◆今日の一言
No.416(07/3/31)

『自信は、自分が夢に間に合うと知った瞬間に生まれる』





今度発刊される初の自著の紹介ページを見ると、なんと、僕のプロフィールが詳細に記載されているではありませんか…。

このままで全国発刊されたら、きっとまた、「あの質問」がたくさん来るんだろうなぁと思ってしまいます。

それは、「どうして大学を中退して、マレーシアで働いたんですか?」という質問です。今まで数百人に会ってきた中で、僕の過去に関しては、この質問が圧倒的に多いものでした。


学生さんの中には、「海外で働きたい」という夢をお持ちの方もいます。あるいは、将来は語学を生かした仕事をしてみたい、という方もおられます。

そういう方たちからは、「どうやって仕事を見つけたのか」、「なぜ、マレーシアのその会社にしたのか」という質問を、数限りなく受けてきました。

そして、そのたびに、「僕のケースは例外なので真似できませんよ」と答えてきました。そして、そう答えるたびに、「どう例外なんですか?教えて下さい」と言われ続けてきました。


こういうやり取りをするたび、「拒絶すると、余計興味が湧く」というのは本当だなぁと感じます。

この際、どういうプロセスだったかを、一度ご説明しておきましょう。


僕がマレーシアの貿易会社に就職したのは、20歳の時です。そして、そのきっかけは、19歳の時に書いたある旅行記がテレビに出たことです。

その番組を見た岐阜県の建設会社の社長さんが、「あの文章を書いた若者は誰だ」とテレビ朝日に問い合わせたことから、海外勤務が決まったのです。

しかも、僕の文章がテレビに引用されたということは、放送後に友人から「昨日、小島君の文章がテレビに出てたね」と言われてから知った「事後承諾」だったので、この一連のプロセスは全くの偶然の産物です。

だから、「真似できませんよ」と言っているのです。


では、その「旅行記」というのはどういう内容だったかと言うと、それは、今「近現代史勉強会」に参加されている方なら「はは~」と分かるようなテーマの文章です。

僕は中学の頃から「きれいごと」が大嫌いで、しかも、死んだ人を批判する日本の歴史教育が大嫌いでした。

問題があること、戦争に負けたこと、負い目があることと、国を嫌いになることは全く別のことであるはずです。僕は小さい頃から祖母の膝元で「昔話」を聞いて育ったので、古いものを否定する学校教育が大嫌いでした。


のみならず、日本を「エコノミックアニマル」と自嘲的に呼び、「日本には金しかない」と言う大人も大嫌いでした。

「金しかない」と言うが、金を生み出すのがどれだけ大変なことなのか。小学校時代から家業を手伝い、高校時代からバイトをしてきた僕は、「カネ」は決して欲の産物ではなく、むしろ「禁欲」と「謙譲」の産物であることを体験的に実感していました。

だから、カネを得られない貧乏な人間がカネを批判するのは、「バ~カ。おまえも欲しいんだろ」としか思っていませんでした。まるで、第一志望に落ちた哀れな受験生が、その学校に入った人を批判するのと同じです。ただの幼稚な嫉妬に過ぎません。


カネは国家、国民の総合的な努力の結果を表す指標で、それをもたらす努力は極めて地道なものです。その結果築いた経済力は、国家の重要な武器でもあります。

高校の時の「夏休みの読書感想文」の課題図書は、ご多聞にもれず、「左翼思想」にまみれた本でした。

「蟹工船」、「女工哀史」、「路傍の石」、「ああ、野麦峠」…。ここはソ連か中国か、って感じです。


いくらか成熟すれば、これらの本も人間愛を育むには良い図書なんでしょうが、未熟な中高生に読ませると、社会主義信奉の土壌を作るだけです。

僕は高校時代の読書から、これらの本が発刊当時、政治的に利用されたことも読んでいたので、「その本は嫌だ」と言って、十倍の量を書くから、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」にさせてくれ、と頼み、それで感想文を書きました。

それで、「無知な人間に選挙権は不要である」、「軍備は絶対に必要である」、「金は軍事力に勝る」などと書いたものだから、「きけ、わだつみの声」が大好きな先生からは、「こんな内容はダメだ」と言われたのでした。


