■「内定への一言」バックナンバー編


『もうだめだという時、自分を超える自分が出てくるんだな』(酒井雄哉)




最近は「夏休み」ということで、学生さんの多くは旅行や帰省でリフレッシュしているようです。


「この年の頃、自分は何をしてたっけ…?」と振り返ってみると、海外勤務を終えてシンガポール、タイ、フィリピン、韓国を8ヶ月間周遊して帰国し、母国・日本に並々ならぬ愛情と関心を持ち始めていました。



パスポートを見ると、大学4年生の年の頃には、既に海外を30回旅行しています。それからしばらく、ぱったりと途絶えたのは、日本国内をグルグル回り始めたからでした。



学生時代、はまっていたのは「講演旅行」でした。もちろん、僕が講演をするわけじゃなく、好きな作家や著名な論客の講演会があると、わざわざ遠方まで行って講演を聞くのです。



今でもそうですが、僕は当時、歴史教育に疑問を感じていたので、静岡で深田祐介さんの話を聞き、長崎で渡部昇一さん、倉敷で西尾幹二さんと中西輝政さん、東京で岡崎久彦さん、岐阜で塚本幸一さんの話を聞きました。いずれも素晴らしい講演ばかりで、遠方まで行った価値があるというものでした。



ちなみに、講演旅行はFUNを作った安田君も大好きで、よく全国あちこちに行ったようです。安田君のすごいのは、全国の学生が集まる弁論大会で、東大や慶応、早稲田の学生を押しのけて、堂々の「優秀賞」を獲得していることです。



フランス政府から勲章を受章した竹本忠雄・筑波大教授や、鴎外やドイツ文学の研究では第一人者の小堀圭一郎・東大教授など、そうそうたる審査員が見守る中、九州の学生が堂々たる成績を収めたのです。



また、さらにすごいのは、台湾を学生仲間と訪問し、当時の李登輝総統とのミニ会見も成し遂げていること。こんなスケールの学生は、今では見かけませんね。



さて、僕が行った講演はいずれも素晴らしく、テーマも違うために甲乙付けがたい内容でしたが、その中でも、「これだけは別格」という講演を聞いたことがあります。



記者を退職して1年間の起業準備で車を買い、三重県まで聞きに行った「最高の講演」とは、あるお坊さんのお話です。



24歳の時に見たNHKのドキュメンタリーで大変感動し、「こんな方が現代の日本におられるのか!」と、名古屋行きを即決しました。



皆さんは日本史で「伝教大師(最澄)」について習ったことでしょう。比叡山に延暦寺を創設し、厳しい修行とたゆみない研究で、日本の仏教文化に多大な影響を与えた偉人です。



最澄は青年の頃、「教えを体得するまでは下山せず」と誓い、自らが課した荒行に励みました。その修行の内容たるや、アメリカ陸軍・レンジャー部隊の訓練がかすむほどの厳しさだったそうです。



839年、最澄の遺志を継いで第三代座主に就いた慈覚大師・円仁は、遣唐使として唐に渡り、五台山(山西省)で五つの峰を回る修行に励みました。



悟りを開き、慈しみを深めた円仁は、帰国後、弟子の相応和尚に修行の極意を伝授し、この相応が最澄と円仁の経験を踏まえ、比叡山独自の荒行を創始しました。これが、7年間をかけて「不動明王」と一体化するための修行「千日回峰」の始まりです。



千日回峰の行を決意した者は、未開の「蓮の葉」で作った笠をかぶり、死者の姿を表す「白装束」にぞうり姿となります。ちなみに、修行するには、12年間比叡山にこもった僧であることが前提です。



そして、腰には「死出紐」と「宝剣」が。千日回峰を決意した者は、満行(まんぎょう。達成すること)まで、中断することは許されません。



「紐」と「剣」は、「修行に挫折すれば、自ら首を吊るか、ノドをかき切って死ぬ覚悟」を示す決意の装備。それほどの荒行なのです。



最初の3年間は、1年のうち100日だけの修行が許され、1日のうちにアップダウンの激しい真夜中の山道を、約30Km歩きながら、255ヶ所の霊場を順に礼拝して回ります。



仏像一つ一つの由来や性格も異なるため、拝み方もきちんと決められているそうです。 その後、ペースに慣れてからの2年目は1年に200日、同じ修行を行ない、5年間で700日を数えるまで、延々と深夜の山道を礼拝し続けます。



