■「内定への一言」バックナンバー編


「ばい菌が病気の原因なのではない。

ばい菌の繁殖を許す体こそ、病気なのだ」

(石橋湛山)




西南学院大のM君、第一志望のベンチャーキャピタルへの内定、本当におめでとうございます。


面接塾で教えた考え方で臨むと、九州の私立大学の、文学部の学生も、東大や慶応の学生を相手に、互角以上に張り合えるんですね。



面接塾は、学生だけを対象として作ったカリキュラムじゃなく、百戦錬磨の起業家たちへの営業を通じて練り上げたノウハウなので、面接で通用するのは、当たり前と言えば当たり前ですが。



さらに、M君の勢いで野球やアルバイトを語れば、それは、誰も落とせないでしょう。 九州初、大学初、学部初、県で1人…。



この時期になると、毎年FUNで何らかの「初」を聞きますが、人事担当者も、採用した学生が入社後にやめるのが怖くて、なんだかんだ言いながら、結局は自分たちこそ「マニュアル面接」ばかりやっているものです。



ずっと営業をやってきて、そういう人たちの心の内は、本当に分かりやすいものでした。



「やっぱ、大学名か学部だよ」。…期待通りじゃなくて、申し訳ないです。



相手にとって「初めての人」になればいいんだから、面接って、本当に簡単ですね。




さて、昨日は4年生の方3人と、「ミニ・ブックオフツアー」に行ってきました。久留米大のMさんが、「日経を読めるようになりたい」という目標を立てたので、一緒に参考図書を探しに行こう、ということになり、福岡で1番か2番目の大きい博多駅前のお店へ。



…あるある!みんなで何冊買ったでしょうか。「ケチ本ケチ彦」さんの本までありました。GWの第2回ツアーまでに、きちんと本棚の在庫を頭の中に引越させておきましょう。



その夜、知的向上心旺盛なMさんからさらに質問があり、「日経って、どう読んだらいいんですか?」と聞かれました。本の探し方とか、本の決め方とか色々聞かれますが、今日はその前に、経済紙・誌の読み方について、書いてみます。



僕は海外勤務から帰国し、5年ほど前まで、経済誌の記者をやっていました。学生さんは「記者」といったら「新聞記者」しかないと思い込んでいるようですが、世の中には様々な記者がいるのです。



雑誌、広告代理店、プログラマー、システムエンジニア、番組制作者、ディレクター、ファッションデザイナー、不動産、建設、リース…皆さんが聞けば「取材」とは関係なさそうな分野の仕事でも、「相手の話をしっかり聞き、得た情報を編集して、相手が望む商品の形にまで落とし込む」という取材活動が必要です。



その中で、日本経済新聞にも、もちろん記者がいます。僕は経済雑誌でしたが、経済やビジネスを話題とする媒体の記者には、そもそも何が求められるんでしょうか。



まず、日経は創業時に「中外商業新報」という名称で創刊された新聞です。読んで分かるように、「国内、海外の商業に関する新着情報」を収集・掲載することが目的です。



「商業」とは今でいう経済、ビジネスのことで、要するに、日本でも発展してきた資本主義と株式市場で欠かせない「投資」について、その判断材料となりうる情報を優先的に掲載する新聞、だということです。



明治時代に、「情報」などという、無形で見えない資源の価値を認め、それを自費で購入するだけの余裕と先見性を持った人と言えば、それはもちろん、富裕者層しかいないでしょう。



ロイター通信にしても、創業者のポール・ユリウス・ロイターが最初にやっていた仕事は、ロンドンで自社の「設備」である伝書鳩に最新の株価を書いた紙をくくりつけ、お客様である投資家の元に飛ばす仕事でした。



新大陸のビジネスチャンスの報道権をめぐって、AFP通信のシャルル・アバスや、ドイツのカール・ヴォルフとあれほど争ったのも、「第一級の投資判断材料は、我が社が手に入れる!」という気迫のゆえんです。



