◆今日の一言
No.445(07/6/6)

『成功したければ、やりたい仕事より必要な仕事をしよう』





ここ2、3日で数十人の先行予約分のサインを書き、郵送・手渡しを終えて、3日ぶりのメルマガ配信です。

早速書評を下さった方もいて、本当にありがとうございます。後日、個別にちょこちょこ返信していきますね。

また、複数冊お申込いただいて、お申込者以外の方のサインをどうするか分からない方がおられるので、ぜひ誰のお名前を書いて発送したらよいか、教えて下さい。



さて、FUNでは現在、「起業塾」を行っています。

会社を作り、事業を起こし、世の中の役に立つ人材となるために必要な知識と考え方を学ぶこの講座は、経営者の立場で世の中を見るのにもいくらか役立っているようで、学生さんから毎回様々な感想を聞きます。

その中でも、「うまくいきたければ、やりたい仕事ではなく、必要な仕事をした方がよい」という内容には、多くの質問が来ました。



「やりたいことをやったら、だめなんですか?」

「やりたいことをやれるのは、幸せじゃないんですか?」

「自分のやりたいことを我慢するのは、苦しいんじゃないんですか?」



…学生の間では、「やりたいこと」があるかどうかは大きな問題であり、それが就活中までに見つかるかどうかも同様に問題であり、かつ、それと近い仕事をやれるかどうかも問題です。

やりたいことがある人。
やりたいことが仕事になった人。
やりたい仕事でうまくいっている人。

そういう人は「幸せ」で「成功」している人だ、と見なされます。

しかし、果たして本当にそうでしょうか。



それは、あくまで「個人の満足」を尺度とした時だけに成り立つ見方ではないでしょうか。人によって解釈は様々ですが、成功というものは、自分の満足度ではなく、社会的影響力の大きさによって計るものです。

もっと分かりやすくいえば、「自分がどれだけ幸せか」ではなく、「世の中のどれだけの人を幸せにしているか」で計るものです。

自分の行いに対し、人が認めてくれ、喜んでくれ、評価してくれることが、一番幸せなことではないでしょうか。



そもそも仕事とは「問題解決」、つまり「他人の悩みの解決や夢の実現の応援」です。



要するに、仕事とは「他人のやりたいこと」なのであって、我々が「仕事」と呼んでいる一日8~10時間の行為は、「他人のやりたいことを応援する時間」です。

それを、「仕事=自分のやりたいこと」と見なすのは、仕事の根本的な前提から言って、誤っているのではないでしょうか。



例えば今は、参議院選挙間近ということで、各政党は公約作りに力を入れています。

どの政党を支持するかなどということは本メルマガの趣旨とずれるし、そういうことを、選挙前の時だけ友達に電話して「○○党にお願い」などと言う人々もいますが、僕は本当にこういう依頼が嫌いです。

しかし、選挙は「やりたいこと」の仕組みを考えるのには、実に分かりやすい行為です。





例えばある候補者が、「私が当選したら、年金を増やします!」とか、「私が当選したら、地元の福祉財源を増やします!」と言ったとしましょう。

有権者の大半は中高年や高齢者なので、当然ながら、年金や福祉、医療、治安問題は選挙の重大な争点にされるでしょう。

「そっか、あの人が当選したら、オラの街も豊かになるのか」
「あの人に一票入れたら、あたしも安心して年金もらえるのね」
「あの人を応援すれば、後から仕事が増える可能性もある」



どの候補者も、有権者に向かって口々に「年金を安定させる」、「財源を確保する」、「地元に雇用を増やす」と繰り返すので、しまいにはそういう思惑がうずまいて、政府は「予算争奪戦」の場になっていきます。

「誰かに与える」とは、「誰かから取る」ということでもあるので、当然ながら、「あげます」、「与えます」型の公約を誓った人は、どこかの予算を削れと注文するほかなくなります。

ある人は防衛費を上げろと言い、ある人は教育財源を増やせと言い、ある人は福祉財源を増やせと言い、ある人は文化振興予算を増やせと言う。



こうして、全国各地の有権者の「やりたいこと」が巨大な濁流となって合流した結果、果たして、わが国の財政はどうなったことか。

どれだけ譲歩したとして、お世辞にも「良い」と言えるものではないでしょう。「みんなに与える」とは、「みんなから奪う」ということです。

全てをやろうとした結果、有権者それぞれの「やりたいこと」は1割くらいに中和され、結局、「何も満足には実現できなかった」となってしまって、慢性的なストレスが全国に拡散されただけの結果に終わりました。



