◆今日の一言
No.422(07/4/10)
『決断力がないのではない。結果を決めていないだけだ』
4月になると、企業の採用活動も一斉に本格化します。
昔は「就職協定」という暗黙の了解があって、学生が3年生の間に表立った活動をすることは控えられていたのですが、今ではそういうことも言っていられないようです。
別に「早く決まる」ことには何の価値もなく、ただ学生は早めに安心できるというだけの効果しかありません。大事なのは内定に「どれだけ深く同意できるか」であるからには、ここから、「決断力」が問われてきます。
早く決まっても、推薦入試で楽に決まったばかりに、大学でついていけなくなるような状態になってしまったら、かえって大損ですからね。
さて、昨日のトップセールス研究会に、今週から「新社会人」として参加してくれたIT企業のAさん。思わず自己紹介で「筑紫女学園大学の…」と言いそうになったようです。
終了後に、勉強熱心なAさんから「決断力って、どうやったら身に付きますか?」という質問がありました。
それについては、以前メルマガで「決断力がある人は、先に結果を決めている人だ」という一言を扱ったのと同じで、「決断力」という能力は定量的に身に付けていくものではない、というのが僕の意見です。
では、どうやったら獲得できるのかというと、「決断力」という能力があるのではなく、その発揮形態を考えよ、ということです。
つまり、「まず、大きな決断をせよ」ということ。
日々訪れる判断に際して求められる決断を学生さんは「決断力」と呼ぶようですが、その速さ、深さ、正確さは、「大きな決断をどれだけ鮮明に描き、その決断と今の判断をどれだけ具体的、かつスピーディに関連付けられるか」によります。
要するに、「大きな決断が、小さな決断を引っ張る」というわけです。
例えば、「将来は弁護士になる」という未来を決めている人がいるとしましょう。
そうなれるかなれないか、という基準は間違っています。目標はまず、先に「そうする」と決めるものです。ゆえに、判断基準はいつも、「するかしないか」しかありません。
現状がどうであれ、まずは「未来」を決めてしまうことが大事です。
これについての決断力を問うなら、それは最初から間違った考えです。
夢は可能性や根拠を無視して、先に決めるものです。なぜなら、可能性や根拠は、決めてからじゃないと出会えないからです。
「できそうなら、そう決める」というのは、もっともらしく聞こえて間違っています。「そう決めたら、できそうな根拠が見つかる」しかありません。
ということで、「弁護士になる」ならそれでいいので、まず決めましょう。
そうすると、友達から「カラオケ行こ~」という連絡があった時には…「ごめん」と決断できます。
「法律事務所でインターンシップ」という案内があれば、すぐに「申し込もう」という決断ができます。
「法科大学院開設」というニュースがあれば、「調べよう」という決断ができます。
お分かりですか?先に決めると、どんどん実現の根拠が集まり、積み重なっていくのが。
もし仮に、「弁護士になれるかなぁ、なれないかなぁ」などとどうでもいいことを考えながら過ごしていれば、友達から「カラオケ行こ~」という誘いがあった場合、「まず気分転換しなきゃ」とすぐに参加するでしょう。
「法律事務所でインターンシップ」という案内を見ても、「今の自分にはそこまでの知識はない」と無視するでしょう。
「法科大学院開設」というニュースを見ても、「また今度」と言うでしょう。
「先に決める」ということをしないで「決断力が欲しい」と言うのは、こんな簡単な例え話からも分かるように、「ありえない」ことです。
そもそも、それは「言っていること」と「やっていること」が最初からずれています。
同時に成立しない要素を同時に求めるため、「何か役立ちそうな情報」には日々触れるものの、なんとなくそれが自分を刺激しつつ焦らせつつ、結局は「何もしない」となるわけです。
もちろん、役立ちそうな情報に触れれば、一瞬は「良さそう」と思うものの、「やらない」という決断は自分のネガティブな部分を確認しなければ行われないため、「拒絶」という決断を無意識のうちに繰り返すほど、その人には「情報」が見えなくなっていくわけです。
