◆今日の一言
No.422(07/4/10)

『決断力がないのではない。結果を決めていないだけだ』






4月になると、企業の採用活動も一斉に本格化します。

昔は「就職協定」という暗黙の了解があって、学生が3年生の間に表立った活動をすることは控えられていたのですが、今ではそういうことも言っていられないようです。

別に「早く決まる」ことには何の価値もなく、ただ学生は早めに安心できるというだけの効果しかありません。大事なのは内定に「どれだけ深く同意できるか」であるからには、ここから、「決断力」が問われてきます。

早く決まっても、推薦入試で楽に決まったばかりに、大学でついていけなくなるような状態になってしまったら、かえって大損ですからね。



さて、昨日のトップセールス研究会に、今週から「新社会人」として参加してくれたIT企業のAさん。思わず自己紹介で「筑紫女学園大学の…」と言いそうになったようです。

終了後に、勉強熱心なAさんから「決断力って、どうやったら身に付きますか?」という質問がありました。

それについては、以前メルマガで「決断力がある人は、先に結果を決めている人だ」という一言を扱ったのと同じで、「決断力」という能力は定量的に身に付けていくものではない、というのが僕の意見です。



では、どうやったら獲得できるのかというと、「決断力」という能力があるのではなく、その発揮形態を考えよ、ということです。

つまり、「まず、大きな決断をせよ」ということ。

日々訪れる判断に際して求められる決断を学生さんは「決断力」と呼ぶようですが、その速さ、深さ、正確さは、「大きな決断をどれだけ鮮明に描き、その決断と今の判断をどれだけ具体的、かつスピーディに関連付けられるか」によります。

要するに、「大きな決断が、小さな決断を引っ張る」というわけです。



例えば、「将来は弁護士になる」という未来を決めている人がいるとしましょう。

そうなれるかなれないか、という基準は間違っています。目標はまず、先に「そうする」と決めるものです。ゆえに、判断基準はいつも、「するかしないか」しかありません。

現状がどうであれ、まずは「未来」を決めてしまうことが大事です。



これについての決断力を問うなら、それは最初から間違った考えです。

夢は可能性や根拠を無視して、先に決めるものです。なぜなら、可能性や根拠は、決めてからじゃないと出会えないからです。

「できそうなら、そう決める」というのは、もっともらしく聞こえて間違っています。「そう決めたら、できそうな根拠が見つかる」しかありません。



ということで、「弁護士になる」ならそれでいいので、まず決めましょう。

そうすると、友達から「カラオケ行こ~」という連絡があった時には…「ごめん」と決断できます。

「法律事務所でインターンシップ」という案内があれば、すぐに「申し込もう」という決断ができます。

「法科大学院開設」というニュースがあれば、「調べよう」という決断ができます。



お分かりですか?先に決めると、どんどん実現の根拠が集まり、積み重なっていくのが。



もし仮に、「弁護士になれるかなぁ、なれないかなぁ」などとどうでもいいことを考えながら過ごしていれば、友達から「カラオケ行こ~」という誘いがあった場合、「まず気分転換しなきゃ」とすぐに参加するでしょう。

「法律事務所でインターンシップ」という案内を見ても、「今の自分にはそこまでの知識はない」と無視するでしょう。

「法科大学院開設」というニュースを見ても、「また今度」と言うでしょう。



「先に決める」ということをしないで「決断力が欲しい」と言うのは、こんな簡単な例え話からも分かるように、「ありえない」ことです。

そもそも、それは「言っていること」と「やっていること」が最初からずれています。



同時に成立しない要素を同時に求めるため、「何か役立ちそうな情報」には日々触れるものの、なんとなくそれが自分を刺激しつつ焦らせつつ、結局は「何もしない」となるわけです。



もちろん、役立ちそうな情報に触れれば、一瞬は「良さそう」と思うものの、「やらない」という決断は自分のネガティブな部分を確認しなければ行われないため、「拒絶」という決断を無意識のうちに繰り返すほど、その人には「情報」が見えなくなっていくわけです。

つまり、「やりやすい小さな決断」を遠ざけ、先送りにすることによって、「やりにくく大きな決断」を迫られる日が刻一刻と近付いてくることになるわけで、これまたずいぶん皮肉なものです。

