外は大変な強風ナリ。
緩慢な竜巻の中に巻き込まれたような雰囲気。
気圧の谷、ってのはすごいね。
世界中から邪悪なものが殺到してくるみたい。
この世の終わりっぽ。(大げさ)
こういうときのムナサワギってなんだろね?
ワクワク感に近い恐怖感がある。
それにしても、工房の表にぶら下げてる陶製の看板が心配・・・
割れてませんように。
心配なら、チラリと見にいけ今ナウ、っつー話なんだけど、それはしないのです。
見にいって割れてたら、また憂鬱で眠れなくなるし。
窓の外では、巨大なビニールシートが電線に引っかかってるんだけど、こういうのってデンキのキョーキューとかにエーキョーないのかな?
感電、とか、こわい。
こういうときは、東京電力にお知らせしてね。by 電子ちゃん
早くおさまれ、風。
我に深き眠りを。

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いやー、すごいなー。
粛正、とはなつかしい響き。
北のほうの赤い国の出来事みたい。
民主には自由がない、と自由民主なひとは言いますが、ここまで常識がなかったとは・・・
だけど国民がいちばん求めてるのは、経済政策でも、福祉政策でもなく、内紛を面白がることですから、もっともっと激しく火花散らしてほしいな。
自由民主なほうも、常識のないひとが考えナシに行動したりして、実に楽しみな展開。
もう何も期待してないし、思う存分にとっ散らかして、面白がらせてほしい。
ただもう、それだけです。
はは。

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クインテットってのは、五重奏団のことです。
フロントマンにトランペットとサックス、あとはピアノ、ベース、ドラムという基本構成に、クールなビブラフォン(もっきん)や、77歳氏のしわがれてんのに艶のあるボーカルを入れたりして、ふくらませてます。
「踊れるジャズ」を、最近では(最近かどうか知らないけど)クラブ・ジャズというらしいです。
ぼくは踊らないし、クラブにもいったことないし、クラブシーンとやらにも興味がないんだけど、クラブ・ジャズにはドはまり気味です。
「近未来ジャズ」をうたうシロモノはちょこちょこ聴くことがあって、そのたびにあっけにとられたり、考えすぎなんじゃないの?とツッコみたくなったり、つまりがっかりさせられる、ってことが多いです。
でもこのフィンランドの名門音楽アカデミーの優等生たちの最先端ジャズは、知的で、スリリングで、とてもいいです。
ファンクの進化形だけど、未来すぎないし。
音がちょこっとずつ深い、というか、コード進行はシンプルなのに厚みがあるんで、耳が「おっ」と反応してしまいます。
なんつーか、こっちが予感する音をちょこっとずつ裏切ってくれるわけです。
そして、熱い。
しかも、エロい。
つまり、かっこいい。
はやく新譜ださねーかな、と、今いちばん待ち遠しいバンドです。

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政治的発言じみたものが、著者の意識せぬ間にふくまれている恐れがあります。
そういった話題が嫌いなひとは読まないでください。

オレはクジラを食べないし、食卓にあってもなくてもどっちでもいい派です。
だから獲っても獲らなくてもどうでもいい身なのだけれど、「獲らなくてもすむもんならなるべく獲らないほうじゃいいんじゃない?」と、ちょっとだけ海洋資源保護意見寄り。
いや、環境問題っつーより、クジラかわいいじゃん、血みどろのあの画づら見てるとかわいそうじゃん、という情緒が第一。
日本文化を守れ、とか、大げさですよ、そんな文化知らんし。
その手の意見に対しては、クジラは日本の食卓にどうしても必要というわけではないのではなかろうか、と言い返す用意もあります(文化論を聞き入れる用意もあるけど)。
要するに、クジラ肉などあまりありつける食材ではないので、よくわかんないし、別になくてもかまわない、という素人意見です。
ただ、た~だ!
あのシー・シェパードの狂信者たちのあさましい行為を見るたびに、「日本よ、負けんな」と捕鯨を強く支持したくなります。
シー・シェパードがタレる説教を聞くくらいなら、「絶対ムシして、クジラを獲りつづけろ!」と叫びつづけたい気分。
あのテロリズムに共鳴する人々の心根がよくわからん・・・
そもそもやつら、あのひどい犯罪行為によって、どれだけの支持を得られると思ってんだろう?
日本国内においては、皆無、でありましょう。
ニュース画面にシー・シェパードのアホ勇ましい姿が映るたびに、捕鯨船に応援の声が集まってしまうのは自然なこと。
シー・シェパードは知るべきでしょう。
こういう問題は知性のないひとには解決できないのですよ、おつかれさま。
ま、暴れるのが趣味なだけのタカリ成金、なのかもしれんけど。