しかし、そういうのは、雇用不安もなく、何に給料が払われているかも自覚せずにボケーッと働いている公務員の意見であって、僕にはどうでもいいことでした。

そういうこともあって、僕は日本の経済力を生かし、「いざという時」に自分の立場の説明が下手な日本人がより良く自分や相手の利害を説明できるような勉強をしようと、国際経済学か国際関係学を学ぼうと決めました。

立命館の国際関係学部、産業社会学部、西南の英語専攻、国際経済学…全部受かりましたが、高校の恩師のすすめもあって、西南の経済学部に入りました。


高校2年で英検2級を取り、入試後はさらに勉強して、大学1年の夏には準1級を取り、そこからは、韓国語、ドイツ語、フランス語、アラビア語、ロシア語などを学び、特に韓国語にははまりました。

唐人町にいた韓国人のお医者さんの家に毎日通い、昔から「ふざけるな、韓国」と思っていた質問をあれこれぶつけながら、韓国の立場も教えてもらい、この「作文&討論」でずいぶん韓国語が上達しました。

そして韓国に旅行に行き、1週間ほどあちらの大学生と討論して、その記録を旅行記に残したら、それが面白いというので、文芸春秋社が発刊している雑誌に引用されたのでした。


その詳しい内容は、本メルマガで扱うにはやや過激なので書きませんが、とにかく、①歴史教育が両国の青年に及ぼした影響、②経済教育と雇用情勢の比較、③日本人と韓国人の口ぐせから見える心理、などをエッセイ風にまとめた記録でした。

余談ですが、バングラデシュの留学生との交流記録は「諸君」に、アジア周遊期は「正論」にも載りました。

「途上国に行ったら子どもの目がキラキラしてかわいかった」、「日本ではできない非常識な体験をした」というありきたりの話題ではなく、「愛と感動の毒舌」で書いたため、批判と賛同が極端に分かれ、「あなたは本当に十代ですか?」とかいう質問の手紙もけっこうありました。

どこぞの政党からは選挙のスピーチライターも頼まれ、ラジオ番組への出演も打診され、他の作品を書いてみないかという打診もありました。


そんな中、僕の高校時代の先生が、韓国旅行記を東大の教授に送ったら、「この着眼点は斬新だ」ということになって、「朝まで生テレビ」に僕の文章が引用され…。

マレーシアに支店を持つ会社の社長さんから電話があった、といういきさつです。

こういうプロセスを話すと、「運がよかったね」と言う人もいます。


その通り。僕ほど運がいい人はあまりいない、とさえ時々思います。

一発勝負で負けたことは「原チャリの試験」しかなく、ここぞという時の勝負は絶対に目標を達成し、緊張や「勢いに押されて不発」などという経験はまずありません。

向き合った時に、相手をどう圧倒するか。勝負する前から勝つには、どうしたらいいか。何かをやる時は、そう考えて準備に力を入れてきました。これ以上できないというくらいの準備をしたら、本番で緊張することは少ないものです。


入試もスポーツも資格試験も就職試験も、全部一発合格をしてきたし、それは「狙ってそうなった」のであって、勝負強さには自信があります。


いつも、受ける前から「今日は合格間違いなし」と嫌味ったらしく言っていたので、友達も少なかったです。でも、本当に信じあえる友達に出会えました。


しかし、中にはこの運の良さを批判する人もいます。

僕が運だけでやってきたなら、批判も正しいかもしれません。

でも、僕はいかなる就職、転職の時でも、ちゃんと「試験」は受けてきました。

中退したため、普通の大学生のようなSPIや数度の面接試験は受けていませんが、試験がない時でも自分に試験を作り、誰も見ていないところでも、手を抜かなかった自信はあります。


「就職・転職活動は、やったことがありません」。

こう言うと、「あんた、それでよく就職支援事業とかやるね」と言われたこともあります。

しかし、そういうのは「就職をバカにしたコメント」としか思っていないので、僕は一切気にしません。


本当の準備とは、いついかなるチャンスが訪れても、瞬時にその可能性を想像して素早く掴むような動体視力や精神的基礎体力をいうのであって、「いつ○○がありますよ」と指定され、試験が終われば努力も終わるような質の準備は偽物ではないでしょうか。

