自信のないあなたへ。自信が内側からあふれてくる、もっと自分自身を好きになる、赤石ちづきのオフィシャルブログ♪ -18ページ目

自信のないあなたへ。自信が内側からあふれてくる、もっと自分自身を好きになる、赤石ちづきのオフィシャルブログ♪

あなたは自分がすきですか?

  あなたをプロデュース 自身の付く楽しい生活トレーナー


あなたにも出来ますよ。自信のつけ方教えます。
セルフイメージ(潜在意識)を変えて行動へ

テクニックはポイントを押さえて●●れば、有効な手段です。

でも、テクニックっていうのは、所詮道具です。
知識です。知らないよりはましですが、●●に移さなければ、結果に結び着きません。

道具やテクニックは使ってこそ効果があります。

夢リスト を作って100個書いた方がどれくらいいるでしょうか?

まだ●●に移してない方は是非実行して下さい。

まずは100個夢を書くそれだけのことです。
コツは楽しみながら、遊び感覚でやることです。

夢なんですから、苦行のようになってはダメですよ。

他人に見せるわけではないのですから、素直に、欲しいもの、やりたいこと、実現したいこと、こうなったらいいなーを、イマジネーションをフル活用して書いて下さい。

これは自分自身で踏んでるブレーキを外し、知識、情報に捕われている、自分を解放する訓練なんです。

まだまだ、このブログは記事も少ないし認知されてません。

でも、知識マニア、テクニック、ノウハウコレクター養成講座ではないのです。

自分の中にある、内なる存在力を引き出し、変わることを恐れず、もっと自分を好きになって欲しいのです。
自信をもって、前に向かって進んで下さい。

自分が好きで、自信がある人でも、スラスラと100個の夢リスト を書けないのではないでしょうか?

この夢リスト は1度書いて終わりではありません。さらなる活用法があります。

でも、まだ書きません。
お預けです。

100個書いたよっていうコメントがある程度ついてから、次のステップについて書こうと思います。

私は、教えたり、相談に乗るのが好きです。それは、相手が変わっていく様子を見るのが楽しいからです。


変化を恐れる気持ち 、はこちらにかきましたが逃れられないのです。

ただ、本能はできるだけストレスを減らすために保守的に行動するように作用します。


私は元男で今は女性として暮らしています。ブログにも書きました

1995年にカミングアウトしたときは全く社会的こも認知が無くて、親にも縁をきられるし、大変でした。


それでも、自分の経験を、活かしたくて、無料の当事者向け電話相談を3年ぐらいやっていました。

具体的な方法論やテクニックも大事ですけど、その人の行き詰った状況を本人にまず理解してもらって、本人にどうしたら良いと思う?って問いなおす感じです。


4年間ぐらい、LGBTの人向けの聖書を通して性を考える会を0人~数人で毎月1回開催していた時期があります。


ホルモン療法(男性⇒女性)の場合は、女性ホルモンを摂取するのですが、医療機関によって対応はマチマチで、自由診療(全額自己負担)で、新宿2丁目(ゲイタウン)を抱える町では、1本5000円とか1万とか法外な値段で、自己申告だけで、何本でも売ってくれるという医者なのか?っていうところもありましたし、よくわからないし、ホルモン摂取のリスクがわからないので、断る病院が殆どでした。


(そのためホルモンを打ちたいのだけど、病院を教えて欲しいという相談に答えるのは簡単ですが、ホルモンの不可逆性効果や、リスク、費用、あとは自分で行動するだけの気力がないと、社会的圧力に結局負けてしまうので、病院名を直接教えたりはせずに、電話帳片手に産婦人科や性病科に片っ端から電話してさがしなさいって答えてました。)



そういう、関わりの中で、誰かに言われても、良いなぁ~と思っても自分なりのやり方にまで落とし込まないと、変化や行動は結局期待できません。


そして、関係ができると、かならず変化がおきました(目に見える変化です。)