のち、アメリカではいくつかの零細通信社が統合されて「Associated Press」という、現在ではイギリスのロイターと双璧を成す、世界最強の通信社、AP通信の前身が立ち上がりました。



その二者に遅れること40年、わが国でも投資判断材料の提供を目的として立ち上がったのが、中外商業新報でした。創設に際し、安田銀行の創業者である安田善次郎は、「これからは情報の時代だ」と言って、現在でいう10億円ほどを寄付しています。



では、「投資判断材料としての情報」とは、一体、どのようなものでしょうか。



それは第一に、自社が株式を保有している会社の「財産状況の変動」に関係するであろうニュースです。

第二に、自分の会社や投資先の「収益機会の増減」につながるニュースです。

第三に、「新ビジネスの誕生」につながるニュースです。



だから、日経を読むには、基本的な簿記の知識が必要です。これについては、今後のFUNゼミでもしっかり教えていきますから、楽しみにしておいて下さいね。



今でも日経には、トリノ五輪で荒川選手が優勝しても、WBCで日本代表が優勝しても、一面トップには「キヤノン、5年連続最高益更新」とか、「シャープ、三重県に第八世代のパネル工場建設」といったニュースが並びます。



荒川選手が優勝したら、彼女と同じ化粧品を買いたい女性が増えて、その会社の株価は少し上がるかもしれません。



しかし、キヤノンの最高益更新は、それとは比較にならない金額です。また、世界のトップ企業が勝利を目指して鎬を削る半導体や先端テレビの分野では、一日で業界地図が変わる発明がなされたりします。



一般に、お金持ちはテレビを見ません。情報とも付き合いません。どちらかというと、テレビを操って、情報源と付き合います。



経済紙とは、そういう新聞です。一般の人には、なじみがないのです。ロイターやAP、ブルームバーグなども、独自の投資情報提供サービスをやっています。



日本にも「不動産住宅情報新聞」という、超マイナーな新聞があり、主に不動産投資の情報を掲載していますが、そこが年に一度まとめて届ける「物件取得者情報」は、総数100ページくらいなのに、その値段は45万円。



一方、住む人を対象とした週刊賃貸やアパマンショップは、1冊150円。同じ「紙」でも、そこに詰め込まれた付加価値次第では、数万倍の差が付くこともあります。それは一に、読者の要望と会社の情報力、記者の手腕にかかっています。



さて、日経が創刊されたのと同じくらいの時期に、もう一つの「経済誌」が創刊されました。「紙」は新聞で、「誌」は雑誌です。



その経済誌とは、今では会社四季報で有名な「東洋経済新報社」です。「東洋経済」という雑誌がよく知られていますよね。ここは、日経が「フロー(流動的な情報)」を扱うのに対し、「ストック(固定的な情報)」を扱うのが特徴。



つまり、「シャープが工場建設」というニュースがフローだとすれば、「シャープ社長に聞く、今後の半導体ビジネス」というのがストックです。



つまり、ストックとは「判断の仕方」や「分析方法」としての情報、言うなれば知識や知恵としての情報のことです。



フローが「事実」なら、ストックは「意見」と呼んでもよいでしょう。これについては、作文塾で既に教えましたね。両者を巧みに使い分ければ、学生のエントリーシートも、立派な客観性を備え、かつオリジナルの個性が溢れる文章となることを。



東洋経済の名物記者として優れた論説を多数発表し、のち編集長にまで出世し、その後は内閣総理大臣にまでなった石橋湛山は、「ばい菌が病気の原因なのではない。ばい菌の繁殖を許す体こそ、病気なのだ」と言い、国民の良識と知恵を喚起するため、「大いに勉強せよ」と呼びかけました。



「石橋湛山評論集(岩波文庫)」には、彼の先見性や分析力を示す、今でもとても役立つ経済評論が、コンパクトな形で、多数収録されています。



最近はこの本をカバンに入れて持ち歩き、マネー塾⑦のレジュメの下書き作りに生かしています。明治~昭和を代表する名記者の視点を、どうぞお楽しみに。



…というのが、経済情報を入手する上での基礎情報です。ということで、今夜は「情報の属性」について書きます。お楽しみに。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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■「内定への一言」バックナンバー編


