◆今日の一言
No.447(07/6/14)

『思索なき行動は肉体の移動に過ぎない』





昨日ジュンク堂に行ったら、1階入口の「新刊・話題書」コーナーに僕の本がドサッと10冊以上置いてあって、びっくりしました。

今でも古着&サンダルのままの僕が著者だとは、もちろんそこにいた誰も思わなかったでしょうが、我ながら妙な感覚でした。

そのうち、「あ!この人、ベローチェで見たことある」とか、「ブックオフで目撃した」などと言われるようになるんでしょうか…。



さて、お忙しい中、「就活アンケート」を送って下さった皆様、本当にありがとうございます。色々と参考になることも多く、3年生の方々は喜ぶのではないでしょうか。

まだお送りでない方も、「忙しい」、「面倒くさい」という言葉を飲み込んで、ぜひ5分だけ協力して下さいね。

良い情報の循環を作り出し、これから後輩たちが就活にさらなる意欲を持つよう、ぜひぜひよろしくお願いします。



さて、今日の話題は「思考と行動」。

なぜかわが国では、勉強よりも労働の方が価値があるものと見なされ、思考や計画よりも行動・実践の方が優れたものだと見なされています。

「メーデー」や「勤労感謝の日」という、外国人から見れば「日本はやっぱり社会主義国だ」と実感させるような日はあっても、「社長の日」や「勉強の日」はありません。



僕が総理大臣なら、学問の偉人や教育の偉人を顕彰し、その姿と歩みを称える祝日を作り、勤労感謝の日を日本古来の伝統の祝日に戻したいところです。

わが日本では、「働く人の権利は憲法で守られている」と言いながら、職業教育や経営、会計教育は驚くほど軽視されています。ほんと、教育ごっこや労働ごっこもいい加減にしろ、と思います。

権利がどうのこうのと言う前に、働きたいと思うような教育、働くことを尊重する教育、働く人を尊敬できる教育を優先すべきではないかと思うのに、労働三権のような「合法的恐喝術」を教えてよしとするのは、どうなんでしょう。

不当労働条件の改善はよいとして、もう少し経営や会計、経済について、
人間性への尊敬と興味が生まれるような職業教育をすべきではないでしょうか。



そもそも、思考と行動、勉強と労働は前後関係や補完関係で考えるべき要素であって、どっちが上か、どっちがレベルが高いかと考えること自体、両者の本質を理解していないのではないか、と感じることがあります。

学生に出会って、「いいね、君たちは。まだ働かなくていいんだから」と言う社会人もいます。

「勉強だけでいいうちは楽だよ」と言う大人もいます。

「とにかく動かなきゃ。動けば分かる」と言う人も大勢います。



別に全てが間違いではありません。世の中には、大学に入った途端に勉強しなくなる、学生証を持ったフリーターも大勢いるし、そういう学生を見て、「仕事はきついよ」と一言口をはさみたくなるのも分かります。

しかし、学ぶ人である学生に対して「勉強だけなら楽だよ」などと言うのは、本来、きわめて失礼なことです。

のみならず、そういうことを言う人は、自分も本当の勉強をしたことがない不幸な人といわねばなりません。



その人のやっている行為が経済的価値を生み出しているか否かは、二次的な要素です。



準備もまた、実践と同様に価値があるし、学生生活という準備期間を偉大な熱意で過ごしている人は、怠慢な社会人より立派です。

それに、実践は本来、想像の確認的要素が強いものです。自分はどこが足りず、今後何をどう学べば良いか、それを知るための行動だけが、「経験」になるのです。そのためには、動く前に何をするかが大事です。



思索も計画もなく、「やってみなきゃ分からない」などという流行語に身を任せて投機的行動に走る人は、やってみても何も分からないもの。信念と計画に裏付けられない行動には、大して価値はありません。

終わってから健全な反省と積極的な学習を生まないような行動にも、大して価値はありません。ある行為が行動であったかどうかは、むしろ、始める前と終わった後にこそ分かるものです。

何かあるとすぐに酒を飲み、宴会を開いて慰めあうサラリーマンも多いですが、僕はこういう人たちは、一体何をやったから飲んでいるのか、本当に理解に苦しみます。



藤田田さんは「貧乏人とバカは酒を食え」と、彼一流の毒舌ですぐに酒を飲むサラリーマンに喝を入れていますが、本当にそうだと思います。

そういう「ニセ社会人」が学生の邪魔をするのは、本当にかわいそうです。「仕事」をやっているわけじゃないニセ社会人に、偉そうな口を聞かれちゃ、学生さんもたまったものじゃないでしょう。