先に結果を決めておかなかったばかりに、簡単で地道な決断ができなくなり、その結果、毎日に手応えを残すことができず、しかるべき時に「決意と時間の一括払い」を食らうことになる…。


そういう若者が就活や就職に対して、「私って、本当に決断力がない」と誤解するのは当然のことでしょう。

ないのは「決断力」ではなく「未来像」です。

なのに、この期に及んで「根拠がないと未来は決められない」と言う…。その考え方のせいで、今まで損を積み上げてきたのに…。



今の自分がどうであるかは、一切夢とは関係がありません。

一般に、できる人ほど「夢に合わせて現実を変える」というアプローチを採ります。逆に、そうではない人ほど「現実に合わせて夢を変える」というアプローチを採ります。

人生は皮肉なもので、現実よりも未来が正しい、ということも起こります。ネガティブ思考に陥って見積もる現実より、ポジティブ思考で正確に見定める未来の方が、案外いつも正しいものです。



ということで、「私は決断力がない」と言ったり考えたりするのは、とても危ない傾向です。それは、認識の仕方や発言の仕方からいって、最初から矛盾を犯しているからです。

行き先を決めずに、交差点を曲がることはできません。いつも「行き当たりばったり」の人生なら、毎日が交通事故になってしまい、毎日傷付き疲れて、癒されたり慰められたりしないといけなくなるでしょう。

適度な気分転換は必要ですが、毎日気分転換をしているような人がいれば、それは達成よりは恐怖や現実逃避の産物です。

「何も決めていない」という人は、日常の小さな決断すら怖くてたまらなくなって、生活が乱れたり、金銭習慣が狂ったり、食生活がおかしくなったり、部屋が散らかったりするものです。



ということで、多くの若者が通常口にするところの「決断」とは、実は「想像」というわけです。

先に未来を決めておけば、毎日遭遇する様々な体験、情報は「これは私の夢とどう関係があるか」を想像・確認するだけで判断・処理することができます。

そして、「速く、正しく、深い決断」ができるようになるのです。そういう状態を、未来を決めていない人は「決断力があるね」と言いますが、それは決断力ではなく、未来との関わりを見抜く「想像力」です。



遅い決断は「よく考えている」というふうに映りますが、遅いとはそもそも関連性や可能性が見抜きにくいという証拠である場合も多いので、皮肉なことですが、時間をかけた決断が常に正しいとは限らず、多くの場合、「遅い=悪い」となります。

それは、「未来」ではなく「現在」を基準にしたものであるため、必然的に「今の自分に可能かどうか?」を考えることから、大抵が不可能という結果になり、自己嫌悪や恐怖が加速されることになります。

恐ろしいのは、「決断力がないこと」ではなく、「未来を決断しないこと」です。持っている決断力すら発揮できなくなり、最後は自信を喪失して、コンプレックスの塊になってしまうからです。


そもそも「やるかやらないか」であるところの問題を「できるかできないか」考え始めたら危ないサインです。

そういう「報われない無駄な努力」に陥る前に、まず未来を決めてしまいましょう。

そして、「できそう?」と言い合うような人とは、数日間付き合わないことです。いいことを優しく話し合いながら、お互いを腐らせる人間関係だってあるのですから、変わりたいと思ったら、一時期は環境を変えることも必要です。


決めれば正しい決断ができ、保有能力と発揮能力が一致してきて、ますます大きな可能性が描けるようになります。

ということで、決断力を身に付けるのって、とっても簡単です。

「私は○年後に○○な人になる!」と今、そこで、誰の判断も仰がずに決めればいいだけ。そうすれば、欲しくてたまらなかった「決断力」も、好きなだけ手に入りますよ。




今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門36位、就職・アルバイト部門20位です。

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◆今日の一言
No.420(07/4/9)

『人自らを侮りて、然る後、人これを侮る』(論語)



