【食文化研究日記】山形県の在来作物と東京レストラン

【食文化研究日記】山形県の在来作物と東京レストラン

在来作物は「お金のための作物」ではなく「命のための作物」。私たちはその作物を中心に携わる生産者、料理人、飲食店、消費者を介しその大切さを発信します。

山形県の在来作物と東京レストランの公式Webサイトは こちら からどうぞ。
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今日から、恵比寿にあるイタリアレストランで働き始めた。

理由は2つ。

一つは在来作物の保存を目的とした事業から成り立つ起業を

このタイミングで断念したこと。


二つ目に在来作物を流通させる対象と考えていたその業界の実情をしりたいと

考えたことである。


少し甘く考えていたかもしれない。


予想はしていたが、

実際に現場に入って覚えることが山ほどあった。


メニューはもちろん、ナイフやフォークなどの配置、水を運ぶタイミング

などなど

頭がパンクしそう。


今日は朝10時から23時半まで。

アイドルの休憩時間もメニュー覚えに没頭していたため、

ほぼぶっ通しで働いた。

終盤はぼーっとしてしまった。



今日は正直、お客様のことを考える余裕が一切なかった。

雨のなか来てくださったお客様達ははたして満足できただろうか?


とても疑問が残る。

自分らしさも全く出せずに終わった一日。

飲食業界の厳しさを痛感した一日。


一秒でも早く通常を業務をこなせるようにならなくては

次の段階にはいけない。


数あるお店のなかから選んでくださったお客様のためにも

明日から気合いを入れ直していかなければ。







『 加持 リョウジ 』 -Kaji Ryouji-




加持リョウジ




加持リョウジとは「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する架空の人物。

ネルフという特務機関の総司令・碇ゲンドウの下で様々な諜報活動を行うが、

実は同時に日本政府内務省のスパイでもあり、

更にネルフの上層組織ゼーレから遣わされたゲンドウの監視役でもあるという

三重スパイを演じていた。



そんな彼の趣味は意外にも「スイカを育てること」であった。



彼はなぜ畑でスイカを育てていたのだろうか?



この作品では、生物のほとんどが滅亡した「セカンドインパクト」という現象

がある。


それにより食べ物も人工的に作られた工業製品のようなもので人類の食糧が

賄われている。

そんななか、彼が育てていたスイカはセカンドインパクト前からあったタネを

まいて自家採種によって何年も育てたものであると推測できる。



彼がスイカを育てていた理由。


それは、混沌した戦いや途方もない人々の魂を一つにするという

「人類補完計画」の真実を知っていく中、スイカを育てることで

「命とはどういうものか」を自問自答し、必死で「自分」と自分の

「望む世界」とを繋ぎとめていたのではないかと思う。



では、彼の望む世界とは何なのだろうか?


それは、様々な人たちが自然な姿(循環型)でそれぞれが存在している自然な

世界なのかもしれない。


つまり、彼は作物に「人としてのあるべき姿」(理想)

見ていたのかもしれない。



そう言えば、私達はありのままに存在している世界を「自然」と呼んでいて、

そうでない世界と分けている。




※参考
ピクシブ百科辞典
http://dic.pixiv.net/a/%E5%8A%A0%E6%8C%81%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%B8



『 一津堂いのちパン 』 -Hitotsudou_inochipan-


一津堂いのちパン



東京在中の主婦が中心となって活躍しているミュージカル劇団FMC。

自らを「生活者集団」と名乗るぐらい主婦の視点にこだわっている。

彼女達は「生活者としての地に足が着いた強さと、

いのちを守る側に立つ温かさを根っこに、人々の明日への活力となること」

を信念に19回も公演を重ねてきた。



そんな彼女達が今回題材にしたのは在来作物とそれに携わる人々である。

作家の緒川 さゆ里氏に今回の作品で「何を伝えたいか」を尋ねると

「周りを(良い風に)変えたいと願うなら、

まずは自分から変わることが大切だということを伝えたい」

と力強く語っていた。

確かにこの作品では、心に傷を負った人たちが

一人の在来作物の生産者であるおばあちゃんと出逢い、

自らが畑仕事を通して「いのちの大切さ」を感じ、

みるみる豊かな人間になっていく姿が映し出されている。


私はふと作家の言葉と山形大学出版社からでている「おしゃべりな畑Ⅱ」

の畑の中の座談会で江頭准教授が言っていた

「在来作物の生産者全員の共通点があるんです。

それは、気持ちの良い人が多いということです。」

という言葉を自然と思い出していた。


儲けを考えず、命を繋ぐために作っていた人々。

先祖からのタネを使命感で守り続けてきた人々。

相当な手間がかかるのに近所で楽しみにしている人がいるから

というだけで作り続けてきた人々。


そんな彼女達が作る作物には利己的なものはなかったに違いない。


私は在来作物の不思議な魅力の源がこれかと妙に納得してしまった。



在来作物を通して、人としてのあるべき姿を問いかける

面白い劇だと感じたので是非お勧めしたい。


☆★『一津堂いのちパン』上演スケジュール★☆
2013年2月22日(金) 15:00&19:30
@下北沢 北沢タウンホール
↓詳しくは↓
https://www.facebook.com/thcfmc



