過去を断ち切れないように、キライな自分も断ち切れない | 自信のないあなたへ。自信が内側からあふれてくる、もっと自分自身を好きになる、赤石ちづきのオフィシャルブログ♪

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セルフイメージ(潜在意識)を変えて行動へ

わたしは、MtF(男⇒女)のレズビアンです。


高校なんて、男らしくあらねばって、男子校にかよいましたからね。

まあ、無理っていうのは、その後にひびきます。


私がカミングアウトした1995年当時、現在で言うところの(姓同一性障害)って全く認知されていませんでした。


そして、テレビなどで見聞きする、いわゆるニューハーフの人たちは、口を揃えて、男の人が好きだから、女になって尽くすの。っていう感じでした。(女は一歩下がって、気が利いて、でしゃばらない、なんていうステレオタイプがもてはやされた演出も込みなのかな?)って思います。


ですから、私は自分がわかりませんでした。女性が好きなのはあきらかでしたけど、好きな対象にあこがれているだけなのか、私自身が女性としてありたいのか?


もっとも、当時のわたしはゲイ、レズビアンのメッカである、新宿2丁目には絶対にいきませんでした。

私とは違うし関係ないとおもっていたからです。


専門学校の頃には、内面的には女性として生活したいけど、男にしかみえないし、男として命を預かったのだからという思いが離れず、葛藤していました。このころ、2丁目に足を踏み入れていたらまた違ったかもしれませんが、それでも情報が欲しくて、本屋で関係のありそうな本を探しました。


しかし、殆どがどれも、服装倒錯という、一種の逃避行動であり、治すべき悪癖であるというような記述でした。

その中でようやく見つけた本が、アン・ボリンの,「イブ・内なる女性を求めて」という書籍でした。その中にはさまざまな事例があり、私のような男性から女性への移行を考えているけれども、女性が好き。つまり、世間的には性転換者のレズビアンの事例が書かれていたのです。


日本では、俗にいうブルーボーイ事件 (詳細はリンクのwikiで)がきっかけとなり、1964年以降性転換につながる医療行為は1995年頃から発足した自助グループ&形成外科医の協力による呼びかけがきっかけとなり、日本精神神経学会によって、「性同一性障害者に関するガイドライン」が作成され(以後何回か改定されています)、1998年に埼玉医科大学でのFTM(女性から男性への性転換手術)が行われるまで、闇医療となっていました。


それまで、は海外で手術を受けるしかなく、診断も、準備も、手術後のケアもないままに行われていました。

今でも、国内での手術そのものを行っている医療機関は少なく国内での手術の順番待ちは数年かかるといわれています。それでも手術までのケアは大都市圏では専門の医療機関が存在します、


そのような状況にあるまでは、今までの自分を消してしまって、海外で手術を受け暮らすとか、戸籍を違法取得して、生活するなど、社会的にも、本人の精神的にも、大きなダメージのあるような現実を受け入れないといけませんでした。特に、仕事に関しては、戸籍の変更が出来ないと定職には就けず、水商売系の仕事以外に受け入れ先がなく、大変困難でした。


私自身の経験からすると、過去を無かったことにするのは、無理でした。

私は少なくとも26年程度は、男性としての無意図的教育を社会から受け、そのように振舞うことを強制されてきました。思考方法なども、成長過程における社会的な無意図的教育(マスメディアや世間体まで)の影響を受けています。


時間は切り取ることができません。

過去から未来へと続く、一瞬で過去になる現在(今)を私たちは生きています。


そのためには、キライな自分、受け入れたくない自分(私の場合は過去男性であったこと)を受け入れないと、未来がつながっていきません。


現在41歳ですから、まだ女性として生きている時間の方が短いですし、中学生ぐらいまでに受ける無意図的教育は、潜在意識や自我の形成に大きな影響があります。


とても、素敵な方で私のブログも読んでくださっているだけでなく、このブログを紹介してくださった「れいれいさん」の記事に興味があります。


このれいれいさんの記事 は経験則で書かれていますし、間違ってはいないとおもうのですが、わたしのように、男として生まれ、望んでは無くとも、ネクタイをしてスーツを着てサラリーマンとしての経験もあり、現在進行形で、女性として暮らしている(生きている)ものだから見える視点があります。


それは、すべての事柄は実は単純なんですが、二元論は誤った単純化だという点です。


男と女、悪と善、勝ち組と負け組みなど、良く言われることは他にもありますが、そんなに単純に2つに分かれないのが現実です。


現実とは、すべてがグラデーションなのです。虹のように境界も無いのです。

そして、その多様性は豊かさの象徴であると共に、かけがえの無い自分は一人というところへ行き着きます。


男と女というのもグラデーションです。その証拠に中間の性をもつインターセックス(≒半陰陽者)が存在します。

性別には男女しかないわけではなく、不明というのも存在します。

ですが、一般的には認知がされていません。


男と女という区別を、肉体的特長から語るとすれば、男性としての生殖能力を持つ人と女性としての生殖能力を持つ人、とどちも持って居ないの3つであり、ホルモンによる作用から筋力や持久力に差がでると思われます。


社会的性(ジェンダー)として男と女は、性の役割分担であり、あくまでその時代ごとに社会が求める役割は異なります。変動するものです。無意図的教育(マスメディアや世間体)によって生まれたあとの生活によって作られ、無意識に潜在意識や自我育成、に関わるのです。

その結果が行動パターンにでるのだと、私は思います。


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