◆今日の一言
No.414(07/3/28)

『御身一人にても、千人の知己を得たる喜びなり』(石田梅岩)



今日は、講義形式では最終回となる「FUNマネー塾」の第②回を終え、学生に人気の「金融勉強会」を主宰して下さっている、スターホールディングス㈱の木村さんとお話しました。

http://ameblo.jp/woody-village/

木村さんのパンフレットには、「通りすがりの金融屋」、「通りすがりのギター弾き」という自己紹介があります。

それを見て、「通りすがっている割には、なんと律儀でまめな方だろうか」といつも思います(笑)。


自分を客観的に見つめ直す機会が得られたらという気持ちから、4年ほど前に引き受けた、ある学生サークルの「顧問」も、「通りすがりの駆け出し社長」でした。

大学中退、最終学歴は天草自動車学校、学校大嫌いの僕が、よりによって現役大学生のサークルの顧問とは。

しかも、「教壇」に立って「講義」なるものを行うなんて…。

こんなに先生に向いていない大人もいないのに、毎年数人、「先生」と間違って呼ぶ学生さんもいます。


というふうに、この4年間、FUNの顧問は「世を忍ぶ仮の姿」でした。

それが…忍べなくなってしまいました。

http://www.onbook.jp/bookd.html?bid=0074



あぁ…。

「全国デビュー」。

今から3週間もすれば、僕の名前が書いてある著書が全国の主要書店に置かれ、様々な場所で販促が行われ、企業、大学、家庭、行政機関の多くの方々の手に取られることになるのでしょう。


しかも、FUNで作ってきた原稿のストックは、「ハードカバー」の字数で換算して「8,000ページ」分あり、「30冊」に相当します。

この年で、自分の仕事をしながら、「世を忍ぶ仮の姿」のくせして「30冊分の本」を書いた人間なんて、十万人に一人、いるかいないかでしょう…。

別に、記録を作ろうと思ってきてやってきたわけじゃありませんが、気付けば大変なことになっていました。


それもこれも、学生の皆さんがかわいくてたまらないからです。

皆さん、本当にありがとうございます。

よく、芸能人やアーティストがライブなどで「ありがとー!」、「みんなのおかげ!」と言っていますが、いざ、自著が全国発刊されるなんて段階を迎えると、ほんと、そうとしか言いようがないと感じます。


数冊の著書を世に送り出した来年の今頃は、このメルマガの読者も、かなりの人数になっていることでしょう。

就活の時は、全国の学生、若年者が研究・引用し、批判・質問する人も現れ、『内定への一言』は、知る人ぞ知る情報源になっていくのでしょう。

そうなった時に、皆さんの「先見性」が改めて評価されることになります。今までは「人に言えない変な情報」だったのが、「おれ(私)は、有名になる前から知ってたよ」と言えるようになるわけです。


メジャーになる前から応援して下さった皆さんの好意と応援にお応えするためにも、ぜひ、求める方々に読み継がれる著作にせねば、と気合いが入ります。

そして僕は、今までは「通りすがりのブックオフ評論家」だったのが、「通りすがりの作家」に転身します。

「作家」か…。こんなに早くなってしまうとは。

また一つ、目標前倒しで夢を達成してしまい、余った時間で何をしようか、色々と模索しているところです。


とりあえず、何回か世界一周旅行でも行ってこよっかなぁ…。

なんてことはしませんよ。

「天国に一人でいること。私にとって、これほど辛いことはないだろう」(ゲーテ)と言うように、いくらお金と時間が余った身分になっても、仲間がいなければ、何の幸せも生まれません。


「小成に安んずることなかれ」と言います。

達成した目標はいちいち回想せず、さっさと次の目標を描いて、自分の不足と向き合い、新たな達成に向かって今日からコツコツ頑張るのみです。

本当に嬉しいのは、本の発刊ではなく、読者の皆さんと夢や課題を共有し、情熱や思いやりでつながるネットワークを築いて、それぞれの居場所で日本を元気にする仕事に打ち込むことです。


