■「内定への一言」バックナンバー編


「正しき理想は、現実の直視から生まれる」(ゲーテ)




昨日の日本経済新聞の掲載で、また遠方から「面接塾」の受講希望メールが来ているそうです。


首都圏の3つの団体を差し置いて、FUNがトップで扱われていたためか、目立ったんでしょうね。


本メルマガの読者の中には、首都圏の大学の方もおられます。明治大、拓殖大、上智大、東京大、立教大、慶応大、筑波大、一橋大、山梨学院大、早稲田大、横浜国立大…。



一体、誰がどこで口コミをしたのか分かりませんが、時には僕のアドレスに直接申込が来たりして、我ながら奇妙なメルマガだと感じます。



3月に終了した「面接塾」で、最も遠方から参加していた学生さんは、鹿児島大学の方でした。長崎からも開催依頼が来たり、宮崎や大分からはテキストの注文が来たりと、部員の皆さんの熱心な活動で、FUNも随分有名になったものです。



さて最近は、趣味の「翻訳」に久しぶりに取り掛かり、「目指せ!K-POP翻訳200曲!」というテーマで、歌詞カードをカバンに入れて持ち歩き、空き時間に喫茶店で、テキストの下書きを作っています。



その中で、「イサングヮ ヒョンシルサイエ ウリサランド…(理想と現実の間に僕たちの愛も…)」という一節が。最速「DJ-DOC」で耳を鍛えたため、今ではほとんどのK-POPは、聞くだけで大抵の意味が分かるようになりましたが、こういう簡単な言い回しは、翻訳する間もなく、瞬時に「ん?」と反応してしまい…。



「理想と現実の間?日本のポップスみたいやね」と思ってしまいました。

「そう言えば、学生もよく、こういうことを口にするなぁ…」。



ミスチルとかバンプ、レミオ何とか…などは、テレビがもう6年も家になく、昔からテレビを見ない僕には、その言葉が歌手なのか曲名なのかも分かりません。今度、大月さんにCD貸してもらおうっと。



この10年韓国の歌を聴き続けてきて、最近はコンビニやブックオフで流れている日本のポップスのように、歌詞が意味不明になってきたと感じます。



誰の歌かは、分かりませんが。マレーシア、シンガポール、タイ、インドネシア、フィリピン、中国、ユーゴスラビア、インド、スリランカ…などの歌が、我が家にはたくさんあります。



意味が分かるものだけ考えてみても、「経済発展の度合いに従って、歌って芸術から娯楽に変わるのかな」とか思ってしまいます。



和歌や文学が好きな僕には、奇妙で汚い日本語の歌は、とても聴くに堪えません。僕はまだ30歳になったばかりですが、「テレサ・テンの日本語の方が、よっぽど綺麗だ」と感じます。おかしいんでしょうかねぇ。



それにしても、「理想と現実」。これって、違うものなんでしょうか。



大体、「理想と現実のギャップが…」とか口にする人は、話していて、自分でその言葉の意味が分かっているんでしょうか。この手の言い回しが頭の中に存在しない僕には、こういう言葉の組み合わせ自体が、新鮮で不思議です。



僕は昔から、納得いかない言葉や、意味が分からない言葉があったら、日本語でも、


「振込手数料=交通費・通信費・設備費・権利収入」
「預金者=債権者・お人好し」
「大学=建物付き4年物就職保険」
「不動産=可動産」
「広告代理店=集客代理店」



…のように分かりやすく翻訳するという、奇妙な癖を持っています。17の外国語をかじって身に付いた、準・職業病的な変な習慣かもしれません。だから、「理想と現実」とかいう、抽象的で矛盾した言葉の組み合わせを聞くと…



「そりゃ、終わりと始まり、って意味やろ」というふうに、またまた翻訳してしまうのです。



別に誰に話すわけでもありませんが、こういう日常的妄想は、大体僕と一緒によく散歩する人が、「コメント係」になって、いちいち聞かされるという被害を受けます。



今のところ、そういう話を一番長く、一方的に聞かされている人は、もう皆さんご存知、「日経でおなじみ」のFUNインストラクター、大月舞さんです。



つまり、「理想と現実なんて、終わりと始まりって意味じゃないか。終わりと始まりのギャップ…なんて、この歌手、何歌ってるんだ?何を伝えたいんだ?日本語しゃべれるのか?」と、首をかしげてしまうわけです。



終わりと始まりに差があるなんて、当たり前のことです。あるのは、正しくは「差」ではなく、「距離」に過ぎません。だから、その「ギャップ」が何だ、と言うのは、要するに「やる気がない」というだけのことです。



もっと言えば、「理想と現実のギャップに…」と言うのは、「天神と西新の距離に…」と言っているのと変わりません。



「渋谷から新宿の距離に…」でもいいでしょう。今いる場所が「天神」で、目指す場所が「西新」。これの何が、「ギャップ」なんでしょう?ただの「距離」に過ぎませんよね。



しかも、歩くか、自転車に乗るか、バイクに乗るか、バスか地下鉄に乗れば、必ず到着する距離です。それを「ギャップが…」とか言うのは、言語感覚か思考回路が、ちょっとおかしいのではないでしょうか。ポップスを聴きすぎて、言葉に対する感覚が鈍ったのかもしれません。



目標の達成なんて、簡単です。「今いる場所」と「目指す場所」を、はっきりと見定めればいいのです。そうすれば、「ギャップ(差、距離)」とは、あなたと夢を「隔てる」ものではなく、「つなぐ」ものだということが、簡単に理解できます。ギャップって、有り難いですね。



あとは、進むだけ。歩みを止めなければ、誰でも成功できてしまうんです。かのニクソン大統領も、「人間は負けたら終わりなのではなく、やめたら終わりだ」と言っていますが、そういうことです。



本メルマガで登場回数No.1のゲーテは、もっとはっきりと本質を言葉にしています。


「正しき理想は、現実の直視から生まれる」と。



ということは、現実を無視した理想と、理想を忘れた現実は、ともに「始まりか終わりの、どちらかが欠落した状態」だということです。



これなら、「つながらない=不安」となって当然ではないでしょうか。僕だって、今いる場所が分からずに「西新」を目指したり、ここが「天神」だと分かっていながら、「どこに行けばいいか分からない」という状態だったら、不安になります。



ゴールが分からないマラソンなんて、「FUNのマラソンマン」、九産大卒のM君ですら、疲れるかもしれません。現実から逃げず、現実をごまかさず、現実に怯えず、まずは両目で、はっきりと「現実」というものを見つめてみましょう。



そこにはきっと、「目標」への突破口が山ほどあるはずです。あるいは、一切の不安や条件を外して、理想をしっかりと見つめてみましょう。そこにも同じように、解決すべき現実、立ち向かうべき現実、改善すべき現実が、山ほど見えるはずです。



見えれば不思議と、不安がなくなります。



「理想と現実のギャップ」なんて言葉は、歌の中では哀愁を漂わせる歌詞として響いても、人生態度を決定する時には、ふさわしくありませんね。正しく「終わりと始まり」と翻訳し、その二つがつながった時、自信と希望が溢れてきます。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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