この700日の苦行に耐えた者のみが、ようやく9日間の「断食、断水、不眠、不臥の行」に入ることを許されています。この「堂入り」を通過しないことには、次の修行には進めません。



ここで修行僧は、「火あぶり地獄」とも呼ばれる「十万枚大護摩供」の行に入り、不動明王と一体になるために、護摩を焚きながら、10万回の「不動真言」を唱えなければなりません。



常人は、水を断つと4日も持たないそうです。飲食を断つばかりか、睡眠や安座も許されない「堂入り」は、以下のような過酷な修行です。



2日目になると唇が裂け、4日目になると手に死体のような「紫斑」が出る。5日目に、初めてうがいが許される。しかし、これはたんによる窒息を防ぐため。



水分の欠乏で体は動かず、水への執念から、水を受け取った瞬間にガタガタと手が震え出す。6、7日目になると手が冷たくなっていき、幻想が見えてくる。お堂の中にいるはずのに、なぜか外にいる「自分の姿」が見えてくる。8、9日目になると、全てを超越したような気分になって、「どうなってもいい」という境地に達する…。



「堂入り」は比叡山の「不動堂」で行われますが、生きて出堂できるかは分からないので、儀式に入る前に親族や僧侶が集まり、「生き葬式」を行ってから開始されます。



無念ながら、志半ばに命を落とす修行僧を出してきた、この「堂入り」に耐えると、27日間の休息が許されます。これは、「人間の傷や過ちは、その3倍の時間をかけないと修復できない」という決まりから、その期間とされているそうです。



堂入り、その後の休息を経て、「一度は死んだ人間」となった僧の修行は、6年目に突入します。年間100日というペースは変わりませんが、1日に歩く距離は60Kmと倍増、巡拝箇所は266ヶ所に増えます。



7年目は、前半の100日間が1日84Km、300ヶ所の巡拝に。睡眠2時間で、夜中12時から歩き始めないと、1日のうちに終われないそうです。



最後の100日間は、最初のように「1日30Km」に戻り、これで合計「千日」の修行となるわけです。歩行距離は実に4万キロ。地球1周に相当する深夜の山道を、ぞうりを履いた足で7年間、ひたすら進むのです。



概要を説明するために、修行内容や期間、決まりごとだけを淡々と並べましたが、想像するほどに、筆舌に尽くしがたい荒行の様子が伝わってきます。



織田信長から目を付けられたほどの強固な結束力には、このような修行が果たした役割も大きいでしょう。



最新の強大な武力を誇った信長に焼き討ちをされても、比叡山は耐え抜いて再興しています。修行内容を知るにつけ、武士とは比較にならない厳しさだと誰もが分かります。



この千日回峰を満行できた僧は、比叡山の1,300年の歴史の中で、47人しかいないそうです。これは「27年に一人」ということで、1世紀のうちに3、4人しかいないという計算です。



この荒行に耐えた僧は「阿闍梨(あじゃり)」と呼ばれ、「生き仏」となって、衆生救済の使命に生きる高徳の僧として尊敬を集めました。命を落とした僧や、あまりの荒行に遠慮した僧の数は、その何倍にも及びます。



明治時代、回峰行の半ばで命を落としたある僧は、「私を最後に、もうこんな無茶な修行はやめてほしい」と遺言を残し、文明開化の風潮もあったことから、千日回峰は「封印」されてしまいました。



最澄の時代から残る、伝説の修行。生き仏となって崇められる阿闍梨。それはもう、歴史の中にしか残っていないのかと思っていたら…。



なんと!昭和になって、史上最高齢の「54歳」でありながらこの苦行に自ら志願し、しかも、こともあろうに「2回」も千日回峰を成し遂げた「大阿闍梨」と呼ばれる方がおられるそうではありませんか…。



長くなりましたが、冒頭で触れたNHKのドキュメンタリーでは、日本仏教始まって以来3人、つまり「400年に1人」しかいないという「大阿闍梨」の酒井雄哉(ゆうさい)師の人生と修行の様子を追った番組でした。

http://www.tendai.jp/shugyou/index.html
(修行の様子は天台宗のホームページで少しだけ見られます)



