戦後の累進課税によって最上位への富の集中度は下がり、その意味では格差は縮小しました。しかし、底辺50%に関する格差は変わっていないのです。ピケティは次のように述べています。
……大きな構造的変化は、人口のほぼ半数を占める中流階級の出現であり、それは何とか自分の資本を獲得できた個人によって構成されている――その結果、かれらは集団として国富の4分の1から3分の1を占めるにいたった。(p.361)
たとえば現在のフランスは次のような状況にあるというのです。
今日のフランスでは、たしかに19世紀に比べ巨額の財産は減った――3000万、あるいは500万、1000万ユーロの財産さえあまりお目にかかれない。しかし相続財産の総額はほぼ以前の水準まで回復し、その結果、20万、50万、100万、200万ユーロというそこそこ大きい相続や、かなり多額の相続が増えた。そのような遺産は受取人がキャリアをすべて捨てて、利子だけで暮らすには小さすぎるが、それでも相当な額で、特に人口の多くが生涯働いて得る額と比べればなおさらだ。言い換えれば私たちは、少数の非常に裕福な不労所得生活者がいる社会から、そこまで裕福ではない不労所得生活者が多数いる社会へと移行したのだ」(p.436)
こうして、2010年ヨーロッパは、表3、表4、表5と見渡しますと、労働所得においては中格差、資産においては中高格差、総合所得においては中格差と言えるような状況に至っているのです。
ところで、再び最高税率の表1、表2を見てください。英米では1980年頃まで所得と相続に対する最高税率はほとんど没収と言ってもいいほど高かったのですが、それ以降急激に低下します。1980年頃と言えば、アメリカではレーガン、イギリスではサッチャーが登場し、その後新保守主義が隆盛となり、新自由主義的な考えが支配的になっていく過渡期です。特に所得の最高税率は、大陸ヨーロッパのフランスやドイツより低い状態になっていきます。この所得課税累進性の急激な低下が、特にアメリカで、極めて労働所得の高いスーパー経営者が存在する「超能力主義社会」が登場したことの相当部分を説明するのだと。そうピケティは主張します。確かに、最高税率が没収的であり続けたならば、給与をある限度を超えてまで高める努力をするのはほとんど無意味に思われたでしょう。ところが没収的な最高税率が消えたアメリカでは、そのような努力が報われるようになったのです。そして大企業のCEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)が十億円以上の労働所得を得たりするのを聞くようになりました。労働所得の格差を表す表3を見てください。2010年ヨーロッパ(中格差)に比べ、2010年アメリカ(高格差)では労働所得の格差が明らかに大きくなっています。さらに同じような状況が続くと、同表にある2030年アメリカのような労働所得における超高格差が生じるとピケティは予測しています。そこではトップ1%の人々が、全労働所得の17%も占めるのです。
資本所得に関しても格差を助長するような状況が生じているとピケティは述べています。それは「近年の自由な資本フロー世界における税制競争の台頭により、多くの政府は資本所得を累進所得税から除外した」(p.517)からだと彼は考察しています。金融資産を自由に移動させられることから、より多くの資産を受け入れようとする国同士が競争し、「法人税率が引き下げられたり、利子、配当などの金融収入が、労働所得のような課税対象から外されたり」(p.517)したのです。特に域内に多数の国を擁するヨーロッパで顕著だと指摘されています。その結果、多くの国で税率が、所得階層のトップでは逆進的になってしまったそうです。例えば2010年フランスの状況についてピケティは次のように述べています。
所得分布の底辺50パーセントは所得の40―45パーセントを税金で持っていかれる。次の40パーセントは45―50パーセントだ。でもトップ5パーセントと、それ以上にトップ1パーセントは低い税率になり、トップ0.1パーセントはたった35パーセントしか払っていない。貧乏人の高い税率は、消費税や社会拠出金の重さを示す(これはあわせてフランス税収の4分の3を占める)。中間の階層で見られたわずかな累進性は、所得税の重要性が増すことで生じたものだ。逆に、トップ百分位で見られる明らかな逆進性は、この水準では資本所得が重要になってくることを反映している。資本所得は累進課税からほとんど除外されているのだ。この免税の影響は、資本ストックに対する(極めて累進的な)課税による効果よりも大きい。(p.517―518)
「きわめて格差の大きい総所得の分配(トップ十分位が約50パーセント、トップ百分位が20パーセント)を社会が実現するには、二つの方法がある」(p.274)とピケティは言います。
一つ目は第一次世界大戦以前に実現した「超世襲社会」に至るまでのような、「資本収益率r>経済成長率g」が長期にわたり成立するという方法です。19世紀に比べれば若干rとgの差は小さくなったものの、基本的にr>gという条件は今も成立し続けています。もちろん19世紀のように資本所得に対する税率がほぼ0ということは現在ありません。しかし先ほど述べましたように、資本所得に対する課税が累進性から除外されていたりもしますから、この方法によって「超世襲社会」は再び実現しつつあると言えそうなのです。
2つ目は、最高税率を低く抑えた所得税を実施して、極めて高額な労働所得を得るスーパー経営者の存在を有意味にさせる、アメリカで顕著になっている方法です。そのようなスーパー経営者がいる「超能力主義社会」では、「所得階層の頂点は相続遺産による所得ではなく、とても高い労働所得によって占められている」(p.274)のです。
ピケティはr>gによって現れつつある「超世襲社会」の格差と、スーパー経営者の存在による「超能力主義社会」による格差との共存可能性についても述べています。
私が示した二種類の超不平等社会――不労所得生活者の社会とスーパー経営者の社会――の明確な対比が、単純で誇張されたものだということはお忘れなく。この二種類の格差は共存可能だ。一人の人間が、スーパー経営者と不労所得生活者を兼ねていけないという理由などない――そして、現在のところ富の集中はヨーロッパでよりも米国でずっと高いという事実は、米国がまさにそういう状態なのではと示唆するものだ。……もし両者が組み合わされば、将来的に空前の極端な格差世界が登場しかねないのだ。(p.274)
表5を見てください。2010年アメリカ(高格差)では、すでに総所得の分配の格差がきわめて大きい社会 (トップ十分位が約50パーセント、トップ百分位が20パーセント)が実現されているのです。そしてこれが二種類の超不平等社会が重なった社会への道程の一コマであるとするなら、2030年のアメリカでは、表5の一番右の欄にあるような総所得における超高格差社会(トップ十分位が約60パーセント、トップ百分位が25パーセント)が実現するだろうというのです。