ほぼ一年間ブログの更新を行っていなかった。

アーリーリタイアをやめて働き出したのでないが、昨年マンションの理事長に選任され、一年は理事長職にかかりきりだったのだ。

理事長という職務は手抜きをしようと思えば、全部管理会社にまる投げして、彼らのいうがまま承認すれば全くなにもしなくててもいい。
実際これまでの理事長はそのようにしていたようであった。

しかしそうしたまる投げでは、最後に自分達につけが回ってくるのは明白である。

したがって自分の視点ですべT見直してみようと考えた。

まず、法的な本として区分所有法と標準管理規約のコンメンタールを購入しじっくりと読んだ。ここで安易にマニュアル本などに頼ると本質的なことを理解していないので行き詰ってしまう。まずはおおもとから理解することが肝要だ。

その後技術的な本としてマンション維持修繕技術ハンドブックを購入した。私は土木的なことは素人であるが、少なくともマンションの修繕が必要な事項に対してはこれを辞書的に使おうと考えた。

次に自分のマンションの管理規約及び細則を熟読した。
マンションの管理規約はほぼ標準管理規約と同じであるので標準管理規約を理解していれば、その解釈に悩むところは少ない。手抜きをせず標準管理規約のコンメンタールを読んだ効果があった。
細則は理解するのが容易な文章でかつ具体的である。
しかしその一方細則で記載されている内容とマンションの実態が大きくかけ離れていることが分かった。

次に過去10年分の総会議事録と理事会議事録を取り寄せて過去の経緯を調べた。

総会議事録は簡単に入手できたが、理事会議事録はほとんど残っておらずあるいはそもそも作成していない、あるいは残っていたとしてもメモ程度でどんな議論が行われたのか全く不明という状態であった。

したがって総会において「理事会で今後検討する」と決議がなされても、理事会でどのような議論を行い、結論はどうであったか全く不明であった。加えて次年度の総会議事録には、その議題についてその点は全く触れられていないのが多々あり、これが最終的にどう結論付けられたのかは全く不明という課題が多数あった。

こんな状態であるので、表面に現れている課題(これは直近の総会議事録で分かる)だけでなく、表面化していない課題を掘り出すことを行おうと考えた。
先日金沢の石川県立美術館に行き、特別陳列の「類聚国史」(公開7/31-8/31)を拝見してきた。

石川県立美術館には前田育徳会尊経閣文庫分館があり、前田育徳会所有の文化財を公開している。ただ国宝クラスのものは期間限定で年に1回程度の公開しか行っていないのが残念である。
今年はこの「類聚国史」であるが、昨年2013年は「水左記」の公開であった。

「類聚国史」は26年ぶりの公開であり、巻165と巻171のそれぞれ平安時代の写本と江戸時代前田綱紀時代の模写本が展示されてある。

そもそも「類聚国史」というのは、六国史の記事をその内容に従い編年とともに分類編集したもので、菅原道真の編纂によるものである。
また六国史というのは、「日本書紀」「続日本書紀」「日本後期」「続日本後期」「日本文徳天皇実録」「日本三代実録」をさすものである。

この「類聚国史」の平安時代の最古の模写本が前田家に伝わってきたものである。

今回この「類聚国史」を拝見するためにわざわざ東京から金沢までやってきた。
東京からは金沢まで行きは夜行バス、帰りは青春18きっぷを使った0泊2日の強行スケジュール(金沢を12時すぎに出れば青春18で当日に東京に戻ることが可能)であったが、やはり来てよかったというのが実感である。次回も20年ぶりの公開となれば拝見することが困難になってしまう。