昨日は第⑥回『ブックオフツアー』で、約8人で主に中央区、博多区を回りました。

先日、念願の第一志望に内定を勝ち取った女子大4年のTさんは、袋2つがいっぱいになるほど買い込み、「早く帰って読みたい!」と上機嫌。

一方、僕は、Tさんから内定の御礼に頂いた「リポビタンD」の箱をカバンに入れ、本10冊の重さに相当する荷物を抱えて歩き回りました。Tさん、ありがとうございます。


昨日は九工大の大学院2年生のNさんも参加してくれました。

Nさんの礼儀正しく誠実な様子に、皆から「話しやすい」、「熱心な方だ」という感想が。

専攻は「再生医療」ということで、文系学生が大半のFUNではなかなか聞けないお話が面白かったです。Nさん、ぜひサークルにも遊びにいらして下さいね。


昨日は「本」をテーマにした一日ということで、事前の情報交換会で、「本を出すにはどうしたらいいのか?」をテーマに少しばかり語り合いました。

よく本を読む学生さんであれば、いずれ「一冊は自分の本を出してみたい」と思うのも自然なようで、「これはチャンス!」とばかりに、僕が今度本を出させていただく東京のオンブックさんのパンフレットをもれなく配りました。

その仕組み、理念、事業方針に皆さんも共感されたようです。「格安で立派な記念品を作りたい」という方は、ぜひ以下のアドレスからHPを覗いてみては?

http://www.onbook.jp/index.html



さて、一昨日のメルマガで「口癖から見える学生さんの思考傾向」みたいなのを書いたら、「外から見るとよく分かりますね」という感想をいただきました。

http://ameblo.jp/forfun/theme-10003185201.html
(学生さんたちがバックナンバーをブログにまとめてくれています)

他にも、若者独特の言語空間を垣間見るような言葉遣いは、いくつかあります。中でも、どちらかといえば「ネガティブ」に響くものとしては…。



「うざい」…幼稚で舌が回らない人間の赤ちゃん言葉みたいです。
「きもい」…こういう中途半端な言葉を口に出す人間こそ気持ち悪い。
「サイテー」…ちょっとしたことで、すぐにこう決め付けていいものか。
「最悪」…なんでこう、すぐに「最」とか「超」と付けたがるんでしょうね。

同じ略語や共通語を共有するのは、地域や世代のつながりを確認する上でも良いことですが、知性を疑われるような低俗な言葉まで共有する必要があるでしょうか。

もし、このような言葉を分かち合わねば友達として認め合えないという関係なら、そんな関係は断ち切った方がいいと思います。否定的共感ほど、若者を腐らせるウイルスは他にないでしょうから。


ゲーテは「手は外に出た脳である」と言っていますが、言葉もまた、「外に出た頭脳」です。

口に出した言葉には、その人の人生観や知性、アイデアの組み合わせ方が如実に反映されるものです。

FUNでは数々の名作、古典を紹介して一緒に読んでいますが、それも、同世代と美しく素朴な言葉と共感したい、という思いの表れです。


僕は最近、「執筆&校正」で半ば屋内に引きこもった生活をしていて、喫茶店を転々としています。

そこでは、FUNとは違う空間で就活を進める学生の話を聞くこともあります。

中でも聞き苦しいのは、「不採用」に対して複数の学生が否定的共感を確かめ合う会話です。


「あたしの就活、サイテー!筆記、全然通らんやん!」

「そうそう。面接もせんで、よく人を不採用にできるね、ってカンジ」

「面接もたった5分しかないし、せっかく東京まで行ったのに何よ!」



まぁ、こんな感じで一通り企業や担当者に対する不満をぶちまけた後は、お決まりの「同情タイム」に突入するようです。

そもそも、就活では企業のほうから「ウチを受けなさい」と指定することなどなく、全ての意思表示は求職者たる学生の方から行われるため、「企業の悪口を言う」とは、「自分の悪口を言う」と同じなのですが、彼女たちはそんな仕組みにも全く気付いていない様子です。


自分がどれだけ、苦労しているか。

自分の体験が、どれだけ「ありえない」か。

自分の予想が、どれだけ裏切られたか。

もはや使い道のないニュースに共感しあえるのは、同様の体験を得た友達だけのようで、お互いに同情しあいながら、「あんたはあたしを裏切らないよね」と確認しあっているようでもあります。



くだらん…。

同情なんて、大半の場合は「よくできた軽蔑」であるに過ぎません。

人は自分より優れた人には同情しません。仮に優しい言葉をかけているにしても、同情している限りは、相手への優越感が基盤になっているもの。

もちろん、これが人間性の深い部分に根ざして行われる場合もありますが、それは別の話で、同情とは、してあげるものではあっても、求めるものではないでしょう。


『論語』には、「人自らを侮りて、然る後、人これを侮る」という有名な一節があります。

「人はまず自分で自分のことをバカにして、その後、他の人々がその人をバカにする」という意味です。

つまり、その人自身が自分を見限らない限りは、誰もその人のことをバカにすることはない、ということです。「周りがバカにする人は、誰よりも自分で自分のことをバカにしている人だ」ということですね。

