自信のないあなたへ。自信が内側からあふれてくる、もっと自分自身を好きになる、赤石ちづきのオフィシャルブログ♪ -17ページ目

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セルフイメージ(潜在意識)を変えて行動へ

一つ前の記事で、自分の構造をおおまかに書いてみましたが、まずは第3段階の「潜在意識」とか「セルフイメージ」とかについてかきたいと思います。。


NLPなどでも、説明されているようなのですが、(というのは、私自身はNLPという形で学んだことがないのでです。)「セルフイメージ」⇒つまり自分のことを第一段階の行動するところの自分が、どう自分を評価しているか、が重要です。


なぜなら、「セルフイメージ」の殆どが、生まれてから、周囲の環境、赤ん坊の頃は両親、兄弟から受けます。幼稚園などに行くと、回りの環境から自分に対する評価を一方的に受けます。そして、TVなどのマスメディアや世間体と呼ばれる社会的価値観なども、人や情報を通じて入ってきます。


例えば、同性を好きみたいな人は、周りの人と話が合わないし、どうやらお笑いネタのようで、そのことは言うべきではないと思います。それが、隠し事をしている自分。自分を偽っているようで、他人に対してウソをついているようで、自虐的だったりします。


私の場合、男性としての役割・服装になじめずにいました。そして、小・中といじめられっこでしたから。小学校の頃は授業中が一番楽しかったです。そして20分休みとか、よけいな休み時間や、昼休みみたいに長い休みのときは、逃げ回っていましたよ。でも、見つかってしまうと逃げていたといって、いじめられるのです。


それでも、私の年代の頃には、学校に行くのは当然という風潮があったし、両親もマジメな人でした。登校拒否なんて言葉も無かったので、学校に行かないという選択肢はなかったですね。


男は3度しか泣いてはいけない。なんていうのが口癖の、柔道を習わされたり、長続きしませんでしたけど。強くないとイケナイっていうのが、納得できませんでしたね。


でも、有る意味男性として育てられたので、自分で判断すること、主体的であるということには敏感でした。当時は女性は一歩下がって男性を立てる。気配りするのが女性の役目などというのが当たり前でしたから。


男性同性愛者が、男性に嫌われる理由は、宗教的価値観の輸入もありますが、自分が客体になることが怖いからだそうです。男性というのは、常に主体的で、リードする側っていうのが、私の育った頃の価値観でした。


最近では、草食系男子なんていうのも、かなり受け入れられいますし、いつの間にか出来ちゃった婚なんて珍しくないし、離婚もマイナスにならなくなりましたよね。


社会的価値観は変わっていきます。でも、小さい頃に刷り込まれたものは、ややもすると自分の行動に、無意識に影響してきます。


そういう意味では、私自身も目標に向かって常に変わり続けることを、恐れずに方向とエネルギーの配分を考えて行動していきたいです。


病も気からっていいますけど、食習慣から始まって、自分の身に起きていることは、何処かで、自分の無意識可のイメージが作っているものだったりもします。


もちろん、全ての病気や怪我を避けることはできませんが、忙しく仕事をして、ほっとしたら、風邪をひくってありますよね。


そういう意味ではも、心と体は連動しています。


刷り込みを解消する方法は、ネガティブな過去をなるべく思い起こさないこと。

そして、上手くいったこと、成功体験を繰り返し刷り込むこと。


つまり、失敗した~っていうことを繰り返し、思い返すたびに、上手く行かないよどうせって気持ちを、自分で自分のセルフイメージに刷り込んでいるのです。


スポーツの世界、例えば野球なら、前の打席で三振したことを忘れて、ヒットを打てる自分をどれだけイメージできるか。っていうことが大事ですよね。

イメージトレーニングが重要なのはスポーツの世界では当然ですが、そのイメージは上手く行ったときのことをどれだけイメージできるか?が大事です。野球ならフォーム、重心の移動、相手投手に対して苦手意識ではなく、ヒットを打てたイメージ。そのときの心の喜びなど、出来る限り思い出しながらイメージしていきます。