せっかく未来への希望に燃え、毎日の勉強や仕事の研究を頑張っているのに、「仕事の話はいいから、とにかく飲もう」などと言われては、時間泥棒もいいところです。



ただ行動するためだけに行動するのは、見かけは動いていても、成長や発展を生むことはないため、ただの「肉体の移動」に過ぎません。

本当の行動とは、営業塾でもお話したように、「コマ」のようなものだと僕は考えています。

つまり…「現実は高速回転しながらも、中心はぴったりと静止している」。

こういう静と動の一致は、思索と行動にも当てはまるものでしょう。本当に行動している人は、案外見かけは動いていないものです。なぜなら、真の行動とは忍耐と継続によってしか完成されないからです。

忍耐と継続のみが目標達成を導き、それは、自分が何をやっているか、自分はどこにいるかを、精神の雑音を消して見つめる集中力から生まれます。



じっとしていることは、とてつもない行動だと僕は思っています。

何があっても動じず、命令も強制もされずに一つのことをやり続け、同じことに日々新しい要素を加えていくのは、並大抵のことではありません。

それに比べて、「好奇心旺盛」などと言い、新しそうなことに目移りしながら、色々と新しいことを試す行為の、なんと簡単なことか。

平凡な繰り返しの中に新鮮さを見抜いて付け加える努力に比べれば、表面の新しさに憧れて対象を変えることなど、本当に簡単です。



行動力という力を、「ただ動く力」や「取り掛かる力」と勘違いしている人は多いものですが、行動力とは本来、「達成する力」です。

何があってもやり抜くのが行動であって、投げ出すのは中途半端な、出来損ないの行動です。そのような中断、挫折、放棄は、「自分は何のために何をどうやろうとしているのか」を見失った結果でしょう。

つまり、想像や計画が介在せず、確固たる初心も持たずに曖昧な気持ちで取られた行動です。それでできあがった自分など、「試作品」か「失敗作」に過ぎないのです。



就活や仕事を迎えて、失敗ばかり繰り返す自分を知り、「自分が許せない!」などと支離滅裂なことを言う人もいますが、別に本人が許すかどうかによらず、周囲もそういう人のことは許さず、認めてもいないもの。

考えずに動き回る人は、こうして、ことが終わった後に、自分の居場所を見失って不安や焦りに取り付かれていきます。

つまり、「私のやったことは、行動じゃなくて、肉体の移動でした」と体で言っているようなものです。



思考や想像、計画は、外見上は体が動いているようには見えないものの、こう考えれば、行動に先立つ重要な行動だということが分かります。

肉体が忙しそうに動いているか、あるいは距離的にちょこまか移動しているかだけを見て「行動」と言うのは、唯物的な見方に過ぎず、本当の行動は準備と反省を含めて観察すべきです。

だから、僕は、価値ある未来を見据えて勉学に励む学生さんたちを心から尊敬し、週末の時間をともに過ごしたいと、こうして4年間も休まず学生と一緒に学んでいます。



命令されて、あるいは給料という具体的報酬をもらって行動するのは簡単です。強制でしか動けない人の行為は「行動」とは呼べません。自発的な学習や創意工夫が伴わない行為も、行動とは呼べません。

たとえそれが、経済的に月数十万円の価値を生み出しているとしても、それをもって「仕事は勉強よりレベルが高い」などと言うのは当たりません。

僕はむしろ、「昼はバタバタ働いて、帰ったら寝るだけ」の社会人よりも、金をもらわなくても、結果が保証されていなくても、未来の成功を信じて地道な努力を続ける学生さんとの時間を優先したいです。



勉強の方が仕事より価値が低いなんて、誰が決めたんでしょう。

それは、勉強したことがない人たちです。



一人の時に、誰からも命令・強制されず、ただ自分の目標に従い、自分の意志の力で自分を運ぶことの、なんと大変なことか。

ましてや、成果の確認や結果の獲得には長時間を要する勉強において、そのような長期の忍耐と集中を続けることの、なんと難しいことか。

社会人12年目という僕の拙い経験から考えても、勉強は仕事より大変であると思ったことも多々あります。仕事のきつさは、それはそれで存在しますが、仕事のきつさと勉強のきつさを比べるのはそもそも間違いで、両者は相互に影響しあい、高めあい、時には引き下げあうものです。