「私はバカです」というサインを見つけたら、他の人もこぞって同情し、バカにする…人の世は、何千年たっても本質は同じであるようです。


毎年、「タテマエの第一志望に落ちてから読んで、ホンネの第一志望が見つかり、受かった」というドラマをもたらす本があります。

『後世への最大遺物』(内村鑑三/岩波文庫)です。

いつも就活前に紹介するのですが、まじめに受け取って読むのは半分くらいで、あとはSPIとかエントリーシートばっかりやってます。


書く話題が浅いのに、受ける情熱も定まっていないのに、なぜ個別の対策の方が大事なのか理解に苦しみますが、群集心理とはそういうものでしょう。要するに「みんなと違う準備をしている自分」を信じられないのです。

しかし、就活も受験と同じように、その本質は「孤独なもの」です。いずれは、全ての決断を自己責任で行わねばならないという、至極当たり前の現実に気が付くもの。

たかが通過点に過ぎない「内定」ごときを浅い気持ちで目指し、小手先の対策で続々「不採用」の通知を受け取り、持ち玉が尽き、「もしかして…」という未来を考えたら、やっと古典の言葉と素直に向き合えるようになります。


『後世への最大遺物』は、FUNの4年生の中では、毎年「最終面接前に読んでおいてよかった本ランキング」の堂々1位に入る本で、60ページくらいしかないので、ぜひお読みになることをおすすめします。

読んだら、自分が今「失敗」、「ありえん」、「サイテー」、「最悪」と思っていた現実が、実は本質的な成功の始まりだった、という事実に気付くでしょう。

「失敗が自分なのではなく、どう立ち直るかが自分」ということです。特に、「フランス革命史」という大著を書き残したカーライルの生き方を紹介したくだりは、どの学生さんも等しく感動するようです。


本気で自分の未来と今を変えたい方は、書店に急ぎましょう。

ちなみに、福岡都市圏のブックオフからは、既にFUNで買い占めてなくなったため、新刊でお探しください。400円くらいです。


面接にしろ営業にしろ、交渉において人が試されるのは当然のことですが、その人がどういう人であるかを判定するには、むしろ、結果を得てからの方が分かりやすいものです。

望まない結果に錯乱状態に陥って醜い同情を求める人もいれば、ぐっとこらえて原因や本質を見極め、今まで以上の努力を行う人もいます。嬉しい結果に慢心して調子に乗る人もいれば、周囲に感謝して反省し、より謙虚になる人もいます。

短期的視点で活動する人にとっては、不採用は悔しいでしょう。しかし、自分の初心というものを見失わない人にとっては、不採用はさらに自分の器を広げるチャンス以外の何物でもありません。



早く決まること。
人からチヤホヤされること。
有名な会社に決まること。

などは、何の価値もないことです。傍観者のために仕事をするわけじゃないんですから。仕事はお客様と仲間、自分のためにやるものです。

内定を得た時、さらなる不足を受け入れて、未来のために感謝と誠意を持ってもっと勉強したくなり、今までの経験全てを受け入れることができる…そういうのが、良い内定です。


とにかく、『後世への最大遺物』のカーライルのくだりを読んでみるといいですよ。

本書は、先日、幼い頃から描き続けた「途上国支援」の夢を、最も理想的な形で実現できる会社に内定をもらった、女子大4年・Tさんがいつも紹介する本でもあります。

地方の無名大学の、ビジネスや経営とは関係ない学部の学生が、東京の有名大学の学生との競争に打ち勝って「九州で一人」、「大学で初めて」という内定をもらった時、その人のカバンの中にこっそり潜り込んでいた本です。

今の自分を認めたくない、時間を巻き戻したい…そういうどうでもいいことに時間を使っている方がおられたら、ぜひご一読を。




今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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◆今日の一言
No.416(07/4/1)

『空のところが、役に立つ』(老子)





隈本さん、ご結婚、おめでとうございます!お二人の幸せな未来を祈っています!

