当時、うつ病でした。何もやる気が起きない日々でした。
でも、こうして時が流れ、経験として生かせる日がやってきていることに感謝です。
手直ししたい、欲求にもかられましたが、これはこれとして2005年に書いたものとしてアップしてみます。
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2005年06月02日04:31
※キリスト教の説教の体裁をとっています。そのため、命令口調だったり、断言口調だったりします。そのようなスタイル(形式)だとご理解くださいますように。
※ひとりの読んで欲しい方へのメッセージです。読まれるかわからんけどね。だからそぐわない点があってもシビアに突っ込まないでください。
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(説教)求めよ。さらば与えられん。
※ひとりの読んで欲しい方へのメッセージです。読まれるかわからんけどね。だからそぐわない点があってもシビアに突っ込まないでください。
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(説教)求めよ。さらば与えられん。
有名な聖句のひとつです。
マタイによる福音書7章7-8節。(新共同訳聖書)
「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも、求めるものは受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」
ここの個所は有名ですから聖書を読んだことがある方はフフンと軽く読んでいないでしょうか。この個所はかなり怖いことの書いてある個所であることにお気づきでしょうか。
そしてそれは真実です。
つまり、求めなさい。そうすれば与えられる。とは。。求めれば、与えられるということです。求めなければ、与えられません。
探しなさい。そうすれば見つかる。とは探せば見つかるということです。探さない限り、見つからないのです。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。とは門をたたけば、開けてもらえるということです。門をたたかないものは、開けてもらえないのです。
また、8節には「だれでも」とかかれています。
つまり信仰の有り無しにかかわらず、だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれるのです。
ここでは同じような内容が3度も繰り返され強調されています。
しかし、見落としがちなのは次の点です。
だれでも、求める者は受け、とは求めた分に応じて、受け取る分も決められるということなのです。怖いことにおまけはありません。
ですから、必死に求めたら、求めた分だけ与えられるのです。
なぜこのような話をしているかと言うと、神様は私たちをこの世に創造し送り出してくださったとき、無慈悲にも、過酷で希望もなく、何をやっても上手くいかないような、この世に送り出したのではないということです。
先ほど読んだ聖書にあるとおり、求めれば求めただけ与えられる、豊かな魅力あふれるこの世に、私たちの生を与えてくださったのだということです。
そんなばかなと言う方もあるかもしれません。
苦労ばかりでよいことなんて一つもないと。
いつも求めているけれどもそれが与えられたことなど無いと。
この世は生き地獄で死んだ方がましと思えることだって何度もあると。
しかし、よくよく思い出してください。
本当に求めたものは必ず、手にしているという事実を。
それは、熊さんのぬいぐるみでもいいです。大学への合格通知でもいいです。昨日の夕食かもしれません。はたまた寝る場所だったかもしれません。愛するパートナーかもしれません。
本当に心から求めたものは、必ず手に入れているのです。
もしも大学が志望校でなかったとしたら、本当に志望校に入ることを誠実に求めたか考えてみてください。
きっとどこかで妥協してしまっていたはずです。
実際、神様が私たちを生かしてくださっている、この世は実に豊かに、求めるものを与えてくれるのです。
けれども、それだけで満足してはいけません。
先ほど述べたように、求めに応じた分しか与えられないからです。まあまあ適当なところでいいや、と妥協すれば、まあまあ適当な結果しか与えられないからです。常に貪欲に求め続けなければなりません。
では、その貪欲なエネルギーが続かないという場合はどうでしょうか?
実際私はいま鬱です。やる気力がなかなか沸いてきません。
しかし、私がなすべき分は神様から光のエネルギーを与えてもらっている限りにおいて、この貪欲なエネルギーは枯渇することはないのです。かならず、沸き起こってくるものなのです。
さあ、本当に欲するものを心から、願うのではなく、求めてください。願いは静的ですが、求めは動的です。
願いは祈りにおいて完結していますが、求めは自己の責任において行動が伴います。
この違いも大きなものです。そして、真に神様と共に歩んでください。
祈り)
共にいてくださいます神様。
どうかあなたに繋がることによって光のエネルギーを受け、貪欲に欲するものを求めることができますように。
そしてその欲するものがあなたによって喜ばれるものでありますように。
イエス・キリストの御名によってこの願いを日々の感謝と共にささげます。
アーメン。