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鶴岡八幡宮の大イチョウが強風で倒れたってんで大騒ぎになってますが。
それにしてもあれですね、ご近所さんへのインタビュー、これが興味をそそります。
「八幡さんのねえ・・・」「大イチョウさんが・・・」と、「さん」づけです。
以前に長野を旅したとき、「善光寺へはどういけばいいのですか?」と道を尋ねたことがありまして。
するとこの街のみなさんは一様に、「『善光寺さん』はね・・・」といううやまった呼び方をするので、自分の不躾(ぶしつけ)を深く恥じ入ったことがありました。
そういえばうちの田舎でも、八剣神社のことを「はっけんさん」と、お千代保稲荷のことを「おチョボさん」と呼びます。
こういう、擬人化、というのかどうかわかんないけど、尊敬の対象である神社仏閣に敬称をつけるのは美しい文化ですよね。
それで思い出したけど、女優のはなさんは、仏像巡りが大好きなひとです。
仏像マニアといっていい。
そのはなさんがですね、仏像のことを話すときに、たとえば阿修羅像のことを「アシュラさまが・・・」という言い方をするのです。
それは彼女にとっては「像」ではなく、ほんとに尊敬の対象、すなわち神さま仏さまなのです。
「こちらに多聞天さまがいらっしゃって・・・」
「・・・衆生を守っておられます」
こんなにも美しい日本語を聞くのは久しぶりだったので、ぼくははなさんをすっかり好きになってしまったわけですが、それにしても彼女のこの敬語は、相手に対する「崇拝」とも「畏敬」とも少し違う気がします。
それは、お世話になった先生に対する近しみのようなもので、敬愛の念だと思うのですよ。
そういう対象が存在するってのはうらやましいです。
八幡さんの大イチョウさん、早く快癒してくれるといいですね。

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「アバター」もまだ観てません。
どうなの?すごいの?
それにしてもついに3Dテレビまで登場かー。
今だ箱式ブラウン管テレビで「くそっ、雪の日は12チャンにゴーストが出やがるっ」などと呪詛を吐いてるオレとしては、すっかり未来世界になっちゃった外界に戸惑うばかりです。
通常の画像情報を高速処理で立体的に変換する3Dテレビなるものは、おそらく今後10年程度で、既存の古い型式のものをすっかり駆逐してしまうんでしょうね。
ドラえもんやバック・トゥ・ザ・フューチャーって、意外とウソつかないもんですね。
ほんとにそんな時代がきたんだなあ。
しかしこうして未来をイメージするうちに、ふと気づいたことがあるのです。
地球上のほとんどの生物には目がふたつ付いてて、立体的に感覚処理できるようになってますね。
ものすごく古代までさかのぼっても、生物には目がふたつ付いてます。
もっと原生までたどれば、ひとつ目生物を発見できるでしょうか?
いや、最初からこの手の視覚器は、末端でふたつに分かれてたはず。
環境の情報把握に重要なのは、敵や獲物との「距離感」であって、画づらではないものね。
その距離感を計るには、必ずふたつの異なる視点が必要となってきます。
いかな原生生物といえども、粗末な視神経しか持ち合わせていなくとも、周囲は立体的に見えてなきゃなりません。
だから生物はふたつ目なのですね。
「平面画を立体で見たい」という欲求も、感覚の違和感を正そうというもの。
そうした本能的な感覚を、われわれ人類は理性を越えて求めたがるんですね。
3D技術もどんどんリアルになっていくんだろうな。
ところで電器量販店にいくと、最近のテレビがとてつもなく薄くなってて驚愕します。
三次元だったハード(受像機)自体が二次元的になり、ソフトのほうは二次元を飛び出して三次元的になるってのは面白い現象です。
こんな時代になると、ブラウン管式を知らない世代がうちに遊びにきたら、そのあまりの武骨さ、分厚さ、量感に、「すげえ、立体テレビだ」とかいうことになんのかな、なんねーか。

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ストーンズのレコーディング風景をざっくり録音したものです。
ええ、ほんとに「風景」です。
フリーな感じがとてもよくて、大好きです。
この日はキース(ギタリスト)が寝坊して来なかったらしく、仕方なしにバンドのリズムセクションと、ゲストのライ・クーダー、ピアノの「エドワード」なる人物、そしてミックというメンバーでアドリブでジャムったわけです。
いわば、ヒマつぶし。
気軽で、遊んでて、ノリノリで、実に楽しげな雰囲気。
ブルースという音楽形態はほんとに便利で、コード進行の作法さえ知ってれば、すぐに音になります。
ああ、音とはこうしてできてゆくのだなあ、という過程を体感できるのが、このアルバム。
ひとりが口ずさみ、ピアノがそれを耳採譜して音に起こし、リズムが骨格を形成し、全体像が浮かび上がったら全員でリフをいじくり倒して、序破急変幻自在に動かしていくのです。
ストーンズのブルースはかっこいいよね~。
チャーリーのドラムのフィーリングのおかげですね。
さて冒頭、ミックが「ベッドルームにいこうぜ~」かなんかと口ずさんでまして。
これは寝坊して今だベッドにいる不良ギタリストへの当てつけと、この日に録音されるはずだった、かの名盤「レット・イット・ブリード」中の、かの名曲「ミッドナイト・ランブラー」中で、さる人物がベッドルームのドアを閉めるシーンとリンクさせてると読めば、また味わいも出てくるというものです。
採音が雑すぎて聴きものとしてはおすすめできませんが、ぼくの大好きな一枚です。

