NPO法人ヘルスケアフォーラムでは、「定例研究会」と「経営セミナー」を開催している。
定例研究会では、医療福祉経営者に実践事例発表をお願いし、経営セミナーでは、経営コンサルタントに専門領域のレクチャーをお願いしている。
明日の定例研究会では、「社会福祉法人の制度改革とこれからの事業経営」について、私が発表する。
NPO法人ヘルスケアフォーラムでは、「定例研究会」と「経営セミナー」を開催している。
定例研究会では、医療福祉経営者に実践事例発表をお願いし、経営セミナーでは、経営コンサルタントに専門領域のレクチャーをお願いしている。
明日の定例研究会では、「社会福祉法人の制度改革とこれからの事業経営」について、私が発表する。
奇妙な別居生活が続いている。・・・
勤続40年を期して、定年1年前に、勤務先の病院を勇退し、NPO法人を立ち上げた。
そして、事務所兼住居を東京に構え、『死ぬまで元気に働く』宣言をして別居に踏み切った。
川越の自宅は売却前提の独立であったが、同居人は、東京のマンション暮らしは嫌だという・・・。
・・・別居は、2004年7月からだから、1年2ヵ月が過ぎた。
本宅をそのままにして、私は気ままな「悠々自適」の生活を送っている。
「成人した息子と居酒屋で酒を飲む」これは、父親の夢かもしれない。
台風の余波で、風が強く雨も降りそうなので、近場の「すずろ」で、息子と焼酎を飲んだ。
ここでも父親の私が饒舌で、息子は聞き役であったが、昼間と違って彼はリラックスしてくれた。
毎日の洗い場の仕事で、皮膚が乾燥して痛々しい彼の両手を見せてくれた。
お店の小倉さんからは「素直な良い青年ね」と、お褒めの言葉をいただいた。
そうなのだ・・・。
彼は、優しすぎるくらい素直な男なのだ。
でも、会えてよかった。
息子も、同じように、13年間の空白を、少しは、埋めてくれたようだ。
地下鉄の改札口で落ち合って、握手して、中華料理屋で昼飯を食べた。
青い顔をした若者を見て、「就職して、なれない職場で悪戦苦闘しているな」と感じた。
ベラベラと父親である私が喋って、息子が聞き役という、あまり感心しないスタイルになったが、彼は気にしていない風で、むしろ、それを楽しんでいるようであった。
結婚にいたるまでのお母さんとのラブロマンス、息子が生れたときのこと、五反田時代、川越時代、そして離婚に至った経過を語った。
息子はそのことを知りたかったようだ。
「アラジン」でお茶を飲み、私の事務所を見せた。
夕方、再び落ち合って、一緒に「居酒屋」で焼酎を飲むことになった。
ハリケーンの被災地として、連日のように報道されている「ニューオーリンズ」に行ったことがある。
米国病院視察で、ヒューストンに行った後、ニューオーリンズに一泊した。
その夜は、浅草のような街に繰り出して、生牡蠣を食べ、ショーを「はしご」した。
街は喧騒にあふれ、ジャズが流れていた。
その街が、今や水に浸かって、孤立しているのだ。あの、アメリカでだ・・・。
明日、13年振りに、息子に会えそうである。
先程、携帯にメールが届いたので、余程の事がなければ会いに来てくれるだろう。
電話が入れば、最寄駅まで迎えにいくことにした。
平静に、・・・明日の再会を待ちたい。
台風14号が九州の枕崎に上陸しようとしている。
昨日から、NHK・TVは、台風情報を流し続けている。
今朝7時に、メールの受信音で目が覚めた。
それは、私が鹿児島にいるものと考えて、「大丈夫ですか?」という、息子からのメールだった。
今日の夕食は、「すずろ」ですませた。
前から気になっていたのだが、店に掲げた、84歳の小倉さんの文章を紹介する。
あしたでも 百まででも
あした死んでもいいように
百まで生きてもいいように
考え、考え、生きていこう
食べたいものは食べておこ
会いたい人には会っておこ
やりたい事はやっておこ
百まで生きてもいいように
少しは貯金もしておこう