でも、完璧である必要なんかありません。打者であれば、3割ヒットが打てれば優秀なのですから。3分の1ですよ。


もし、何かをやろうとしていて、踏ん切りがつかない、まだ完璧じゃない、自信がない。当たり前です。最初はみんな素人なんですから。


一歩を踏み出しましょう。3割で良いのです。上手くいくのは。残りの7割を失敗と捕らえるか、経験と捉えて次に生かすか。それを決めるのは、自分自身、あなたです。

このブログ、内なる力でというのは、自分の本能や興味のあること、やりたいことを整理して、自分自身を幸福にしていこう。という考え方です。



色々な人が著書やブログで書いていますが、私なりにまとめると、こんな4段階になっています。


第一段階  行動として表に出ている自分


第二段階  内面で努力している自分 葛藤をもっている自分

        

    Aパターン)ココの段階で既に自分に自信がなかったり、どうせダメってあきらめている自分が居る場合


    Bパターン)セミナー参加、コーチング、カウンセリングで一時的にモチベーションがあがるが、(プラス思考などわかっているが)

    ⇒基本的に長続きしない

        
第三段階  セルフイメージ(潜在意識)

        

    ~生まれてから社会や周りから受けた無意図的教育によって、無意識下につくられたもので、自分では知らず知らすのうちで、影響を受けてしまっているもの。

これはトレーニングによってセルフイメージ(潜在意識)を改善できる。

それによって行動や意識の方向がかわることはある。


大体の自己啓発系はココの段階までで終わっています。

※プラス思考、習慣化、潜在意識の性質を知り、自分のコントロール方法が、いろいろな形で、書籍やセミナーで行われています。


    次の第四段階は、あまり語られていなかったり、宗教的だったり、精神世界の話だったりするので、敬遠されがちです。光の幸福とか、宇宙的エネルギーとか、 本能とリンクし、自分の内側からあふれ出て来る欲求。


第四段階 本能とも言うべき、自分の内側からあふれてくる欲求。


これに身を任せると、自分を否定しないですむし、生存本能というのは、幸福感を味わって生きていくことのハズだから(決して生き物は死ぬために生きているのだはない)。

私という存在は偶然ではないし、他人とも全然違う。輪廻転生があろうと無かろうと、今ある自分の存在は、過去も今も未来も同じものは存在しない。

だからこそ、今の自分の価値、個性こそ、豊かさの象徴であり、祝福、恵み、感謝、幸福の源なのだという、事実にどこまで近づけるかが重要。



※ただし、第三段階のセルフイメージ、潜在意識の性質を理解していないと、第四段階まできちんと近づけない。その存在はわかっていても。それは、私自身も、日々の生活で実感中。



そうそう、この内容はあくまでも、現在の私の状況から気が付いたことをとりあえず、纏めてみたくて書いたブレインストーミング中のものです。全てを理解している人など居ないし、正しい解答など無いと思う。


それぞれにあった方法がきっとあるはず、だって多様な個性をそれぞれ持っているのに、全てに効く訳がない。

肉体的な病気であっても、同じ対処法で全てが上手く行かないように、「命」というものの本質や「生」というものの本質を理解し解明しているわけではない。全てが数式や科学で証明できないように、何でも割り切れるわけではないと思う。答えは自分の中にしかない。そして、それに気がつき行動するのも自分自身。




先週から今週にかけて、いろいろなことが立て続けにおきました。

ちょっと凹むことも、ありました。


でも、沢山の人に支えられて今の自分があります。


ちょっと考えただけでも、7~8人のお世話にこの2週間でなりました。

ほんとうに、感謝です。


苦しいとき、助けてもらったときにはありがたみがわかりますが、ついぞ、上手く行っている時は、何か自分の力で上手く行っているような錯覚に陥ることがあります。


常に、1つ1つのことに、感謝しつつ、前に進みたいと思います。




個々人が、ちゃんと自分をもっていて、他人を他人として、理解できなくても、否定しないという前提があれば、集団というのは、相互作用があり、お互いに、効果を発揮するとおもいます。一人が3倍頑張るより、3人が協力した方がはるかに力を得ます。