当時の僕は、記者の退職を考え始め、中退以来夢見てきた「独立起業」を視野に入れ、具体的な準備に着手し始めた頃でした。



仕事を通じて、名もなき多くの名社長に叱られ、諭され、導かれ、「短い人生、自分のやりたいことを精一杯やって死にたい」というような、スケールが小さく卑屈な目標で生きるのは、絶対に嫌

だと思い始めていた時期でした。



「自分の命は、困っている人や助けが必要な人たちのために使ってこそ、初めて価値があるのではなかろうか。やりたいことをやるだけなんて、なんと退屈で無価値な人生だろうか」と、事業内容を模索していた頃でした。



そこで見たのが、酒井師の番組。その内容のすごさに、僕は数日、何も考えられませんでした。


気になって色々調べ物をしていると、なんと、三重県で講演会があるという情報を入手しました。「行かずにおれるか!」と即、三重行きを決意し、大阪で一泊して西名阪道を走り抜け、勢い余って名古屋まで行った後、三重の会場にたどり着きました。



大阿闍梨・酒井雄哉師は、当時70歳を過ぎた頃でした。若い頃に戦争に行き、大切な友達がどんどん命を落とす中、酒井師は生き残ります。終戦を迎えた九州の地で、若き酒井師は悲嘆に暮れました。



戦後も友達に対する申し訳なさが心の中から消えず、「立派な友達が死に、自分のような人間が生き残るなんて、本当に許されるのだろうか」と思いながら、生活のためにラーメン店を開業しま

した。



しかし、そのお店も放火で焼失し、莫大な借金を背負ってしまいます。酒井師は虚無感と迷いから、職を転々とします。そこで、自分を認めてくれる女性と出会い、生きる気力を取り戻しました。



でも、仕事は思うように行かず、新婚早々、堕落した生活に舞い戻ってしまいます。事件は起こりました。信じた夫が堕落した姿を見かね、「人生が終わった」と観念した奥さんが、結婚1ヶ月で自殺してしまったのです。



酒井師は嘆き悲しみ、申し訳なさと悔恨のあまり、34歳を過ぎてから出家しました。その行き先が、比叡山だったのです。



戦後の仏教界といえば、宗教法人法という新しい法律で認められた「宗教法人」としての寺院のみが格式を保証され、山にこもって修行に励むのは、その大半が仏教系の大学を出た若い僧でした。



酒井師は、縁もゆかりもない場所、地位から、修行僧たちの親のような年齢になって出家し、入山したわけです。



そして、地道な修行生活を12年間行った後、自ら志願して「千日回峰」の行に入り、自分が迷惑をかけた人、自分を支えてくれた人、これからの人生で尽くす人々の姿を思いながら、54歳の時に荒行を成し遂げ、「阿闍梨」となりました。



この修行で煩悩は去り、執着は消えましたが、酒井師にはまだ、戦友や妻への申し訳なさを償い切れない思いがありました。



そのため、なんと「自分はまだまだ阿闍梨と呼ばれるような人間ではない」と、さらに高齢となった身であるにもかかわらず、再度の「千日回峰」を志願したのです。そして見事、成し遂げました。



なんという優しさ、精神力でしょうか。僕はこの事実を知った時、現代に最澄が甦ったような気がしました。



三重県のある会場で行われた講演会には、70~80代の方々ばかりが集まっていました。20代は、僕と友人だけでした。あまりの人の多さに、お姿はよく見えなかったのですが、表情と声は信じられないほど優しいものでした。



そして、その内容は、おそろしく当たり前のことばかりでした。



あれから7年を経た今、僕が記憶している酒井師の言葉は、


「頼んでやらせてもらっているからには、苦しいのではなく、有り難いのです」
「もうだめだという時、自分を超える自分が出てくるんだな」


といった言葉くらいです。それでも、このようなお方から、直々の声でそういう言葉を聞けたのは、青年時代の貴重な財産となりました。



それからの起業や資金繰り、営業は、未熟な僕には苦難の連続でした。



しかし、大阿闍梨の悟りの万分の一でも得たいと思い、信じた道をコツコツ進む勇気を頂きました。



今でも、毎日仏壇に父を拝み、お盆とお彼岸くらいにしかお寺に行かない不信心者の僕ではありますが、自分を超えた者のために生きる気持ちだけは忘れたくないと、仕事という修行に励む日々です。