「やりたいことがある」とは、同時に「人のやりたいことは認めない」という傲慢、利己的な発想につながりやすいものです。

「年金増やせって言ったのに、なんで防衛費を増額するのか!」
「北朝鮮が危ない時期なのに、なんで福祉財源を増やすのか!」
「地元の雇用対策費を増やしたいのに、なんで文化振興予算を増額するのか!」

こうして、みんなの「やりたいこと」を集合的に引き受け、解決を図ろうとした政府は、みんなに不信と期待はずれの失望感を持って眺められるようになってしまいました。

これが「やりたいこと」を求めた結果でした。



もう一つ、次は「仕事」で考えてみましょう。

ある人は、「新商品の開発がやりたい!」と言って入社しました。
またある人は、「財務分析がやりたい!」と言って入社しました。
またある人は、「新規開拓の営業がやりたい!」と言って入社しました。

しかし、経営はそう好きなことばかりやるわけにも行かないので、当然ながら、誰かが譲歩を迫られ、誰かのやりたいことが比較的、優先されるようになりました。



「なんで部長のアイデアを採用するんだ!」
「なんでオレたちの給料を増やさずに新卒を採用するんだ!」
「なんで若手の研修費を削って社宅を建てるんだ!」

みんなが仕事を「自分のやりたいこと」と勘違いしたばかりに、会社の中には「誰もやりたくないこと」が溢れ返り、結局、みんなが慢性的なストレスを抱えるようになってしまいました。

組織がこうなれば、あとはモノを言うのは「数の力で影響力を増やすための政治力」で、どこの会社でも似たような派閥抗争が繰り広げられるようになります。



このような例から、以下のような仮説が導けます。それはすなわち…

「我々は実は、やりたいことという基準のせいで、幸せになるよりも、むしろ不幸やストレスを抱えているのではないのか?」

というものです。



Aさんが「やりたい」と言うことを、Bさんは「やりたくない」と言います。
Aさんの「やりたくないこと」は、Bさんの「やりたいこと」です。
それを同時に叶えようとすれば、双方の要望を中和するほかありません。

要望を我慢することを強いられ、「夢の減額」を食らった分は、他人のやりたいことに奉仕する時間を割り当てられた人は、言い分を聞いてもらえなかった不満と、自分が過小評価されたストレスで、仕事への動機付けを失っていきます。

こうして、「やりたいこと」が集まれば集まるほど、組織内には「やりたくないこと」がどんどん増えていく、という力学が生まれるようになります。



結局、不幸や悩み、ストレスの原因は、誰もが学生時代にその当否を疑うことすらなかった「やりたいこと」という思考基準に立脚していたのでした。

会社とはそもそも、創業者・経営者がその存立の根幹を決定する組織であるため、従業員の立場では本当にやりたいことはやれないようになっています。

会社とは「他人の問題解決」によってしかお金を得られない組織であるため、経営者は「やりたいこと」という自己満足、意味不明な動機ではなく、「やってあげたいこと」や「必要なこと」という基準で業務の将来性を判定します。



世の中や人生には、「やりたくはないが、必要なこと」と、「それほど必要ではないが、やりたいこと」が存在します。

そして人はだいたい、「必要なこと」の方から優先してお金を払うものです。

「必要なこと」とは、それを解決せずに放置すればストレスや問題が発生し、人から言われて気付くより、自分から求めたがる性質を持った行為のことです。



例えば、世の中に「歯磨き粉が大好き!」などという人はあまりいないでしょうが、歯を磨かなければ困る人は何千万人といます。

世の中に「便器大好き!」という人はほとんどいないでしょうが、トイレがなければ困る人は世界中に何十億人といます。

世の中に「ゴキブリ大好き!」という人は少ないでしょうが、しかし、ゴキブリが出る恐怖、出た驚きが日常生活のストレスになっている人も多くいます。



そういう歯磨き粉、便器、ゴキブリ殺虫剤などを作った会社の創業者は、創業者だけにもしかしたら本当にその商品も好きだったのかもしれませんが、間違いなく「自分のやりたいこと」よりも「世の人々が必要としていること」に立脚して事業や仕事を考えたはずです。

