「たまに」と「いつも」 |  エフ-スタイルでスポーツの喜びを!

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   向上心を忘れず、スポーツを楽しむみなさまに!

「確かな一歩の積み重ねでしか、遠くへは行けない。」イチローが出ている広告の言葉です。
いい言葉ですね。あこがれます。
積み重ねれば遠くに行けるとは言っていない所が、また、憎い。

仕事でも、スポーツでもそうですが、一歩づつ積み重ねているつもりが、
気がついたら同じ所にいるという「エッシャーの騙し絵状態」。
経験ありませんか。
おそらく、一歩が「確か」ではないのでしょう。
もう一つは、やっと少し積み上がってきたかと思うと、
ガラガラと一気に崩れる(あるいは他人に崩される)「賽の河原の石積み状態」。
前に進むのって、けっこう難しいものです。

それでも、上達したなと感じられる時がたまにあります。
そんな時は、本当にうれしいですね。

先日のW.J.の練習、午後のヘリは相変わらずでしたが、
午前中のストレートとダブルツイスターは珍しくも絶好調。
あそこまで振れたのは、初めてです。
帰ってから妻に、どうだったと聞かれたので、
今日は、ツイスターが奇跡的に良かったと答えると、
奇跡的ではなく、いつもできないとだめだよと息子に言われました。

(何を言うか。たまにできるから、喜びや感動があるのだ。
いつもできたら、なにも感じないぞ。
人生経験が少ないやつは、わかってないなあ。)
と心中、反論してみたものの、理は向こうにあり。

それにしても、
「たまにできる」と「いつもできる」には、単なるレベルの差以上のものを感じます。
たまにできるは、振っているバットにボールが当たるようなもの。
体の動きは良くても状況に合わせられない状態です。
いつもできるためには、周囲や自分自身の動きを感じ取って、調整しなければなりません。

今は、同じキッカーを使っていれば、周囲で違うのはブラシの滑りぐらいですが、
それでも「いつも」は難しい。
ましてや、雪の上ともなれば、同じ状況は二度とないでしょう。
身体能力が高ければ、「体が自然に反応する」のでしょうが、
それは、望めません。
となれば、まずは、自分の体の位置や動きを感じ取る感性を鍛える必要がありそうです。
でも、どうやって?
「よくわからないけど、体を動かすことより、動きを感じる方に意識を集中してみたらどうだろうか。」
と言うことで、次回の練習のテーマが決まりました。
おそらく周囲からは、違いがわからないでしょうが。

それにしても、息子は「いつも」を目指しているのだろうか。
感動の少ない境地と思うのですが。

by sasamoto