ブルースの女王、という評は掛け値なしの真実です。
ところで淡谷のり子や和田アキ子、あるいは森進一の歌ってるのはブルースなのか?
ありゃ演歌じゃないの?
リズムもメロの構成も間違ってるような・・・
ま、いいけど。
えーと、なんだっけ、そっか、ジャニスの話だっけ。
実はあまりこのひとのことは知らないのですが、伝え聞くところによると、めちゃくちゃな人生を歩んで凄まじい死にっぷりをしたかの雰囲気です。
歌を聴けば、その人物伝にも素直にうなずけます。
つぶしたノドから声をフルテンションで吐き出すスタイルで、その歌にはほんとに魂がのってます。
太くてしわがれてるのにツヤのあるハスキーボイス。
低音は苦々しくてシニカルなのに、高音は正確無比のコントロールでクリアに伸びるし、ちょっと他にはないタイプの歌声です。
だけどそんな天賦や技術論では説明がつかない、なんつーか、血液がにじんだようなこの発声には揺さぶられるものがありますね。
いつも死にたがってる、そんな感じ。
歌で死にたかったのかもしれないね、彼女は。
しかし彼女のものは全部聴きましたが、感じ入ったのは最初の一枚(本作)の前半だけでした。
このライブアルバムで彼女は、なんつーかね、ドヘタなバンドの中に放り込まれて、しかも音程もピッチも取れないブサイクな男(想像)とツインボーカルを組まされてるのですよ。
ほんっっっとにもうシリアスにヘタなバックで、最初はまるで聴いちゃいられなかったんだけど、なのにその中でジャニスの声が生き生きと、伸び伸びと飛翔してるのです。
天真爛漫、天衣無縫、それはもう奇跡の歌声ですよ。
天才というより、神。
聴いちゃいられないのに、聴き入らざるをえないの。
ジャニスは、このバックバンドの人間たちが、演奏度外視で、大好きだったのね、きっと。
さて、ってことになるわけですが、彼女はその後のアルバムになると、上手で正確できちんと身なりの整った(想像)バンドと清潔なスタジオで録音させてもらってます。
あわれ、もうジャニスの声に魅力なし。
上手に正確にきちんと申し分なく歌ってるんだけど、魂がのらないのかな、動物園で鶏モモをついばむライオンのような、飼い馴らされたような無惨がそこにありまして。
洗練がアーティストの体温を下げるのは仕方のないことですが、ジャニスの野生も完全に牙を抜かれちゃった。
退屈な二枚め以降のものを聴くたびに、「聴いちゃいられない一枚め」を引っぱり出しては、鳥肌の感触をなつかしむほかないのでした。

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「あ、袋いりません」
と言っても、
「いえ、お入れします」
と、たった一本のワインをうやうやしく袋に入れてくださる信じがたいレジ係がいるが、それはあんたのエゴでしかないんにゃで。
それは、「袋に入れてください」と言われてるのに「いえ、入れません」と断ってることと同じだとは考えられないだろうか?
袋に入れてもらうことに特段の便利を感じない購入者は、その「親切?」あるいは「サービス?」は、ただの「ゴミを渡された」という行為にしか映らないのであった。
迷惑、とはあえて言わないけれど、相手がなぜそれを口にしたのかをかえりみ、おもんぱかるべきではなかろうか。