外に対しての向き合い方がそうであれば、内側の社員に対する向き合い方も、優先して「やりたいこと」をさせてあげる姿勢を取った可能性が考えられます。

ほとんどの人は「自分がやりたいこと」を最初にやらないと気が済まず、損したような気分になるので、この性質を活用し、まずやりたいことを優先してさせてあげれば、あとは、思った以上にこちらの言う事を聞いてくれるものです。



その「ちょっとの差」を耐えられるかどうかが、後の人生を決定的に分ける差になるわけです。

最初に自分の悩みを解決し、自分の夢を押し通そうとするから、いつも不幸、不満、不安が絶えないのです。

われわれ経営者にとって、世の中の「非・不・未・無」が付くあらゆる要素はビジネスチャンスであり、腕の見せ所です。

したがって、「非・不・未・無」が付くこと、つまり「世の中で必要とされていること」から逆算して事業案を構築し、組織を作っていけば、「自分がやりたいことをやる」よりも、成功の確率はぐっと高まります。



従業員にとって、「やりたいこと」とは、人の要望を無視してもやり通したいことであり、経営者にとって「やりたいこと」とは、自分がやることではなく「まず他人にさせること」です。

人は「自分がやりたいことをさせてくれる人」の元に集まる傾向がありますから、「多くの人がやりたいこと」に基づいてアイデアを練り、言葉を発信すれば、「集める」ではなく「集まる」、すなわち相手の動機に基づいて人、金、情報、時間を手に入れやすくなります。

そうして人々の知恵や情報、時間、お金を組織的に活用して余剰資源を作った後、満を持して「やりたいこと」を楽しめばいいのです。このように、「やりたいこと」は常に後回しにした方が、成功しやすいものです。



事業が「必要なこと」を基準とした方が成功しやすいように、仕事選びも「やりたいこと」ではなく「必要なこと」を基準とした方が成功の確率は高まります。

例えば「叱られること」、「単調な反復をさせられること」、「欲を抑えて貯金すること」、「きつい仕事を割り当てられること」は、若者なら特に最初からそうされることを好むことは少ないでしょう。

しかし、それも「先に一括前払いにするか、後から分割後払いにするか」の問題です。いずれは全て、やらないといけないのですか。それを先にやれるか、後から渋々やるかの違いです。



やりたくなくても必要だと割り切り、単調な反復で観察力・忍耐力・継続力を鍛え、大きな仕事に挑戦して失敗を繰り返して叱られ、欲を抑えて貯金して自己投資に励み、周囲がきついという仕事を率先して引き受けて人望を集める…。

こういうことを若いうちに優先してやれば、あとは人生が進むほど楽しくなり、収入も自由時間も増え、良い仲間も集まって精神的な健康も保て、「やりたいこと」を思う存分楽しめるようになるでしょう。

逆に、「きついこと、イヤ!」、「単調な反復もイヤ!」、「叱られるのイヤ!」、「貯金もイヤ!」とあくまで「自分のやりたいこと」を優先した人は、小さな仕事しかできず、能力も育たず、小さな指摘にイライラし、負債とガラクタを買い込んだ貧しい人になるだけです。

「やりたいことこそ、不幸の根源」というのは、こう考えても実に正確な現状分析だと思いませんか。



例えば僕は、19歳で大学を辞めた時、「20代では、やりたいことは絶対にやらない」と決めました。

そして、会社選びの基準は、

①誰も知らない無名でマイナーな会社であること
②財務的に不安定で、倒産の危険性もあること
③誰も知らない商品を売っていて、新しいこと

に設定しました。



なぜかといえば、僕は将来事業を起こして社長になることを決めていたので、「20代は起業に必要な要素を獲得する時期だ」と割り切っていたからです。

①無名企業であれば、それを有名にし、信頼を確保するために、ものすごい努力を必要とするでしょう。

②不安定な経営であれば、資金繰りや会計について実地で勉強でき、経営発展に必要な仕事とそうでない仕事を感覚的に理解できるでしょう。

③無名商品であれば、相手の立場に立った合理的な説明能力を鍛えることができるでしょう。



つまり、「必要なこと」を基準に仕事をとらえてみれば、会社によって成功させてもらうのではなく、自分の能力によって成功するために必要な要素が見えてくるわけです。

僕は将来の起業のリハーサルのような経験をしたかったので、周囲からは「何言ってるの?」、「福利厚生も大事じゃないか」、「それ、月給低すぎ」などと言われたりしましたが、「じゃあ、おまえが頑張れ」と言って「必要なこと」を継続しました。

