たっくのブログ -767ページ目

自己満足と共感

ハッキリ言ってしまえば自己満足の世界だ

同じ出来事でも人と共感し会うのはごく、まれにすぎない

たまたま2人は共感し会える感覚を持っていたから、話も弾み面白みも増して大きな気付きと変化する


自分がこれは絶対面白い!って思った事でもある人にとってはまったく面白くない事だったりもする。たとえば「テレビ番組」なんかをとると私としてはまったく面白みのないもの。だけど一般的に見れば何百万人、何千万人という人々がお笑い、ニュース、情報にくぎ付けとなる。そしてあーでもないこーでもないと議論をかわす。


私達2人(妻)はその議論を交わしている人、その生身の人間のしぐさ、しゃべり方、行動、癖の方がよっぽど興味がある。

そのほうがよっぽど自分にとってプラスになるのだ。


人の振り見て我が振りなおせとはよくいったものだ。たとえば私なんかはその人の変な行動やしゃべりかたのイントネーションなどに興味が沸く。これは自分にも変だと思う部分があり、あらためて自分の日ごろの行動なんかに気付いたりする。

さらに妻はその人の本心、心にある空洞、掲げている看板と自分とのギャップなどに気付いたりする。

私はまた別の角度からそれに気付いていたりするのだ。


その感覚を2人で答えあわせのように話し合う事が面白い。そこは個性が2人にもあるから同じ感覚を味わったとしても、表現方法が違ったり、言葉が違ったりする。しかし思っている事はピッタリ一致する事が多いのだ。

毎日人に会うし、毎日色んな事が起きるから、話しても話しても話しきれない部分も出てくる。話す事によって自分の頭の整理ができていくので、多くの興味がある出来事に遭遇した場合、処理しきれず頭がグルングルンする。

ちらっと妻を見ると頭がグルングルンしていたりもする。


第三者からすれば変な2人に見えているのだろう。

そう。結局変な2人なのだ。


この事についてあーわかるーと思う人が結構少ないのが現実だ。いやいや私は違うよと思っている人も実際そうでなかったりもする。その人に会ってみればわかる。2人のどちらかが気付く。

もっと大きな問題を抱えている人に対しては、その問題に気付く。

寂しそうにしている人にはその問題に気付く。

そして本当に楽しく生きている人にも気付くのだ。


めったに出会うものではないが、確実にいる。


私は実はそんなに楽しくないの。私はこれが得意ではないの。私は自信がないの。私は人に興味がないの。私は人を愛せないの。私は両親を好きではないの。私は私を好きではないの。


そうやって生きている人のほうが多いって知っていましたか?自分だけと思っていませんか?自分を責めたりしていませんか?


私達2人からすれば、これも看板。いわゆる問題は別にあるようにしか見えないんですよ。決してその人が嘘をついているように見えない人でも、本人が気付いていない部分があって、そこが問題の原因だったりもする。


私達はそこを話し合う。

それが自分にとって大きな気付きの一歩になる事を知っているから。



そしてその本人が気付いていない部分の中に、大きな才能が見えたりもする。

その才能が面白いのだ!誰にも当てはまらないその人の個性。決して真似する事の出来ないその人の核となる部分に大きな興味を沸く。


本当に人は面白い。そう感じさせてくれる毎日に感謝している。

それを共感できる妻にも感謝している。


それを自己満足だけで終わらせる事がもったいない気がする。色んな人にその面白さを見てもらいたいと心から思う。それが相手に伝わった時こそ感動を生む。


そんな毎日を送りたいと思うから私達はお店をやっているが、あんまりにも伝わらない事が続くと落ち込んだりもする。必要な人に、必要な部分だけ、必要な事が起きているから全てを共感できるとは思わないが、きっと今の世界にとって本当に必要なことが目の前で起きているし、まったく関係のない人などいないと思う。


だから全員来て欲しいなんてこれっぽっちも思ってなくて、来れる人だけ来たらいいと思う。全て自分の意思で動いて欲しい。しがらみやたてまえを身につけているうちは、動きにくいのは当然だ。そうしなければ生きていけないと思っている人も多くいるだろう。

しかし私達はそこの部分と話がしたいわけではないので、声をかけたりするのだ。


いつか共感できる日を楽しみにしている。そしてその人の変化に感動する。

これも自己満足であるならば、私はそういう能力を持っているのだろう。