僕が敬愛する江戸時代の商業思想家・石田梅岩は、日本社会に存在する商業や商人に対する偏見を深刻に受け止め、商人が自信を持てるよう、儒学の思想体系と会計思想の合一を図り、「心学」という独自の学問を創始しました。

ベンジャミン・フランクリンより50年も早く商業道徳を理論化し、アダム・スミスより50年早く市場経済の合理性を説き、ミルトン・フリードマンより250年早く商品先物経済の存在を肯定し、世界で最も早く、「人間精神と経済合理主義の一致」を唱えた梅岩。

昭和の大実業家はおろか、明治維新で巨大な国家的事業を行った歴史に残る大実業家にいたるまで、梅岩の「都鄙問答」を読んでいない人はいません。


渋沢栄一、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎、大久保利通、伊藤博文ですら、欧米思想の限界を知って回帰すべき原点を模索した結果、梅岩の「石門心学」こそが先進性と伝統の一致を叶える哲学だ、と悟りました。

その本質的かつユニークな「都鄙問答」の原文は、先月の「FUN Business Cafe」でも少し読みましたよね。

西南国際文化3年のAさんは、「何ですか、この茶色い本は?」と驚いていましたが、中身を読んでみて、その新しさに非常に感動していたのを思い出します。


その梅岩は、京都で商売を行うかたわら、商業思想に興味をもち、仕事の合間を縫って勉学を続け、40歳を過ぎて会計と人間精神に関する偉大な悟りに到達し、教育者として生きることを誓いました。

思い立ったが吉日。

梅岩は講義資料を用意し、宣伝を行って、ある講堂を借りました。


しかし…。

連日「ゼロ」が続き、梅岩の奇抜で意味不明な宣伝は怪しまれるばかり。

それどころか、「おまえは邪教だ」、「人心を惑わすな」、「商売人は商売をやっとけ」という中傷が投げつけられ、来るのは「冷やかし客」ばかり。


梅岩はそれにもめげず、がらんとした講堂で、たった一人、講義資料を見ながらイメージトレーニングに励んだと言います。

そして数日後、初めて聴講客が訪れました。それは、商売に悩む一人の老人でした。

梅岩は満面の笑みで老人を迎え、「さあ、お上がり下さい。ともに学びましょう」と言ったのですが…。


老人は気を利かせたのか、それとも「自分一人」という予想外の展開に気まずくなったのか、「私のような年寄り一人のために先生の時間を使わせるのは申し訳ないから、帰ります」と言いました。


それを聞いた梅岩は、優しい表情になって、老人に「御身一人にても、千人の知己を得たる喜びなり」と伝えました。

「あなた一人でも、私にとっては、千人の親しい友人を得たような喜びです。一人だろうが千人だろうが、私の情熱は変わりません。さぁ、ともに学びましょう」。


梅岩のこの大らかさと優しさに打たれた老人は、梅岩の説く「心学」を学び、それを見聞きした人々が一人、また一人と増え…。

翌年、京都の町には5,000人の聴講生が訪れるほどの人気授業となり、梅岩の思想を広めようと決意した弟子・手島堵庵の力もあって、心学は全国津々浦々に広がっていきました。

江戸末期には、心学を学んだ子どもたちの数は、実に「三十万人」に達していたといいます。

この中から、明治維新を担う数多くの思想家や志士たちが生まれ、歴史的事業を成し遂げたというのですから、梅岩の願いは弟子たちによって果たされたとも言えるのです。


西南法学部3年だった安田君がFUNの構想を練り、4年生となってビラ配りを開始した2003年4月。

たった一人で十大学近くを回り、早朝から数百枚のビラを配り続け、「知己」を求めて努力を続けました。

しかし、学生から寄せられる視線は「何、あの人?」、「FUN?知らん」、「就活?やりたくねー」、「取材?できるかって」というつぶやきが、聞こえるほどの大きさで投げつけられました。