…ふぅ~。

これで、2007年のエイプリルフールが、無事終了しました。隈本さん、ご登場、ありがとうございます。昨日は西南のTさん、Oさんへの仕事のお話も、どうもお疲れ様でした。



さて、今日はいよいよ、東京から出版社の編集長さんが来てくれて、デビュー作について打ち合わせを行います。どんなプロデュース方法になることやら…。


お昼に福岡空港にお迎えに行くのですが、その前に、「ほんだらけ」空港店に行こうかと考えています。

昨日はちょうど、ANAの客室乗務員に内定した福大卒のEさんから元気なメールが来て、今月、北海道の路線で初フライトに搭乗するという知らせをいただきました。

Eさん、夢の初フライトの成功、応援していますよ!小松空港には、僕の高校の同級生も客室乗務員で毎週通っていますから、いつかご紹介しますね。


それにしても、昨日のFUNゼミでは、本のプロデュースに合わせ、このメルマガも同時にPRしようと、学生さんたちが『内定への一言』のキャッチコピーを考えてくれたのですが、聞いていて本当に勉強になりました。

10歳近く若い学生さんたちの考えを聞くのは、いつも本当に楽しいものですが、こと、自分の出しているメルマガが題材だと、「なるほど、そういう見方もあるのか」と、新たな発見がいっぱいでした。

中でも、Q大のO津君には特に活躍してもらったようで(女子大のT地さんが強制的に頼んだとかいう噂も…笑)、短くもインパクトのある言葉をいっぱい考えてくれ、心強かったです。


昨日のグループワークでの意見、アイデアは、リアルタイムで全部携帯に入力し
ました。後から送っていただいた分も含め、今、それを振り返ってみると…

■3分後の自分革命
■視界広がる、未来広がる
■面接官の裏をかく
■就活力、配信中
■大学生が見た、FUN連続内定事件
■迷走STOP
■採用側のThe Answer
■あなたの夢をプロデュース
■内定、がっつり出てます

…などなど。

僕には、こんなに若々しくて柔軟なアイデアは出ません…。ほんとに有り難いです。


あと、昨日はなぜか、冷ややかな笑いとともに却下されたようですが、Q大2年のM君が司会の途中で言ってくれた、

「就活の中心で、志望動機を叫ぶ」

もなかなかのアイデアだと思いました。僕はこういうの、大好きですけどねぇ。「本歌取り」は創設者の安田君も大好きだった手法で、いつもクールなギャグを連発していたのが懐かしいです。


さて、そもそも、このFUNの始まりは、僕が社会人仲間と一緒に主宰していた異業種交流会に参加した、当時西南大2年の安田君が、「ビジネスって面白い!」と目覚めたあたりに由来があります。

法人営業や財務コンサルティングを行う友人たちと、とりとめもない雑談を行っていたら、「そ、それ、学生にも聞かせてあげてください!」ということになって、仕事が終わった後、大濠公園のミスドで学生さんたちと話すことになりました。

財務会計の知識や法人営業の実践的具体例、原価計算の着眼点、販売コンサルティングのアイデア…そんな話は、僕たちの中では当たり前すぎて価値を意識しないものですが、世代をずらしてみると、こんな情報に価値を見出す人たちがいたのです。


中退して、7年ぶりに会う大学生は、一体何に興味を持っているのか。

僕は全く分かりませんでした。それというのも、前職は経済誌の記者だったため、毎日毎日年上の人しか会わなかったからです。

異業種交流会も、数十人が参加していましたが、僕は最年少に近い年齢でした。


それで、聞かれるままに就活や仕事選び、起業体験、営業実務、会計センスや知識などを話したら…。

「来週、自分の友達も連れてきていいっすか?」

という声が続出し、毎週、ミニ勉強会の参加者が増えていきました。


「おかしいなぁ…大学生なら、これくらい知っているはずなのに」と思ったんですが、学生の実務知識や経済知識は、僕が思っていた以上に、現実の業務とは乖離したものばかりでした。


