私は、この年になるまで、本当に悲しんだのは2回だけである。
1つ目は高校2年の時、ある女の子を好きになり、その子は別の人と付き合ってあたのですが、半年間ラブレターを送り、GETしました。おたがい、京都の大学に進学し4年間一緒に住み、アルバイトも一緒にしていたので、
学校に行く以外は、ずっと彼女と一緒でした。就職して、2年ほどたって、彼女の周りが結婚しだし、彼女も意識しはじめました。それで、親同士があって、OKということになったのですが、いざ、「どこに住むの?」という話に
なり、彼女サイドの方から800万でいいマンションがあるから、半分ずつ出して買わないかという話があり、私は
私立の大学にいかしてもらった我が家の経済情勢を知っていたので、その話は親にはいえませんでした。
年ヶ月たっても、煮え切らない私がいるところへ、彼女を好きな男性が現れ、別れることになってしまいました。
まだ、若かったのですね。今なら、とりあえず、アパートでいいから、そこに住んで貯金して、マンション買おうやと
いえるのですが、そんなことさえ、いえないおしりの青い小僧でした。
それから、同窓会があり、彼女と再会し、お互い、10日違いで同じ病院で長女を産んでいるころを知りました。ニアミスです。
これも、なにかの縁でしょうか?
2つめは離婚して、娘たちに逢えなくなってしまったことです、妻との約束は借金が返し終わるまではお正月と
娘たちのコンクール等。しばらく、あっていないとびっくりするように成長している娘たち。
でも、電話しても周りの声(母、祖母、母の姉)を気にして、僕の質問に「うん」としか、答えてくれないので、
もっと、自由に話したいです。電話は月に一度。養育費を送金したときです。
離婚したときには、布団にはいって号泣していましたが、今は、お正月に会えることを楽しいに仕事に励んでいます。
五木寛之さんはこういっています。
ぼくは、深く、悲しむものこそ、本当のよろこびに出会うものだと思います。暗さのどん底におりていく、人間こそ、明るい希望と出会えるのではないか。親しい友達家族と顔をあわせたときに、
「なんと悲しいことやら!」
と素直に言えるような感性こそ、今の私たちにとても大事なもののような気がしてならないのです。