ビラは道に捨てられ、冷やかしメールも届き、怪しまれたり、不思議がられたり…。

それでも会場を予約し、イベントを企画して、数百枚のビラを配ったのに、当日の参加者は「ゼロ」。

ゼロがけっこう続きました。

しかし安田君のすごいのは、ゼロならゼロで、「小島さん!リハーサルやりましょう!」と元気に言い、堂々と「今日はこんなに集まってくれて、ありがとうございます!」と練習していたことです。


そして、一人、また一人と学生が集まり、それぞれに熱っぽく語りかけ、大月さんや牛尾さんたちが入部してきました。

二人とも、世間の右左も分からないような学生でしたが、口を揃えて言っていたことは、「こんなに本気の場は今までに見たことがない。小さいサークルだけど、絶対に伸びる!」ということでした。

FUNは年々実績を重ね、今では口コミで「入らせていただけるでしょうか」という問合せが来るほどの人気サークルとなり、ここ一年の悩みは「人が増えて場所がない」というものです。


あの頃の安田君の苦労と困難に相当するような仕事や作業は、もはや、今のFUNには存在しません。創業よりきつい役割は、組織には存在しません。

FUNを資金的に応援したいという企業は毎年何社も出てくるし(全部お断りしています)、サークルなのに提携を希望してくる企業も多数あるし、他の就活サークルからは、毎年のように「運営方法コンサルティング」の依頼が来ます。

どの大学のどのビジネスサークルでも、「FUNは別格」、「あそこの勉強は格が違う」という噂が浸透しているようで、運動部や文化部の様々な部活、サークルから、集客、組織管理、リーダーシップに関する質問を受けるのは、毎月の恒例行事となっています。


しかし、調子に乗ってはいけません。

求められるほど謙虚に接し、自分たちはまだ、価値あることなど何もやっていないのだと気持ちを引き締めることが大事です。

ビラ配りをしなくても毎月、毎週、福岡のあちこちから見学、入部希望者が訪れるような規模・知名度のサークルになったからこそ、原点である素朴なビラ配りや「一対一の熱心な説明」を重視せねばなりません。


五年目を迎えたからといって、活動内容を変える必要などありません。活動しているのは、今も昔も学生です。

ならば、学生が素朴に喜びと感動を味わって成長できるような地道な活動を、これからもずっと続けていけばいいだけです。

サークルでも会社でも、大事なのは一人一人と丁寧に接し、風通しの良さと結束の強さを両立させることです。そのためには、先輩が態度で思いを伝え、後輩の可能性を引き出す習慣を育てるだけです。


安田君は何も報われなくても、全ての苦労、恥、損を引き受けて、何の見返りも求めず、笑顔で卒業しました。

そんな先輩の思いに応えようと、大月さんと牛尾さんが踏ん張ってくれ、手が凍りつきそうな冬のビラ配りを続け、FUNの基盤が整っていきました。

たった一人の先輩が並外れた熱意で耐え抜いてくれたからこそ、今では全国紙に何度も取材され、書籍化を依頼されるほどの講義を実施し、他県からも受講者が集まるほどのサークルになったのだと思っています。


安田君もまた、「一人の学生が感動すれば、百人が入部する」と、誠心誠意、初対面の学生に向かって夢を語り、思いを根気良く聞いていたのが懐かしいです。

それ以来、FUNでは「しゃべりすぎの人は二倍聞こう。しゃべるのが苦手な人には、機会を与えてみんなで褒めよう」というのが、組織の習慣として完全に定着しています。

人は自分が迎えられた時と同じ態度で、新しい仲間を迎えます。FUNがこの姿勢を全体で守り続ける限り、サークルは永遠に発展していくわけです。


「御身一人にても、千人の知己を得たる喜びなり」。

今こそ初心に帰り、今度は、全国の読者や未知の仲間に向かって、信念を込めて、根気良く呼びかけていく段階です。

部員の皆様、読者の皆様、全国の若者の可能性を信じ、日本を「働く姿がかっこいい国」にしていくため、応援、よろしくお願いいたします。



今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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