◆今日の一言
No.447(07/6/14)
『思索なき行動は肉体の移動に過ぎない』
昨日ジュンク堂に行ったら、1階入口の「新刊・話題書」コーナーに僕の本がドサッと10冊以上置いてあって、びっくりしました。
今でも古着&サンダルのままの僕が著者だとは、もちろんそこにいた誰も思わなかったでしょうが、我ながら妙な感覚でした。
そのうち、「あ!この人、ベローチェで見たことある」とか、「ブックオフで目撃した」などと言われるようになるんでしょうか…。
さて、お忙しい中、「就活アンケート」を送って下さった皆様、本当にありがとうございます。色々と参考になることも多く、3年生の方々は喜ぶのではないでしょうか。
まだお送りでない方も、「忙しい」、「面倒くさい」という言葉を飲み込んで、ぜひ5分だけ協力して下さいね。
良い情報の循環を作り出し、これから後輩たちが就活にさらなる意欲を持つよう、ぜひぜひよろしくお願いします。
さて、今日の話題は「思考と行動」。
なぜかわが国では、勉強よりも労働の方が価値があるものと見なされ、思考や計画よりも行動・実践の方が優れたものだと見なされています。
「メーデー」や「勤労感謝の日」という、外国人から見れば「日本はやっぱり社会主義国だ」と実感させるような日はあっても、「社長の日」や「勉強の日」はありません。
僕が総理大臣なら、学問の偉人や教育の偉人を顕彰し、その姿と歩みを称える祝日を作り、勤労感謝の日を日本古来の伝統の祝日に戻したいところです。
わが日本では、「働く人の権利は憲法で守られている」と言いながら、職業教育や経営、会計教育は驚くほど軽視されています。ほんと、教育ごっこや労働ごっこもいい加減にしろ、と思います。
権利がどうのこうのと言う前に、働きたいと思うような教育、働くことを尊重する教育、働く人を尊敬できる教育を優先すべきではないかと思うのに、労働三権のような「合法的恐喝術」を教えてよしとするのは、どうなんでしょう。
不当労働条件の改善はよいとして、もう少し経営や会計、経済について、
人間性への尊敬と興味が生まれるような職業教育をすべきではないでしょうか。
そもそも、思考と行動、勉強と労働は前後関係や補完関係で考えるべき要素であって、どっちが上か、どっちがレベルが高いかと考えること自体、両者の本質を理解していないのではないか、と感じることがあります。
学生に出会って、「いいね、君たちは。まだ働かなくていいんだから」と言う社会人もいます。
「勉強だけでいいうちは楽だよ」と言う大人もいます。
「とにかく動かなきゃ。動けば分かる」と言う人も大勢います。
別に全てが間違いではありません。世の中には、大学に入った途端に勉強しなくなる、学生証を持ったフリーターも大勢いるし、そういう学生を見て、「仕事はきついよ」と一言口をはさみたくなるのも分かります。
しかし、学ぶ人である学生に対して「勉強だけなら楽だよ」などと言うのは、本来、きわめて失礼なことです。
のみならず、そういうことを言う人は、自分も本当の勉強をしたことがない不幸な人といわねばなりません。
その人のやっている行為が経済的価値を生み出しているか否かは、二次的な要素です。
準備もまた、実践と同様に価値があるし、学生生活という準備期間を偉大な熱意で過ごしている人は、怠慢な社会人より立派です。
それに、実践は本来、想像の確認的要素が強いものです。自分はどこが足りず、今後何をどう学べば良いか、それを知るための行動だけが、「経験」になるのです。そのためには、動く前に何をするかが大事です。
思索も計画もなく、「やってみなきゃ分からない」などという流行語に身を任せて投機的行動に走る人は、やってみても何も分からないもの。信念と計画に裏付けられない行動には、大して価値はありません。
終わってから健全な反省と積極的な学習を生まないような行動にも、大して価値はありません。ある行為が行動であったかどうかは、むしろ、始める前と終わった後にこそ分かるものです。
何かあるとすぐに酒を飲み、宴会を開いて慰めあうサラリーマンも多いですが、僕はこういう人たちは、一体何をやったから飲んでいるのか、本当に理解に苦しみます。
藤田田さんは「貧乏人とバカは酒を食え」と、彼一流の毒舌ですぐに酒を飲むサラリーマンに喝を入れていますが、本当にそうだと思います。
そういう「ニセ社会人」が学生の邪魔をするのは、本当にかわいそうです。「仕事」をやっているわけじゃないニセ社会人に、偉そうな口を聞かれちゃ、学生さんもたまったものじゃないでしょう。
せっかく未来への希望に燃え、毎日の勉強や仕事の研究を頑張っているのに、「仕事の話はいいから、とにかく飲もう」などと言われては、時間泥棒もいいところです。
ただ行動するためだけに行動するのは、見かけは動いていても、成長や発展を生むことはないため、ただの「肉体の移動」に過ぎません。
本当の行動とは、営業塾でもお話したように、「コマ」のようなものだと僕は考えています。
つまり…「現実は高速回転しながらも、中心はぴったりと静止している」。
こういう静と動の一致は、思索と行動にも当てはまるものでしょう。本当に行動している人は、案外見かけは動いていないものです。なぜなら、真の行動とは忍耐と継続によってしか完成されないからです。
忍耐と継続のみが目標達成を導き、それは、自分が何をやっているか、自分はどこにいるかを、精神の雑音を消して見つめる集中力から生まれます。
じっとしていることは、とてつもない行動だと僕は思っています。
何があっても動じず、命令も強制もされずに一つのことをやり続け、同じことに日々新しい要素を加えていくのは、並大抵のことではありません。