要するに、「受験勉強が終わったら遊ぶような勉強は偽物だ」と言っているのです。「就活が終わったら終わるような勉強も偽物だ」ということです。

偽物の努力ばかりやって、いつも安上がりなメッキばかり塗りたくっているから、毎回オドオドしてるだけなんじゃないでしょうか。青年に対し、そんなものが「勉強」だとか「就活」だと思わせるなんて、それこそ理解できません。


自分で期限と試練を決め、誰に命令されなくても日々地道に努力を重ね、その結果として同世代を圧倒する実力と知識を身に付けた結果、同い年では実現しがたい実績を出して、その結果として「うちにこないか」と誘われる…。

僕が「努力」だと思ってきたのは、何かが突発的に起こっても、「よし、来い!」と歓迎できるような努力のことです。

というか、綿密な想像、計画、準備をしていれば、「突発的」なことなどは、そうそう起こらないものです。



「三年生の冬になると、就職活動がありますよ。それは、書類選考と筆記試験、および面接で構成されています」と言われて、その対策を考えるような就職指導こそ、手抜きです。

そういう、レベルの低い就職観を持った人ほど、僕が「就活、したことない」と言いながら就職・転職支援事業をやっていることを批判するものですが、お客様が涙を流すほどの結果を出し、儲かりまくっているのは、絶対に僕の方だという自信があります。

客が集まらないので、嫉妬してるんでしょうね。分けてあげてもいいけど、僕とでは差がありすぎてかわいそうだから、紹介しません。僕だって、憐れみを知る男ですからね。

そんな僕の優しさは、隈本さんが一番よく知っているはずです。ね。


1年生の頃から経営者を相手にした取材活動を行い、実際に広告代理店や出版社が使っているソフトを駆使して雑誌を作り、休日の朝からビジネス勉強会を続け、基礎的な力を育む。

そんなFUNの勉強は「反則」でしょうか?

いいえ。オドオドとした社会人になって、「働きたくない」という気持ちのまま入社するほうが、何倍も反則です。


「受かる前から受かってる」というような人材、「会っただけで、こいつできるな」と思われる人材、「ちょっと話しただけで、採用したくなる」というような人材を育てれば、そういう人が発する言葉やビジョンは、紙であれ、肉声であれ、きっと高い価値を持つようになるでしょう。

「できる人が、たまたま書類を書く」のと、「できない人が、書類でできる人を装う」のと、一体どちらが相手の人間性を尊重したサービスでしょうか。

根本的な部分で若者の可能性を無視し、ただ「入社先」が決まればよいという想像の中でのみ対策を行うような就職指導など、無意味どころか有害です。

だいたい、そういう小手先の一時的な対策を「就職活動」と偽装してきたから、これほど日本がおかしくなったんでしょう。


就職試験は、その人の遠大な想像に基づく未来のある時期に起こる「ちょっとした試験」に過ぎず、いつも準備を重ねている人は、就活くらいでオタオタ、フラフラすることはありません。

就活ごときが試練と思えるなら、夢が小さいのです。だから、僕は夢を描く心構えや知識の習得を重視しています。

「私は何だってできる!」、「私はまだ間に合う!」、「私の未来は無限だ!」と心の底から信じ、今、ここに自分がいることがたとえようもなく嬉しく、親が「あんた、いい加減にしなさい」と言ってもやめないくらい勉強が好きになる…。

これが就職支援じゃないとしたら、一体、何が就職支援だというのか。文句があるなら、行動で文句言え、って感じです、ほんと。


間違っているのは批判する人たちの固定観念であって、僕は、若いお客さんたちの身になって、一度も見放さず、引き受けたからには本人も驚くほどの結果を出すのが仕事です。

間違った考え方で批判する人たちを説得するのは僕の仕事ではなく、僕を信じて選んでくれたお客様の悩みを解決し、喜びと自信をもたらすのが僕の仕事です。

外野席でごちゃごちゃ言う傍観者の声は、マレー語より分かりにくい雑音に過ぎません。そういうのに耳を傾けていたら、学生さんたちにも申し訳ないというものです。


若者にスケールの小さい準備をさせることは犯罪です。

大学生活は、その全てが就職の準備です。本気で打ち込んだことに、無駄など一つもありません。無駄と思えたり、自信が生まれなかったりするのは、能力が劣っているのではなく、発想が小さく短いからです。