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不安に落とし込まれたり、ホッとさせられたり・・・
華やがせられたり、平穏が保てたかと思えば、ふとトゲを感じたり・・・
心まどわすてんちょうって、罪なヤツ~!
ん?あ、いや、別に「店長」さんに恋してるわけじゃなくて、「転調」の話です。
トーンをおさえたピアノとソプラノサックスは、まるで木管みたいな調べです。
リズムセクションは異様に遠いところに置かれてるし、朝もやの中にいるみたいな抑制された雰囲気の中、長音階の進行から唐突に短音階、また虹が差すように長調、そして光を閉ざすような短調・・・とコロコロ転調の連続。
心のとどめ置き場がなくて、どうにも引っかかる音の流れです。
なんでしょう、この雰囲気。
心おだやかに過ごしたいのに、疼くような据わりの悪さ。
それがまた心地よかったりね。
思春期の片思いみたいな、あんな感じでしょうか。
しかし音は成熟しきってるテイもあり。
ブラッド・メルドーさんに関しては、例によって試聴ひらめき買いのため、情報皆無です。
英語で書かれたライナーノートでは、本人の名前のスペルすら読めなくて(Brad Mehldau)、いまグーグルで調べて、やっと日本語発音を発見したところ。
「現代の吟遊詩人」と紹介されたりしてますが、なるほど、それはしっくりくるキャッチかも。
一曲の音楽は、主旋律という一本の「高低差のある線」と解釈されがちですが、音楽をよく知るひとには「厚みのある帯」として見えてるはずです。
コード進行やハーモニーと、その階調の変化、リズムとさらにシンコペーションなどのX軸、Y軸、Z軸の綾が複雑に複数次元的に入り組んで、曲は成り立ってます。
その厚みの操作が心をそよがせるわけでして。
そんなトーンの変化を、このピアニストは理屈でなく、感性を頼りに編み込んでます。
音と音とのつながりでかなりの実験を試みたかの曲調。
ストリングスや風管系の楽器を使って叙情的な雰囲気を醸したりもしてるのですが、譜面は前衛っぽいです。
スローなワルツから、7拍子なんて曲もあって、とにかく居心地悪いような心地よさとしか言いようにありません。
ただただ、気にかかります。

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注意!シビアな政治意見です。
いやなことを読みたくないひとは、もっとすてきなページにお進みください。

無能な政権は過去に数えきれないほどありましたが、「国民に迷惑をかける」レベルまで仕事のできない政権は、戦後初めてなんじゃないですかね?
ほとんどすべての施策が、改善とは真逆の「改悪」に思えてしまいます。
空疎な国会論議、発言は軽いのに決断できない宰相、機能しない閣僚、片寄った予算配分、国債の驚くべき発行額、よけいなマニフェストの強行、肝心なマニフェストの後退、そして金に対するだらしなさ・・・この政権、なんかいいことをひとつでもやりましたっけ?
麻生内閣は不愉快極まる政権でしたが、それでさえほんの少しはいいことをしようという心構えが見えました。
今はちがうなー・・・
「ふてんま」なんて、何もしないでほっといたほうが、対現地的にも、対米的にも、世論的にも、予算的にも、まだマシだったんじゃないかと思えてしまいます。
唯一気の利いたことといえば、例の事業仕分けでしょうけど、大口叩いてたわりに、目標数値よりはるか少ない瑣末な効果しか上げられてませんし。
なによりも、声の大きなひとの意見ばかりが通って、本来の理念がかすんでいく現状は、異様を通り越して奇怪です。
ちょっと楽しみなのは、この政権の支持率が戦後最低の記録的水準まで落ちねっかな、という部分です。
「創造なき一方的破壊」「ビジョンなきディテールいじり」がどこまで進むか見守りたい一方、「ついに日本を破綻に追い込んだのは、あの民主党政権だったねえ」などと近い未来に述懐することがないように祈りたいです。
いつまで我慢してたらいいのかな・・・
我慢しなくていいか。
次回の選挙では、共産党にでも投票するか。
どうせ自民党も民主党も、目指すところは実は国家社会主義なんで、同じことかもしれないな、と本気で思ってたりする今日この頃であります。
それにしても、社会的実験が失敗のリスクをともなうのは世の常とはいえ、ここまで激烈な大失敗がくるとは思いませんでした。
すいません、前回民主党に投票したのは、実はこのぼくです。
自分の見識のなさを嘆くばかりです。
だけど今さら自民党って「下水逆流チョイス」はありえないし・・・悩む。
・・・ちょっとリアルに語りすぎてしまいました・・・
しかし、現政権が立ち上がって、とてもよかったことがひとつだけあります。
それは、「野党時代にムシのいいことばかりをぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺらぺらとくっちゃべんないほうがいい」と、あの軽薄な人々が理解することができたと思うからです。
選挙では、国民が手っ取り早く得をするような甘い政策をどの党も並べ立てるわけですが、しかしぼくは思うのですよ。
厳しい意見を挙げる党こそ信頼しようよ、と。
現政権は、選挙のことしか考えてないばかりに、大サービスのしすぎで、逆に国民の首を絞めてます。
これほど恐ろしい政権下での生活を、ぼくは体験したことがありません。
今、最も重要なことは、苦しくても赤字を減らすこと。
現在日本は、税収の20倍程度の赤字を背負ってるわけですが、この対策がいちばん大事。
赤字が増え続けるとわかってたら、国民はお金なんか使わないでしょ。
逆に苦しくても、借金が減りはじめれば、安心してものを買うようになるでしょ。
未来の破綻に備えてるうちは余分なものなんて買わないけど、その不安さえ取り除けば、内需は劇的に動き出すはず。
今の景気の停滞は、ただそれだけの理屈だったりして、と思いませんか?
財政再建派、がんばれ!
・・・といっても、あのでたらめな与謝野さんじゃなあ・・・
とりあえず、なんだか面白くなってきたので、政局自体を楽しもうではありませんか。

