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料理の記憶 26 「焼鳥編」 ヘルプ

同期のドイちゃんとは本当に仲が良かった。
課長の真似をして営業中に一緒に酒を飲んだり、A館とB館でお互いが焼いているときなどは、電線管(筒状の物で遠くてもお互いの声が聞こえる。)を使ってくだらないことを話したり、突然、松山千春を歌いだしたりしていた。

 

主任のタックハーシーさんは営業中に元気よく返事するときに「はいよ!」の、は、が抜けて「いよっ!」と言う癖がある為、私たちはこっそりカブキと呼んでいた。

 

仕込みの時間に「検品で~す!」という声が裏口から聞こえると、隣の酒屋さんがビールなどを運んできてくれる合図だった。その声の主は隣で働く可愛らしい女性であったが私たちは仕込みの手を止めて行かなければならないため、多少めんどくさかった。しかし先輩社員のヤマさんは店内のどこにいようともその声が聞こえると「はぁ~~~~い!」と言って私たちを押しのけて裏口へ向かった。

その後、休日にその女性とデレデレしながらご飯を食べに来ている姿を見て、私たちは興ざめした。

いったい何を検品してたんだか...

 

オカさんは元プロボクサーのくせにやたら肩パン(肩にパンチすること)をしたがっていた。

私よりも体格のいいドイちゃんを標的にして遊んでいたが、ドイちゃんはそれが面白くなかったらしい。

その矛先は何故か課長に向けられてドイちゃんは課長に肩パンしていた。

 

ドイちゃんはアルバイトにも人気があった。

人に可愛がられる天性のものを持っていたと思うが、私はその人柄に惹かれた。

ドイちゃんが部長の真似をして挨拶の時、女性の胸やお尻を触ったりしてもお互いが笑いに包まれる不思議な光景を見た。

私はあぁ、スキンシップはそういうものなのかと思い、私も真似して女性に近づこうとすると「殺すよ」と言われた。

なにが違うのか私にはわからなかった。

 

そうこうしているうちに入社して半年が過ぎ、私も焼き鳥を多少は焼けるようになっていた。

週末の忙しいB館も任されるようになったころ、ある話がやってきた。

 

マネージャーになったツチテンさんから「あんた、ほかの店にヘルプに行って」と言われた。

 

一の店のように大型店舗で従業員もたくさんいるお店はどんな事にも対応できる。

例えば小さな店舗で急に欠員が出た場合、それを補う人員を探すのは大変だが、一の店には焼き鳥を焼ける人が主任を除いて5人いたため、誰かは対応できたのだ。

 

実際に先輩社員のオカさんなどは一か月のシフトがほとんど多店舗のヘルプという事もあった。

私もついにヘルプデビューを迎えることとなる。

 

私が初めにヘルプへいったお店は「本店」と呼ばれるお店である。

本店といえば本家本元。まさに原点のお店であり、すべてはここから始まったお店である。

記念すべき10店舗目のオープンを控えたチェーン店であるから、その本店となればさぞかし由緒正しきお店であろうと思っていたが、それは大きく予想を裏切った。

 

場所は地下鉄駅の直結にあり、数多くのサラリーマンや夜商売の方々、街に繰り出す若者たちで賑わう一等地の片隅にあった。

 

席数はわずか20席弱。20席と言ってもこの字型のカウンターに所狭しと椅子が並べてあるだけで、その間隔は狭く、実際に20人ものお客が座ったならば、肩と肩がずっと触れているような状態である。

さらには席の後ろ側が通路になっているが、その後ろを人が通ろうとすると一回立ち上がるか、やせ型同士であればググっと体を手前に寄せて通してあげることができる程度の空間である。

 

冬になればコートなどを壁にかけるため、その通路はさらに狭くなり、ダウンジャケットなどは大きくかさばるため着てこないほうが良い。 また、品質の良いコートなどもお勧めしない。酒とタバコと焼き鳥の煙の匂いに加えて、人々が通路を通る度にハンガーから落ちてしまったり、挙句の果てには踏んでしまったりもする。

 

つまりは賑わう駅直結の一等地店舗であるが、一見さんは敬遠するようなお店だった。

そのお店がオープンしたのは昭和55年であるから、私は1歳である。

 

それから約20年たっているが、お店の常連客は通い始めて20年というから、まさに全てを知り尽くした先輩方と言わざる負えない。

 

私はその本店に訳あって月に15日ほどヘルプに行くことになってしまった。

さてさて、その本店で繰り広げられる珍事はまた次回ということで...

 

つづく