「え~。そんなきついの嫌だぁ~。3年の冬からでいいでしょ」と言うのは、自分の未来をいかに低く、貧しく、暗く見積もっているかがよく分かり、かわいそうです。


そしてまた、最高の内定は、最高の新人になるための準備だし、最高の下積み期間は、トップ営業マンになるための準備です。トップ営業マンになるのは、その先の夢を叶える準備です。

そういう青年期、壮年期を生きるのは、良い結婚や良い育児の準備であり、そういう親として生きることは、良き老年期を生きるための準備です。そうして悔いなく笑顔で死ぬことは、未来の社会を豊かにする準備です。

人生は全てが結果と準備であり、そうやって長い目で考えれば、合理的で人間性に基づいた判断もできるようになるはずです。


最高の準備や努力とは何か。

それはいつでも、自分がこれから目指す何かに対して、「私、間に合ってる!」と思えるような自信と希望を喚起することです。

「私はどうせ遅れてる」と思っているうちは、人間は持っている力の1%も発揮しないもの。そういう前提の対策は、若者の人生を誤らせます。まずは、何をおいても「間に合う!」と思ってもらうこと。


この一点に標的を絞り、ありとあらゆる努力を尽くす。そして、感謝で振り返る。

僕は家庭も環境も教育も、客観的にはそれほど恵まれた人生ではありませんでしたが、起こったことは全力で受け止めてきた結果、主観的には恵まれまくり、今はそういう確信があります。

押し付けることはしませんが、「まじめなのは、かっこいい」と思ってもらうことは、若い方々にとっては絶対にプラスだと信じています。

「自分が夢に間に合っている根拠」は、その気になって探せば、いくらでも、すぐに見つかるものですよ。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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◆今日の一言
No.415(07/3/30)

『本当の負けは、負けて笑う人間に訪れる』




最近はよく、西南国際文化3年・H田さんとお話しします。H田さんはなんと、僕と同じ中学校で、しかも同じ「陸上部」の出身…。

受けている会社が東京にあるということで、県外の出身なのかなぁと思って地元を聞いてみたら、「春日市」と言うではありませんか。

しかも、住んでいる地域は、僕が少年時代を過ごした思い出が詰まった、まさにその場所でした。


話していると、もう20年以上も忘れ果てていた数多くの甘美な思い出が蘇ってきて、不動産業界の話をするはずだったのに、思わず昔話に花を咲かせてしまいました。

昔のドジな話、昔あったけど今はなくなった建物やお店、公園、空き地、お菓子、遊び、恋愛、神秘的な出来事、地元ならではの話題…。

学生さんとこんな話題で話したのは、FUNのお手伝いを引き受けてからは、初めてです。しかも、H田さんの質問の、個性的で積極的なこと…。


昔話やプライベートな話で喜んでもらえるなら、これからは、FUNでも時々そういう話をしてもいいのかな、と感じました。

友達からは「へこまない」、「疲れない」、「休まない」という僕の特性からか、ターミネーターとかロボコップと言われたこともありますから、若い学生さんから見ると、こういう性格だけが強調されると接しにくいでしょう。

実は、学生さんを瞬時で酸欠状態に追い込むギャグも得意なんですが、FUNでは封印しているだけです。僕の過去にはアホな話がいっぱいありますが、そういう話は、内定後に教えようと思っています。

H田さん、今日も素敵な時間を、ありがとうございました。



さて、僕の裏の姿は置いといて、やっぱり僕は経営者ですから、「メリハリ」を何より大事にしたいと考えています。

プライベートもお遊びもお笑いも、やることをやって結果を出してからじゃないとカッコ悪くてしょうがない、というのが僕の意見です。

中でも一番かっこ悪いのは、「負けた人間の愛想笑い」です。


負けることは恥でも後退でもありませんが、負けて笑い、負けてごまかすのは恥です。笑ったら、初めて「負け」が本当に確定します。負けても歯をくいしばって耐えれば、そこから「勝ち」が始まります。

サークルとはいえ、可能性あふれる学生に実務や実社会の出来事を教える立場の人間が、「まず、楽しもう」では、お話にならんと僕は思っているわけです。力をつけずに楽しめることなど、存在しません。

時間を預かったからには、全力で接し、時には厳しいことを言っても、本人が望む結果を出すまで一緒に挑戦する。喜びの大きさは、味わった苦労に比例するもの。そういう態度でなければ、顧問なんてやるだけ無駄、有害です。


