買うということについては、病気になるまでは、本当に、本当にほしいものをお店に3回くらいいって、それでも

どうしてもほしければ、買うという慎重派でした。ところが、病気で躁状態になるやいなや、中古CDを10万くらい

勝ったり、デイズにーの原画を勝ったり、会社の金で株を500万くらい買ったりする、大変な浪費家になってしましました。去年の10月には躁になり、新車のパッソを買いました。

今でこそ、自分を抑えられますが、躁が出るたびに、ipod(実に壊れたりして5個ももっている)やホームシアター

など、デジタルものをクレジットカードで買ったり、ローンでかったり、するようになったりで、借金が増えだしました。

私は、実に堅実な人間でお金はためるものと思っていた人だから、こんなことは病気がする仕業であることですが、自分のしたことは自分で責任をとらなくてはいけません。結局、そんなことが、5回ほどあって、離婚したのですが、自分のまいた種だから仕方がないと思っています。

本来、買うということは歓びにつながる楽しい、出来事なのでしょうが、今は、買うどころではなく、妹に通帳と実印、銀行印をあずけて、そこから、こづかいをもらい、堅実にせいかつしています。

どうしてもほしいときは、前のように何回も店にいって、それが売り切れているときがあったので、直感で決め

妹に今、それがどうしても必要だと説得し、僕の状態を確認してもらいながら、買うようにしています。

私は、この年になるまで、本当に悲しんだのは2回だけである。

1つ目は高校2年の時、ある女の子を好きになり、その子は別の人と付き合ってあたのですが、半年間ラブレターを送り、GETしました。おたがい、京都の大学に進学し4年間一緒に住み、アルバイトも一緒にしていたので、

学校に行く以外は、ずっと彼女と一緒でした。就職して、2年ほどたって、彼女の周りが結婚しだし、彼女も意識しはじめました。それで、親同士があって、OKということになったのですが、いざ、「どこに住むの?」という話に

なり、彼女サイドの方から800万でいいマンションがあるから、半分ずつ出して買わないかという話があり、私は

私立の大学にいかしてもらった我が家の経済情勢を知っていたので、その話は親にはいえませんでした。

年ヶ月たっても、煮え切らない私がいるところへ、彼女を好きな男性が現れ、別れることになってしまいました。

まだ、若かったのですね。今なら、とりあえず、アパートでいいから、そこに住んで貯金して、マンション買おうやと

いえるのですが、そんなことさえ、いえないおしりの青い小僧でした。

それから、同窓会があり、彼女と再会し、お互い、10日違いで同じ病院で長女を産んでいるころを知りました。ニアミスです。

これも、なにかの縁でしょうか?

2つめは離婚して、娘たちに逢えなくなってしまったことです、妻との約束は借金が返し終わるまではお正月と

娘たちのコンクール等。しばらく、あっていないとびっくりするように成長している娘たち。

でも、電話しても周りの声(母、祖母、母の姉)を気にして、僕の質問に「うん」としか、答えてくれないので、

もっと、自由に話したいです。電話は月に一度。養育費を送金したときです。

離婚したときには、布団にはいって号泣していましたが、今は、お正月に会えることを楽しいに仕事に励んでいます。

五木寛之さんはこういっています。

ぼくは、深く、悲しむものこそ、本当のよろこびに出会うものだと思います。暗さのどん底におりていく、人間こそ、明るい希望と出会えるのではないか。親しい友達家族と顔をあわせたときに、

「なんと悲しいことやら!」

と素直に言えるような感性こそ、今の私たちにとても大事なもののような気がしてならないのです。



私は、インスピレーション人間で何事も即断で、決めてしまう方なので、あまり、惑うことがありませんでした。

家や車などの大きな買い物も直感です。会社をやめるのも、つくるのもそう。

それほど、スピード感のある私ですが、病気になって、なんだか、どちらがいいのかわからなくなる時が多く

なりました。うつの時はなにも決められないのです。今日、着る洋服さえも・・・。

惑いました。

でも、最近は元気になり、惑うこともなくなってきて、元のように、決断力がでてきています。

脳の作用がよくなってきたのでしょうか?

でも、五木寛之さんは、惑うことは大事だと説いておららえます。

それは、考えること、本を読むこと、芝居を見ること。食べること、それらはみんな、単なる趣味ではなくて、人間が生きていくことの本質ではないか?人間は本来、そういうことをするために生きているのであって、その時間と余裕を生み出すために働く。働くこと自体が目的ではないと。

そう、私は急ぎすぎているのかもしれません。もう少し、こんな、ご時勢になったからこそ、じっくり、余裕をもって、物事を考え、実行することが大事なのではないかという風に考えている、今日、このごろです。