『 庄内柿とファンネル 赤根ほうれん草のサラダに悪戸いもチップをのせて 』



赤根ほうれん草



銀座にある奥田シェフのお店、ヤマガタサンダンデロの一品。


3つの在来作物を一つのお皿に入れたこの料理で注目してほしい

在来作物は「赤根(あかね)ほうれん草」。


通常のほうれん草の根はほぼ食べないが、

この「赤根ほうれん草」は根っこが実に美味であり花形である。

ほんのり赤みがかったこの根の食味はスウィート


その甘さに誰もが本当に「ほうれん草」かと一度は疑う。

素材の持つ味をそのまま堪能できる一皿だ。





『 宝谷かぶ 』


宝谷かぶ



「宝谷(ほうや)かぶ」は山形県鶴岡市櫛引(くしびき)地区の宝谷で

栽培されてきた在来作物である。

この「宝谷かぶ」もまた焼畑で栽培され、江戸時代にはすでに存在していたと記されている。

長さは20㎝ほどで青首(上部が緑がかっている)の白い長かぶ。

小ぶりなだけに葉付きの状態だと「うさぎ」のように見える。

食味は、生の状態では硬く、甘みもあるのだが、すりおろすと強い辛みが出て

薬味としても楽しめる。

また、熱を加えると「でんぷん」が多いせいか火の通りも早くトロっとした食感に加え

独特のほろ苦さがでる。

葉も他のかぶとは異なり、煮るとワカメのように柔らかくなる。

地元では葉付きの「宝谷かぶ」を丸ごと鍋にいれて食べる「蛸煮」(たこに)という

伝統的な食べ方があるが、これは葉もおいしい「宝谷かぶ」だからこそであろう。

ちなみに、「蛸煮」にはタコが入っている訳ではなく、鍋に入れたその「宝谷かぶ」の姿が

タコに似ていることが由来している。


映画「よみがえりのレシピ」の冒頭にもでてくる「宝谷かぶ」だが、

この地方に関わるかぶはお米が不作の年に命を繋ぐ大切な作物であった。

なぜなら、かぶはお米の出来が判断できる8月中旬にタネをまくため、

凶作の年には栽培を増やし、帳尻を合わせることが可能だからだ。



しかし、「命を繋ぐ」ために大切にされてきた「宝谷(ほうや)かぶ」も

一時生産者が一人だけの危機的な時期があった。

在来作物は自家採種のため、一旦タネがなくなると二度とその作物は蘇らない。

つまり「宝谷かぶ」は種の絶滅が目前に迫っていたのだ。



そこから転機が訪れたのは2006年。

地元庁舎に勤めていた方が「宝谷かぶ主の会」を立ち上げ、食べ支える活動を始めた。

その仕組みはとても興味深い。

「かぶ券」を一口買うと、焼畑の火入れや収穫作業の手伝い、

有名シェフや参加者が創りだしたアイデア料理を食べる集いに参加できる。

また、配当は「お金」ではなくみんなで収穫した「宝谷かぶ」が貰えるというもの。

この企画は大々的なプロモーションをしたわけではないのだが

県外からも「かぶ主」が訪れるものとなった。


一口7000円。スーパーで200円ぐらいで買えるかぶに、なぜ人々は、

これだけのお金を人々は支払うのだろうか。


そこには、単純な「モノ」としての価値ではないものがあるからだ考えられる。

「なぜ、一人になっても採種を続けてきたのか」の問いに対し、

タネを守り続けてきた生産者はこう答えた。

「先祖代々伝えられてきたかぶをなくしては申し訳ない。

誰になんと言われようと、どうしてもこのタネを次の世代に伝えたい」
と。

彼のその強い使命感が人々に伝わったのだと思う。



「作物は食べる人がいて初めて成り立つ」

この言葉は同生産者の言葉でもある。

逆を考えれば食べる人さえいれば作物は存続する

この会はまさにそれを体現してくれた。


時代は移り変わり、現代の日本では食べ物が容易に手にいれることができるようになった。

このご時世において、在来作物はもはや「命を繋ぐための作物」ではない。

しかし、在来作物の価値は時代と共に華麗に変化を遂げようとしている。

それは、「命の大切さを教えてくれる作物」という価値である。


「宝谷かぶ」は間違いなくそれを私達に教えてくれているだろう。


雪の上の宝谷かぶ




※写真は筒井 淳子さんに協力頂き石塚 一晶さんから提供して頂きました。

※参考文献
・小耳に庄内
http://blog.4071.net/?eid=919649

・庄内系イタリア人のViaggio al Mondo
http://blog.kahoku.co.jp/shokuweb/vam/2010/02/in_1.html