フラフラ、ウダウダ、ダラダラと就活に臨む学生さんに会うと、「本気で接してくれる大人が近くにいないのだろうか」と、日本の学校教育に怒りを感じます。

ならば、せめて、未熟な若造の僕が、「初めて会った本気の大人」になって、身をもって「仕事の楽しさ」を学ぶきっかけを作ろう…。

この4年間、力不足ながら、そういう思いで接してきました。「きつい」、「かたい」とか言われることもありますが、そういうのも喜びの成分です。レベルの低い感動のまま大学を卒業させたら、それは大人の犯罪ですから。


「就活、どうなるか分からない。でも、何より楽しむことが大事だよ」

「落ちたけど、楽しめたからよかった」

「もともと、行きたい業界でもなかったから、いい経験にはなった」


こんな言葉を聞くと、汚い言い方ですが、「クソして寝ろ!この負け犬!」と軽蔑してしまいますね。負けて何が楽しいのか、と。

負けて笑うようなふやけた行動の、どこが「いい経験」なのか。そんな経験が次に役立つことなどありえず、やればやるほど負け癖がついて、「失業式」を終えた時、「プー」になった自分の愚かさを悔いるだけです。

始めから負けている人間に「いい経験」など存在するわけがないんだって。始めから気持ちで負けている人間は、負けてみると、負けを認めず口だけ達者になるので、いかに手抜きだったか、よく分かります。


昨日の「マネー塾②」でもお話したように、「貧乏人は気分転換が大好き」です。

元々、「気分転換」とは「本気」にスイッチを入れることなのに、負け犬と貧乏人と愚か者は、「息抜き」を気分転換だと勘違いしているのがユニークなところです。

元々手抜きだった人が「転換」だなんて、笑ってしまいます。元々「オフ」の人間が転換したって、どうせ、余計負け癖が強まるだけなのに。

人間、オンとオフを間違えたら、いくら若かろうが、もう終わりですね。


たとえ負けようが、その経験が真の不足を発見させてくれれば、そこから勝ちへの道が開けるもの。その意味では、「負け方で人が分かる」とも言えます。

勝ちとも呼べない勝ちで調子に乗ったり、まだ実現してもいないのに決意表明だけで調子に乗ったりする人も論外ですが、こと、負けは多くの人が受け入れたくないと思っている結果であるだけに、それを前にすると、その人がどの程度の人間なのか、よく見えてくるものです。

先日、サッカーのチェコ代表が、負けて誕生パーティーをしたために「罰金」になったそうですが、それなら、日本代表はとうの昔に罰金で給料がなくなっているかも、と思いました。


力の差はあるとしても、いつから日本人は、負けて醜い民族になってしまったのか…。その辺は「近現代史勉強会」で日本人の深層心理に迫ったため、参加した方はよく周辺事情が分かるでしょう。

「負けて笑う」は心の病気です。現実認識機能に傷害を受け、頭脳のピントがずれてしまったというほかありません。

普通に考えれば悔しくてたまらないことなのに、よりによってその正反対の感情表現で結果を処理するなんて、どう考えても奇妙な精神構造です。

その証拠に、負けて笑う人間は、勝っても勝ちを信じられず、勝ち負けどちらの結果でも、常にオドオドしているものです。やっぱり、認識がずれているのです。


賢明な人間は、最初の負けで大きな悟りを得て、素早く本気に気分転換します。

いつまでも「練習用」、「滑り止め」と本気を出し惜しみする人は、いつしか「練習以下」の行動しかできなくなり、自ら育てた負け癖によって滅びます。

「未熟」と「手抜き」は全く別のことです。本気で挑戦して、最後は成功の大笑いに至る人ほど、その陰に悔しさや危機感を積み重ね、強力なバネを育てているものです。


たとえ不採用であれ、自分の甘えと勘違いを痛烈に教えてくれて本気にさせてくれたなら、それは「勝ち」の経験です。

一方、たとえ内定をもらっても、それで慢心して手抜きが始まり、世の中をなめきって調子に乗ったのなら、それは「負け」の経験です。

この意味では、勝ち負けとは、表面的な結果がどうであるかではなく、むしろ全ての結果を「どう受け止めるか」によって決まると言えるでしょう。


負けて「悔しい」と思っている人は幸運です。

次の選考では、きっと今までの自分とは違う自分で選考に臨めるでしょうから。そして受かった時、「あのまま内定しなくてよかった」と思えるでしょう。

このように、それまでの負けや屈辱も含めて「良かった」と思える内定こそ、大切にすることができます。「良い働き方」は、そういう内定を得てこそ、初めて可能になるものです。


