もしも

カレンダーがなかったら?

 

 

 

そんなこと考えたこともありませんが、

私たちの生活には欠かせないものですよね。

 

 

 

九星気学では旧暦を使用するため、

2月の立春を1年の始まりとします。

 

 

 

毎月の運勢をお届けするときも、

10月は「10/8~11/7まで」です。

 

と、当たり前のようにお伝えしていて、

旧暦は今なお、

占いや伝統行事などで用いられています。

 

 

 

暦は、私たちの生活にとって

とても重要なモノですよね?

その割に『暦』のことを

意外と知らない人が多いのです。

 

 

 

現在私たちが使っている暦は、

地球が太陽の周りを

一回転する時間を一年とする

太陽暦(グレゴリオ暦)ですよね。

 

 

 

でも、この暦は

明治6年1月1日から

使い始めたばかりなんですよ。

 

 

 

明治5年12月2日の翌日は

明治6年1月1日なのです。

 

 

 

明治5年の12月は

1日と2日の2日間しかありません。

 

 

 

どうして暦を変えたの?

 

 

 

出来たばかりの明治政府は

お金がなかったから

です。

 

 

 

暦は飛鳥時代に中国から伝えられ、

百済から学者を招いて、

日本で初めての暦が作られました。

今から1420年前のことです。

 

 

 

それは、太陰太陽暦といい、

旧暦、太陰暦、陰暦ともいわれています。

 

 

 

太陰とは月のことです。

太陰(月)の満ち欠けで、

ひと月や日付を決める暦です。

 

 

 

中国やユーラシア大陸のほとんどの地方で、

長く太陰太陽暦が使われ続けたのは、

月の満ち欠けや潮の干満が、

大河流域での洪水による氾濫を

予知するのに役立ったことや、

漁民などの航海時にも重要だったためです。

 

照明の無かった時代、

月明かりが得られる満月の夜、

漆黒の暗闇の夜を知ることは

戦術や遠出などにも影響したはずです。

 

 

 

 

太陰太陽暦は少しずつ暦法を変えながら、

明治5年まで使われてきました。

 

 

 

私たちが現在使っている暦は

太陽暦(グレゴリオ暦)といい、

世界各国で広く用いられています。

 

 

 

太陽暦は、

地球が太陽の周りを一周するのが365.24日なので、

365日を一年とします。

 

端数があるので4年に1度、

うるう年(一年366日)を設けて

ズレを調整しています。

 

月が地球を一周するのが約29.5日なので、

ひと月を30日か31日として、

一年を12カ月としています。

 

 

 

太陰太陽暦は、

新月が満ちて満月になり、

また新月になるまでをひと月とします。

月が満ちる周期は29.5日なので、

ひと月を小の月29日と大の月30日にしました。

 

 

 

そのため一年は354日となり、

太陽暦と比べると11日間少なくなります。

11日×3年で33日になるので、

太陰暦ではうるう月を設けても、

月と季節がズレてしまうのです。

 

 

 

田畑の野焼きや種の蒔き時、

台風の備えなど、

季節がズレてしまうと当然困りますから、

 

太陰太陽暦を使いながら、

中国から伝えられた

『二十四節気』

使ったのです。

 

 

 

二十四節気とは、

一年を春夏秋冬の4つの季節に分け、

さらにそれぞれを6つに分け、

『立春』や『夏至』など

季節を表す名前をつけたものです。

 

 

 

二十四節気は太陽暦と同じく、

太陽の動きを元にして決められているので、

季節を知るための目安になり、

日本の気候風土や農耕中心の生活と

相性が良かったのです。

 

 


では、どうして

太陽暦に改暦したのでしょう?

 

 

 

もちろん、

当時西洋化へ進み始めた日本が、

暦も西洋の列強に合わせて

世界に並ぼう

という考えもあったのですが、

 

 

 

改暦が正式に決定されたのは、

明治5年11月9日。

この日から実際の改暦までの期間が

1ケ月もない

という慌ただしいものでした。

 

 

 

改暦がどれほど合理的なものであったとしても、

1000年も続いてきたものを

これほどの短期間で変えようというのは

無謀な話に思えます・・・

 

 

 

当然、明治6年度の暦は

すでに印刷されていたのですが、

すべて紙屑となってしまいました。

印刷業者は大打撃だったでしょうね。

 

 

 

突然、十分な検討もされないままに施行された理由は、

明治政府の深刻な財政問題にありました。

 

 

 

明治政府は明治4年9月に、

官吏(官僚)の給料を

『年俸制』から『月給制』に

変更したのですが、

これが、政府の財政に

大打撃になってしまったんです。

 

 

 

江戸時代の武士などは年俸制だったので、

1年が13ヵ月の年は、

1ケ月タダ働きのようなものでした。

 

 

 

明治6年はうるう年だったため、

改暦をしなければ、

政府の職員の給料を1年で13回、

いつもの年よりも1か月分多く

支払わなければならなかったのです。

 

 

 

これが大変だったんですね。

もし、出来たばかりの明治政府で

給料カットなんてことになったら、

みんなの気持ちは明治政府から

離れていってしまいますよね。

 

 

 

明治5年の12月1日と2日分も

払わないことにすれば、

合計2ヵ月分支払わなくて済みます。

 

 

 

財政難であった明治政府は、

太陽暦に変えることで、

支払いを事実上踏み倒したのです。

 

 

 

このことは、

大隈伯昔日譚に記されています。

※早稲田大学の創立者である大隈重信が話したことばをそのまま収めてあるもの

 

突然、十分な検討もされないままに施行されたため

太陽暦と旧暦の併記は

明治42年までの

36年間続けられました。

 

 

 

日本では『一カ月』という言葉には『月』が、

英語で一カ月を表す『Month』は、

月『moon』が変化して、

戻るまでmeasure(測ら)れた期間です。

 

 

 

古代ローマ時代は、

太陰太陽暦が使われていたのですが、

新月の細い月の線が見えると、

神官が「新月が見えたぞー」と大声で叫んで、

新たな月の始まりを宣言したのだそうです。

 

 

 

日本でも、月は昔から

多くの和歌に詠まれています。

 

古来、多くの人々が

月の美しさや神秘性に魅せられ、

月の満ち欠けに想いを馳せてきたのでしょうね。

 

 

 

月の光は心身ともに

良い影響を与えることが知られています。

満月のときに月光浴をしてみてください。

心が浄化され、不安やストレスが和らぎます。

 

 

 

これは、月の光が

幸福感を感じさせるセロトニンという

物質の分泌を活性化させるためです。

 

 

 

満月のときは

いつも月光浴を♡

 

 

 

友だち追加

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝石赤中級講座修了生対象の鑑定士養成講座は準備中です♡

 

 

 

 

友だち追加

よろしくお願いします。