学生の皆さんも、バイトにサークル、ゼミ、旅行、レポート、就活など、色々な修行を組み合わせながら、毎日を過ごしていることでしょう。



そして、その中の一つとして、「自分が同意しなかったこと」はないはずです。



つまり、全ては「有り難い出来事」です。そう思うと、不思議と力が湧いてくるものです。



僕は、宗教のことはよく分かりません。ただ、イスラム教の国で働いた経験があり、思想・文化関係の本を少しばかり読んだ程度です。なので、仏教についてメルマガで語ったりはしません。



もし、今日の話を詳しく知りたいなら、「生き仏になった落ちこぼれ」(長尾三郎/講談社文庫)を読んでみて下さい。



子供の頃、祖母がよく「観音様のご慈悲を忘れたら駄目だよ」と言ってくれました。生前、父は「なぜ観音様と言うか、知っとるか」と僕に聞きました。



そんなの、分かるわけない…。すると父は、「音は聴くものだが、観音とは音を観る(みる)と書くだろ。観音様は音が見えるんだ」と教えてくれました。



例えば、母親が乳児の泣き声を聞いて、そこに「愛情が欲しいんだ」、「さみしいんだ」、「おなかが空いているんだ」と思うのが、「観音様のご慈悲」だと、小学生の頃に教わりました。



言葉にならない声を、どうして判断できるのか。それは、そこに「愛情」や「慈しみ」があるからです。



だから、普通の泣き声であっても、心を見て愛情を働かせることができるわけです。そして、これをなくせば、わが子に「うるさい!」と言う、鬼のような親になり果てるのです。「音を観る」の境地が、人間と鬼畜を分けるということです。



僕ももう30歳。父と死別して17年になります。この先、結婚や育児もあるでしょうが、今では仕事も軌道に乗り、生活に何の不満、不都合もありません。



しかし、それだけでは不十分な人生です。観音様の一億分の一の愛情でも発揮できるようにと、言葉にならない若者の声に潜む心を察し、「その奥にある夢や理想にわずかでもアプローチできれば」との願いで、毎週のサークル活動に奉仕するのみです。



この話を思い出したのは、この春に卒業して以来、数々の挫折を乗り越えて、まるで千日回峰のように営業を続ける隈本さん(西南・社会福祉卒)の姿に感心したからです。皆様、いつもお読み下さり、ありがとうございます。夏はご先祖様に感謝を深め、謙虚で元気に生きるきっかけを育てていきましょう。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

参考になった方は応援クリックお願い致します(^^)/


人気ブログランキング

■「内定への一言」バックナンバー編


「現代の若者は、仕事ではなく役割を求めている」

(マーシャル・マクルーハン)




今月で『Yahoo!BB』に変更して1年。速いし、安いし、コンテンツは充実してるし、株価検索もしやすくて、重宝してます。W杯の動画も見られるし。



「ダイヤルアップ」でさえ、登場した頃はビックリしたのに、今では使う気もしません。技術革新のスピードを体感できる時代に生まれて、本当に幸せです。



それにしても、携帯電話がない頃って、どうやって待ち合わせをしたり、連絡を処理していたのか、なかなか思い出せません。よく家で電話を待ってたものだと、我ながら感心します…。



そうそう、Yahoo!BBと言えば、今、福岡女子大3年の築地(ついじ)さんが、アルバイトで拡販に力を入れています。そんなバイトをやってるなら、早く言ってくれれば、僕も契約したのに…(始めたのは最近だそうです)



築地さんは、夏のフィンランド留学に向け、勉学とともにサークル活動やアルバイトも熱心に頑張っていて、来年はFUNのリーダーになりそうな学生さんです。築地さんの夢を応援して、ついでに「年間の通信費を1万円ほど節約したい」という方は、ぜひお願いしてみてはどうでしょうか。



さて、最近は「営業塾」の準備を終え、夏以降のFUNゼミで行う「ビジネス塾」のため、特に広告業界・流通業界の名著を読み漁っているのですが、孫正義さんの先見性は本当にすごいなあと感じます。



さらに、17歳だった孫さんに「これからはコンピュータだ。君はコンピュータ事業をやりなさい」とアドバイスした藤田田(デンと発音して下さい)さんも偉大です。



でも、コンピュータなど存在しない時代に、「グローバル・ウェブ」という概念で将来の電信ネットワークを想像し、そこで起こる人間の変化を予測した人物がいたとしたら…?