前回のブログでは、当初2年とそれ以降に分けて考えておくべきということについて記載した。

次に定期的には発生しない費用に基づくキャッシュフロー差異への対応について自分の対応について記載しておきたい。

まずそもそも定期的に発生しない費用についてどのように考えているかを説明したい。

定期的に発生する費用、いわゆる日常生活費用(公益費用を含む)は大ぐくりな項目毎月々予算化している。

それ以外の項目については、ノンキャッシュな費用化を行っている。

具体的には、日常生活費用以外の項目について、各品目別に耐用年数を想定し、将来の購入価格をその月数で割って月毎の必要キャッシュフローを算出する。

各品目別に出た必要キャッシュフローを合計した上で、大項目毎に分解してやる。

この大項目毎の必要キャッシュフローをキャッシュは発生しないものの費用とし、その同額を別途積立金として積み立てている。

実際に対象物を購入した場合は、キャッシュアウト額を費用とするのではなく、この別途積立金を取り崩すこととしている。

企業会計においてはこうした考え方に基づいた処理、例えば減価償却や各種積立金などがあり、これらと同様な考え方を採用している。

現在の具体的な品目としては、

耐久財、旅行、人間ドック、交際、住居関係、大規模リフォーム 

をこのような対応としている。

したがって差異は、例えば想定より多く積立金取り崩しが発生するのは、

想定していた年数より短い期間での購入

想定していた価格よりも高い価格での購入

といったケースである。

こうしたことへの対処については、個別の品目毎に対処するのではなく、中期的な想定別途積立金額と実際の積立金額との差異を見て対応することとしている。

上記の例でいうと具体的にはまず第一段階としては、想定している年数より長く使用することや(性能対比)割安なものを購入するということだ。

それでも差異がうまらない場合は、月々の別途積立金額を増やし、つまり月々の費用化額を上げることで対応している。

私の場合、保守的なとらえ、想定年限をかなり短く想定している(だいたい税務上の耐用年数程度としている)ので、積立金取り崩しのペースは想定よりかなり緩やかになっている。

ただ「保守的」にするとは、各月必要となる費用化額を大きくするということでもあるので、その額を見込んでアーリーリタイヤできるか判断しないといけないことには注意が必要である。

「保守的」に見込めばそれだけアーリーリタイヤに必要な資金額は大きくなりアーリーリタイヤは遠ざかる、逆に楽観的にすればアーリーリタイヤ後に予算修正に追いこまれてしまうのである。

先週、山形鶴岡に出かけ出羽三山羽黒山と致道博物館を訪問した。

現在山形ではデスティネーションキャンペーンを展開しており、それにあわせる形で県内にある六つの国宝すべてが初めて同時公開されている。

その中で鶴岡にある致道博物館が保有する太刀二振をまだ見たことがなかったので、この機会に鶴岡を訪問した次第だ。

また同じ鶴岡からは出羽三山に行くバスが出ており、7月からは月山八合目まで行くバスが出るのでこれを利用してできれば月山までいこうと考えた。

東京からは夜行バスを使って鶴岡に到着したが残念ながら当日は結構な雨模様であった。

残念ながら死と再生を司る月山に行き自分が遭難してはしゃれにもならないと判断し、月山に行くのは中止し羽黒山頂(三神合祭殿)から麓の五重塔に行くルートに変更した。

そもそも出羽三山は、羽黒山を現在、月山を過去、湯殿山を未来とし、自らを死者とみなして白装束に身を包み、三山を巡ることで再度生まれ変わる「擬死再生」を行う霊場であり、現在でもその風習は続いている。

またその開山は今から約1400年以上前の推古元年(593年)に、崇峻天皇の第一皇子、蜂子皇子によってであるといわれている。

その羽黒山においても今回のキャンペーンにあわせる形で明治以降初めて、開祖・蜂子皇子の木像を蜂子神社で公開している(4/29~9/30)。

今回はこの蜂子神社及び三神合祭殿に参拝した後、参道約2Kを歩いて麓の五重塔(国宝)まで歩いた。

(三神合祭殿)

この参道はミシュラングリーンライドジャポンにおいても三ツ星に認定されており、樹齢350年から500年近くある杉に囲まれている美しい道である。ただし石段の続く道でもあり今回のような雨の時は滑ってしまうので注意が必要だ。