男性⇒女性の場合は、悩んでいて立ち止まっているときは、明らかに男性に見えるのですけど、周りからどう見られているかを常に意識しているのですが、自分の意識が変わると変わっていくのです。


自分の願いが叶っていくと、お化粧の技術とかUPとか以上に見た目が全然変わっていくんです。最初は不自然な女装が、女性らしい振る舞い、表情になるんです。


仕事先での扱い(対応のされ方)や、名前の変更や、友人・知人の理解、両親・兄弟の理解と進むと、明らかに表情がよくなります。


それまで、自分が何者かわからずに居たのが、わかってきて、自分らしさをとりもどしたとき、後ろ向きな考えばかりで立ち止まっていた人が、ホントに変わるんです。


それ以外でも、私からの学びを卒業してしまった人が多いのですが、あきらかに何十人かのひとたちのターニングポイントを作ったと思っています。(本人たちが気が付いてるかわかりませんけど、私の何らかの言葉や関わりを手がかりにあとは自分の内面の力で方向転換したと結果をみるとわかる人がいます)


人は変化を恐れます。保守的です。でも変化するのが当たり前、変化を恐れずに前を向いたとき、その人の中から輝きがでてきます。


私はその輝きを見るのが大好きなんです。


これからの活動でもっと、素敵な笑顔が広がるように私も努力していきたいなぁと思います。

子ども虐待防止のオレンジリボンキャンペーン



http://kamoclub.fc2web.com/orange/






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簡単に論じるべきではないだろう思いつつ、双方なりに傷を負っている人を、居た人を知っているものとして、周りにいた関係者として意見を書きます

やっぱりこの出来事も、親やその親が、自分を好きでなかったり、自分を確立出来ずに親になってしまって、他者と自分の境界を正しく判断出来ずに起こる不幸だと、思います。


母親にとって子どもは、他者であるとともに、自分自身の一部という感覚を持つこともあり、親離れや、子離れが出来なかったりして、共依存関係になったりします。


原因よりも、どうしたら良いか考えたいですね。



やはり、子どもの人権条約にあるように、他者として尊重する。

しつけと子どもに対する対応は別であること。





それと、他人の目や世間の目を意識し過ぎること。
これは、世間が子どもを優しく見守る態度も必要かな~って思いますけど



子どもは、基本的にじっとしているのは苦手。

少々騒いでも受け入れること、赤ちゃんなら、急に泣き出して、泣き止んでくれないことなんて、しばしば。



電車の中で、周りの目を気にしすぎて、赤ちゃんを怒鳴ったり、宥めすかしたり慌ててる人を見る度に、世間の目が優しかったら、親もイライラしないし、赤ちゃんもわけわからず怒られて、良い子を演じる子どもに、なっていつか爆発なんてことも。



境界性人格障害で苦しんで、母親への憎悪と母親側からの偏愛に、生きる喜びを見いだせず、少なくとも4回は自殺未遂、ぎりぎり助かるや、精神科の閉鎖病棟も数回経験したある人の場合、良い医師とサポートが必要だったと思います。

結果的に母親の憎悪を吐き出して良いこと、苦しくて死にたければ、勝手に死なないことを条件に選択肢の一つに加えて良いことを理解し(その人はある意味敬謙なカトリックだったので、自殺はしてはいけないと抑えこんで無理してました)前を向き、恨みに生きるのではなく、自分の人生を歩き出した時、初めて仕事が楽しい。生きていてよかったと言葉だけでなく、前向きに歩き始めたのを見て、とてもうれしかった事は一生忘れないでしょう。

