料理の記憶 27 「焼鳥編」 本店
本店に毎日くるお客様は10名ほどいる。
その10名はほぼ同じ時間帯に来店し、毎日同じものを注文する。
平日の4時からオープンすると瞬く間に20席ある店内の半分が埋まる。
常連客は座る席がそれぞれ決まっていて隣にだれが座ることまで決まっている。
間違えないでほしい。それは10名様が来店したのではなく1名様が10組来店したのである。
それぞれの注文もよく似ていて食べるものといえばレバー(たれ)か豚串(たれ)のどちらかで、飲むものといえば日本酒(燗or冷)か焼酎(ストレート)のどちらかである。
当時焼き鳥は1本100円で日本酒は180円であり、オーダールールとして注文は2本からとなっているため、必ず焼き鳥を頼むと200円はかかる。それに日本酒を1杯飲んだとして380円。2杯飲んだとしても560円で収まる計算となる。
さらに焼酎のストレートは130円だった為、さらに価格を抑えたいときは日本酒から焼酎にシフトする人もいた。
この当時本店の客単価は700円前後であった。
安くて美味しくて居心地の良さを知ってしまったお客様たちは約20年間、ここの住民となったのだ。
仕事帰り、ここで一杯やってから自宅へ帰るというのがルーティンとなり、テレビで流れる相撲を見ながら、やれ貴乃花はどうだとかお兄ちゃんのほうがこうだとか朝青竜はどうだとか言っていた。本当に良い時代である。
もはや住民たちはこのお店がプライベート空間となり、よそ者を嫌う習性もあった。
毎日は来なくとも2日に1回であるとか週に2回のお客様も、もちろんいる。
さらには駅直結であるためふらっと立ち寄ったサラリーマンなども多くいたが、その知らない顔が自分の座るはずの席に座っていると極端に不機嫌になる。さらには店長に文句を言う。
「私がいつもそこに座っているのを知っているんだから空けておけ」とこういう言い草だ。
私からすれば無茶苦茶な言い分だが、本店の歴史からすれば当然のことだという。
それが理解できない店長は住民たちから烙印を押される。
前の店長は違ったとかその前の店長は良かったなどと過去を振り返り始め、ほかの住民たちもそうだそうだと同感したり、いやあの人はここが悪かったなど意見を交換しあう。住民の集会みたいな雰囲気になりよく目立つ長のような人がその場を仕切りだす。しかし住民たちが誰を長にしたわけでもないため、その仕切りが面白くないということになり、お酒が入っているせいかすぐさま喧嘩が始まるのだ。
それをいつもの光景のように口を挟まず見守っていると、いつの間にか住民たちは打ち解けていき「この人に1杯あげて」「あの人に1杯あげて」とお酒のおごり合いが始まる。
しかし飲んでいるお酒がほとんどみんな同じであることと、飲む量がほぼ一緒であるため結局どの住民も帰りのお会計はほぼ一緒の700円になった。
その一連の流れが毎日、相撲が終わる時間まで行われる。
私は自分の配属している一の店とのギャップに驚くが月に15日もヘルプに来ているとすっかり慣れてしまっていた。
そもそも何故、私が15日もヘルプに来ることになったのかと言うと、当時いた焼き場の社員がその光景に嫌気がさしてしまい、マネージャーによそのお店に行きたいと直談判した事が原因である。
つまり私はその社員の心のヘルプを行っていた事になるが、私も私でこれが数か月続くとマネージャーに月に15日も行きたくないと直談判していた。
この本店はまさに玄人好みの歴史あるお店であった。
前に店内が狭いと話したと思うが、狭いのは通路だけではなく厨房も狭い。
この字型のカウンター内に一直線に伸びた従業員の働くスペースがある。
それは人ひとりが通れるほどの幅しかなくて、従業員同士がすれ違うことができない。
本店の従業員は焼き場を入れて3名体制であったが、その3名が営業中に通路をすれ違う事はないのだ。
つまり一度中に入ってしまえば、営業が終わるまでずっとその位置にいなくてはならない。
1人は私、焼き場担当。1人は店長、レジ兼接客担当。1人はアルバイトの洗い場兼接客担当である。