正しい努力とは「後から楽になり、成果も増大する」という性質を持っています。僕は自分の20代を振り返って、苦労や失敗も多かったものの、今はささやかな満足感に浸ることができます。




ということで、学生の皆さんも、世間の風潮に惑わされて「やりたいこと」ばかりを考えるのではなく、たまには友達のやりたいこと、世の中の人々が求めていることを考えてみてはいかがでしょうか。

あるいは、自分がやりたい仕事や楽しいと思う習い事ばかりを考えるのではなく、長期的視点に立った時に「必要だ」と思える能力を先んじて身に付けてみてはいかがでしょうか。

人は必要なことを、「分かっちゃいるけど、後回し」にする性質があります。要するに、「意志が弱い人」は後々カネがかかる、ということです。

放置すれば、無知と意志の弱さほどカネを食う要素はありません。



「必要なこと」を先にやるか。

それとも…。

「やりたいこと」を先にやるか。

今優先したこととは逆のことを、将来やることになるでしょう。ならば、若いうちにやることはどちらか、誰でも分かりますよね。



やりたいことがやれないのは、会社のせいでもなく、時代のせいでもなく、お客さんのせいでもなく、景気のせいでもありません。

それは純粋に、自分の能力の程度によって決まります。

「やりたいことをさせてくれるのは、会社などではなく、自分の能力と資源だ」という基本を踏まえ、仕事選びや新人時代の下積みに臨めば、将来は好きな人と好きなことを、好きな時間に好きなだけ楽しむ人生が待っていますよ。



今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門166位、就職・アルバイト部門92位です。

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◆今日の一言
No.444(07/6/4)

『相手の顔が原稿だ』




毎週月曜、母校の西南大で「公開講座」をやっています。これは、20代を生きてきて特に役立った能力を8つの分野に分け、1回40分程度のミニ講座を開くことで、FUNの活動を知ってもらおう、という企画です。

国際文化4年のA坂さん、H山君を中心に、経済3年のH中さん、福大2年のU村さんたちが毎回見えないところで準備を頑張ってくれているおかげで、いつも温かく、初心を思い返せる時間になっています。

今日は、西南大の生協で僕のデビュー作がポスター付きで「平積み」にしてもらえるという連絡を受け、学生さんたちの行動力のすごさに改めて頭が下がる思いでした。本当にありがとうございます。



ということで、公開講座や外部講座、FUNゼミでの講義など、僕はこの4年間で何百回もスピーチを重ねてきたわけですが、年を重ねるほど、短い時間で何かを共有する難しさを感じずにいられません。

「話し慣れてますね」
「社長さんだから、自信を持って話しているのが分かります」
「例え話が上手で分かりやすい」

そう言っていただけるのは有り難いのですが、僕が今感じているのは、「慣れがいかに恐ろしいか」ということです。



僕のパターンに学生を当てはめるのではなく、目の前の学生さんたちに合わせて僕の方が変化せねばならないのに、年齢が離れるほど対応力が鈍っていくようで、最近はイメージトレーニングに余計力を入れるようになりました。

自分がそれほど年を取ったとは思わないんですが、それでも、ふと気付くと昔のことが思い出しにくくなることがあって、学生さんたちに身近な話題から話を始めることも年々難しくなります。

また、20代であれば使えたジョークや例え話を口にしながら、明らかに今の自分とは違和感を感じるような言い回しもあります。



今、FUNゼミでは「起業塾」をやっています。

起業塾に限らず、スピーチ塾、マネー塾、営業塾、タイムマネジメント塾、リーダー塾、ビジネス塾、取材塾、面接塾、作文塾など、毎回のレジュメを作る時は、学生さんと特に分かち合いたいことを鮮明に設定します。

しかし、僕が事前に「これが一番ヒットする内容だろうな」と予想した内容と、講義後に学生さんたちがグループワークで話題にする内容は、なんと、年々隔たりが大きくなっているのです。



