私は、自分でいうのもなんなんですが、猛烈サラリーマン、そして、独立して父を傀儡の社長にし、会社経営をしていました。
収入もそこそこあり、2件目の家を建てようと計画していたときに躁うつ病にかかりました。
その頃は、仕事が命で、たまの休みは家族とショッピングにいったり、外食にいったりすることが歓びでした。
営業は私の天職だと思い、仕事が趣味といっていいほどがんばってきました。
でも、病気になって、それが一転し会社や家のお金を使い込むは、反対でうつで1年間も働けないくらい落ち込みました。私は歓びを失い死をも考えました。
それから、だらだらと月日がたち、躁でクレジットカードでの借り入れが膨らみ、激怒した妻に離婚をいいわたされ、あんなに溺愛していた、娘たちと離れ離れになって、子供の頃から涙がでなかった私が布団で号泣するようになりました。
世界は大不況に陥り、私の会社も今までのように給料がでなくなったので、外に働きに行くことを決意したのですが、今年で50歳になる私には仕事がなかなかありません。
でも、娘たちには、まったなしで養育費を送っていかなければならなかったのです。
そのとき、目にした広告が今、働いている警備業でした。
労働条件は悪いけど待遇はそこそこよく、がんばれば稼げる職場でした。
私は警備業など、定年退職したおじさんがアルバイトでするような、自分の実業ではないけれど、お金をしはらうため仕方なく入ったという感じでした。
現場はユニ○ロと山○電気の駐車場の警備です。
仕事は簡単でただ、たっているのが、ただただ辛い仕事でした。
13時間拘束の8時間労働です。
そこで、私は、雨の日に長い階段をお年寄りが国道を渡るのを発見し、危ないと思って会談をダッシュして駆け下りようとして、転倒してしまい、左足の靱帯を三箇所切りました。
それまでは、なんというか、しかたなしに仕事をしていたのですが、配置ポストが変わり、お客様に声をかけられるポストが新設されました。
入庫してくる車や出庫の車に「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と声をかけ、又、出口のわかりにくい
現場なのでそれを説明するのですが、私が挨拶の誘導し、頭をさげると7割のお客様がそれに答えてくれ、
質問に答えたお客様は笑いながら「ありがとう」といってくださるようになりました。
警備業といって、馬鹿にしていた私の自己満足ですが、ただ、そんなことに歓びを感じています。
そして、必死の思いで稼いだ、お金で、娘たちに送金できることを誇りに思っています。
送金したときが唯一の娘たちと電話できる日あのですが、毎月の半ば、それを楽しみに、又歓びにして、私は仕事に励んでいます。