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ダウンロードじゃだめ。
音楽ソフトなんて形のないものじゃヤ。
CDがいいの。
・・・という基本姿勢をかたくなに変えない時代遅れなぼくであります。
携帯を使わないぼくは、街に公衆電話がなくなっていくのを慄然と見てきたわけですが、今また、街からCDショップが消えることに一種の絶望感を覚えてます。
池袋西武からWAVEが消えたときは、ほんとに打ちひしがれたもんな。
で、今は吉祥寺のタワレコまで通ってます。
おもに試聴買いです。
昔はジャケ買いなんて言葉があったけど、今はそんなギャンブルを犯す必要もなく、店内で聴いて、気に入ったものを買えばいい。
いい時代ですね。
つか、このすばらしい文化をちゃんと残せー!
つわけでいつも、まったく情報なしの状態からお店のおすすめを片っ端から試聴して、耳に残ったものを購入してます。
クオシモードは、試し聴きでギョッとさせられたバンドです。
ぼくはここからクラブジャズの道にさまよい込みました。
先進的に構築された楽曲、確かな技巧、ドラマチックな即興性、転調や音使いのセンス、どれを取っても超一流です。
パーカッションがきっちりと骨格をつくってるから、どれだけ走っても崩しても、モダンジャズ(という名の古いジャズ)のような聴取側の混乱が起きません。(←聴き手が未熟なだけなのだが)
ライブ感もいい。
このあたりが「踊れる」を前提としたクラブジャズのいい点かもしれませんね。

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工房の連絡用に「goo」のフリーメールを使ってるんだけど、調子がよろしくありません。
年度またぎ(3/31~4/1)でgooが大メインテナンスをやって以来、まったく機能しないのです。
つまり、リニューアルされた画面が動かないのですよ。
うまく反映されてないカンジ。
よけいなことしてくれたもんだ。
もうどうしょもないので、gooに問い合わせつづけてるんだけど、その返事もなしのつぶて。(新たに他のチャンネルでフリーメールを取得して、抗議してるのでした)
まったく、どうなっとるのだ、goo。
Macだからか?
それとも光じゃないから?
時代遅れの容量貧困ADSLだから?
それとも家の脇を走る高速道路のせいか・・・?
とにかく、メールが見られない、送れない、の状態なので、みなさんにもご迷惑をおかけしますが、もうしばらくお待ちください。
・・・とかいって、ほんとに直るのかな、これ。
どなたか原因のわかるひと、いません?