そして、自分は成長できない、今のままでいいと思っている人は、仕事が終わると勉強しないものです。つまり、勉強の価値や意義を認めていないのです。

だから、その人は結局、何年学校に行ったかは別として、本当の勉強など全くやったことがないのです。卒業証書は持っていますが、それは「ちゃんと学費を払いました」程度の証明書でしかなく、人間的成長を意味するものではありません。

そういう人に限って、社会に出ると「仕事が一番尊い」とか「勉強しているうちは楽だ」と言うから、困ったものです。



本気でやれば、勉強だって仕事だって芸術だってスポーツだって、どれもそれなりの困難と失敗に満ちたものです。

それを、どれが一番などと比べ、自分がやっていることが一番きつくて尊いのだと言うことは、結局は物事の本質を理解しない言動でしょう。

本当の行動なら、自己の不足に対する謙虚さと他人に対する思いやりや尊敬を導くものだし、ましてや、若い人を見れば可能性を尊重して、色々と役に立ちたいと思うはずです。



学生の皆さん、相手がいくらスーツを着て名刺を持っているからといって、それだけで「学ぶべき社会人だ」と思う必要はありませんよ。

社会人になった途端に成長が止まってしまう大人も大勢いるのです。とりわけ、仕事は勉強より価値があるなどと優越感に浸る社会人の話などは、無視して構いません。

社会の雑音に紛らわされることなく、学ぶ者の誇りを大切にして、今は準備と勉強に徹底的に打ち込みましょう。そして、その学びが本物であったかどうかを、実社会の行動で確かめればいいのです。



「理屈は通用しない」とか「学校の勉強は通用しない」と言う人もいますが、それは理屈や勉強が通用しないのではなく、その人が通用しないだけの話です。

学生の皆さんは、いついかなる時も通用し、現実打開と目標達成に貢献する不変の原理原則を学んでほしいものだと思います。

そして、どういう行動からも自分の課題と成長を発見し、喜びを見出せる有為の人材になりましょう。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門170位、就職・アルバイト部門91位です。

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No.445(07/6/11)

『不可能を可能にするのは、発明と練習である』(小泉信三)





毎年、連休明けはFUNの見学者が多くなる時期ですが、今年は毎週の見学者の数が並じゃありません…。

先週はついに「立ち見」どころか「床に座ったまま参加」の人も現れ、初めて来た人には、ちょっと異様な光景でした。

連休前後の「FUNコンサートツアー」、5月からの公開講座、mixi、口コミ、forFUN、「業界ゼミ」の書籍化などなど、FUNを知るきっかけも増えたためなのでしょうが、それにしてもすごい入部ラッシュです。

土曜は佐賀新聞から取材があり、この様子は今週金曜日の「福岡特集」に掲載されるそうですから、佐賀にお住まいの方は、ぜひご覧下さいね。



さて、FUNもここまで知名度が上がって規模が拡大すると、必然的に体系的な活動が求められるようになりますが、そういう中で理想の教育環境を考えるたび、お手本としたい教育者がいます。

本メルマガではたびたびご紹介してきた小泉信三さんです。

小泉信三さんといえば、戦前、戦後の混乱期に慶應義塾大学の塾長を務め、皇太子殿下の教育係も担当し、マルクス経済学の理論的批判や福沢諭吉の研究で日本の学問史にその名を残す偉大な学者・教育者です。



小泉博士は福沢諭吉の門下生だった父を幼い頃に亡くし、7歳まで福沢諭吉に育てられ、慶応大学で福田徳三教授に経済学を学んで、卒業後はドイツ、イギリスに留学し、帰国後はおびただしい著作を執筆します。

周囲から大きな期待を受けた息子・信吉を戦争で亡くした悲しみの記録は「海軍主計大尉・小泉信吉」に書かれており、ご自身も東京大空襲で顔面と上半身に重度のヤケドを負ってしまいました。

学問とスポーツを両立させる慶応大学の気風を作り上げた学者の、威風堂々たる品格は、ヤケド後も失われることはなく、小泉博士は一層精力的に戦後日本の再建に力を入れ、社会主義批判の代表作を次々に発刊していきます。