・食の都庄内
http://syokunomiyakoshounai.com/ingredient/ingre-04/015.html

・おしゃべりな畑
http://blog.zaisakuken.jp/lavo?p=log&lid=167593

・宝谷かぶで、びーと・いっと
https://www.facebook.com/houyakabu



『 伝九郎柿 』



伝九郎柿


山形県の庄内地方の在来作物の柿といえば 「庄内柿」 であるが、

実はその他にも複数存在する。


その一つが「伝九郎(でんくろう)柿」だ。

この柿は一時生産が途絶えていた


栽培がされなくなった背景には二つあると思われる。

一つは労力がかかること。

もう一つは脱渋方法によるビジュアル面の悪化である。


「伝九郎柿」の樹高は10m以上、高いものでは20mほどにもなり収穫が困難だ。

先端が二股になった6mほどの竹の棒を使い、

枝を挟んで柿ひとつずつをひねり取る。

通常の柿の
二倍以上は労力がかるだろう。


また、渋抜きは焼酎を使った方法では上手く渋が抜けないため、

お湯を使った「湯ざわし」という方法で渋抜きされる。

この脱渋方法により表面が酸化して黒くなりやすく、

皮にひびが入りやすい。

こうして、徐々に減っていったのだと思われる。



しかし、今この「伝九郎柿」が見事に復活を遂げようとしている。

それは、魔法のような甘さからだ。


皮をむくと果肉はきれいな濃い橙色。

肉質はスプーンですくえるほどの軟らかさとなり、

まるでマンゴーやパパイヤといった南国フルーツのような食感となる。

コクのある独特な甘さは、黒砂糖の甘さに例えられるほど。


種の多様性本物が見直されているのだ。



「伝九郎柿」を裏返して見てみると、

「庄内柿」よりも中心の窪みが深く十字の切られた凹凸が激しいのが分かる。

こうして記事を書いていると、なんだかそれが、

厳しい試練を耐え抜いてできた『柿の腹筋』のように見えてくるのは

私だけだろうか...





『 庄内柿のライム風味 生ハムとともに 』



庄内柿



恵比寿の 「エノテカ ルーチェ」

本格イタリアンがカジュアルな雰囲気で堪能できる

レストランで出していた一品。(パーティー用)


在来作物の「庄内柿」は平べったい角型で種がない柿で

ひっくり返してみると正方形に近く、角が取れた子供用のブロックのよう。

なんだか可愛いらしい。

庄内柿(ミラー)


正式には「平核無」(ひらたねなし)と言い

「庄内柿」という名前は大正時代に皇太子殿下に「庄内柿」として

献上した
ときからこの名が定着した。


食味は果肉が緻密に引き締まり、み
ずみずしい歯ざわりが楽しめる。

糖度も高く、上品な甘さが特徴

そこに、合わせた生ハムがさらにその甘みを引き出してくれたに違いない。


また、その美味しさから荻窪の人気フレンチ、

ヴァリノールの相原シェフはそのまま手を加えずに小さなデザートとして

出したほどだ。



「庄内柿」の由来には異説あるのだが、

越後からきた行商人から何本かの柿の苗木を購入し自宅の畑に植えたところ、

その中に一本だけ、ほかのものとは形の違う実がなる柿の木があり、

その木からなった果実は形が偏平で種のないものだった。

そこから育成が始まったとされている。


ところで、渋みを感じるタンニンを溶けないようにする処理を

「渋抜き」と言うのだが、「庄内柿」は渋柿であり湯ざわしでは渋が抜けず、

アルコール(焼酎)で処理をする。



「庄内柿」は山形県の庄内地方ではとても生活に密着している。

その証拠に柿の収穫の10月ぐらいになると、スーパーなどで柿専用の、

段ボール、袋、焼酎(渋抜用)などが所狭しと積まれている。

これも秋の風物詩である。




『 平田赤ねぎ 』


「平田(ひらた)赤ねぎ」は山形県の在来作物における究極の

『ツンデレ野菜』である。


平田赤ねぎ



生で食べると強烈な辛みがある。

切り刻めば、たまねぎのそれのように涙が止まらない。

しかし、ひとたび火を入れれば一転、その辛みは「とろ~ん」とした

優しい甘みへと激的に変化を遂げるのだ。


「平田(ひらた)赤ねぎ」は酒田市(旧・平田町)で、

越冬野菜として農家の自家用につくられてきた在来作物。

栽培期間は一般的な白ネギの7、8カ月よりも長
く、1年以上かけて栽培される


手間の多さから、市販されるまでの収量には至らず

細々と自家用に栽培され続け主に保存食として使われてきた。



我が国には茨城県の水戸市近郊にも在来の「赤ネギ」があるが、

それは根元から5本ほど分かれており、一本ねぎに近い「平田赤ねぎ」とは

その点では大きく異なる。

これは、生産者が長い年月をかけて食味のいい一本ねぎを

選抜し育成
したからだ。



見た目も鮮やかで美しいこの『ツンデレ野菜』

一度食べたら虜になるに違いない。


※現在は一部ネットでも購入可能
庄内旬青果
https://www.shun-seika.jp/





『 大滝にんじん 』



「にんじん」には西洋系と東洋系の二種類あるのを知っているだろうか?

