料理の記憶 23 「焼鳥編」 焼き場
採用した5人の中から社員を2人選ぶ。
ひと月の間、採用試験が続いていたような感覚だった。
私はこの時の記憶が少し曖昧である。というのも私を外した4人の記憶がほとんどない。
多分それぞれに採用してもらおうと必死になって働いていたと思うが、私もとにかく必死だった。
他の4人を見ている暇などなく、自分が一生懸命に働いて認めてもらうことしか考えていなかった。
楽しいとかつらいとかそんなことも考えている余裕もなく、夢中だったのだ。
しかし、ひと月近くなってくると流石に意識をし始めた。
そういえば評価はどうなっているのだろうか?
私はここに残れるのだろうか?
そんなことを考えているとき、広い店内のどこかから会話が聞こえてきた。
「まぁコンドウはなれるでしょ。」
ん?今のは誰だ?
オカさんか?ヤマさんか?
なれるでしょ?ってことは社員の話か?
なれるのか?採用決定?
やったか。やったのか。
「コンドウー!」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。主任のタックハーシーさんである。
「はい!」
私は足取り軽く急いだ。
「ん?なんだ?なんでうれしそうなの?」
「あ、いや。別に。」
いかんいかん。顔に出ている。先ほどの会話が頭から離れない。
いや、しかし、もしかして採用の決定を伝えられるのかとも思った。
ひと月待たずして私の能力が高いと全員が気付き、一足先に私だけ採用を伝えられるのかもしれない。
あいつは有望だ。あいつは伸びしろがある。
社員になれるのはあいつしかいない。俺たちも、うかうかしてられないぞ。などと、実は私の知らないところで先輩たちは話をしていたんではないか。
そんなに褒められる事も今までなかったから、急に何だか恥ずかしいなぁ。
他の4人がどうやって働いていたか知らないけど、光っちゃったのかなぁ。
俺だけ、光ってたんだなぁ。ははは...
「ばかやろー。」バシッ!
急に頭を叩かれた。
「いてっ!」
「痛いじゃないよ。汚いんだよ。」
「は?」
バシッ!!
「は?じゃないよ。窓ガラスが汚いんだよ。ちゃんと拭けよ。」
「え?」
バシッ!!!
「え?じゃないんだよ。はいだろ。すみません。っていうんだよ。」
「あれ?」
「あれってなんだよ。どれだよ?まぁいいから開店前に綺麗にしとけよ。」
「あ、はい...」
妄想だった。
自分の激しい妄想にうんざりしながら、窓ガラスを拭きなおす。
この焼き鳥屋は外を歩く通行人から焼き場が見えるようになっている。
さらにはマイクを付けていて、焼いている音や店内の活気もスピーカーを通して外に伝えているのだ。
通行人が目の前を歩くと、「いらっしゃいませ~!」「いかがですか~!」などと声をかけて呼び込む。
その外から見える窓ガラスには一段と厳しい清掃が強いられた。
外の外気と中の煙で両側ともすぐに汚れてしまう。
しかし、その窓ガラスがピカピカであれば、第一印象として好感が持てるのだ。
今でこそ本当に素晴らしい考え方だと思うが、当時の私にとってはただただ厳しいくらいにしか考えていなかった。
そうこうしているうちに私はついに焼き場デビューを迎えることになった。
まだ候補生といえども、焼き場ができなければ到底社員にはなれない。
焼き鳥屋では花形とも言える仕事だ。
寿司屋の時など5年修業したってツケバに立つことさえ許されないというのに、採用試験中にそこに立つとは驚いた。
焼き場の第一印象は「とにかく熱い!!」だ。
1000度以上とも言われる備長炭が煌々と赤く燃える前に立つのだからそれもそのはずで、エアコンや扇風機などただの気休めくらいにしかならないくらい熱い。
気温が高くて暑い。のではなく「熱い。」のだ。
まずはこの熱さに慣れることが最重要で、次は煙に慣れること。
もちろん換気扇は動いているが、焼き場の目の前に立つと煙をもろに浴びる。
最初のうちは涙が止まらないほど目が痛くなり、焼き鳥を見ることさえできない。
これに慣れてくると多少の煙には動じなくなる。
例えば換気の悪い焼肉店でもへっちゃらだし、ジンギスカンのだるまも煙いとは聞いていたが、何が煙いのかわからないほど煙に強くなる。
つまりは場に慣れる。ということが大事だと感じた。
この熱さや目の痛さに挫折してしまうと、焼き鳥店では働けないと思う。
私も最初は大変だったが、慣れるにつれて店内で一番好きな場所になっていった。