長くなりそうな予感なので続きは明日に

当時、うつ病でした。何もやる気が起きない日々でした。


でも、こうして時が流れ、経験として生かせる日がやってきていることに感謝です。


手直ししたい、欲求にもかられましたが、これはこれとして2005年に書いたものとしてアップしてみます。



--------------------------以下貼り付け


(説教)求めよ。さらば与えられん。全体に公開


2005年06月02日04:31



※キリスト教の説教の体裁をとっています。そのため、命令口調だったり、断言口調だったりします。そのようなスタイル(形式)だとご理解くださいますように。

※ひとりの読んで欲しい方へのメッセージです。読まれるかわからんけどね。だからそぐわない点があってもシビアに突っ込まないでください。

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(説教)求めよ。さらば与えられん。

有名な聖句のひとつです。

マタイによる福音書7章7-8節。(新共同訳聖書)
「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも、求めるものは受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」

ここの個所は有名ですから聖書を読んだことがある方はフフンと軽く読んでいないでしょうか。この個所はかなり怖いことの書いてある個所であることにお気づきでしょうか。

そしてそれは真実です。

つまり、求めなさい。そうすれば与えられる。とは。。求めれば、与えられるということです。求めなければ、与えられません。

探しなさい。そうすれば見つかる。とは探せば見つかるということです。探さない限り、見つからないのです。

門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。とは門をたたけば、開けてもらえるということです。門をたたかないものは、開けてもらえないのです。

また、8節には「だれでも」とかかれています。

つまり信仰の有り無しにかかわらず、だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれるのです。

ここでは同じような内容が3度も繰り返され強調されています。

しかし、見落としがちなのは次の点です。

だれでも、求める者は受け、とは求めた分に応じて、受け取る分も決められるということなのです。怖いことにおまけはありません。
ですから、必死に求めたら、求めた分だけ与えられるのです。

なぜこのような話をしているかと言うと、神様は私たちをこの世に創造し送り出してくださったとき、無慈悲にも、過酷で希望もなく、何をやっても上手くいかないような、この世に送り出したのではないということです。

先ほど読んだ聖書にあるとおり、求めれば求めただけ与えられる、豊かな魅力あふれるこの世に、私たちの生を与えてくださったのだということです。

そんなばかなと言う方もあるかもしれません。
苦労ばかりでよいことなんて一つもないと。
いつも求めているけれどもそれが与えられたことなど無いと。
この世は生き地獄で死んだ方がましと思えることだって何度もあると。

しかし、よくよく思い出してください。
本当に求めたものは必ず、手にしているという事実を。
それは、熊さんのぬいぐるみでもいいです。大学への合格通知でもいいです。昨日の夕食かもしれません。はたまた寝る場所だったかもしれません。愛するパートナーかもしれません。
本当に心から求めたものは、必ず手に入れているのです。

もしも大学が志望校でなかったとしたら、本当に志望校に入ることを誠実に求めたか考えてみてください。
きっとどこかで妥協してしまっていたはずです。

実際、神様が私たちを生かしてくださっている、この世は実に豊かに、求めるものを与えてくれるのです。

けれども、それだけで満足してはいけません。

先ほど述べたように、求めに応じた分しか与えられないからです。まあまあ適当なところでいいや、と妥協すれば、まあまあ適当な結果しか与えられないからです。常に貪欲に求め続けなければなりません。

では、その貪欲なエネルギーが続かないという場合はどうでしょうか?

実際私はいま鬱です。やる気力がなかなか沸いてきません。
しかし、私がなすべき分は神様から光のエネルギーを与えてもらっている限りにおいて、この貪欲なエネルギーは枯渇することはないのです。かならず、沸き起こってくるものなのです。

さあ、本当に欲するものを心から、願うのではなく、求めてください。願いは静的ですが、求めは動的です。

願いは祈りにおいて完結していますが、求めは自己の責任において行動が伴います。

この違いも大きなものです。そして、真に神様と共に歩んでください。

祈り)
共にいてくださいます神様。

どうかあなたに繋がることによって光のエネルギーを受け、貪欲に欲するものを求めることができますように。
そしてその欲するものがあなたによって喜ばれるものでありますように。