就活では、「チャンスが来るのが遅かった」などということは、絶対にありません。ただ、「本気になるのが遅かった」ということのみ、存在します。

そして、その本気をもたらしてくれる悔しさをいかに早く味わうかが、結果を決めます。


悔しさを一時的、偶発的な結果と見ず、長期的、本質的に捉え、小さな失敗で動じない打たれ強さを育てましょう。そういう習慣こそ、内定以上に価値ある財産になりますよ。

また、そういう自分になってからの笑いこそ、本当に、酸欠寸前に陥るくらい面白くてたまらないものです。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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No.414(07/3/28)

『御身一人にても、千人の知己を得たる喜びなり』(石田梅岩)



今日は、講義形式では最終回となる「FUNマネー塾」の第②回を終え、学生に人気の「金融勉強会」を主宰して下さっている、スターホールディングス㈱の木村さんとお話しました。

http://ameblo.jp/woody-village/

木村さんのパンフレットには、「通りすがりの金融屋」、「通りすがりのギター弾き」という自己紹介があります。

それを見て、「通りすがっている割には、なんと律儀でまめな方だろうか」といつも思います(笑)。


自分を客観的に見つめ直す機会が得られたらという気持ちから、4年ほど前に引き受けた、ある学生サークルの「顧問」も、「通りすがりの駆け出し社長」でした。

大学中退、最終学歴は天草自動車学校、学校大嫌いの僕が、よりによって現役大学生のサークルの顧問とは。

しかも、「教壇」に立って「講義」なるものを行うなんて…。

こんなに先生に向いていない大人もいないのに、毎年数人、「先生」と間違って呼ぶ学生さんもいます。


というふうに、この4年間、FUNの顧問は「世を忍ぶ仮の姿」でした。

それが…忍べなくなってしまいました。

http://www.onbook.jp/bookd.html?bid=0074



あぁ…。

「全国デビュー」。

今から3週間もすれば、僕の名前が書いてある著書が全国の主要書店に置かれ、様々な場所で販促が行われ、企業、大学、家庭、行政機関の多くの方々の手に取られることになるのでしょう。


しかも、FUNで作ってきた原稿のストックは、「ハードカバー」の字数で換算して「8,000ページ」分あり、「30冊」に相当します。

この年で、自分の仕事をしながら、「世を忍ぶ仮の姿」のくせして「30冊分の本」を書いた人間なんて、十万人に一人、いるかいないかでしょう…。

別に、記録を作ろうと思ってきてやってきたわけじゃありませんが、気付けば大変なことになっていました。


それもこれも、学生の皆さんがかわいくてたまらないからです。

皆さん、本当にありがとうございます。

よく、芸能人やアーティストがライブなどで「ありがとー!」、「みんなのおかげ!」と言っていますが、いざ、自著が全国発刊されるなんて段階を迎えると、ほんと、そうとしか言いようがないと感じます。


数冊の著書を世に送り出した来年の今頃は、このメルマガの読者も、かなりの人数になっていることでしょう。

就活の時は、全国の学生、若年者が研究・引用し、批判・質問する人も現れ、『内定への一言』は、知る人ぞ知る情報源になっていくのでしょう。

そうなった時に、皆さんの「先見性」が改めて評価されることになります。今までは「人に言えない変な情報」だったのが、「おれ(私)は、有名になる前から知ってたよ」と言えるようになるわけです。


メジャーになる前から応援して下さった皆さんの好意と応援にお応えするためにも、ぜひ、求める方々に読み継がれる著作にせねば、と気合いが入ります。

そして僕は、今までは「通りすがりのブックオフ評論家」だったのが、「通りすがりの作家」に転身します。

「作家」か…。こんなに早くなってしまうとは。

また一つ、目標前倒しで夢を達成してしまい、余った時間で何をしようか、色々と模索しているところです。


とりあえず、何回か世界一周旅行でも行ってこよっかなぁ…。

なんてことはしませんよ。

「天国に一人でいること。私にとって、これほど辛いことはないだろう」(ゲーテ)と言うように、いくらお金と時間が余った身分になっても、仲間がいなければ、何の幸せも生まれません。