「今日のグループワークは、どのグループでもおそらくこれが一番の話題になるだろうな」

と期待した内容には全く触れられず、さほど注目していなかった部分が真剣な議論の対象になっていた…。

そういうことは、よくあります。



もちろん、僕の期待通りに行かなくても、学生の皆さんがそれぞれ有意義だと思う話題を取り上げたり、特に印象に残った内容を詳しく扱うのは、それはそれで良いことだと思っています。

僕には気付かなかったことや、予想できなかったことがあるのは、いつも勉強になることだと楽観的に受け止めています。

しかし、それにしても、なんと自分の予想は当たらないことか。

講義にそれなりの意義を感じてくれ、FUNの一つのコンテンツとして楽しんでくれるのは有り難いのですが、年を取るほど当たり前の準備がいかに大切か、痛感するばかりです。



僕は、

「君たちも、大きくなれば分かる」
「社会に出れば、いずれ分かることさ」

と言いたくはありません。

そう言ってしまえば楽なのかもしれませんが、なぜかそう言って済ませたくないという気持ちが先立ちます。



それに僕は、小中学生であれ大学生であれ、若手社会人であれ中年であれ、物事の本質はそれぞれの世代で経験できる事柄を通じて、しっかりと分かるようになっているのだ、という確信があります。

やっている行為が経済的に価値を生み出しているかどうかは、本来二次的なことです。



学校を卒業すれば働きますが、別に働いている人間の方が学んでいる人間より偉いということはなく、それぞれの世代や年齢で自分の使命に忠実な人が偉いだけ。

僕は中退した人間ですが、勉強が仕事に劣っているなんてことはないと思うし、本気でやれば、勉強も仕事も人生で大切な何かを教えてくれ、その「何か」に質的な差はないと考えています。



だから、「学生には、まだ分からないよ」と言って逃げたくはないのです。それは、「社会人にはまだ分からない」と言っているのと同じだと思います。

「学生も、きっと分かる」。

そういう確信と信頼を持たねば、4年間も連続で数百回の講義を続けるのは不可能でした。そういう前提に立たねば、学生生活の中から説明の題材を見つけるのも不可能でした。



しかしまぁ、実際にやってみて、予備知識が少ない若者や経験的実感が少ない学生相手に仕事の本質を、質を下げず分かりやすく、飽きさせず、楽しませながら感動させ、笑いや悟りの中で「なるほど!」と思ってもらうことの、なんと難しいことか。

「きっと分かるはず」という確信に基づいて一つの講義を終え、完全に満足したことの、なんと少ないことか。

ギャップや期待を下回る反応を得た時、それを「自分の未熟さのせいだ」と受け入れることの、なんと難しいことか。



「おいおい、相手はただの学生じゃないか」。

心の中でそうささやく声が、数年前は毎週聞こえていたものです。

しかし、そう言ったら僕の負け。

「いやいや、自分の説明が下手なんだ。自分の熱意が足りないのだ」と反省して、コツコツ、コツコツ、手を替え品を替え、何百回も講義を繰り返してきました。



学生は面白ければ熱中し、面白くなければ態度で示します。特に、他の世代に比べてその度合いがはっきりしています。

分からなければしかめっつらをするし、集中が切れればすぐに頭が下がります。全員を一方向に注目させ、興味を引き付けることは、今でもとても大変なことです。

4年も毎週やっていて、まだ「やれていない」と感じることの方が多いなんて、サークルの講座とはいえ、スピーチとは本当に奥が深いものです。



そういう中から悟ってきたのが、「相手の顔が原稿だ」という確信です。

僕は一応、全ての講座には自作のレジュメを用意していきますが、いつからか、本当のレジュメは学生たちの表情ではないか、と思うようになりました。

用意してきたことを完全に伝えるのは目標でも何でもなく、目の前の学生たちをいかに燃やすかが目標で、「完全に話すことなど、手段やプロセスの一つに過ぎない」と感じたわけです。



自分で書いた日本語を読むのは簡単ですが、学生たちの表情や気持ちを読み取るのは、今でも大変です。

学生たちの心の中に去来する過去、現在、未来の像を読み取り、変幻自在の一体感を生み出せる理想の講義を思い描く時、まだまだ自分の講義はそれには程遠いと感じます。

4年といえば、ちょうど大学を卒業する年数ですから、4年を迎えて、僕もやっと新人になった気持ちで、スピーチに取り組もうと考えています。



それにしても、僕のコミュニケーション経験で最も役に立っているものといえば、間違いなく「法人営業」の経験です。

「相手の立場に立つ」と言ったり思ったりするのは簡単ですが、法人営業では本当にそうできねば、結果が出ません。

「頭で分かっている」などということは何の意味もなさず、問われているのは「やれているか」だけ。



「自分が売りたいもの」ではなく「相手が必要とするもの」を売り、「言いたいこと」ではなく「聞きたいこと」を話し、「言われてからやる」ではなく「言われる前に気付く」という練習が、今のコミュニケーションやスピーチにどれほど役立っているか、計り知れないものがあります。