世界は広いです。第二次世界大戦が終わって間もない時代に、電波メディアが社会にもたらす影響と、その後の展望を見通した学者が、カナダにいます。トロント大学の故マーシャル・マクルーハン教授です。



著書『マクルーハン理論』(サイマル出版会)は、既に本メルマガでも半年ほど前に紹介しましたが、トリッキーな言動が分かりにくくて、メディア論については説明しませんでした。



彼はテレビを「クール・メディア」と位置付けています。本やラジオが、文字情報や音声のみを経由して情報を伝える(つまり、主体的に感情移入する必要がある=ホット)のに対し、テレビは音声・映像・活字の全てをもって心や頭脳に働きかけるから、という分類方法です。



彼は「情報を取る」ではなく、「情報につかる」という言葉を用いて、情報の海に、まるで風呂にでも入るように浸る人間の姿を予測し、電波メディアが政治や広告を変える根拠を、詳しく説明しています。



双方向性を持つであろう将来のコンピュータ・ネットワーク(彼の言う「グローバル・ウェブ)を使えば、将来はアメリカの大学の授業を、外国の学生がいつでもどこでも受講できるようになる、とも述べています。



「ウェブ(web)」とは、ハードロックが好きな人なら、その単語の意味を知っているかもしれません。本来は「クモの巣」という意味です。マクルーハンが、まだ存在しない電子ネットワークのイメージを「ウェブ」と呼んだことから、アラン・ケイが通信可能なコンピュータの着想を得たそうですから、マクルーハンこそはインターネットの祖と呼べるかもしれませんね。



今をときめくビル・ゲイツや、iPODを生み出したスティーブ・ジョブズも、少年時代にアラン・ケイの作ったパソコンで夢を描いていますが、それはケイの、ひいてはマクルーハンの説明が分かりやすかったからでしょう。



着想や潜在的な想念を、適切でシンプルな言葉に置き換えるスキルこそ、学者が最も本領を発揮すべき分野です。



マクルーハンの本は文章は難解ですが、結論に用いている用語はいつも簡単なのに驚きます。きっと、常人には及ばないような思考力や集中力があったんでしょうね。



さて、マクルーハンは「メディア・イズ・メッセージ」と主張し、メディアの存在自体が一つのメッセージだと、繰り返し強調しています。



中でも、テレビで育った若者は感覚的・直感的な気質を持つようになり、論理的判断よりは感情的な好き嫌いを基準にして、物事を選ぶようになるだろうと述べています。



彼はこのようなテレビの性質を抽出して、「タクタイル・メディア(触覚メディア)」と呼んでいます。テレビはまさに、視聴者の体や心をほぐすように思考や想像にフィットし、従来のメディア以上の影響をもたらす、と言うのです。



そんな彼が「変化の一例」として挙げているのが、若者の職業選択のあり方が変わる、という予測です。


活字時代は、論理的整合性や因果関係が情報判断を支えるために、「働くこと」に対して、「大人だから」、「それが義務だから」、「生活の糧を得るためだから」…働かないといけない、と考える。



つまり、人生の中で「労働」のために割り当てられた時間に、社会の中であらかじめ作られて、誰かに割り当てられるのを待っている「仕事」を当てはめる。これが「job」だと言っています。



それに対して、電波時代は映像や声を通じ、想像を許さない「事実」を見聞きすることによって、感覚的に情報を浴び、論理的判断よりは、直感的イメージが職業選択に影響を及ぼす。



その結果、活字では考慮しなかった「カッコよさ」や「やりがい」、「イメージ」といった要素を同時に考えるようになるので、若者は無意識のうちに「人にどう受け止められるか」を基準に組み込みむようになる。



よって、電波時代の職業選択は、「生活設計」というよりは「社会参加」という視点が重視され、自分が共同体や仲間内で果たしうる「役割」の方が、時として収入や名誉より優先されることがある…。これが「role」だと言っています。



要するに「会社の中で何かの作業をして報酬を得る」という外見は同じでも、当人がよって立つ「職業観」は、全く異なっているのです。



差は、job(受身の作業)とrole(自主的な貢献)が持つ「どこかに最初からある仕事」と「自分がじゃないとできない仕事」の違いです。



「電波時代の若者は、カッコよさや精神性、流行性を基準に、仕事に物語的なドラマを求めるだろう」というのが、50年前に彼が予測した結論でした。



小さい頃からテレビが大嫌いで、もう6年も家にテレビがなく、超・活字人間の僕には、この主張は大変参考になりました。



フリーター向け再就職支援で、「意義・義務・論理性」を重視して、時々若者の反発を買っていたのですが、「役割と物語」という視点を加味し、常に相手を介在させた「問題解決」というアプローチで仕事を説明すると、どんな若者も目を輝かせました。