経営の最前線で奮闘する経営者と接し、自らもそういう立場にあった自分から見ると、学生の勉強は「よそゆきのきれいごと」みたいに感じました。

しかし、学ぶ意欲や素直な姿勢は立派で、吸収が早いことに驚きました。


「こんなに向上心と理解力があるのに、教える側が手を抜いたばかりに不安になって、かわいそうに」。

そう思った僕は、それ以来、毎週、喫茶店で学生さんと話す時間を定期的に持つことになったわけでした。

安田君は、この勉強会をベースにサークルを作ったため、これが今に至る「企業取材サークルFUN」の始まりです。


さて、「社会人には当たり前の知識や体験」を、世代をずらすことで「集客情報」に変えた安田君の視点は見事だと思いませんか。

僕たちの世代には「無用」ではないにしても、わざわざ集まって学ぶほどのことはない基本を、大学生を対象にすると「差を付けられる情報」、「学校では学べない知識」となるわけですから。

これは、「実務知識」という過剰在庫をうまく活用し、サークルの勉強会に当てはめた事例です。


他にも、「余ったもの」を安く活用してビジネスにつなげる発想はたくさんあります。


空席を買い取って転売するHIS。
深夜特急を借り切ってスキーツアーを生み出した西武鉄道。
空いた施設を使って合同説明会を行う業者。

これらは全て、FUNでは昔から説明してきた「過剰在庫活用ビジネス」です。



本業でそれらの機械、設備、施設を運用する業者から考えてみれば、「空き時間がもったいない」、「客はどこだ」と思うようなものも、別の視点で見てみると、有効な資源になる場合が多いものです。

まさに、昨日のBusiness Cafeで読んだ「無用の用」(『老子の読み方』月洞譲・祥伝社)の考え方ですね。

「役に立たないと思うものも、視点を変えると役に立つ」。それが「無用の用」です。


本書では、コップの空いた部分や家のくりぬいた部分が、「水を入れる器」や「窓」となって役立つことを例に挙げ、一見無用と思われるようなものも、意外な形で役に立つことを分かりやすく述べています。


僕の弟は長崎で建設会社を経営する社長で、先代の社長さん(今は会長)が、とにかく「老子」が大好きな方です。

弟は21歳で結婚して長崎に行ったため、僕も当時からよく諫早に行っては、会長さんのお話を聞きました。

「経営は無為自然だ」
「世の中に無駄な資源はない」
「建設会社は地球に感謝せないかん」



原価ゼロに近い砂浜の砂利からセメントを作ったり、ゴミとしか思われていない廃棄物から資源を作ったり、液状化が起きた土地を花畑として再利用したり…建設会社はまさに、日々の業務の全てに「無用の用」が溢れた業種です。

僕のように、都会型のコンサル業務をする者から見れば、「どうやって使うのか?」と思うような資源にも、建設会社の社長である弟から見れば、「これはこう使うったい」となり、色々と教えてもらえます。

僕たち社長兄弟は、昔から「省くこと」と「大切に使うこと」を母から徹底的に教えられており、とにかく何でも大切にするような習慣を育ててきたのですが、弟は建設会社を経営する今、その家庭教育がずいぶん役立っていると言っています。


この「無用の用」を昨日の朝、学生さんたちと一緒に読んだ限りでは、「浪人」の体験が後々考えてみれば、自分の人生には特に役に立っている、という話になりました。

FUNは、「浪人」、「O型」、「女子大生」が多いサークルで、詳しい数字は知りませんが、5年目の今年でやっと、「現役生」が代表になります。

浪人は、僕は経験したことがありませんが、落ちたときは「お先真っ暗」のような徒労感に打ちひしがれ、「なんで自分だけが」、「あんなに頑張ったのに」と思うものの、半年くらいすれば、「あんな軽い気持ちで受からなくてよかった」と思えてくるそうです。


ひいては、それで大学生活にも真剣な判断力が働くようになり、酒や遊びに走る前に、「これでいいのか?」と自制して、勉学を優先できるようになる点では、やっぱり、「無用の用」なのかもしれません。


「無用」を「用」に転じさせる視点として昨日語り合ったのは、

①長期的視点と大局的視野の両立
②動機と目標両面からの公平な評価
③感情におぼれず、本質的に結果を観察すること

といったものでしたが、これらを踏まえて考えると、なるほど、人生には一つも無駄なものはないものですね。ただ、明らかにマイナスのことを、「いい経験だ」とかごまかすような言い逃れはダメだね、という注意点もありましたが。


皆さんが今、就活や仕事で「無用」と思っているようなことはありませんか?

それは本当に「無用」なんでしょうか。

初心に返り、長期的に目標を定めてみれば、案外、「用」としての側面が見えてくるかもしれませんよ。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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