「そうだよ、小島君!ウチはそういう提案が欲しかったんだよ!」と喜んでもらえた時は、それこそ、天下を取ったように嬉しかったものです。



提案力。
スピーチ力。
交渉力。
プレゼン能力。
説得力。

こういう「表現」の能力は、顕在化されて初めてその保有が明らかになり、こういう能力が優れていればコミュニケーションも上手なように思えるものですが、実はそうではありません。

全ての情報は、表現される前に理解・共有されねばなりません。



「作文力」という能力の90%が「読解力」で決まるように、スピーチ能力の90%は「聞く力」で決まり、表現力の90%が感性で決まります。アウトプットばかりが問題ではないわけです。

しかし数年前の僕は、例え話のユニークさや説明の論理性、冗談の面白さ、知識の豊富さで学生を惹き付けられると浅はかに考えていました。

僕の講義がまがりなりにも喜んでもらえ、聞いた学生の大半がすぐに入部するようになったのは、僕が何もしゃべらずにグループワークを観察し、喫茶店やマックで学生さんたちの話をじっと聞き始めてからのことです。

そうやって学生さんたちのことを知って、やっと、講義中の表情の意味が少しだけ、分かってきたような気になったものです。



学生のとりとめもない話を、じっと聞く。
ある会社の平凡な仕事を、じっと観察する。
ある営業マンの普通の仕事を、じっと観察する。

この「じっと受け止める」ということがどれほど難しく、また、どれほど大切か。

そういうことを感じ始めてから、やっと講義が双方向性を帯びてきたと感じます。500回やって気付いたことは、実に、これほどシンプルなことでした。ほんと、能力不足は継続でカバーするしかないと痛感します。



今週から始まる第④期「営業塾」では、そういうコミュニケーションの本質を探り、相手と共に課題や目標を分かち合い、結果を出していく働き方を学びます。

カリキュラムは以下の通りで、今週はガイダンス、開始は来週です。
http://maiplacehp.web.fc2.com/fre-a.html

(※申込・問合せは 
ootsukimai@ezweb.ne.jp  担当:大月舞さんまで)

コミュニケーションやリーダーシップ、営業、スピーチに興味がある方は、ぜひ一緒に勉強しましょう。



平凡に見える能力でも、本気で向き合ってみると、なかなか習得は大変なものですが、モノにした時の達成感は他には替え難い喜びがあります。

学生や若い社会人の皆さんと、そういう「当たり前のことができる喜び」を分かち合うのを、楽しみにしています。

ということで、今日は、相手の表情や仕事をじっと見つめる大切さについて考えてみました。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門177位、就職・アルバイト部門97位です。

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◆今日の一言
No.443(07/6/1)

『勉強しなくて忙しい人は多いが、忙しくて勉強できない人はいない』





先月、僕が社会人の中で一番お世話になってきた大阪ご出身のO谷さんから、「ぜひ近々会ってゆっくりお話しましょう」というメールがありました。

日曜の夜、天神のサンマルクカフェに行くと、そこはガラガラ。

二人でゆっくり、新事業について話すことができました。



O谷さんといえば、「トップセールス研究会」(月曜19:30~)にご参加の方はよく知っておられるように、温厚で聞き上手で、とにかくさりげない配慮が素晴らしい方です。

こんなことを書くと「何言うてまんねん!照れるから勝手に書かんといて~」と言われるかもしれませんが、僕は一言では言い表せないほどO谷さんにはお世話になったので、心中密かに、将来O谷さんと一緒に何か事業をやれたら、と思ってきました。



その新事業とは…。

「中退大学」です。

カッコいいとは言えませんが、名前を聞いた途端、90%の人が「何、それ?」と言ってくれることからも、興味を持たせるのには抜群のネーミングです。

「世に起業家大学やベンチャー大学と銘打った事業や団体は多いけど、中退と名の付く学校はない。色々と考えて、やっぱりこれがいいという結論に到達した」と、O谷さんも認めてくれた新事業です。