そんな経験の後、3年前に学生サークルのお手伝いを引き受けることになって、そこで直面した学生の職業観は、と驚きを隠せないものでした。想像に相手はおらず、「活動」と自称するもそれらはほとんど「手続」の意味で、仕事は作業であり、それに至る就活も作業。



要は、「使っている言葉」と「行こうとしている未来」が、乖離を起こしていたわけです。



ということで、FUN発足以来、仕事は「問題解決」で、相手の悩みを解消し、幸せをアシストすることだ、皆さんがやろうとしているのは「job」ではなく「role」でしょ、と就活対策でもお話してきました。


将来の自分の仕事にロマンやストーリー性を見出すと、今の学生さんは本当に強いです。感受性が強くて、泣く人も多いのには驚きました。



「最近の若者」は、まだまだ全然、捨てたものじゃありません。



それにしても、通りかかった就○課には、揃いも揃って「job hunting」と書かれたパンフレットやポスターがあったのには、さらに驚きました。皆さんがやろうとしている「就活」は、jobとroleの、どちらを手に入れる活動ですか?


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

参考になった方は応援クリックお願い致します(^^)/


人気ブログランキング

■「内定への一言」バックナンバー編


「正しき理想は、現実の直視から生まれる」(ゲーテ)




昨日の日本経済新聞の掲載で、また遠方から「面接塾」の受講希望メールが来ているそうです。


首都圏の3つの団体を差し置いて、FUNがトップで扱われていたためか、目立ったんでしょうね。


本メルマガの読者の中には、首都圏の大学の方もおられます。明治大、拓殖大、上智大、東京大、立教大、慶応大、筑波大、一橋大、山梨学院大、早稲田大、横浜国立大…。



一体、誰がどこで口コミをしたのか分かりませんが、時には僕のアドレスに直接申込が来たりして、我ながら奇妙なメルマガだと感じます。



3月に終了した「面接塾」で、最も遠方から参加していた学生さんは、鹿児島大学の方でした。長崎からも開催依頼が来たり、宮崎や大分からはテキストの注文が来たりと、部員の皆さんの熱心な活動で、FUNも随分有名になったものです。



さて最近は、趣味の「翻訳」に久しぶりに取り掛かり、「目指せ!K-POP翻訳200曲!」というテーマで、歌詞カードをカバンに入れて持ち歩き、空き時間に喫茶店で、テキストの下書きを作っています。



その中で、「イサングヮ ヒョンシルサイエ ウリサランド…(理想と現実の間に僕たちの愛も…)」という一節が。最速「DJ-DOC」で耳を鍛えたため、今ではほとんどのK-POPは、聞くだけで大抵の意味が分かるようになりましたが、こういう簡単な言い回しは、翻訳する間もなく、瞬時に「ん?」と反応してしまい…。



「理想と現実の間?日本のポップスみたいやね」と思ってしまいました。

「そう言えば、学生もよく、こういうことを口にするなぁ…」。



ミスチルとかバンプ、レミオ何とか…などは、テレビがもう6年も家になく、昔からテレビを見ない僕には、その言葉が歌手なのか曲名なのかも分かりません。今度、大月さんにCD貸してもらおうっと。



この10年韓国の歌を聴き続けてきて、最近はコンビニやブックオフで流れている日本のポップスのように、歌詞が意味不明になってきたと感じます。



誰の歌かは、分かりませんが。マレーシア、シンガポール、タイ、インドネシア、フィリピン、中国、ユーゴスラビア、インド、スリランカ…などの歌が、我が家にはたくさんあります。



意味が分かるものだけ考えてみても、「経済発展の度合いに従って、歌って芸術から娯楽に変わるのかな」とか思ってしまいます。



和歌や文学が好きな僕には、奇妙で汚い日本語の歌は、とても聴くに堪えません。僕はまだ30歳になったばかりですが、「テレサ・テンの日本語の方が、よっぽど綺麗だ」と感じます。おかしいんでしょうかねぇ。