麓近くにある国宝五重塔には、真冬に訪問したことがあり真っ白な雪の中にたたずむ塔に感動を覚えたものだったが、今回のように雨中の訪問も周りの木々の緑の匂いが香ばしくなり風情を感じる。

麓からじゃバスに乗り込み鶴岡市内の致道博物館へ。

ここで特別展「国宝太刀銘信房作と国宝太刀銘真光」が開催されている。

そもそも鶴岡は、戦国時代徳川四天王と言われた酒井忠次を祖とし、三代目忠勝が移封され庄内藩鶴ヶ岡城の城下町として発達してきた。

そのためここ鶴岡にある致道博物館には様々な酒井家由来のものが残されている。

「太刀 銘 信房作」は小牧長久手の戦いで酒井忠次が徳川家康から拝領したもので、もう一方の「太刀 銘 真光」は織田信長による甲州征伐(武田氏の滅亡)に際し、信長が酒井忠次に送ったものであり、どちらも酒井家の家宝とされてきたものである。


中国・四国地方旅行に関するエントリーがようやく終了したので一ヶ月ぶりに標記に戻る。

アーリーリタイヤ後のキャッシュフロー相違についていろいろパターン分けをしてその対応を記載してきたが、自分にあてはめてみるとどうであるか、アーリーリタイヤして7年超経過しているので自分のキャッシュフロー相違について振り返ってみたい。

まずキャッシュフローは当初2年とそれ以降に分けて考えるべきである。

この区分はアーリーリタイヤした、初年度と次年度はかなりキャッシュフロー的にはイレギュラーが発生するからだ。

その中でも自分がコントロールできない、公租公課的なものが大きな割合を占める。

具体的には、失業給付(当年度インフロー)、アーリーリタイヤした年の年末の確定申告による税金の還付(次年度インフロー)、前年度所得に基づく住民税支払い(当年度アウトフロー)、前年度所得に基づく健康保険(当年度アウトフロー)などがある。

公租公課以外にも、人によっては転居に関するアウトフロー(当年度アウトフロー)や転居に付随するアウトフロー(当年度アウトフロー)が発生するであろう。

特にアーリーリタイヤ前年の所得が高い場合、住民税・健康保険のアウトフローは結構多額となる。

アドバイスとしては、失業保険は全額住民税・健康保険に当てるものとしておいた方がよいだろう。

自分の場合でも、初年度と次年度はこうした公租公課に関するキャッシュフロー(インフロー及びアウトフロー)の全体に占める割合が大きくなった。

また公租公課以外でもアーリーリタイヤに伴って、生活環境が変わることに伴って一時的なキャッシュアウトフローがあった。

こうしたアーリーリタイヤに伴う一時的はキャッシュフローについては、当初から個々想定する方法もあるが、そうすると2年経過後のキャッシュフローと当年度、次年度と3種類のキャッシュフローを想定する必要がある。

私は上記の方法は採用せず、アーリーリタイヤに伴う一時的なキャッシュフローを考慮しない巡航速度的なキャッシュフローとアーリーリタイヤに伴う一時金とでキャッシュフロー全体を構成しておいた。

アーリーリタイヤに伴う公租公課やその他一時的な支出は上記一時金勘定からのアウト&インフローでまかない、2年経過後に想定差額を精算金として(臨時のキャッシュフローとして)処理した。
坂出を後にしこの旅行最後の目的地である高松栗林公園に向かった。

栗林公園は、寛永年間(1625年頃)に原型が作られ、寛永19年(1642年)初代高松藩主 松平頼重公が造園を引き継ぎ、約100年後(1745年頃)松平頼恭公の時に完成されたといわれている。

ここは紫雲山を背景に六つの池と十三の築山を配置した回遊式大名庭園であり、芙蓉沼(ハス沼)、赤壁(中国の赤壁に見立てている)、楓岸(モミジ)など変化に富んでいるが、一番美しいのは飛来峰から南湖を望む景色とのことだ。