さて、その中退大学では何をするのかというと、

①起業家の育成
②起業の勉強・準備
③投資・コンサルティング事業

です。



いわば、「学校+ベンチャーキャピタル」の事業です。

普通の大学は「雇われる人」を輩出するために存在していますが、中退大学は「雇う人」を輩出するのが目的です。

なぜ「中退大学」なのかというと、修行年限を3年に区切り、3年以内に必ず中退してもらうからです。



世の中には、

①使い物にならず、実際に試したこともない知識に、もったいぶった名前を付けて偉そうに教えている学校と教師が多い。

②録音・録画すれば低コストで済むような授業に多額の金がかかり、学費と生活費が必要以上に膨張して家計や学習時間を圧迫している。

③社会人になってから、実用的な知識を安価で効率的、体系的に学べる手段が少ない。




という問題があると僕は思っています。



部分的には、「いや、全部がそうだとも言えない」という面ももちろんあるし、素晴らしい先生もいっぱいいますが、全体的に見て、「学校の授業は現実と乖離している」、「学費は高すぎる」、「実用知識を教える場が少ない」というのは、社会人になれば、誰もが一度は感じることでしょう。

「もっと勉強しておけばよかった」
「今なら○○を学びたい」
「もう、満足な勉強時間は取れない」

このように、社会に出て初めて勉強の大切さを感じた人たちに、なんとか理想の学びを提供できる手段はないだろうか…。



そういうことを、記者時代から、O谷さんとは折に触れて語り合ってきました。いや、将来はそういうことをやりましょうと、一度は意気投合していたのです。

それが、僕の不義理から再度話し合う機会も持てず、4~5年の間、このアイデアは放置されていたのです。

それを久しぶりに語り合ったのが、先月のある日曜の夜でした。



中退大学とは、簡単に言うと以下のような事業です。



<大学概要>

■学校名  中退大学(英文:Drop-out University)
■所在地  福岡市中央区のどこか
■キャンパス  実社会
■定員  制限なし
■対象  学生、社会人
■入学年齢  20歳以上
■学費  月額 \3,000(年間 \36,000)
■講師  企業経営者、各分野の達人・専門家



<中退大学の特色>

■点数は自身が企画・実施したミニ事業の収益と利益率で評価。
■修学期間は3年間で、3年以内に必ず中退すること。
■卒業、就職は禁止(学生は就職可)。3年以内に中退
 できなかった者はペナルティとして10万円を支払う。
■1年目は基礎の学習と貯金、ビジネスモデル構築、人脈作り
  2年目は事業の試験的実施と収益モデル構築
  3年目は本格的稼働と後輩の支援
■学費は格安に抑えるが、卒業時は大学が株式の10%を所有する。
■特例として大学院も設置するが、こちらも必ず中退すること。



ということで、「卒業まで居残る人は怠け者だ」という学校です。

中退大学における「卒業」とは、全カリキュラムを無目的に単位に変えて消化することではなく、自身が身に付けた知識やアイデアに確信を持って、それに根ざした将来への同意と希望から仕事を生み出すことです。

学費は貯金や借金から生み出すのではなく、将来の収益から生み出すという、「知識のリース業」でもあります。



「日本人は安定志向で起業意欲が少ない」と言われます。

確かにそういう人もいるでしょう。しかし、起業したくてたまらないものの、経済的リスク、時間的リスク、経験・知識のリスクから適度なチャンスをつかみにくい人も多く存在します。

さらに、日本では起業しようと思えば個人財産の負担なども多いうえに、金持ちへの偏見も強く、「メーデー」や「勤労感謝の日」という意味不明な祝日は多くても「社長の日」は存在しないように、社会全体が起業に追い風を吹かせにくい構造を持っています。



あるサラリーマンが何かの分野や能力で秀でようと思っても、また大学に入ろうと思えば莫大なお金がかかるし、一度社会に出れば明らかにムダとしか思えない余計な授業も履修せねばなりません。