「姿ハ似セ難ク、意ハ似セ易シ」(本居宣長)




ここ3年間、僕がもっぱら、3~4月の夜にやっていることと言えば、「エントリーシートの校正」。だいたい、毎日2~3社分のエントリーシートが携帯メールで送信され、少し添削して返信するという、「夜間データセンター」の仕事です。



同じ学生さんでも、昼に書いた文章と夜に書いた文章では、言葉の響きや配列が異なるのが面白く、「これは、一人でかなり悩んだな」と思ったりもしてしまいます。



僕は以前記者だったし、子供の頃から文章を書くのは好きで、小学校の読書感想文でも「原稿用紙が足りません!」と言っていたため、書くことは一切、苦痛に感じません。


しかし、記者になって発見した、書く以上に楽しい作業こそ、「校正」でした。



校正とは、例えば僕が以前やっていた「企業取材」であれば、社長さんや担当者の方の思いや情報を、より忠実に意図や印象が再現されるよう、適切な言葉に置き換えて、理想の言葉の組み合わせを求める「言葉の格闘」です。



経済誌の記者は、熱いハートに裏付けられた「主観」と、発刊日の反響を冷静に予測して、熟読・保存・伝達される記事を作るための「客観」とのギリギリのバランスに挑戦できる仕事で、僕は早朝まで校正をするのが、とても好きでした。



記者になる前の22歳までに英語、韓国語、マレー語、インドネシア語を習得していたため、翻訳にも自信があったのですが、実はこの「日本語をより適切な日本語に翻訳する作業」である校正の方が、何倍も難しく、自分の国語力の限界を試されると知りました。



でも、文頭から文末までを何十回も読み返して、その会社しか持ち得ない個性を表現しながら、記事を貫く一貫性を大切にしつつ、一つ一つ、苦心して繰り出した愛すべき語句たちを配列し、完成の時を迎えると…。


「よしっ!」と会心の笑みがこぼれます。


それを会社に持っていくと、大抵の場合、社長さんから「君、よく僕が言いたいことを、ここまで再現してくれたね」と褒めていただき、中には「会社案内」のパンフレットを僕の文章に変えるため、数十万円をかけて印刷し直してくれた会社もありました。古き良き思い出です。




それが、まさか5年後に、学生さんのサークルでエントリーシートの校正を行うという形で再度関わるとは、不思議な縁です。



そして、その80%は女子大生であるため、僕は「添削=メイク」のような印象を持っています。いつも届いた文章を読んで、「もっと美人になれるのに」と感じるからです。



その学生さんの人柄、相手に与える印象、口癖、過去の仕草、印象に残っている姿、物事への取り組み方、好きだと言っていた本や言葉…そんなものを思い出しながら、一つ一つの言葉の裏にある気持ちを汲み取り、「多分、ここはうまく思いつかずに、疲れて流したんだろうな」とか、「前半に比べて明らかに語彙の質が低下しているから、企業研究に自信がないんだろう」などと予想しながら、その人らしい語句と入れ替えていきます。



中には「この学生さんは、本を読み始めても、最後まで読んだ経験は少ないだろうな」とか、「これは、会社説明会でメモしたことを、そのまま書き写しただけだろうな」と感じる文章もあります。



そして大抵、その予測は当たります。そこから学生さんの悩みや要望を聞けば、課題と解決策が瞬時に想像でき、昔の記者時代に戻ったような気持ちで、その学生さんになりきったつもりで、校正を行っていくわけです。



過去、630社を取材して記事を書き、校正に打ち込む夜を過ごした時、一度や二度は、「面倒くさいな」と思ったことがあります。



でも、習慣とは不思議なもので、続ければ続けるほど、物事はどんどん簡単になり、また、「最初に思い付いた語句が、後から考えてもベストだった」という、「想像と最適解の一致率」が高まっていきました。



