料理の記憶 38 「焼鳥編」 リーゼントリオ
長い一日を終えようとしている。
店内に残るお客は2組程度で、一通り焼き鳥を食べて落ち着き、後はまったりと談笑していた。
ラストまで働くアルバイトは注文が途絶えた店内を、静かに片づけている。
クドテンさんはレジに立ち、お金の計算や一日の売上を確認している。
にぎやかだった店内は、テレビの音が大きく聞こえるようになるほど静かだった。
私は焼き場にいた。
忙しさのピークを迎えた時、焼くことが追い付かなくなってクドテンさんと焼き場を交代した。
焼き鳥店の制服である法被は全員が同じものを着用する。
唯一違うのは焼き場が身に着けるサロンという物があり、高温に耐えられるよう分厚い生地でできた前掛けがある。
この時代の焼き鳥店はサロンを身に着けるのは焼き場の人だけで、ホールや洗い場、店長も法被以外に身に着けるものはなかった。
つまりお客さんから見ても、このお店で焼いている人が誰なのか一目瞭然である。
クドテンさんと焼き場を交代したとき、一時的なことであるからサロンを外したり、クドテンさんがサロンを身に着けたりすることはなかった。私は、焼き場の証であるサロンを身に着けたまま接客の仕事をしていた。
澄店のような規模のお店は、自分がどの位置に立ったとしても店内を見渡せるように出来ており、逆に言い換えると、どのお客さんからも従業員の位置を把握できる。私はそのサロンを身に着けたまま焼き場に立たず接客をしていることに恥ずかしさを覚えた。
店の忙しさがひと段落したころ「そろそろいいか」とクドテンさんが言い、再度焼き場を交代した。
あのとてつもない忙しさから立て直す技術に驚く。
焼いていた私が、どれがどれだかわからなくなるほどパニックになって焼き場にのせていた焼き鳥たちを、クドテンさんはすべて把握していたかのようにこなした。それからというもの、同時に忙しかった洗い場兼ネタ出しのアルバイトや、バタバタと動き回っていたホールのアルバイト達も落ち着きを取り戻した。
あんなに忙しかったはずなのに、クドテンさんが焼き場に入ってからは、そうでもないように感じられた。
お客さんの数は変わってないはずなのに、どうして店内の全てが落ち着きを取り戻すのか私にはわからなかった。
「今日はどのくらい忙しい日だったんですか?」
私はレジでお金を数えるクドテンさんに聞いてみた。
忙しい。というのはお店によって異なる。
例えば私が配属されている一の店は平日でも40万近くの売り上げがあり、週末ともなれば60万以上の売り上げになる。
60万を超える規模の店舗でも、平日で50万の売り上げになれば、とても忙しい平日だったということになる。
最近までヘルプに行っていた本店は規模が小さいが、その分従業員も減らしているし、客層や接客の仕方がほかの店舗と異なるため、忙しさ。というのはそのお店によって様々であった。
「じゅうちゃんまんえんで。」
「え?なんですか?」
「じゅうちゃんまんえんで。」
「じゅう、ちゃ…、あぁ!13万ですか?」
その時、ええ!!っと洗い物を続けていたアルバイトが声をあげた。
クドテンさんの言葉が聞こえたようで、まるで信じられないといったような顔をしていた。
「え、っとそれは忙しい売り上げだったということですか?」
私はクドテンさんに聞き返す。
クドテンさんは首を横に振りながら「ひまひまで。」と答えた。
夜の11時を超えるころ、最後まで残っていたお客さんはお会計をすまして帰っていった。
入り口にある大きな提灯や、看板に付けられた照明が消される。
私は焼き場の掃除をしながら、自分の不甲斐なさを感じていた。
初めてヘルプに来たお店で大遅刻をし、テーラーさんに迷惑をかけて、自分の焼き鳥が美味しくないということを知り、挙句の果てには忙しさについていけずパニックになり、クドテンさんと焼き場を交代した。
平日の売り上げ13万円は澄店にとって激暇な数字だそうだ。
ここ最近の売り上げで言えば、どれだけ暇であっても17~18万円くらいの売り上げがあったらしい。
そんな暇な日であるにもかかわらず、私は撃沈した。
これから先も澄店のヘルプに来ることを考えると、只々お店に迷惑をかけるだけではないかと思った。
