昭和11年の車内マナー | 新労社 おりおりの記

昭和11年の車内マナー

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時刻表昭和史


今はなき、鉄道ルポライター宮脇俊三氏が、一番読んでもらいたい自著に挙げている書です。氏は鉄道趣味をオタクのものから、大衆的に楽しめるものへ広めた功績が光っています。


この本では大正15年生まれ、渋谷育ちの著者の鉄道も含めた、人生の軌跡が記されています。生前の忠犬ハチ公も知っていますし、戦争中のコトも直接体験しました。


その中で、当時の何気ない風俗、特に車内の様子は目を引きます。氏が11歳当時の、吉祥寺と渋谷を結ぶ京王井の頭線(当時は2両編成)の車内の様子は、今とはずいぶん違っていたようです。


・ 戦前の乗客は今のように押し黙っていなかった。

・ 何かと他の乗客に指示を与えるヒトが多い。

・ 「押すな」とか、「もっと奥に詰めろ」とか、すぐ大声を出した。

・ 学生が座り、お年寄りが立っていると、必ず誰かが「君、席を譲りたまえ」と注意した。


車内マナーはどこかにあるものではなく、発言して創るものだったことがわかります。「ムカシは良かったなあ」と感傷に耽るのは簡単ですが、当時は以下のような時代でもありました。


・ 鉄道の車室ランクは1等~3等。治安が悪くて3等には乗れない。車掌の態度も違う。

・ 優等列車のサービス係、「列車ボーイ」にチップは常識。扱いがよくなる。

・ 旅行や移動自体が少ない。日本本土の人口7千万。東海道の特急は1日4本、急行を入れて10数本。

・ 北海道行きは青函連絡船1日5本。民間船は1本。飛行機はなし。現在は全部合わせて数百本。


宮脇俊三氏は国会議員の息子でしたから、電車通学もできる「勝ち組」です。当時の立志伝では何キロの道を、徒歩や自転車で一日数時間かけて通った、と言うようなハナシはザラにありました。鉄道に乗っているヒトは、ごく限られた人間だったという見方も成り立つのです。旅行ができればブルジョアでしょう。


現在は当時に比べると格差も少なくなり、治安もよくなり、教育も行き届いてきたのですが、電車に乗るヒトが大勢になると、その分行儀の悪さも目に付く時代になったと言えるでしょうか。


それとも教育が行き届きすぎて、かえって道理がまかり通らない、その反対の柔軟性もムリになってきて、リクツのみで通してしまうとなると、現代人は、押し黙るしかなく、孤独にもなりやすいものかもしれません。