それに比べて、「好奇心旺盛」などと言い、新しそうなことに目移りしながら、色々と新しいことを試す行為の、なんと簡単なことか。
平凡な繰り返しの中に新鮮さを見抜いて付け加える努力に比べれば、表面の新しさに憧れて対象を変えることなど、本当に簡単です。
行動力という力を、「ただ動く力」や「取り掛かる力」と勘違いしている人は多いものですが、行動力とは本来、「達成する力」です。
何があってもやり抜くのが行動であって、投げ出すのは中途半端な、出来損ないの行動です。そのような中断、挫折、放棄は、「自分は何のために何をどうやろうとしているのか」を見失った結果でしょう。
つまり、想像や計画が介在せず、確固たる初心も持たずに曖昧な気持ちで取られた行動です。それでできあがった自分など、「試作品」か「失敗作」に過ぎないのです。
就活や仕事を迎えて、失敗ばかり繰り返す自分を知り、「自分が許せない!」などと支離滅裂なことを言う人もいますが、別に本人が許すかどうかによらず、周囲もそういう人のことは許さず、認めてもいないもの。
考えずに動き回る人は、こうして、ことが終わった後に、自分の居場所を見失って不安や焦りに取り付かれていきます。
つまり、「私のやったことは、行動じゃなくて、肉体の移動でした」と体で言っているようなものです。
思考や想像、計画は、外見上は体が動いているようには見えないものの、こう考えれば、行動に先立つ重要な行動だということが分かります。
肉体が忙しそうに動いているか、あるいは距離的にちょこまか移動しているかだけを見て「行動」と言うのは、唯物的な見方に過ぎず、本当の行動は準備と反省を含めて観察すべきです。
だから、僕は、価値ある未来を見据えて勉学に励む学生さんたちを心から尊敬し、週末の時間をともに過ごしたいと、こうして4年間も休まず学生と一緒に学んでいます。
命令されて、あるいは給料という具体的報酬をもらって行動するのは簡単です。強制でしか動けない人の行為は「行動」とは呼べません。自発的な学習や創意工夫が伴わない行為も、行動とは呼べません。
たとえそれが、経済的に月数十万円の価値を生み出しているとしても、それをもって「仕事は勉強よりレベルが高い」などと言うのは当たりません。
僕はむしろ、「昼はバタバタ働いて、帰ったら寝るだけ」の社会人よりも、金をもらわなくても、結果が保証されていなくても、未来の成功を信じて地道な努力を続ける学生さんとの時間を優先したいです。
勉強の方が仕事より価値が低いなんて、誰が決めたんでしょう。
それは、勉強したことがない人たちです。
一人の時に、誰からも命令・強制されず、ただ自分の目標に従い、自分の意志の力で自分を運ぶことの、なんと大変なことか。
ましてや、成果の確認や結果の獲得には長時間を要する勉強において、そのような長期の忍耐と集中を続けることの、なんと難しいことか。
社会人12年目という僕の拙い経験から考えても、勉強は仕事より大変であると思ったことも多々あります。仕事のきつさは、それはそれで存在しますが、仕事のきつさと勉強のきつさを比べるのはそもそも間違いで、両者は相互に影響しあい、高めあい、時には引き下げあうものです。
そして、自分は成長できない、今のままでいいと思っている人は、仕事が終わると勉強しないものです。つまり、勉強の価値や意義を認めていないのです。
だから、その人は結局、何年学校に行ったかは別として、本当の勉強など全くやったことがないのです。卒業証書は持っていますが、それは「ちゃんと学費を払いました」程度の証明書でしかなく、人間的成長を意味するものではありません。
そういう人に限って、社会に出ると「仕事が一番尊い」とか「勉強しているうちは楽だ」と言うから、困ったものです。
本気でやれば、勉強だって仕事だって芸術だってスポーツだって、どれもそれなりの困難と失敗に満ちたものです。
それを、どれが一番などと比べ、自分がやっていることが一番きつくて尊いのだと言うことは、結局は物事の本質を理解しない言動でしょう。
本当の行動なら、自己の不足に対する謙虚さと他人に対する思いやりや尊敬を導くものだし、ましてや、若い人を見れば可能性を尊重して、色々と役に立ちたいと思うはずです。
学生の皆さん、相手がいくらスーツを着て名刺を持っているからといって、それだけで「学ぶべき社会人だ」と思う必要はありませんよ。
社会人になった途端に成長が止まってしまう大人も大勢いるのです。とりわけ、仕事は勉強より価値があるなどと優越感に浸る社会人の話などは、無視して構いません。
社会の雑音に紛らわされることなく、学ぶ者の誇りを大切にして、今は準備と勉強に徹底的に打ち込みましょう。そして、その学びが本物であったかどうかを、実社会の行動で確かめればいいのです。
「理屈は通用しない」とか「学校の勉強は通用しない」と言う人もいますが、それは理屈や勉強が通用しないのではなく、その人が通用しないだけの話です。
学生の皆さんは、いついかなる時も通用し、現実打開と目標達成に貢献する不変の原理原則を学んでほしいものだと思います。
そして、どういう行動からも自分の課題と成長を発見し、喜びを見出せる有為の人材になりましょう。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
ただ今、教育・学校部門170位、就職・アルバイト部門91位です。
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