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オレ、「こってりラーメンが食べられんひと」になってしまったかもしれない。
こないだおなかこわしたのは、きっとこってりラーメンのせいだし(食った途端に気持ちわるくなった)、それ以来チャレンジしてみたこってりラーメンも、三店連続で完食できんかった・・・
野菜ばっか食べてるうちに、動物たちが絞り出してくれた脂をからだがうけつけなくなってんのかも。
つか、ラーメンがおいしくないのよ、最近では。
ちっともその魅力がわからん。
味に共感できん。
期待と失意の差が激しすぎる。
なぜ並ぶ?この店に、的な。
ひょっとして、世のラーメン屋の腕が落ちてる・・・ってことはないよなあ?
ここんとこのラーメン屋って、極端な味付けが多すぎん?
オレの味覚が変わってきたせいか?
昔のラーメンはシンプルでおいしかった・・・ような。
ああ、昭和時代の札幌みそラーメンが食べたい。
・・・と、ここまで書いて、「はた、歳を重ねたせいか?」と気付くオレ。
もう街ではラーメン、食べんようにしよ。
うまい店なんてないもん。(自分の舌に合う店が、という意味で)
おうちでつくった「野菜たっぷり炒め塩ラーメン」がいちばんだもんね。
こう書くと逆に、ラーメンが無性に食いたくなってきたり。
つくるかね、久しぶりに。
ところでぜんぜん関係ないけど、「養命酒」のCMに出てくる、湯気を立たせてるヤカンね。(あ、「ケトル」か)
あれはよめはんのデザインしたA.T.商品だ。
「小枝」「ハウスシチュー」ときて「養命酒」か、シブい。
おわり。

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低能すぎる政党には次の選挙で投票しない、というのは選挙民の常識というものです。
「あ、この政党は低能だ」と判断すれば、別の党を推せばいいわけです。
しかしそれも、低能でない政党というものが存在すればの話です。
ところがそんなものはこの国には存在しないので、いよいよ国民は困り果てるわけです。
ひょっとして政党とは、低能であることをアイデンティティーとしてるのかもしれません。
有能な政党は、国家を仕切る「もっと大きな権力」にとってジャマなだけなので。
政治家は、国民に軽蔑されるためにその職に就くわけですが、政党は、国民をがっかりさせるために存在してるのかもしれません。

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エネルギーの有から無への一方的流れを説く「エントロピーの法則」を読んでてシリアスに恐くなってくるのが、陶芸材料の枯渇、ね。
「粘土なんて山を掘れば無限に出てくる」などという意見は、「石油は地球上に無尽蔵に隠されている」という半エコ学者のお気楽論に等しいです。
粘土だって、もちろん有限です。
ぼくが大好きだった茂木土は、実際に数年前に掘りつくされて絶滅してしまったし、備前の田土などは、有名どころの陶芸家氏たちが寄ってたかって買い占めてしまってろくなものが残ってないという話だし、土の最大の産地である瀬戸だって、掘りまくってじゃんじゃん輸出しすぎて(世界に名だたるいい土なのに、もったいない)枯渇目前というウワサもあります。
瀬戸においては「まだいい層があるんだが・・・」と言われてる敷地にでっかい病院が建っちゃってて、ついに万事窮したときには病院を取り壊そう、などという論がリアルに囁かれてます。
今ぼくは日がな一日、陶土を乳鉢で摺って白化粧土を調合してるんですが、この陶芸材料が手に入らなくなったら・・・と思うと、気が気ではありません。
そのときはそば打ち職人になろうかな、タタラは得意だし。(そういう問題でもないが)
ところで、過去の戦争の多くは、埋蔵資源の獲得合戦でした。
イデオロギーの違いだ、テロリズムとの戦いだ、と名目をつけたところで、しょせん手に入れたいのは化石燃料の眠る土地と使用権。
パイはどんどん小さくなる一方なので、イチャモンをつけては隣の席の取り皿に盛られた一切れにフォークを伸ばす、というシンプルな構造です。
最も近い未来に起きる世界戦争は、おそらく水の争奪戦である、という意見もあります。
水がまさか有限であるなんてことは、日本で暮らしてると考える機会がないんだけど、やはりこれも決められた量しか存在しません。
膨大な人口を抱える第三世界の振興国がお金持ちになり、テクノロジーと戦力を獲得し、交渉力を手にすれば、今まで独占してきた先行国に対して権利を主張するのは当然のこと。
またギスギスした暗い時代がはじまるんでしょうか?
・・・で、まあ、ぼくらの小さな世界の話にもどりますが。
平津長石をゴリゴリと摺りながら考えるのですよ。
こうして資源を調合し、窯に入れる度に、エントロピーは増大してるのだなあ、と。(大げさ)
限りある陶芸材料の争奪戦でギスギスするのはいやだなあ。
だから、せめて、一個いっこの作品に魂を込めて、喪失するものの価値に代替しうる「よりよきもの」をつくろうではないですか。

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