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洗練されると無惨になるのがロックってものです。
ポリスも、実質かっこよかったのはこの二枚めまででした。
ストリングスに逃げると終末が近い、というのがぼくの考えるバンド理論ですが、ポリスもそんな感じでしたね。
つまり、トゥ・マッチ・プロデュースが音の芽を枯らすわけでありまして、これは他のどんなカテゴリーにも言える現象です。(陶芸家も気をつけないと)
逆説すれば、粗くて熱くて伸びしろを感じさせる音というのはひとの心をひきつけるものです。
いっこ下のスチュワート・コープランドものの紹介で「プリミティブ」という言葉を使おうか考えたのですが、いやまてよ、アフリカの音だからってプリミティブというわけではない。
むしろあちらには考え抜かれた技巧があり、このポリスの二枚めアルバムのほうが素朴で原始的な力にあふれてる気がして、こうして並べてみました。
思いつきエッセンスそのままとも思える楽曲を、精鋭パンクロッカー三人の才覚だけで調理した作品の数々は、衝撃的でした。
時代をつくるってのはこういうことなのですね。
そしてそうした普遍性は、時がたっても色褪せません。

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スチュワート・コープランドは、ぼくが青い時代にいちばん聴き込んでた「ザ・ポリス」というバンドのドラムスです。
おとーちゃんが国家の諜報機関所属のスパイだかなんだかという変わり種。
さて、その変態ドラムス子が、ポリス解散後にアフリカに遊びにいき、現地のいろんな音楽やら歌やら咆哮やらを採取し、再構築したのがこのアルバムです。
大都会のレコーディングルームに帰ってきてから、新たに音を足して現代風に味付けしてますが、ギター、ベース、キーボード、ドラムなど、すべての楽器を自分で奏でてるらしいです。
オンガクマニアですね、このひと。
本人の趣味の一作といっていいでありましょう。
で、結局ポリス風のロックになってまして。
さて、ぼくはこれを遠い学生時代に聴いてたんですが、最近ふと思い出して、もっかい聴きてーな、と。
で、アマゾンで探してみて、まんまとヒットしたんですぐさま買い求めました、大人ってのはすごいね。
「レンタルの流れ品です」という現物はまったくの新品同様で、誰も、一回も、まったく聴かれてない様子。
こんなにたのしい譜をもったいない。
さて中身は、のんきで大らかな音に満ちてまして、だけどかの地はただ茫洋とした平原がひろがってるわけじゃなく、ところどころに緊迫感が張りつめてるじゃないっすか。(ないっすかと言われても困ると思うけど)
背反する価値観がまざり合ってる場所にはいつも奥行きのある音が育つわけですが、そんな複雑な欠片をこの奇才はうまくパズルにはめ込んでます。
ただ、やっぱしあの頃のキーボードの音ってのは軽いなー、流行りとはいえチープだな、と再聴してみてつくづく感じてしまいます。
それでもこの「タノシンデルカンジ」が好きで、ちょくちょく聴いてます。
ヘコんだときにかけるとなんだか少し愉快な気分になれる一枚です。

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今日はほんとに、シリアスにヤバいことを告白するから、読むやつは心して読んでくれ。
あるいは、幻滅が恐いやつは読まないほうがいいね。
では、いくよ。
実はオレ、この世の中に「ウォシュレット」、つまりお尻洗浄機なるものの存在する意味がまったく理解できなかったのだ。
こんな大げさなシロモノがほんとに必要なんか?と。
なんでかっつーと、オレはとても快便で、スッキリもたいがいにしとけや、くらいの勢いでつるんと出るタイプだったのよ。
そしてその後は、ほんのすこしも紙を汚すことなく尻をふくことができたのね。
ふく意味すらわかんねー、ふかなくてもいいんじゃね?というミラクルなひとだったわけ。
でも最近、あれだね、尻の形が変わってきたのかな?少しだけおつりのようなものがそこにそっと残されるようになりまして、ええ。
ああそうであったか、世の民はこのような事態に苦しめられておったか、とようやく悟る40そこそこの春。
こうなると、ウォシュレットなる文明の利器も試したくなるというもの。
この点ではまだオレも処女なんだけど、デパートや駅のトイレなどでみさおをささげてしまうのももったいない気がする。
そこで、いよいよそれを購入しようか、と悩んでいる次第。
どうなんだろ?やっぱみんな使ってんの?
工房にも入れるべき?
俗な話ですまんね。

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