家族を次々に亡くす悲しみは続き、博士は最愛のお孫さんも、2歳で失ってしまいます。この悲しみから、死の直前、カトリックに改宗した過程は、遺作である「国家の死亡」(フェイス出版)に収められています。



小泉博士の代表作であり、戦後の慶応大学経済学部の伝統に少なからず寄与した「共産主義批判の常識」、「私とマルクシズム」、「マルクス死後五十年」、「平生の心がけ」などは、既にFUN Business CafeやFUN近現代
史勉強会でも扱いました。

福田恒存さんにしろ、小林秀雄さんにしろ、江藤淳さんにしろ、下村湖人さんにしろ、内村鑑三さんにしろ、FUNでは主に戦前から活躍した作家や学者、戦後にもその伝統を受け継いだ学者の著作を主に紹介してきました。

それは、文章や知識はもちろん、生き方が立派な人の作品を読むことが、学生時代のかけがえのない財産になるからです。



「説得力」とは、戦後は知識やレトリック、あるいは外国語の引用やディベート技術で作れるものだと錯覚されがちですが、これは誤った皮相な見解でしょう。

説得力とは、反論を許さない人格的なすごみのことです。それは理屈や知識ではなく、言行一致の生き方から生まれるもの。

FUNで選ぶ本の作者は、みな、そのような生き方を言葉に変えてきた人たちです。



「君たちは、それでいいのか」。

こんな単純な言葉でも、それを発する人が全身から発する気迫や品格を備えていれば、それを聞いた若者は、自然と生活態度や将来像を根底から見直し、自分の怠慢を恥じ、人が変わったような努力を始めるでしょう。

反対に、こう言う大人に気迫や品格が備わっていなければ、若者はただちに矛盾を見抜き、「あんたに言われたくねぇ」と反発します。



僕の学生時代は、学生が寝ていても怒らず、「学生は寝るものだ」と決め付けて無気力な授業を繰り返す教授も多々いました。要するに、なめられているのです。

予習の段階から生徒の意欲を自発的に集中させ、「あの先生の授業は一言も聞き逃したくない。体全体で受け止めたい」と思わせるような気迫を感じさせる教師は、今、大学にどれくらいいるでしょうか。

若者の心の底から、「私は、私が今、私であることがたまらなく幸せだ」と思わせられる教師が、どれくらいいるでしょうか。若者は知識や単位以上に、そういう本気になれる場を求めているわけだから、それに答えられない大人は、若者に道を語る資格はないと言えます。



だから、戦前に活躍した大学者や大作家の作品に触れる早朝読書会や、人生を傾けた大作を残した学者の著作を読む歴史勉強会に、イマドキの学生が進んで参加するのでしょう。

そういうFUNの教育環境の中でも、特に先ほど挙げた学者や作家は人気があるものだし、小泉信三さんの作品も毎回人気があります。

中でも、特に『平生の心がけ』(講談社学術文庫)は人気があるものでした。



最近入部した西南法4のN君は、小泉博士の作品をブックオフで探したそうですが、ブックオフの利用者には小泉作品を読むような人は少ないため、大名の入江書店や六本松の葦書房、大橋の大橋文庫あたりで探すのをおすすめします。

「平生の心がけ」は、新刊でも売っていますから、ジュンク堂や丸善で探してもよいでしょう。

(ちなみに、ジュンク堂3階の57番棚、「企業読物・業界研究」のコーナーには、僕の本も置いてありますよ。女子大のIさん、ありがとうございます)



「平生の心がけ」の前半には、「練習」というエッセイがあります。この項と「信なき者は去る」の項を去年のBusiness Cafeで扱い、いずれもさわやかな感動を得たことを覚えている人も多
いでしょう。

人類は歴史が始まって以来、多くの不可能を可能にしてきたが、そのいずれもが「発明」と「練習」によってなされたものである、というエッセイです。

世に存在しないものを想像し、実現させる発明と、発明したものを手に入れ、モノにするために行う練習こそは、人類の最も偉大な行為であることが分かる名エッセイです。



この項は短いエッセイですが、それでも、読めば、成功者とは非凡な才能を持つ人ではなく、非凡な努力を続けた人のことだということがよく分かるでしょう。

成功者とは、普通の人が成功だと思うことですら、まだ成功だと思わず、次々に当たり前のレベルを上げ続ける人だと分かるでしょう。

世の多くの人は成功の反対語を「失敗」だと勘違いしていますが、成功の本当の反対語は「中断」だということもよく分かるでしょう。

本作は博士の専門とは違う分野で書かれた若者向けの人生論で、コーヒーブレークを利用して綴られたような軽快なエッセイでもありますが、日本人のダンディズムと品格が行間に表れており、読んでいてさわやかな気持ちになります。