それにしても、「理想と現実」。これって、違うものなんでしょうか。



大体、「理想と現実のギャップが…」とか口にする人は、話していて、自分でその言葉の意味が分かっているんでしょうか。この手の言い回しが頭の中に存在しない僕には、こういう言葉の組み合わせ自体が、新鮮で不思議です。



僕は昔から、納得いかない言葉や、意味が分からない言葉があったら、日本語でも、


「振込手数料=交通費・通信費・設備費・権利収入」
「預金者=債権者・お人好し」
「大学=建物付き4年物就職保険」
「不動産=可動産」
「広告代理店=集客代理店」



…のように分かりやすく翻訳するという、奇妙な癖を持っています。17の外国語をかじって身に付いた、準・職業病的な変な習慣かもしれません。だから、「理想と現実」とかいう、抽象的で矛盾した言葉の組み合わせを聞くと…



「そりゃ、終わりと始まり、って意味やろ」というふうに、またまた翻訳してしまうのです。



別に誰に話すわけでもありませんが、こういう日常的妄想は、大体僕と一緒によく散歩する人が、「コメント係」になって、いちいち聞かされるという被害を受けます。



今のところ、そういう話を一番長く、一方的に聞かされている人は、もう皆さんご存知、「日経でおなじみ」のFUNインストラクター、大月舞さんです。



つまり、「理想と現実なんて、終わりと始まりって意味じゃないか。終わりと始まりのギャップ…なんて、この歌手、何歌ってるんだ?何を伝えたいんだ?日本語しゃべれるのか?」と、首をかしげてしまうわけです。



終わりと始まりに差があるなんて、当たり前のことです。あるのは、正しくは「差」ではなく、「距離」に過ぎません。だから、その「ギャップ」が何だ、と言うのは、要するに「やる気がない」というだけのことです。



もっと言えば、「理想と現実のギャップに…」と言うのは、「天神と西新の距離に…」と言っているのと変わりません。



「渋谷から新宿の距離に…」でもいいでしょう。今いる場所が「天神」で、目指す場所が「西新」。これの何が、「ギャップ」なんでしょう?ただの「距離」に過ぎませんよね。



しかも、歩くか、自転車に乗るか、バイクに乗るか、バスか地下鉄に乗れば、必ず到着する距離です。それを「ギャップが…」とか言うのは、言語感覚か思考回路が、ちょっとおかしいのではないでしょうか。ポップスを聴きすぎて、言葉に対する感覚が鈍ったのかもしれません。



目標の達成なんて、簡単です。「今いる場所」と「目指す場所」を、はっきりと見定めればいいのです。そうすれば、「ギャップ(差、距離)」とは、あなたと夢を「隔てる」ものではなく、「つなぐ」ものだということが、簡単に理解できます。ギャップって、有り難いですね。



あとは、進むだけ。歩みを止めなければ、誰でも成功できてしまうんです。かのニクソン大統領も、「人間は負けたら終わりなのではなく、やめたら終わりだ」と言っていますが、そういうことです。



本メルマガで登場回数No.1のゲーテは、もっとはっきりと本質を言葉にしています。


「正しき理想は、現実の直視から生まれる」と。



ということは、現実を無視した理想と、理想を忘れた現実は、ともに「始まりか終わりの、どちらかが欠落した状態」だということです。



これなら、「つながらない=不安」となって当然ではないでしょうか。僕だって、今いる場所が分からずに「西新」を目指したり、ここが「天神」だと分かっていながら、「どこに行けばいいか分からない」という状態だったら、不安になります。



ゴールが分からないマラソンなんて、「FUNのマラソンマン」、九産大卒のM君ですら、疲れるかもしれません。現実から逃げず、現実をごまかさず、現実に怯えず、まずは両目で、はっきりと「現実」というものを見つめてみましょう。



そこにはきっと、「目標」への突破口が山ほどあるはずです。あるいは、一切の不安や条件を外して、理想をしっかりと見つめてみましょう。そこにも同じように、解決すべき現実、立ち向かうべき現実、改善すべき現実が、山ほど見えるはずです。



見えれば不思議と、不安がなくなります。



「理想と現実のギャップ」なんて言葉は、歌の中では哀愁を漂わせる歌詞として響いても、人生態度を決定する時には、ふさわしくありませんね。正しく「終わりと始まり」と翻訳し、その二つがつながった時、自信と希望が溢れてきます。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

参考になった方は応援クリックお願い致します(^^)/


人気ブログランキング