でも、集団形成の多くの場合、自分自身の孤独や不安を埋めるために、つながりを求め、結果として集団を形成します。
そこには、つながっている仲間意識という、集団心理が生まれます。

そして、ややもして、仲間意識は、他の集団との差別化、排他性を持ちます。


それは宗教でも、国家でも、学校のクラス内にできる仲良しグループでも。


有る意味、一人の人が他者との関係を築くときと同じです。自己確立をするということは、他人を他人として認める。自分ではない他者として存在を認めるということなのです。


お互い違う存在なのですから、相性はあるでしょう。他人を嫌うということは、私はさほどいけない事とは思いません。どんなにすばらしいことをしている人でも、万人から愛され尊敬されるとは限りません。恨みや妬みのような、ある種の八つ当たり的なキライもあります。自分の鏡としてみえてしまう時避けたくなると思います。


だから、「キライな人」という認識でその人の「存在を認めている」からです。わたしとは意見が違う人として、理解できないけど、そういう考えもあると認められるだけのものを持っているということです。

それがその人の底の深さ、奥行きというものだと思います。


第一全ての人に愛されるなんておこがましいです。色々な人たちが居て、同じようなことを言っていても、視点がちがったり、根源的なものがちがったりします。環境も受けてきた無意図的教育(時代規範や世間体、マスメディアによってなされます。幼児であれば両親の思想の影響も含まれます)も違います。


関わりのある他者に対して、一番してはいけないこと、それは存在の否定です。それは、その人の存在を殺しているといっても良いのです。言うならば存在の否定とは精神的にそのひとの存在を殺しているからです。


でも、悪人も犯罪者もいるではないか?確かにいます。それを常習としている人もいます。

お腹がすいているとき、他人の食べ物を盗むのは犯罪です。でも、それを取り締まる警察よりも、社会の仕組みや教育、無意図的な教育も含めてどこに問題があるとおもうのです。


少なくとも、西欧社会では、人を性善説的に考えていると思います。

だから、犯罪を犯した人に対して、目には目を、歯には歯を、死には死をという、ハムラビ法典のような、考え方ではなく、更生する場所として刑務所があり、処罰するために苦痛や恐怖で支配する(見せしめ)ではない方法がとられており、ヨーロッパではかなりの国々が死刑制度を廃止しています。

それは、国家による殺人であり、国家という集団が別の集団の存在を否定するとき、大規模な国家による殺人は戦争になります。


集団形成における自己確立について、こんな記事を書いたのは、昨日になってしまいますが、読者登録してくださったこの方 の「TEAM DORAMA」の集団としてのあり方、活動(特に、【2009年のDORAMA展開】)は相容れないとも思えるほどの多様性があって思い面白いなぁと、思うと同時に私の集団形成における自己確立の役割をかいてみました。


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わたしは、MtF(男⇒女)のレズビアンです。


高校なんて、男らしくあらねばって、男子校にかよいましたからね。

まあ、無理っていうのは、その後にひびきます。


私がカミングアウトした1995年当時、現在で言うところの(姓同一性障害)って全く認知されていませんでした。


そして、テレビなどで見聞きする、いわゆるニューハーフの人たちは、口を揃えて、男の人が好きだから、女になって尽くすの。っていう感じでした。(女は一歩下がって、気が利いて、でしゃばらない、なんていうステレオタイプがもてはやされた演出も込みなのかな?)って思います。


ですから、私は自分がわかりませんでした。女性が好きなのはあきらかでしたけど、好きな対象にあこがれているだけなのか、私自身が女性としてありたいのか?