イエス・キリストの御名によってこの願いを日々の感謝と共にささげます。
アーメン。

話題の掲示板「自信をもつって?」


http://amebabbs.ameba.jp/thread/W-2ocrJ_DZ0iaYn5Q0azhm/#threadResListBtm

107.  11月21日 14:01

ネガティ部 スレッドなので書き込みをためらったけど、

だれか一人でも、何かを感じてもらえばそれでいいと割り切って書きます。


自信とは、他のひとも書いているけど、自分を好きになること。

自分好きになるというのは、ナルシストになれとか、妙な自信過剰になることではなくて、

自分を受け入れるということ。それは、得意なことも、苦手なことも、失敗しがちなことも。


そして自分をすきになって欲しい理由は


1)自分が嫌いだと、自己肯定感が低くなり、ネガティブな思考に陥りやすい。

2)自分が嫌いだと、ネガティブなので、どうせダメだから、私には無理。って思考が後ろ向き。

3)本来やりたいこと、好きなことさえも、諦めてしまう。

4)または、社会や周りに居るひとたちの責任にして、自ら行動を起こさず、愚痴や逃避が多くなる。

結果、自己否定感が強くなる。さらに自分に自信がなくなる。


  • 108.  11月21日 14:02

    つづき。長くてすみません。


    では、自分を好きになるにはどうするか?


    1)自分の本能や理性を信じる。例えば、病気は気からといわれるし、偽薬をつかった実験でも明らかになっているけど、本物の薬でも、偽物の薬でも、信じて飲めば効果がある。それは、自己治癒能力を発揮したからであって、おまじないでも、迷信でもなく、本来自分の持っている力を有効に発揮したということ。



    2)他者や、社会との距離を置く。最初は凄く、孤独で寂しいかもしれないが、他人はあくまで他人であって、自分の思いをわかってなどはくれない。もちろん、理解しようと努力してくれる人はいるかもしれないけど、結局他人とは、別の人格であって、他者とは相容れないという事実から目をそらしていてもダメ。


    3)自分の本来持ち合わせている、成功体験を思い出す。

    中学、高校の頃、好きな歌手やアイドルが居てCDが欲しかったとする。CDが欲しいな~と漠然と思っていても手に入らないが、本当にこのCDが欲しかったら、何らかの行動を起こしているはず。友達にCDの名前タイトルを聞く、ネットで調べる。CDショップに行って、現物を目にする。ますます欲しくなれば行動は加速。値段が幾らだから、おこずかいを貯めよう。アルバイトをして稼ごう。そして、目の前に、欲しかったCDがある。それが現実。

    これって、誰かに言われたから出来たことではなく、本来自分の中に、欲しいものを手に入れるためには、行動することができるという、成功体験がかならず、1つ2つあるはず。


    4)成功体験をリストアップしてみる。欲しかったもので手に入れてるもの。(物でも、~大学入学でも、~を仕事にしたいでもなんでもいい)。本当に手に入れたくて、行動に移したものは手に入れてないだろうか?



  • 109.

  • さらにつづき。最後です。

    5)逆に、手に入れられなかったもののリストを眺めると、結局誰かに何かを言われたからかもしれないけど、結局は自分で諦めた、手放した、手に入れるのを諦めたのではないだろうか?

    (もちろん、プロのサッカー選手になるとか、オリンピックで金メダルを取るとか、宇宙飛行士になるとか、成功する確率が非常に少ないうえに、無茶苦茶努力しても、届かない人もいる。でも諦めずに手にした人もいるし、諦めたにせよ、好きなスポーツトレーナーとして、選手としては成功しなかったけど、結果的に好きなことをやっている人もいるし、全部諦めて、好きでもない仕事を指示されるままにやって、上司や会社の愚痴を言っている人もいる。


    自信を持つというのは、自分を好きになること、そして、どっちの方向に向かって進んでいくかということだと思う。

    誰かに承認されるということではなく、自分の存在を大事にすること、そのことが、他人の存在を大事にできる第1歩だと私は信じています。