学生の皆さんは、今、卒業や入社に向けて、どのような発明を行っているでしょうか。



また、その発明を現実のものとするために、どのような練習を行っているでしょうか。





きつくなってからが、練習です。

苦しくなってからが、就活です。

伸び悩んでからが、仕事です。



挫折や悩みとは、今の自分と未来の自分が起こす摩擦に過ぎず、そこに成長のポイントがあるので、中断したり撤退してはもったいないもの。

一歩高みを目指すうえで、「平生の心がけ」は良い指針になるでしょう。学生時代にぜひ読んでおきたい一冊です。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門166位、就職・アルバイト部門97位です。

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No.445(07/6/11)

『不可能を可能にするのは、発明と練習である』(小泉信三)





毎年、連休明けはFUNの見学者が多くなる時期ですが、今年は毎週の見学者の数が並じゃありません…。

先週はついに「立ち見」どころか「床に座ったまま参加」の人も現れ、初めて来た人には、ちょっと異様な光景でした。

連休前後の「FUNコンサートツアー」、5月からの公開講座、mixi、口コミ、forFUN、「業界ゼミ」の書籍化などなど、FUNを知るきっかけも増えたためなのでしょうが、それにしてもすごい入部ラッシュです。

土曜は佐賀新聞から取材があり、この様子は今週金曜日の「福岡特集」に掲載されるそうですから、佐賀にお住まいの方は、ぜひご覧下さいね。



さて、FUNもここまで知名度が上がって規模が拡大すると、必然的に体系的な活動が求められるようになりますが、そういう中で理想の教育環境を考えるたび、お手本としたい教育者がいます。

本メルマガではたびたびご紹介してきた小泉信三さんです。

小泉信三さんといえば、戦前、戦後の混乱期に慶應義塾大学の塾長を務め、皇太子殿下の教育係も担当し、マルクス経済学の理論的批判や福沢諭吉の研究で日本の学問史にその名を残す偉大な学者・教育者です。



小泉博士は福沢諭吉の門下生だった父を幼い頃に亡くし、7歳まで福沢諭吉に育てられ、慶応大学で福田徳三教授に経済学を学んで、卒業後はドイツ、イギリスに留学し、帰国後はおびただしい著作を執筆します。

周囲から大きな期待を受けた息子・信吉を戦争で亡くした悲しみの記録は「海軍主計大尉・小泉信吉」に書かれており、ご自身も東京大空襲で顔面と上半身に重度のヤケドを負ってしまいました。

学問とスポーツを両立させる慶応大学の気風を作り上げた学者の、威風堂々たる品格は、ヤケド後も失われることはなく、小泉博士は一層精力的に戦後日本の再建に力を入れ、社会主義批判の代表作を次々に発刊していきます。

家族を次々に亡くす悲しみは続き、博士は最愛のお孫さんも、2歳で失ってしまいます。この悲しみから、死の直前、カトリックに改宗した過程は、遺作である「国家の死亡」(フェイス出版)に収められています。



小泉博士の代表作であり、戦後の慶応大学経済学部の伝統に少なからず寄与した「共産主義批判の常識」、「私とマルクシズム」、「マルクス死後五十年」、「平生の心がけ」などは、既にFUN Business CafeやFUN近現代
史勉強会でも扱いました。

福田恒存さんにしろ、小林秀雄さんにしろ、江藤淳さんにしろ、下村湖人さんにしろ、内村鑑三さんにしろ、FUNでは主に戦前から活躍した作家や学者、戦後にもその伝統を受け継いだ学者の著作を主に紹介してきました。