そんな、僕にとっては一人で最高の成果を求めて集中できる「至福のひととき」である校正が好きになったのは、学生時代に出会った、ある言葉がきっかけでした。



それは、以前のメルマガで紹介した「考えるヒント」(小林秀雄・文春文庫)所収の「言葉」という名エッセイの冒頭を飾る、本居宣長の有名な言葉です。



それは…「姿ハ似セ難ク、意ハ似セ易シ」という一言。


氏は、以下のように書いています。


~本居宣長に、「姿ハ似セ難ク、意ハ似セ易シ」という言葉がある。ここで姿というのは、言葉の姿のことで、言葉は真似しがたいが意味は真似しやすいというのである。普通の意見とは逆のようで、普通なら、口真似はやさしいが、心は知り難いというところだろう。~



不思議な一節です。


普通なら、例えば、芸能人の髪型を真似している人を見たら、「外見は真似できるけど、中身はマネできない」と言い、歌手と同じファッションをしている人がいたら、「ファッションは同じでも、気持ちはマネできない」と言いそうなものです。



しかし、おそらく日本史上、最も深い部分で「言葉」を極めた学者である本居宣長は、「姿は真似しにくいが、意味は似せやすい」と言っているのです。重ねて、不思議な一節です。



その意味するところは、以下の通り。


例えば、優れた作家と一般人の感じ方には、それほど差がありません。一般的に「悲しい」と感じることを体験すれば悲しむし、「嬉しい」とされる体験をすれば喜びます。



ポップスの7~8割は「恋愛の歌」ですが、恋人との別れは、作家も一般人も辛いもの。だから、体験が同様なら、「意味はよく似通う」ということです。



しかし、その気持ちを託す「言葉(姿)」は、全く違います。



では、その違いはどこで生まれるのか?それは、悲しみや嬉しさ、辛さを「どう言葉に託していくか」というプロセスです。



「感動」という素材をどういう言葉で規定し、表現していくか、ここに詩人や作家と凡人の違いが表れる、と宣長は言っているわけです。



つまり、「同じような悲しみや喜びを味わっていたとしても、ひとたび言葉にしようと思えば、姿は全く違うものになる。



それっぽい気持ちになっているからといって、分かったようなふりをしてはいけない」という意味でもあります。このような要約を敷衍して、小林さんが「言葉は恐ろしい。そして、恐ろしいと知るには熟考を要する」と書いているのは、いつ読んでも「名言だなぁ」と感じます。



小林さんはこの後、万葉集や古事記を例に、宣長の思想を解説しているのですが、興味がある方は、ぜひ読んでみてはどうでしょうか。



就職活動では、熱い社長さんの話を聞いて感動し、その気持ちを何かの言葉に結晶化させ、自分の内にとどめたい、と思うこともよくあるでしょう。



しかし…言葉の訓練を積んだことがなければ、出てくる言葉は「すごい」とか、「いい」でしかありません。学生時代に色々な経験をしていて、そのこだわりや違いを説明したくても…「楽しかった」としか言えません。おかしい、確かに自分は、感動したのに…。



これが、「姿ハ似セ難ク」という意味です。



「まずは、そうとしか言いようがないほど感動した」という点では問題ありませんが、同じ話を聞いていた「言葉が豊富な人」の評価を聞けば、「そうそう、そういう感じ!」と共感できても、自分では何ら、適切な語彙が思い付かないことに愕然とします。