確かに美しいのだが、後楽園を見た後ではやや単調な感があり、私が美しいと思ったのは、栗林公園の水源である吹上から南湖に注ぐ清流と水草のコントラストであった。


これで今回の旅行は終了。関西へは最安の方法である夜行のジャンボフェリーで行くことにした。
豊楽寺薬師堂を後にして坂出に向かった。

ここに国宝神谷神社本殿がある。

ただここを訪れるのも大変で、最寄のバス停から徒歩30分とある。またバスそのものも1時間から2時間に一本で決して行きやすい場所ではない。駅から歩くと1時間半くらいかかるとのこと。

タクシーもあるのだがもうすこしリーズナブルな方法はないものかと思い探すと、駅内にレンタサイクルがあるという。しかも観光協会がやっているのでミニベロタイプのスポーツ車が200円で一日借りれるとのこと。

まだ天候は不順だが大雨ではなく雨具を着用すれば問題ないと判断し、レンタサイクルでいくことにした。

神谷神社は坂出市東部の「神谷」と呼ばれる谷間に位置しており、境内の北方を神谷川が流れている。この神谷川ではげんじ蛍が自生しており天然記念物に指定されているとのこと。

さてこの神谷神社であるが、貞観七年(865年)清和天皇から神位を授けられたことが「日本三代実録」に記されている古社である。

現在の本殿の建築は1219年。1Mを超える乱積の基壇の上に建つ三間社流造である。年代が正確にわかっている流造の社としてはわが国最古の建造物ということだ。


中国・四国地方旅行の7日目は、阿波池田から大田口にある豊楽寺薬師堂を目指した。

豊楽寺薬師堂は吉野川北岸の丘陵地に立つ現存する四国最古の平安建築物であり、愛知県の鳳来寺の峰薬師、福島県の常福寺の嶽薬師と共に日本三大薬師の一つとされているとのことだ。

ここを訪問する基点となるのは大田口駅であるが、昔は林業で栄えた町らしいが現在では65歳以上の比率が50%を超える限界自治体であり、地元の大田口小学校も今年から休校となってしまった。
また過去には町にタクシーがあったとのことだが、現在は廃業されていて歩くしか方法はない。

ちなみに一般道で行くと駅からは4.5Kある。参道をいけば40分程度でいけるようだが、当日は朝から雨が激しく地図でみても山中を歩くようなので一般道を選択した。


激しい雨の中、吉野川を渡って山の中の急坂をひたすら歩くこと1時間半ようやく豊楽寺につくことができた(当然私以外誰もいない)。豊楽寺薬師堂はは既に霧のような雨雲の中にすっぽり覆われている。




到着するまではかなりつらかったが雲中の薬師堂は風情があった。
本日東京国立博物館で開催された「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」を訪問した。

目的の一つは期間限定(6/24-7/7)で公開される「翠玉白菜」をみることだ。




この「翠玉白菜」は、1949年に中国本土から台湾に移されて以来初めての台湾以外での公開となるものだ。この公開には日華議員懇談会(平沼赳夫会長)の尽力があったと思われる。私は平沼会長の政治的信条とは相容れないものがあるが、この尽力については素直にお礼を申し上げたい。

「翡玉白菜」の大きさは20センチにも満たない小ぶりなものだが、白色と緑の部分は着色したものではなく、原石は、半分が白半分が緑の翡翠でありそのもともとの色合いを生かして作られたということでそうである。

「翠玉白菜」は故宮博物館の三大至宝の内の一つと言われているが、残りは北京の故宮博物館の「清明上河図」と台北 國立故宮博物院の「肉形石」だそうである。

このうち「清明上河図」は2012年の東京国立博物館「北京故宮博物院200選」で公開され、



「翡玉白菜」は今回の東京国立博物館で、「肉形石」は今回の巡回先の九州国立博物館で10/7~10/20限定で公開される。今回この時期に九州にいけば、日本で故宮博物館の三大至宝を見れたということになる。

さてわざわざ悪天候の中初日に出かけたのは、事前の予想では3時間以上の待ち時間ではないかとの噂があったからだ。そしてこの悪天候では初日といえど待ち時間はないのではないかとの思惑があったからである。

