東京―鹿児島 2夜行の時代 | 新労社 おりおりの記

東京―鹿児島 2夜行の時代

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九州新幹線、ついに開業しました。東京から鹿児島まで、新幹線乗り継ぎで8時間くらいで行けるのではないでしょうか。鉄道で行くのは好事家でしょうが、鉄道上のこととはいえ、鹿児島が一応の「日帰り圏内」とは世の中進んだものです。

 

(これは東海道0系)

 

九州は夜行列車で行くものと相場が決まっていた時代もありました。有名な列車を2本思い出します。

 

★ 寝台特急「はやぶさ」  東京―西鹿児島(1958~97、廃止は2009)

1975年の時刻表では、東京発16:45~西鹿児島着14:46

 

晩年は熊本行きになりましたが、21時間59分は、1.5夜行ほどの長時間です。しかしその「はやぶさ」の前身が以下の列車です。

 

★ 急行「さつま」  東京―西鹿児島(1956~58、廃止は1965)

1956年の時刻表では、東京発21:45~西鹿児島着5:46(翌々日)

 

こちらは32時間1分!東京―大阪が夜行で、山陽路をお昼に延々と下り、博多―西鹿児島は再び夜行になり、朝方鹿児島に着くような列車だったのです。「はやぶさ」は全車寝台で、個室もありました。しかしそれ以前はどんな環境で2昼夜もかけたのかというと…

 

急行「さつま」編成


1956~7年 A寝台1両半、グリーン車3両半、食堂車1両、普通座席車6両

1958年   A寝台半両、グリーン車2両半、食堂車1両、B寝台3両、普通座席車4両


寝台やグリーン車(当時は2等座席)もありますが、今もあるリクライニングしない膝がぶつかるような、4人掛けの座席でかしこまって、2昼夜汽車に揺られる旅も可能だったのです。食堂車も付いているところが泣かせます。しかしそんな旅では体に悪いということで、全車寝台の寝台特急になったのでしょう。

 

「さつま」の前は急行「筑紫」 という名で、もっと座席車比率が高かったようです。

 

(これは「あけぼの」)

かつて私も青春18切符5連続使用とか、北海道を鉄道だけで巡って10日とかやりましたが、輸送機関の存在意義は、本来こういう冒険や物見遊山のためではありません。何と言っても経済活動のためです。スピードが高まってついに新幹線まで発展したのも、時代の趨勢です。

2昼夜夜行などするより8時間で行った方が疲れないに決まっています。飛行機の方がもっと疲れませんが、鉄道はもう当分近代化できませんので、今後競争はサービスに移っていくでしょう。

 

東京発鹿児島中央行き列車が設定されないのは、技術的問題もありますが、鉄道でそんな需要がないからなのが最大の理由です。かつての急行「さつま」でも座席車は2回3回乗客が入れ替わったでしょう。

 

しかし個人的見解としては、新幹線でも在来線でも臨時でいいから、東京発鹿児島中央行き「さつま」が復活しないものでしょうか。1年2~3日だけ運転すれば、私のような好事家で大入り満員になるでしょう。

 

名称は「みずほ」「さくら」「はやぶさ」「つばめ」は使えないですが、「さつま」以外には「富士」「はと」「はやと」あたりはいかがでしょう?

 

編成は8両くらいでしょうか。あっそうだ!夜行寝台新幹線にすれば、東京を夜9時に出て11時間かけても鹿児島に朝8時に着けるではないですか!寝台特急サンライズ のような豪華個室で行きましょう!

 

いっそのこと東北新幹線・さらには北海道新幹線と乗り入れ札幌発、東京経由、鹿児島中央行き新幹線「日本号」なんて…札幌―鹿児島直通15時間でいかがでしょう。妄想は広がります(笑)宮脇俊三氏 の夜行新幹線構想を思い出します。もっともそこまで行くと、運輸でも商売でもなく、遊びのみになりますが.。