「気持ち」は似ていても、出てくる言葉は、似ない。意味的には近くても、その語彙には、幼児と博士ほどの開きがあります。



まさに、「意ハ似セ易シ」。だから、すぐに単純な言葉に置き換えて、分かったつもりにならないことが重要だ、というのがエッセイの趣旨です。



校正とは、人の文章を直すだけの作業ではありません。自分の中に眠る言葉と出会い、己を忘れて、人のために言葉を捧げる地道な奉仕でもあります。



そして、人のために無心に頑張っている時にこそ、最も理想的な「自分らしさ」が表現されているのではないでしょうか。



だから、自分の作業でばかり忙しくならずに、時には友達のエントリーシートや面接に付き合って、自分の心に浮かぶ「言葉」と向かい合ってみてはどうでしょうか。きっと、自分の方が「なるほど!」と思うような感動に出会えますよ。



今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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■「内定への一言」バックナンバー編


「人生が終わることよりも、人生がまだ始まらないことを恐れよ」(ゲーテ)



昨日は赤坂ベローチェで、営業、財務、会計の勉強会を行い、参加した皆さんの志望する仕事が、バランスシート上でどう負債を減らし、資産を築くのか、図表を用いて学びました。



参加した全員が「商学部以外」ということで、基礎から説明したのですが、あれでもう、社長さんとも発想のチャンネルが合いますから、安心して面接に臨んで下さいね。


さて、例年この時期になると、「FUNに入部したい」との問い合わせが多く来るようですが、来週月曜の西南FUNゼミには、早速6人の見学者が来るとか…。



テーマはちょうど、僕が昔、アリコジャパンの営業研修会で話した内容の「学生向けバージョン」なので、ちょうどいいですね。



55分で終わるあの話を聞いた人は、みんな「仕事とお金の本質」が分かるようになりました。見学にいらっしゃる方は、どうぞお楽しみに。



読者の皆さんも、ぜひ残りの大学生活を、FUNで熱中してみませんか?たぶん、2日くらいで大学生活が変わりますよ。結果は、当日出会う友達に聞いてみて下さいね。


「4年生から入部するサークル」があることを、多くの学生さんが不思議に感じています。



しかし、夢の前には誰もが初心者。FUNはその初心が、初心以上に育ち、卒業の日に心から笑顔で自分の成長を実感できるよう、みんなで応援しあう場です。学年など、関係ありません。


この時期に来られる方は、特に学年が上になるほど、毎年、「学生生活が終わるのがさみしい。まだ社会人になりたくない。できれば、ずっと学生でいたい」と言います。



僕はそれを聞いて、「そっか…じゃあ、この学生の大学生活は、失敗しているんだろな」と感じます。



「社会で力を試したい!」と思えず、ただ「今が楽しい」というだけの大学生活に、一体何の価値があるのでしょう。


「楽しいから、続けたい」を正確に翻訳すれば、「別に心から楽しいわけじゃないけど、働くのは嫌」といったところでしょう。



つまり、その学生さんの大学生活は、「終わりかけている」のではなく、「まだ、始まってさえいない」ということです。始まりさえしないことは、終わるよりも、ずっと恐ろしいことではないでしょうか?

本メルマガでもよく紹介するゲーテは、「人生が終わることよりも、人生がまだ始まらないことを恐れよ」という言葉を残しています。



これを大学生活に置き換えれば、当然、「大学生活が終わることよりも、大学生活がまだ始まらないことを恐れよ」となります。



就活なら、「就活が終わることよりも、就活がまだ始まらないことを恐れよ」です。


始まるとは、「決断に同意し、起こる全ての結果を受け止め、成長の糧としながら前進する」ということです。



始まらないとは、「優柔不断なままクヨクヨし、やっては中断し、中断しては路線変更し、何も達成できないまま、時間を浪費する」ということです。



何事も、始めなければ、終わることはありません。しかし、始めなくて終わる手段が、たった一つあります。それは、「始めさえしないこと」。理由は、「最初から終わっているから」です。


多くの大学生が、「これでいいのか、私の大学生活は…」と悩んでいるのを、この時期はよく感じます。そう悩んでいるということは、「それでいいわけがない」ということですね。悔しいでしょう。



そして、悔しい分、大きな成長ができるものです。日曜の補習と、月曜のFUNゼミが、一発逆転のきっかけになるよう、僕も全力で頑張ります。


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ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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