もっと使い勝手が良く、そこで過ごす時間自体が経営資源の獲得・運用につながるような教育環境があってもよいはずです。

だから、同質の目的を持った仲間が集い、時間と経費のリスクを最小限に抑えて、必要なことだけを十分学べる「中退大学」のアイデアが生まれたわけです。



しかし、僕はまだ当時24歳で、それを具現化させる資金力も経験もありませんでした。



でも、最近改めてこのアイデアを考え直してみたら、細部は変更や検討が必要でも、方向性とニーズはしっかりとかみ合っていると感じました。

そこで先日、運営システムやサービス内容、経営計画について、こっそりと試案を作ってみました。すると、けっこうな発展が期待できそうなことが分かりました。



中退大学では、先輩が成功すれば、配当金が中退大学の運営費として入り、後輩のためにより充実した教育環境を用意できます。

先輩は3年目に講師となることで、将来の事業パートナーや相談相手を確保することもでき、自分の事業を見つめ直す機会も得ることができます。

全ての教師は実務の最前線で活躍する人ばかりで、「通用しないことは教えない」、「教えることは必ず通用する」という教育を実現します。

もちろん、性急な功利主義に偏らない古典や歴史も学びますが、実学徹底重視のリアリズムに満ちた教育があってもよいでしょう。



つまり、

①通常の学校のような土地、建物、設備、教材は不要

②講師は全員自前の職業を持っているので、教育費を吊り上げる必要がない

③先輩が結果を出さねば、学校も運営できない



④学校教育で満足な知識や職業が得られなかった人も、再挑戦のきっかけが格安で得られる

⑤年齢、経験、事業分野、専門分野が違う同期生や卒業生との巨大で長期的なネットワークを構築できる

⑥大学に行けなかった人、行かなかった人も、格安で大学以上の教育を受けることができる

という点がメリットです。



理事長はぜひO谷さんにやっていただきたいのですが、西南大に加え、実は「放送大学」も登録して実質的には3教科しか受講しなかった僕が、豊富な中退経験を生かしてコンサルティングを行うのも良いのではないか、という意見も出ています。

円満で人から慕われるO谷さんが社長なら、僕は「専務取り締まられ役」の立場で補佐し、教材作りやイベント企画、財務コンサルティングなどの周辺業務をやるのがよいのではないか、と考えているところです。

目下、悩みは略称が「中大」となり、中央大学と混同する人がいないだろうか、という点です。もちろん、本気でそう心配しているわけではなく、関西風の悩みです。



渋沢栄一は大学を卒業してはいませんが、一橋大学や二松学舎大学、東京女子大学などの創設に多大な貢献を行いました。

藤原銀次郎は私財を投じて藤原工業大学を創設し、この大学が現在の慶應義塾大学理工学部であることはよく知られています。

欧米では、名のある実業家は豪華な邸宅よりも学校や病院の建設に私財を寄付するケースが多いものです。



僕も及ばずながら、大学を卒業してはいませんが、世の多くの人々が自分の潜在能力を開花させられるような学校をいつかは作り、死後はちょっとした銅像が建つくらいの人間にはなりたいと考え、高校時代は「銅像になった時のため、ハゲないように注意しよう」と思っていました。

幸い、今も髪はフサフサで…じゃなくて、良い仲間や経験にも恵まれ、ちょっとしたプチビジネスのお手伝いくらいはやり方が分かってきました。ちなみに、僕は基本的にストレスと無縁の人間なので、髪の方も大丈夫だろうと思っています(笑)。

ということで、夏から一年間は試験的にビジネスモデルを組み立て、来年からの実施に向けて法人化・事業化を目指していきます。



「忙しくて勉強できない」と言う人は、未だかつて本当の勉強を一度もやったことがない人です。

僕は人々がそんなことを言わなくてすむように、いついかなる時も学ぶ喜びを提供できるような教育・起業システムを作りたいです。「忙しい」は環境ではなく条件に過ぎず、「忙しい」を言い訳にしない人の意欲を受け止める教育の場を作りたいです。

それを実現させるパートナーとして、経験、人格、ビジョンからも、O谷さんほど適役な方はいないのではないか、と考えています。



最近は自分の会社の雑務やデビュー作の発刊・宣伝対策に加え、新事業構築の作業などもあって、4日も配信が止まってしまいました。

この間、僕は将来自分が作る財閥のグループ企業のアイデアを練り、それらをどう立ち上げ、成功させるかをずっと考えていました。

今日は約40ある事業案のうち、その一つである中退大学についてご紹介しました。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門168位、就職・アルバイト部門96位です。

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