焼き場とレジの間に外に出る隙間があるため、私と店長は自分のタイミングで外に出てトイレへいったりジュースを買いに行ったりと好き放題できるのだが、洗い場の人が外に出たい場合は一度店長に外に出てもらってから、自分も出ることができる。
なんとも不自由な職場である。
本店にはこの店内の狭さが生んだ独特なシステムがあった。
それはオーダーを通す「口頭」である。
つまり、焼き鳥などの注文を焼き場に伝えるには通常のお店であれば伝票に書いてそれを焼き場まで持っていき渡すのだが、通路が狭いためそれを口頭で伝えることになっていた。
例えばレバー2本の注文を受けた場合「レバーです。」と伝える。
焼き鳥は2本からの注文がルールになっているため、2本のオーダーの場合本数は伝えない。
「レバーです。」と言われればレバーが2本「塩」で注文を受けたとなる。
タレの場合は「レバタレです。」と言われる。
なーんだ簡単じゃん。と思う方もいるかもしれないが、焼き場にとってはこれが相当難しいのだ。
本店の焼き場はこれが出来ないと務まらないといっても過言ではない。
例えばレバー(たれ)と豚串(たれ)2本ずつの場合は「豚レバーオールタレです。」と伝えられる。
ではレバー(塩)と豚串(たれ)2本ずつだとすると「豚タレレバーです。」と伝えられる。
4本以上の注文を受けた場合はその数を伝える。
例えばレバー(塩)4本と豚串(たれ)2本だった場合は「レバー4豚タレです。」となる。
伝えるルールとして数の大きい方から先に言うこと、もう一つはできるだけ省略して伝えることが重要となる。
そりゃレバーと豚串だけのお店であれば簡単なものであるが、ここの焼き鳥屋はメニューが豊富にそろっている。
常連客はほとんど毎日同じものを食べているため、焼き場で聞く側も慣れてくれば簡単になってくる。しかし一見さんや、極々稀に来る2名以上のお客様となるとそうはいかない。
鳥串4本(塩)、つくね2本(たれ)、ひな皮2本(塩)、ポンポチ4本(たれ)、砂肝2本(塩)、ささみ2本(塩)の注文であれば、「
ポチタレ鳥オール4つくねタレ皮砂ささみです。」と伝えられる。
「ポチタレトリオールヨンツクネタレカワスナササミデス」
最初のうちは呪文でも言っているのかと思った。
これがさらに長くなればお経のように感じた。
しかしこちらも月に15日働いていると耳が慣れてくる。
焼き鳥のネタは冷蔵庫から焼き場担当が自らネタを出さなくてはならない(これをネタ焼きという)が、耳が慣れてくると聞いている途中ですでに冷蔵庫に手が伸びており、言われた順から素早く出すことができるようになる。
これがどれだけ忙しくなろうとも、耳が敏感にさえ反応すればネタを出すまで忘れることもなくなる。
むしろ耳が慣れていないのは常連客である住民たちのほうで、たまに「もちベーコン」や「つくねチーズ」などを口頭で伝えると店内がざわつき始める。
なんだそれは?と20年来通うはずの住民は聞いたこともないといったように、店長に詰め寄るのだ。
「そんなメニューがあったのか?どうして教えてくれないんだ?」
「いやいや、ずっと前からありましたよ。メニュー表にも載っているし。」
「メニュー表なんか見たことないぞ。おれはてっきり鳥か豚くらいしかないのかと思ってた。」
「ちゃんと見てくださいよ。ほら。書いてあるでしょ。」
「見せてみろよ。どれどれ、なんだよ、そんなメニューがあるなら俺も頼んでたのに。ん~?」
メニューには、「つくねチーズ140円」「もちベーコン140円」と書いてあった。
「あぁ...そうか。まぁいいや...まぁいいよ。いつもので。」
そう言って住民たちはメニューを自分から遠ざけるように置いた。
普段食べている100円の焼き鳥を遥かに上回る140円という価格に恐れをなしてしまったのだ。
毎日お会計が一緒である為、違う値段のものを頼んでしまうと不安になるらしい。
さらにはお酒がだいぶ入っていて、前にも同じ会話をしたことを忘れている住民もいるから、この会話は「つくねチーズ」や「もちベーコン」といった変わり種のメニューが口頭で伝わるたびに行われる儀式のようなものにもなっていた。
つづく