なんとなく小矢部自転車道(1)より

 

前回は自転車道のスタート地点に当たる、石動(いするぎ)駅付近の今と訪問当時の違いを画像で紹介しました。改めて読み返してみると、ぜんぜんコースを走ったレポートになってませんね(大汗)。

 

今回からは、実際にコースを走った時のレポートとなります。石動駅周辺ほどではないとしても、訪問より10年以上経過し色々と変化したところもあると思いますが、そこはご容赦ください。

 

石動の市街地を進む

 

今回紹介するのは、石動の市街地を抜ける所から先となります。地図で示すと以下の通りです。

 

 

まずは市街地を横切るのですが、なかなか気持ちよく自転車を運転させてもらえません。“市街地”といっても東京や大阪のような都会ではないので、歩行者が多過ぎて…という理由ではありません。

 

画像を見てもらえればわかるかも。

 

 

画像真ん中の若干草が生えている所を挟み、右側の道が自転車道になります。おおよそ10m~20mごとぐらに、「車止め」が設けられてます。設置されているのは、右端の人家より左側の道路へ出る道と自転車道が交差する部分のようです。予期せぬ飛び出しもあり得ますので、ここは自転車押してでも安全第一で進みたいです。

 

ところで画像左上の「進入禁止」標識ですが

 ①左側の道へ対するもの?

   →奥に自動車停まってるので進入OK?

 ②右側(自転車道)に対するもの?

   →自転車道に自転車は進入NGなの?

どちらなんでしょうね

この標識、10年経過した今頃気付いた(爆)。

 

先へ進みましょう。

 

 

ある程度進んで、振り返ったところの画像です。陸上のハードル走コースみたいです。ハードルと違ってこちらは倒れないため、ジャンプ時に足を引っかけると大怪我しそうです。

 

市街地脱出

 

市街地もそんなに広くないので、この後すぐに自転車道は郊外へ出ます。「さぁ、自転車漕ぐぞぉ!」という気にさせてくれる、真っすぐで見通しの良い道が伸びていきます。

 

 

交差点が見えてきました。鉄道が現役だった頃は、ここは踏切だったのかなと想像してみたり。

 

【2021年11月28日追記】

今昔マップ」にて確認したところ、上記画像の先に見える工場の建物付近に、鉄道現役時代は「南石動駅」があったそうです。ちなみに妄想していた「踏切」については、恐らくなかったのかも(交差する道自体が地図に描かれてなかった…)。

~追記終わり~

 

立っている標識が、なんとなく「ネコ型」シルエットに見えます。「止まれ」と「普通自転車歩道通行可」の標識が重なった結果なのですが・・・そんな些細なことにもほっこりしながら、田園の中を気持ちよく自転車を漕ぎます

 

途中の橋を観察

 

やがて、「渋江川」を渡る橋が見えてきます

 

 

ここで初めて、当時使っていた自転車が登場。富山・新潟勤務時はお世話になりました。

 

そのまま通過するには惜しいので、自転車を降りて橋を観察することにしました。鉄道跡の自転車道ということなので、鉄道だった頃の名残があるはずと思い確認しておきたいです。

 

 

好きな人であれば、画像の矢印の先に見ているものは必ずチェックされるでしょう。マニアの方は他にも確認箇所があるかもしれませんが、私はそこまで足を踏み入れてないのでここだけの確認に留めました。

 

 

「加越能鉄道」の文字(銘板)が見えます。1969の数字は、橋(鉄橋)の設置年でしょうか。もしそうであれば、同鉄道の廃止が1971年であることを考えると、晩年に架け替えられたということでしょうか。製造会社であろう、「川田工業株式会社」の刻印も入ってます。

 

銘板も気になりましたが、2つ上の画像で見えている後方のタワーも気になります

 

 

クロスランドおやべにある「クロスランドタワー」という建物とのことで、高さは118m。残念ながら訪問できないまま現在に至ってますが、砺波平野の散居村を一望できるとか。

 

ちなみにタワー左下に見えるのは、ミニタワーではなく単なる墓石です。見ればわかるって(爆)。

 

県道といったん合流

 

墓石ではなく「クロスランドタワー」を左手に見ながら、観察を終えた渋江川の橋を渡り先へ進みます。程なく、石動駅方面より伸びてきた県道と交差します。

 

 

自転車道が県道に取り込まれたようにも見えますが、県道を渡った後に県道と並走する形で進みます。単に並走するだけではなく、その先で県道との間を空けて再び単独で進むルートとなります。

 

とりあえず、今回はここで区切っておきます。

 

ではでは

 

なんとなく小矢部自転車道(3)

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