■「内定への一言」バックナンバー編
「現代の若者は、仕事ではなく役割を求めている」
(マーシャル・マクルーハン)
今月で『Yahoo!BB』に変更して1年。速いし、安いし、コンテンツは充実してるし、株価検索もしやすくて、重宝してます。W杯の動画も見られるし。
「ダイヤルアップ」でさえ、登場した頃はビックリしたのに、今では使う気もしません。技術革新のスピードを体感できる時代に生まれて、本当に幸せです。
それにしても、携帯電話がない頃って、どうやって待ち合わせをしたり、連絡を処理していたのか、なかなか思い出せません。よく家で電話を待ってたものだと、我ながら感心します…。
そうそう、Yahoo!BBと言えば、今、福岡女子大3年の築地(ついじ)さんが、アルバイトで拡販に力を入れています。そんなバイトをやってるなら、早く言ってくれれば、僕も契約したのに…(始めたのは最近だそうです)
築地さんは、夏のフィンランド留学に向け、勉学とともにサークル活動やアルバイトも熱心に頑張っていて、来年はFUNのリーダーになりそうな学生さんです。築地さんの夢を応援して、ついでに「年間の通信費を1万円ほど節約したい」という方は、ぜひお願いしてみてはどうでしょうか。
さて、最近は「営業塾」の準備を終え、夏以降のFUNゼミで行う「ビジネス塾」のため、特に広告業界・流通業界の名著を読み漁っているのですが、孫正義さんの先見性は本当にすごいなあと感じます。
さらに、17歳だった孫さんに「これからはコンピュータだ。君はコンピュータ事業をやりなさい」とアドバイスした藤田田(デンと発音して下さい)さんも偉大です。
でも、コンピュータなど存在しない時代に、「グローバル・ウェブ」という概念で将来の電信ネットワークを想像し、そこで起こる人間の変化を予測した人物がいたとしたら…?
世界は広いです。第二次世界大戦が終わって間もない時代に、電波メディアが社会にもたらす影響と、その後の展望を見通した学者が、カナダにいます。トロント大学の故マーシャル・マクルーハン教授です。
著書『マクルーハン理論』(サイマル出版会)は、既に本メルマガでも半年ほど前に紹介しましたが、トリッキーな言動が分かりにくくて、メディア論については説明しませんでした。
彼はテレビを「クール・メディア」と位置付けています。本やラジオが、文字情報や音声のみを経由して情報を伝える(つまり、主体的に感情移入する必要がある=ホット)のに対し、テレビは音声・映像・活字の全てをもって心や頭脳に働きかけるから、という分類方法です。
彼は「情報を取る」ではなく、「情報につかる」という言葉を用いて、情報の海に、まるで風呂にでも入るように浸る人間の姿を予測し、電波メディアが政治や広告を変える根拠を、詳しく説明しています。
双方向性を持つであろう将来のコンピュータ・ネットワーク(彼の言う「グローバル・ウェブ)を使えば、将来はアメリカの大学の授業を、外国の学生がいつでもどこでも受講できるようになる、とも述べています。
「ウェブ(web)」とは、ハードロックが好きな人なら、その単語の意味を知っているかもしれません。本来は「クモの巣」という意味です。マクルーハンが、まだ存在しない電子ネットワークのイメージを「ウェブ」と呼んだことから、アラン・ケイが通信可能なコンピュータの着想を得たそうですから、マクルーハンこそはインターネットの祖と呼べるかもしれませんね。
今をときめくビル・ゲイツや、iPODを生み出したスティーブ・ジョブズも、少年時代にアラン・ケイの作ったパソコンで夢を描いていますが、それはケイの、ひいてはマクルーハンの説明が分かりやすかったからでしょう。
着想や潜在的な想念を、適切でシンプルな言葉に置き換えるスキルこそ、学者が最も本領を発揮すべき分野です。
マクルーハンの本は文章は難解ですが、結論に用いている用語はいつも簡単なのに驚きます。きっと、常人には及ばないような思考力や集中力があったんでしょうね。
