルーのカラーで塗られました。寝台もさることながら、座席もリクライニングこそしませんが、余裕のある造りで、特急と思わせる感覚でした。速度は最高120㎞/h出ますし、東北特急「はつかり」は東北近代化のチャンピオンのような存在でした。

 

当時は新幹線も新大阪まで。西日本では九州に行く乗り継ぎ特急も夜行昼行583系が走っていました。

 

(シュプール蔵王:山形)

 

鉄道ジャーナルにも食堂車の特集が組まれてましたねえ。末期は営業休止だったようです。寝台特急「きりしま」のベッド解体なども話題になってました。客車に比べると仕組みが複雑で、寝台係でないとちょっと折りたたんだりできないのです。その“避難場所”としても食堂車は使われました。ついに乗ったことはありませんでしたが。

 

 

寝台・座席列車兼用というのは独特のものでした。普通電車になった419系など乗ってみると、車体の大きさの割には寝台区分で個室のようになっていて、近郊型にしては逆に狭さを感じたものです。そこは485系など昼行列車と違う感じですね。寝台は個室チックなプライバシーを感じさせるものだ、というのはこの車両から始まった気がします。それまでは夜行寝台というと、幅の狭いカイコ棚というイメージでしたが、大衆向け寝台がグレードアップしたと話題になりました。

 

(北陸の419系:敦賀)

 

寝台でも座席でも、また普通電車でも、室内の広さの割に何か分厚いものに囲まれているような圧迫感を感じたのは、窓が小さいのと、この寝台の“個室感”だと思います。

 

寝台状態の下段は大きく膨れている中段のスペースを気にしなければ客車A寝台並みの広さがありましたし、中段上段は小さい窓をシュッと開けて周囲を偵察するのになんだか「スリル」を感じたものです。もっとも上段などは「天空のカンオケ」のような感じがして、寝台に入るというより、箱に詰め込まれているような感じがしたものです。

 

(仙台の715系)

 

しかしサロのグリーン車に乗ると造りが485系などと変わりないので、広々と開放的なのです。ついに乗ることはありませんでしたけれどね。サンライズの785系ではA寝台から座席に至るまで再現されましたが、グリーン車という今日では中途半端な座席車だけは再現されませんでした。

 

(サロ581)

 

客の少ないこのグリーン車には、「きたぐに」でも、休憩のためのサロンブースが造られたのですが、「高い料金で座席で一晩」というのは時代に合わないということでしょう。思えばB寝台を長手に配置するというのは、以前は客車のA寝台の話で、昭和43年当時は寝台の幅とともに「豪華になった」と言われたものでした。

 

(朝の新潟駅、これはクハネ581)

 

朝をイメージしたサンライズもいいのですが、夜の583系は渋い魅力があるのです。東海道線連絡というのもロマンチックです。高度経済成長の戦士たちが商品のサンプルなどを持って、急遽新幹線乗り継ぎで寝台列車で西日本へ赴いてあさイチでプレゼンして商談をまとめる、というような光景が目に浮かびます。

 

(東北線全線複線電化の象徴)

 

この583系は急行「きたぐに」では5種類の乗り方がありました(A寝台、B寝台上中段、B寝台下段、グリーン車、普通座席自由席車)これに過去は普通座席指定席車、がありましたが、バラエティに富んで面白いものです。

 

 

もともと(B寝台上中段、B寝台下段、グリーン車)しかなかったものでしたが、座席状態がいかに乗り心地良かったか示すものでしょう。今は亡き宮脇俊三も「昔の2等車よりいいくらい」と言っています。

 

 

ボリューム感高い大きな車両でしたが、スピードは当時の特急形電車485系などと同じ120㎞/h。すれ違うとクリーム色とブルーの帯で10何両編成でもあっという間です。小駅などでは通過に遭ったことはありませんでしたが、相当な迫力だったでしょうね。

 

 

以上583系について思いつくまま書きましたが、本当に高度経済成長時代を象徴する車両で、ビジネスマンの用をハード面から支えた寝台特急だったのです。しかし今、時代は低成長。泊りがけで行くよりも飛行機であっという間に行く、列車で泊りがけならば、食事や観光、もてなしを楽しみたいという時代になってきています。現在は余裕のある、おしゃれな時代ですが、息せき切った、実用的な鉄道というのも、時には振り返りたくなるというものです。

 

ただ583系は昼夜走って、しかも余裕のある造りなのです。この余裕の質は何かわざとらしいものでもない、作ろうと思った余裕でもない、実用美のような余裕です。おもてなしの列車というのは確かに素晴らしいのですが、人間何気でない、実用的なもてなしというのも、また人間の希望としてあるではないかと思います。