つまり、「やりやすい小さな決断」を遠ざけ、先送りにすることによって、「やりにくく大きな決断」を迫られる日が刻一刻と近付いてくることになるわけで、これまたずいぶん皮肉なものです。
先に結果を決めておかなかったばかりに、簡単で地道な決断ができなくなり、その結果、毎日に手応えを残すことができず、しかるべき時に「決意と時間の一括払い」を食らうことになる…。
そういう若者が就活や就職に対して、「私って、本当に決断力がない」と誤解するのは当然のことでしょう。
ないのは「決断力」ではなく「未来像」です。
なのに、この期に及んで「根拠がないと未来は決められない」と言う…。その考え方のせいで、今まで損を積み上げてきたのに…。
今の自分がどうであるかは、一切夢とは関係がありません。
一般に、できる人ほど「夢に合わせて現実を変える」というアプローチを採ります。逆に、そうではない人ほど「現実に合わせて夢を変える」というアプローチを採ります。
人生は皮肉なもので、現実よりも未来が正しい、ということも起こります。ネガティブ思考に陥って見積もる現実より、ポジティブ思考で正確に見定める未来の方が、案外いつも正しいものです。
ということで、「私は決断力がない」と言ったり考えたりするのは、とても危ない傾向です。それは、認識の仕方や発言の仕方からいって、最初から矛盾を犯しているからです。
行き先を決めずに、交差点を曲がることはできません。いつも「行き当たりばったり」の人生なら、毎日が交通事故になってしまい、毎日傷付き疲れて、癒されたり慰められたりしないといけなくなるでしょう。
適度な気分転換は必要ですが、毎日気分転換をしているような人がいれば、それは達成よりは恐怖や現実逃避の産物です。
「何も決めていない」という人は、日常の小さな決断すら怖くてたまらなくなって、生活が乱れたり、金銭習慣が狂ったり、食生活がおかしくなったり、部屋が散らかったりするものです。
ということで、多くの若者が通常口にするところの「決断」とは、実は「想像」というわけです。
先に未来を決めておけば、毎日遭遇する様々な体験、情報は「これは私の夢とどう関係があるか」を想像・確認するだけで判断・処理することができます。
そして、「速く、正しく、深い決断」ができるようになるのです。そういう状態を、未来を決めていない人は「決断力があるね」と言いますが、それは決断力ではなく、未来との関わりを見抜く「想像力」です。
遅い決断は「よく考えている」というふうに映りますが、遅いとはそもそも関連性や可能性が見抜きにくいという証拠である場合も多いので、皮肉なことですが、時間をかけた決断が常に正しいとは限らず、多くの場合、「遅い=悪い」となります。
それは、「未来」ではなく「現在」を基準にしたものであるため、必然的に「今の自分に可能かどうか?」を考えることから、大抵が不可能という結果になり、自己嫌悪や恐怖が加速されることになります。
恐ろしいのは、「決断力がないこと」ではなく、「未来を決断しないこと」です。持っている決断力すら発揮できなくなり、最後は自信を喪失して、コンプレックスの塊になってしまうからです。
そもそも「やるかやらないか」であるところの問題を「できるかできないか」考え始めたら危ないサインです。
そういう「報われない無駄な努力」に陥る前に、まず未来を決めてしまいましょう。
そして、「できそう?」と言い合うような人とは、数日間付き合わないことです。いいことを優しく話し合いながら、お互いを腐らせる人間関係だってあるのですから、変わりたいと思ったら、一時期は環境を変えることも必要です。
決めれば正しい決断ができ、保有能力と発揮能力が一致してきて、ますます大きな可能性が描けるようになります。
ということで、決断力を身に付けるのって、とっても簡単です。
「私は○年後に○○な人になる!」と今、そこで、誰の判断も仰がずに決めればいいだけ。そうすれば、欲しくてたまらなかった「決断力」も、好きなだけ手に入りますよ。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
ただ今、教育・学校部門36位、就職・アルバイト部門20位です。
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