それは、文章や知識はもちろん、生き方が立派な人の作品を読むことが、学生時代のかけがえのない財産になるからです。



「説得力」とは、戦後は知識やレトリック、あるいは外国語の引用やディベート技術で作れるものだと錯覚されがちですが、これは誤った皮相な見解でしょう。

説得力とは、反論を許さない人格的なすごみのことです。それは理屈や知識ではなく、言行一致の生き方から生まれるもの。

FUNで選ぶ本の作者は、みな、そのような生き方を言葉に変えてきた人たちです。



「君たちは、それでいいのか」。

こんな単純な言葉でも、それを発する人が全身から発する気迫や品格を備えていれば、それを聞いた若者は、自然と生活態度や将来像を根底から見直し、自分の怠慢を恥じ、人が変わったような努力を始めるでしょう。

反対に、こう言う大人に気迫や品格が備わっていなければ、若者はただちに矛盾を見抜き、「あんたに言われたくねぇ」と反発します。



僕の学生時代は、学生が寝ていても怒らず、「学生は寝るものだ」と決め付けて無気力な授業を繰り返す教授も多々いました。要するに、なめられているのです。

予習の段階から生徒の意欲を自発的に集中させ、「あの先生の授業は一言も聞き逃したくない。体全体で受け止めたい」と思わせるような気迫を感じさせる教師は、今、大学にどれくらいいるでしょうか。

若者の心の底から、「私は、私が今、私であることがたまらなく幸せだ」と思わせられる教師が、どれくらいいるでしょうか。若者は知識や単位以上に、そういう本気になれる場を求めているわけだから、それに答えられない大人は、若者に道を語る資格はないと言えます。



だから、戦前に活躍した大学者や大作家の作品に触れる早朝読書会や、人生を傾けた大作を残した学者の著作を読む歴史勉強会に、イマドキの学生が進んで参加するのでしょう。

そういうFUNの教育環境の中でも、特に先ほど挙げた学者や作家は人気があるものだし、小泉信三さんの作品も毎回人気があります。

中でも、特に『平生の心がけ』(講談社学術文庫)は人気があるものでした。



最近入部した西南法4のN君は、小泉博士の作品をブックオフで探したそうですが、ブックオフの利用者には小泉作品を読むような人は少ないため、大名の入江書店や六本松の葦書房、大橋の大橋文庫あたりで探すのをおすすめします。

「平生の心がけ」は、新刊でも売っていますから、ジュンク堂や丸善で探してもよいでしょう。

(ちなみに、ジュンク堂3階の57番棚、「企業読物・業界研究」のコーナーには、僕の本も置いてありますよ。女子大のIさん、ありがとうございます)



「平生の心がけ」の前半には、「練習」というエッセイがあります。この項と「信なき者は去る」の項を去年のBusiness Cafeで扱い、いずれもさわやかな感動を得たことを覚えている人も多
いでしょう。

人類は歴史が始まって以来、多くの不可能を可能にしてきたが、そのいずれもが「発明」と「練習」によってなされたものである、というエッセイです。

世に存在しないものを想像し、実現させる発明と、発明したものを手に入れ、モノにするために行う練習こそは、人類の最も偉大な行為であることが分かる名エッセイです。



この項は短いエッセイですが、それでも、読めば、成功者とは非凡な才能を持つ人ではなく、非凡な努力を続けた人のことだということがよく分かるでしょう。

成功者とは、普通の人が成功だと思うことですら、まだ成功だと思わず、次々に当たり前のレベルを上げ続ける人だと分かるでしょう。

世の多くの人は成功の反対語を「失敗」だと勘違いしていますが、成功の本当の反対語は「中断」だということもよく分かるでしょう。

本作は博士の専門とは違う分野で書かれた若者向けの人生論で、コーヒーブレークを利用して綴られたような軽快なエッセイでもありますが、日本人のダンディズムと品格が行間に表れており、読んでいてさわやかな気持ちになります。



学生の皆さんは、今、卒業や入社に向けて、どのような発明を行っているでしょうか。



また、その発明を現実のものとするために、どのような練習を行っているでしょうか。





きつくなってからが、練習です。

苦しくなってからが、就活です。

伸び悩んでからが、仕事です。



挫折や悩みとは、今の自分と未来の自分が起こす摩擦に過ぎず、そこに成長のポイントがあるので、中断したり撤退してはもったいないもの。

一歩高みを目指すうえで、「平生の心がけ」は良い指針になるでしょう。学生時代にぜひ読んでおきたい一冊です。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門166位、就職・アルバイト部門97位です。

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