「小成に安んずることなかれ」と言います。

達成した目標はいちいち回想せず、さっさと次の目標を描いて、自分の不足と向き合い、新たな達成に向かって今日からコツコツ頑張るのみです。

本当に嬉しいのは、本の発刊ではなく、読者の皆さんと夢や課題を共有し、情熱や思いやりでつながるネットワークを築いて、それぞれの居場所で日本を元気にする仕事に打ち込むことです。


僕が敬愛する江戸時代の商業思想家・石田梅岩は、日本社会に存在する商業や商人に対する偏見を深刻に受け止め、商人が自信を持てるよう、儒学の思想体系と会計思想の合一を図り、「心学」という独自の学問を創始しました。

ベンジャミン・フランクリンより50年も早く商業道徳を理論化し、アダム・スミスより50年早く市場経済の合理性を説き、ミルトン・フリードマンより250年早く商品先物経済の存在を肯定し、世界で最も早く、「人間精神と経済合理主義の一致」を唱えた梅岩。

昭和の大実業家はおろか、明治維新で巨大な国家的事業を行った歴史に残る大実業家にいたるまで、梅岩の「都鄙問答」を読んでいない人はいません。


渋沢栄一、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎、大久保利通、伊藤博文ですら、欧米思想の限界を知って回帰すべき原点を模索した結果、梅岩の「石門心学」こそが先進性と伝統の一致を叶える哲学だ、と悟りました。

その本質的かつユニークな「都鄙問答」の原文は、先月の「FUN Business Cafe」でも少し読みましたよね。

西南国際文化3年のAさんは、「何ですか、この茶色い本は?」と驚いていましたが、中身を読んでみて、その新しさに非常に感動していたのを思い出します。


その梅岩は、京都で商売を行うかたわら、商業思想に興味をもち、仕事の合間を縫って勉学を続け、40歳を過ぎて会計と人間精神に関する偉大な悟りに到達し、教育者として生きることを誓いました。

思い立ったが吉日。

梅岩は講義資料を用意し、宣伝を行って、ある講堂を借りました。


しかし…。

連日「ゼロ」が続き、梅岩の奇抜で意味不明な宣伝は怪しまれるばかり。

それどころか、「おまえは邪教だ」、「人心を惑わすな」、「商売人は商売をやっとけ」という中傷が投げつけられ、来るのは「冷やかし客」ばかり。


梅岩はそれにもめげず、がらんとした講堂で、たった一人、講義資料を見ながらイメージトレーニングに励んだと言います。

そして数日後、初めて聴講客が訪れました。それは、商売に悩む一人の老人でした。

梅岩は満面の笑みで老人を迎え、「さあ、お上がり下さい。ともに学びましょう」と言ったのですが…。


老人は気を利かせたのか、それとも「自分一人」という予想外の展開に気まずくなったのか、「私のような年寄り一人のために先生の時間を使わせるのは申し訳ないから、帰ります」と言いました。


それを聞いた梅岩は、優しい表情になって、老人に「御身一人にても、千人の知己を得たる喜びなり」と伝えました。

「あなた一人でも、私にとっては、千人の親しい友人を得たような喜びです。一人だろうが千人だろうが、私の情熱は変わりません。さぁ、ともに学びましょう」。


梅岩のこの大らかさと優しさに打たれた老人は、梅岩の説く「心学」を学び、それを見聞きした人々が一人、また一人と増え…。

翌年、京都の町には5,000人の聴講生が訪れるほどの人気授業となり、梅岩の思想を広めようと決意した弟子・手島堵庵の力もあって、心学は全国津々浦々に広がっていきました。

江戸末期には、心学を学んだ子どもたちの数は、実に「三十万人」に達していたといいます。

この中から、明治維新を担う数多くの思想家や志士たちが生まれ、歴史的事業を成し遂げたというのですから、梅岩の願いは弟子たちによって果たされたとも言えるのです。


西南法学部3年だった安田君がFUNの構想を練り、4年生となってビラ配りを開始した2003年4月。

たった一人で十大学近くを回り、早朝から数百枚のビラを配り続け、「知己」を求めて努力を続けました。

しかし、学生から寄せられる視線は「何、あの人?」、「FUN?知らん」、「就活?やりたくねー」、「取材?できるかって」というつぶやきが、聞こえるほどの大きさで投げつけられました。