もっとも、当時のわたしはゲイ、レズビアンのメッカである、新宿2丁目には絶対にいきませんでした。

私とは違うし関係ないとおもっていたからです。


専門学校の頃には、内面的には女性として生活したいけど、男にしかみえないし、男として命を預かったのだからという思いが離れず、葛藤していました。このころ、2丁目に足を踏み入れていたらまた違ったかもしれませんが、それでも情報が欲しくて、本屋で関係のありそうな本を探しました。


しかし、殆どがどれも、服装倒錯という、一種の逃避行動であり、治すべき悪癖であるというような記述でした。

その中でようやく見つけた本が、アン・ボリンの,「イブ・内なる女性を求めて」という書籍でした。その中にはさまざまな事例があり、私のような男性から女性への移行を考えているけれども、女性が好き。つまり、世間的には性転換者のレズビアンの事例が書かれていたのです。


日本では、俗にいうブルーボーイ事件 (詳細はリンクのwikiで)がきっかけとなり、1964年以降性転換につながる医療行為は1995年頃から発足した自助グループ&形成外科医の協力による呼びかけがきっかけとなり、日本精神神経学会によって、「性同一性障害者に関するガイドライン」が作成され(以後何回か改定されています)、1998年に埼玉医科大学でのFTM(女性から男性への性転換手術)が行われるまで、闇医療となっていました。


それまで、は海外で手術を受けるしかなく、診断も、準備も、手術後のケアもないままに行われていました。

今でも、国内での手術そのものを行っている医療機関は少なく国内での手術の順番待ちは数年かかるといわれています。それでも手術までのケアは大都市圏では専門の医療機関が存在します、


そのような状況にあるまでは、今までの自分を消してしまって、海外で手術を受け暮らすとか、戸籍を違法取得して、生活するなど、社会的にも、本人の精神的にも、大きなダメージのあるような現実を受け入れないといけませんでした。特に、仕事に関しては、戸籍の変更が出来ないと定職には就けず、水商売系の仕事以外に受け入れ先がなく、大変困難でした。


私自身の経験からすると、過去を無かったことにするのは、無理でした。

私は少なくとも26年程度は、男性としての無意図的教育を社会から受け、そのように振舞うことを強制されてきました。思考方法なども、成長過程における社会的な無意図的教育(マスメディアや世間体まで)の影響を受けています。


時間は切り取ることができません。

過去から未来へと続く、一瞬で過去になる現在(今)を私たちは生きています。


そのためには、キライな自分、受け入れたくない自分(私の場合は過去男性であったこと)を受け入れないと、未来がつながっていきません。


現在41歳ですから、まだ女性として生きている時間の方が短いですし、中学生ぐらいまでに受ける無意図的教育は、潜在意識や自我の形成に大きな影響があります。


とても、素敵な方で私のブログも読んでくださっているだけでなく、このブログを紹介してくださった「れいれいさん」の記事に興味があります。


このれいれいさんの記事 は経験則で書かれていますし、間違ってはいないとおもうのですが、わたしのように、男として生まれ、望んでは無くとも、ネクタイをしてスーツを着てサラリーマンとしての経験もあり、現在進行形で、女性として暮らしている(生きている)ものだから見える視点があります。


それは、すべての事柄は実は単純なんですが、二元論は誤った単純化だという点です。


男と女、悪と善、勝ち組と負け組みなど、良く言われることは他にもありますが、そんなに単純に2つに分かれないのが現実です。


現実とは、すべてがグラデーションなのです。虹のように境界も無いのです。

そして、その多様性は豊かさの象徴であると共に、かけがえの無い自分は一人というところへ行き着きます。


男と女というのもグラデーションです。その証拠に中間の性をもつインターセックス(≒半陰陽者)が存在します。

性別には男女しかないわけではなく、不明というのも存在します。

ですが、一般的には認知がされていません。


男と女という区別を、肉体的特長から語るとすれば、男性としての生殖能力を持つ人と女性としての生殖能力を持つ人、とどちも持って居ないの3つであり、ホルモンによる作用から筋力や持久力に差がでると思われます。


社会的性(ジェンダー)として男と女は、性の役割分担であり、あくまでその時代ごとに社会が求める役割は異なります。変動するものです。無意図的教育(マスメディアや世間体)によって生まれたあとの生活によって作られ、無意識に潜在意識や自我育成、に関わるのです。

その結果が行動パターンにでるのだと、私は思います。


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