いざ東博本館(ここの特別第5室で翠玉白菜は公開)についてみると、待ち時間は悪天候にもかかわらず2時間とのアナウンス。しかし館外の列のは以外なほど短い。

これはもしかしたら30分程度でみれるかもと思ったが、現実はそんなに甘くなかった。

本館内の特別第4室のすべてと特別第5室のほとんどが入場待ちの場所として使われており、本館内に入ってから1時間半程度並ばなければいけない。ただ本館内であるので本日のような悪天候のような場合や逆に猛暑日でも倒れる人が続出とはならない配慮なのかもしれない。

さてそのようまでして並んだわけだが、鑑賞には配慮があった。

「翠玉白菜」は360度みわたせるケースの中に鎮座しており、そのケースに近づけるのも人数制限をしており押し合いへし合いという状況ではない。
またずっとかぶりつきで見ることはできそうにないが、それでもある程度時間をとって最前列で鑑賞することができる。
くわえてかぶりつきでないのなら(後方からでいいのなら)いくらでも時間をとってみてもかまわないというスタンスであり、こころゆくまで鑑賞することができる。

こうした鑑賞方式は平日の特別待遇かもしれないが、それでもそのスタンスはうれしいものだ。

尚、本日でも17時以降だと1時間待ち程度、18時だと30分待ち程度におさまっていた。
「翠玉白菜」展示期間中は20時まで開館していて、「翠玉白菜」は20時までに列に並べば鑑賞することができるとのことなので夜間にいくのがいいのではないだろうか。


岡山から四国に渡り祖谷渓かずら橋に向かった。

かずら橋に行くには路線バスでいく場合、阿波池田から吉野川・大歩危を経由していくルートと最初から祖谷川沿いに進んでいくルートがある。

お勧めは祖谷川沿い(祖谷渓経由)のルートだ。
こちらのルートは車一台が通れる程度の道がほとんどで、車がすれちがう場合どちらかあ戻らなければ通行なほどだ。従って路線バスも町の循環バス程度の大きさしかない。

祖谷渓谷は、岐阜県白川郷、宮崎県椎葉村とあわせて、かって日本三大秘境といわれていた。

残念ながらかずら橋は秘境感は全く残っていなかった。

下の写真を見ていただきたい。


これはかずら橋の大型駐車場である。 バス34台、乗用車300台駐車可能という大きさである。

左手に見える近代建築物は「かずら橋夢舞台」という名前の、お土産屋兼レストランである。

観光パンフレットなどでは、こうした建物をできるだけ写さないようにしているが、こんなものが見えたら秘境とはいわないだろう。

こうした駐車場を使うのは、大歩危を経由してくるルートである。こちらは片道2車線で当然スピードもバンバンだせる(祖谷川沿いのルートではこうした駐車場は全くないし、観光バスも通っていない)。

その結果だろうか、かずら橋の観光客数が伸び悩んでいるとのこと。
地元三好市がおこなったアンケート調査によると「観光地化している」、「施設が充実している分、秘境感がない」という意見が目立っていたらしい。

これと比較してみたいのが今回訪問した石見銀山である。
石見銀山はパーク&ライドを徹底し、江戸時代の街並みや銀山跡地をゆっくりと歩いてまわることができる仕組みになっている。
当然観光客めあてでかせごうと算段している人には不評であろうが、あえて観光客の数を増やそうとするのではなくコントロールしようとしている。

秘境で有名になったかずら橋が秘境でなくなれば、そのレゾンデートルがなくなるのであるから観光客そのものの減少するであろう。そうすればこうした大型駐車場なども工事費がペイできなくなり採算われとなる。

ちなみに内閣府地域活性化推進室ではこの地域再生計画として「かずら橋夢舞台の機能充実」(主体 三好市)(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/tiikisaisei/110325/plan/50a.pdf)としているが、この建物がかずら橋の観光客を減少させているということは考えていないらしい。一度作った建築物はその作ったことを反省するという発想はないということのようだ。



(かずら橋はこんなにステキなのに)