さて、マクルーハンは「メディア・イズ・メッセージ」と主張し、メディアの存在自体が一つのメッセージだと、繰り返し強調しています。
中でも、テレビで育った若者は感覚的・直感的な気質を持つようになり、論理的判断よりは感情的な好き嫌いを基準にして、物事を選ぶようになるだろうと述べています。
彼はこのようなテレビの性質を抽出して、「タクタイル・メディア(触覚メディア)」と呼んでいます。テレビはまさに、視聴者の体や心をほぐすように思考や想像にフィットし、従来のメディア以上の影響をもたらす、と言うのです。
そんな彼が「変化の一例」として挙げているのが、若者の職業選択のあり方が変わる、という予測です。
活字時代は、論理的整合性や因果関係が情報判断を支えるために、「働くこと」に対して、「大人だから」、「それが義務だから」、「生活の糧を得るためだから」…働かないといけない、と考える。
つまり、人生の中で「労働」のために割り当てられた時間に、社会の中であらかじめ作られて、誰かに割り当てられるのを待っている「仕事」を当てはめる。これが「job」だと言っています。
それに対して、電波時代は映像や声を通じ、想像を許さない「事実」を見聞きすることによって、感覚的に情報を浴び、論理的判断よりは、直感的イメージが職業選択に影響を及ぼす。
その結果、活字では考慮しなかった「カッコよさ」や「やりがい」、「イメージ」といった要素を同時に考えるようになるので、若者は無意識のうちに「人にどう受け止められるか」を基準に組み込みむようになる。
よって、電波時代の職業選択は、「生活設計」というよりは「社会参加」という視点が重視され、自分が共同体や仲間内で果たしうる「役割」の方が、時として収入や名誉より優先されることがある…。これが「role」だと言っています。
要するに「会社の中で何かの作業をして報酬を得る」という外見は同じでも、当人がよって立つ「職業観」は、全く異なっているのです。
差は、job(受身の作業)とrole(自主的な貢献)が持つ「どこかに最初からある仕事」と「自分がじゃないとできない仕事」の違いです。
「電波時代の若者は、カッコよさや精神性、流行性を基準に、仕事に物語的なドラマを求めるだろう」というのが、50年前に彼が予測した結論でした。
小さい頃からテレビが大嫌いで、もう6年も家にテレビがなく、超・活字人間の僕には、この主張は大変参考になりました。
フリーター向け再就職支援で、「意義・義務・論理性」を重視して、時々若者の反発を買っていたのですが、「役割と物語」という視点を加味し、常に相手を介在させた「問題解決」というアプローチで仕事を説明すると、どんな若者も目を輝かせました。
そんな経験の後、3年前に学生サークルのお手伝いを引き受けることになって、そこで直面した学生の職業観は、と驚きを隠せないものでした。想像に相手はおらず、「活動」と自称するもそれらはほとんど「手続」の意味で、仕事は作業であり、それに至る就活も作業。
要は、「使っている言葉」と「行こうとしている未来」が、乖離を起こしていたわけです。
ということで、FUN発足以来、仕事は「問題解決」で、相手の悩みを解消し、幸せをアシストすることだ、皆さんがやろうとしているのは「job」ではなく「role」でしょ、と就活対策でもお話してきました。
将来の自分の仕事にロマンやストーリー性を見出すと、今の学生さんは本当に強いです。感受性が強くて、泣く人も多いのには驚きました。
「最近の若者」は、まだまだ全然、捨てたものじゃありません。
それにしても、通りかかった就○課には、揃いも揃って「job hunting」と書かれたパンフレットやポスターがあったのには、さらに驚きました。皆さんがやろうとしている「就活」は、jobとroleの、どちらを手に入れる活動ですか?
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。
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