ビラは道に捨てられ、冷やかしメールも届き、怪しまれたり、不思議がられたり…。

それでも会場を予約し、イベントを企画して、数百枚のビラを配ったのに、当日の参加者は「ゼロ」。

ゼロがけっこう続きました。

しかし安田君のすごいのは、ゼロならゼロで、「小島さん!リハーサルやりましょう!」と元気に言い、堂々と「今日はこんなに集まってくれて、ありがとうございます!」と練習していたことです。


そして、一人、また一人と学生が集まり、それぞれに熱っぽく語りかけ、大月さんや牛尾さんたちが入部してきました。

二人とも、世間の右左も分からないような学生でしたが、口を揃えて言っていたことは、「こんなに本気の場は今までに見たことがない。小さいサークルだけど、絶対に伸びる!」ということでした。

FUNは年々実績を重ね、今では口コミで「入らせていただけるでしょうか」という問合せが来るほどの人気サークルとなり、ここ一年の悩みは「人が増えて場所がない」というものです。


あの頃の安田君の苦労と困難に相当するような仕事や作業は、もはや、今のFUNには存在しません。創業よりきつい役割は、組織には存在しません。

FUNを資金的に応援したいという企業は毎年何社も出てくるし(全部お断りしています)、サークルなのに提携を希望してくる企業も多数あるし、他の就活サークルからは、毎年のように「運営方法コンサルティング」の依頼が来ます。

どの大学のどのビジネスサークルでも、「FUNは別格」、「あそこの勉強は格が違う」という噂が浸透しているようで、運動部や文化部の様々な部活、サークルから、集客、組織管理、リーダーシップに関する質問を受けるのは、毎月の恒例行事となっています。


しかし、調子に乗ってはいけません。

求められるほど謙虚に接し、自分たちはまだ、価値あることなど何もやっていないのだと気持ちを引き締めることが大事です。

ビラ配りをしなくても毎月、毎週、福岡のあちこちから見学、入部希望者が訪れるような規模・知名度のサークルになったからこそ、原点である素朴なビラ配りや「一対一の熱心な説明」を重視せねばなりません。


五年目を迎えたからといって、活動内容を変える必要などありません。活動しているのは、今も昔も学生です。

ならば、学生が素朴に喜びと感動を味わって成長できるような地道な活動を、これからもずっと続けていけばいいだけです。

サークルでも会社でも、大事なのは一人一人と丁寧に接し、風通しの良さと結束の強さを両立させることです。そのためには、先輩が態度で思いを伝え、後輩の可能性を引き出す習慣を育てるだけです。


安田君は何も報われなくても、全ての苦労、恥、損を引き受けて、何の見返りも求めず、笑顔で卒業しました。

そんな先輩の思いに応えようと、大月さんと牛尾さんが踏ん張ってくれ、手が凍りつきそうな冬のビラ配りを続け、FUNの基盤が整っていきました。

たった一人の先輩が並外れた熱意で耐え抜いてくれたからこそ、今では全国紙に何度も取材され、書籍化を依頼されるほどの講義を実施し、他県からも受講者が集まるほどのサークルになったのだと思っています。


安田君もまた、「一人の学生が感動すれば、百人が入部する」と、誠心誠意、初対面の学生に向かって夢を語り、思いを根気良く聞いていたのが懐かしいです。

それ以来、FUNでは「しゃべりすぎの人は二倍聞こう。しゃべるのが苦手な人には、機会を与えてみんなで褒めよう」というのが、組織の習慣として完全に定着しています。

人は自分が迎えられた時と同じ態度で、新しい仲間を迎えます。FUNがこの姿勢を全体で守り続ける限り、サークルは永遠に発展していくわけです。


「御身一人にても、千人の知己を得たる喜びなり」。

今こそ初心に帰り、今度は、全国の読者や未知の仲間に向かって、信念を込めて、根気良く呼びかけていく段階です。

部員の皆様、読者の皆様、全国の若者の可能性を信じ、日本を「働く姿がかっこいい国」にしていくため、応援、よろしくお願いいたします。



今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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