太くて短いのが西洋系。細くて長いのが東洋系。

なぜか人間とは正反対なのが面白いのだが、

私たちが普段口にしているのは圧倒的に西洋系の「にんじん」である。



現在「大滝にんじん」はただ一軒の農家でしか栽培されていない。

つまり、既に手に入れることが極めて困難な「幻のにんじん」なのである。




そもそも「大滝にんじん」は山形県鶴岡市の熱心で、

研究心に富んだ農業家(篤農家)大滝 武さん選抜育成を繰り返し

作りだした品種である。

昭和50年代ぐらいまでは市内外で幅広く栽培されていたが、

いつの間にか西洋系のにんじんに塗り替えられてしまった。




悲しい歴史。実は山形県鶴岡市にはもう一品種、

東洋系の「勝福寺にんじん」という在来作物があったそうだ。

しかし、この品種は既に絶滅している。

一度絶滅した在来作物は二度と芽をださない。




「大滝にんじん」の食味は軟らかく甘いそうだ。

もし、この味が想像でつくるフェイクの味でしかなくなったと考えると、

なんだか切なくなる。


こうなる前に、時間があるうちに、作物への新しい価値を見出し、

食べ支え合うことが在来作物の「多様性」と「文化財的価値」を守るため、

さらには「食文化」を発展させるためには必要なことなのかもしれない。



※参考ブログ
Haruyaの写真日記
http://d.hatena.ne.jp/Haruya_T/20121204/1354594553


『 蔵王かぼちゃ 』


蔵王かぼちゃ


「かぼちゃ」にも「にんじん」同様に西洋と東洋がある。

日本で栽培されている主要な食用かぼちゃは16世紀半ばに九州に伝わり、

西日本各地に土着したニホンカボチャと、幕末から明治にかけて導入された

欧米の品種が北海道、東北などに土着したセイヨウカボチャに分けられる。

「蔵王(ざおう)かぼちゃ」はその形状、性質からセイヨウカボチャに属する。


この「蔵王かぼちゃ」はそのチャーミングな見た目から

「へそかぼちゃ」とも言われており、

果実は花が落ちた部分から直径10㎝のドーム
状に盛り上がり

かわいい「でべそ」となる。


また、そのかわいらしい見た目とは裏腹に実に硬い。

別名「まさかりかぼちゃ」とも言われ、

マサカリやナタ、かなづちを用いないと割れないほどだ。


しかし、だからこそ収穫した9月頃から2月、3月まで

長い期間貯蔵できるのであろう。

長期間保存可能というのは雪深いこの地域において、

非常に重要な役割を担ったはずだ。

作物が取れない厳しい冬の間にはそれはそれは貴重な作物だったと思われる。

また、食味はかなり評判がいい。

ホクホク感と上品な味。近年、再出荷された東京築地市場でも認められるほどだ。



「蔵王かぼちゃ」は今から約70年ほど前から栽培が始まった。

その由来は蔵王山ろくの成沢地区の農家へ嫁入りの際に

実家から持ち込まれた種子からだと言われている。


常々思っていたことだが、在来作物は 女性の力 が大きく関わっている。

有名な「白山だだちゃ豆」も嫁入りをきっかけに他の地区に

種子を持ち込んだことから始まる。


当時の嫁入り道具の一つとして「タネ」の存在があった。

この「タネ」を持っていきさえすれば新しい土地でも暮らしていける

という 親の愛情 が込められていたに違いない。


つまり「生きるための作物」だったからこそ、

別の土地へ嫁入り道具の一つとして持ちこまれ、栽培され、

新たな種が生まれてきたのだ。



在来作物は何も 過去の作物のことだけを指すわけではない

「蔵王かぼちゃ」のように人々の作物を大切にしていきたいという想いがあれば、

これからも 未来に新たな種は必ず生まれる

そして、私たちはさらに多様化された食文化をもっと楽しめるに違いない。


蔵王かぼちゃ(畑)


※写真提供「株式会社アグリパークZAO」
・フェイスブックページ
https://www.facebook.com/Agriparkzao

・Webサイト
http://agrizao.co.jp/

提供元:板垣 和真さん