クドテンさんやテーラーさんだけではなく、アルバイト達にも申し訳ないと思った。
この不甲斐なさをテーラーさんが聞いたらなんて言われるだろうとか、もしかするとクドテンさんから「もう来なくていい。」と言われるかもしれないと考えていた。
焼き場の掃除を終えるころ、クドテンさんは誰かと電話で話をしていた。
「ああ、いいよ。今日は近藤君来てるけど。そう。近藤君。」
誰と話しているのだろうか?私の名前を言っていたということは知っている人かもしれない。
店内の片付けがすべて終わり、私は安堵した。
長い一日が終わった。
長いと言っても、そもそも私は大遅刻をしたわけだから実際の時間は長くはない。
しかし、今日は色々とありすぎていつもよりも長く感じたのだ。
澄店の仕事を終えるころ、時間は夜の12時を周り終電は終わっている。
車の免許を持っていなかった私は、どこのお店で働いたとしても結局誰かに家まで送ってもらわなければならない。
澄店の場合はクドテンさんが送ってくれることになっていた。
当時、クドテンさんが所有していたギラギラのマジェスタが私を運んでくれる。
「お願いします。」と頭を下げて助手席に乗り込んだ。
「近藤君。ちょっと付き合って。」
「はい?」
「これから飲みに行くから、近藤君も一緒に。」
「え?これから飲みに行くんですか?誰とですか?」
「ガミとザキ。」
澄店からほど近い所に夜中まで開いている居酒屋がある。
私がクドテンさんと店内に入ると、そこには知っている人がいた。
ガミさんである。
ガミさんは私が入社した時、一の店の主任を務めていた。
それからすぐに昇進してほかのお店の店長になった。
そのお店が澄店の近くにある平店であることは知っていたが、ガミさんとは慰安旅行で顔を合わせた以来会っていなかった。慰安旅行の時も、見かけたくらいなもので会話はなかったから、実際に会うのは一の店以来ということになる。
クドテンさんがお店に入ると、ガミさんは素早く席を立ち「お疲れ様です。」と頭を下げた。
そして私の顔を見ると「おお~コンドウ。頑張ってるのか?」と聞いてきた。
私はお疲れ様です。と頭を下げながら、果たして自分は頑張っているのかどうかわからなかった。
少なくとも今日は頑張っていなかったような気がした。
「まぁまぁ、その話はまた後でね。ザキは?」
クドテンさんが席に着くと、ガミさんは素早く灰皿とおしぼりをクドテンさんの前に置く。
「まだ来てません。もうすぐ着くと思います。」
ガミさんがそう言った頃、まるで図ったかのように生ビールが運ばれてきた。
しかし、生ビールはクドテンとガミさんの分だけで私の分はなかった。
「おう、コンドウは何飲む?」
「あ、じゃあ生ビールでお願いします。」
今考えると、この時ガミさんはお店の人に、連れの人が来たら生ビールを出して欲しいと頼んでいたのだと思った。
ガミさんはクドテンさんを待たせないように、先に生ビールを注文していたけど、私が何を飲むかわからないため、2つしか来なかったのだと考える。
こういった気配りというか、まるで昔のヤクザ映画のような上下関係は強く根付いたままだった。
私にはこういった気配りはできないが、以前働いていたお寿司屋でも見ていた為に不思議と馴染んでいた。
お疲れ様です。と乾杯をしたころ入り口のドアが開き、そこにザキさんが入ってきた。
ガミさんはまたすぐに席を立ち、お疲れ様です。と頭を下げて、お店の人に目で合図を送っていた。
私はザキさんと会うのが初めてで、いったいどういう人なのか当時は知らなかったが、この人も店長であり、つまり私は3人の店長と一緒に飲むことになったのだ。
「おう、お疲れ。」
クドテンさんがザキさんに言った言葉を聞き、私は瞬時にこの3人の関係性をつかんだ。
つまりはこの中で一番上がクドテンさんであり、次にザキさん、そしてガミさんという順番になるらしい。
その下の遥か下に私がいて、私はその状況に萎縮するほかなかった。
そしてもっとも萎縮する要因としては、当時この3人が全員リーゼントだったという事である。
こんなに世の中にリーゼントがいるのか?と疑ってしまうほどの光景を見ていたし、なんだか私がリーゼントじゃない事が恥ずかしくもなってくる。
私は心の中でこの3人をリーゼントリオと名付けた。
つづく