端境期のいろんなひずみが顕在化してますな。
「グローバル社会をつくろう」ってのは、つまり、世界をフラットにしようってムーブメントだよね。
そのせいで、先進国はデフレに苦しみ、債務に首が回らなくなり、失業率は上がり、格付けは下がり、挙げ句の果てに暴動が起きたり。
後進国は生活の向上をよろこぶ反面、インフレに悲鳴を上げ、技術が追いつかない即席工事で事故をくり返し、情報共有社会の実現で統制が機能しなくなり、国民の抑圧も破裂寸前。
国境がなくなって、後進国は先進国レベルを目指して猛烈に上昇を志向してます。
一方、先進国は、後進国に追いついてもらうまでは退行しつづけなきゃならない。
そうして、相互間のギャップを相殺してくしかない。
先ゆく者のアドバンテージは今やデメリットでしかなく、追うものの欲求は執拗でかつ果てしない。
先進国では不満がつのり、後進国ではやんちゃが横行し、世界を平らにするはずの自由主義はかえって各国内での格差を生み、国境がなくなったせいでむしろ国境線で火花が散り、逆説的にあちこちでナショナリズムが膨張し、かくして派手なお祭り騒ぎが各国で発火することになります。
つわけで、アメリカも、日本も、中国も、ヨーロッパも、えらいことになってるわけですが、少なくとも先進国と中国・インド・ブラジルあたりとの貨幣価値がフラットにならない限り、この不安定な状勢はつづくのかもね。
「ユーロ」みたいに、世界の通貨を完全統合して、さらにもう一悶着あって、やっと平穏な社会がくるんだろうね。
えらい時代になってきたと感じてる諸君、まだまだこんなもんじゃないよ。
世紀はじめなのに、世紀末っぽくなってくなー。

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背後の座敷席に、若くて荒っぽい漁師の一団が陣取った。
「やっと漁が再開できて!」
「こんなうまい寿司が食えるようになって!」
「ヨメと子供を食わすことができて!」
みたいなことを、怪獣の咆哮のような大声で言い交わし、肩を叩き合い、乾杯をくり返し、バカを言い合ってる。
「うるさくてすいません」
「平気ですよ。興味深いです」
「ありがとうございます」
大将は寡黙に、魚をさばき、寿司を握り、伊万里の皿に並べつづける。
うまそすぎる。
特上には手が出ないが、寿司だけは食わねば、と思い、1800円也の鉄火巻きをたのんだ。
若衆が、その場で巨大なマグロの中落ちを骨の間からかき出し、ネタにする。
それを大将が巻物にして、出してくれる。
「おまちどうさまです」
一片をつまんで、ほおばる。
ちょっと体験したことのないうまさが、舌の上でほどけてく。
涙がこぼれそうになった。
「おいしいです」
「ありがとうございます」
オレの目に涙がいっぱいたまってくのを見て、大将は目を伏せる。
なんの涙だったのか、なぜかこらえきれなかった。
泣くといえば、あれだね、東北のひとって、こらえつつ泣くね。
声を出して嗚咽するってことが、テレビカメラの前だからからな、ないような。
NHKってのは、ほんとにいい番組をつくるんだけど、こないだ「被災地のお祭り」みたいなのをやってたの。
瓦礫の山というか、完全に滅形した町内を、有志たちが山車を曵いて歩くんだけど、いかつい男たちが声もなく、肩震わせて、落涙してるの。
あれは気質なのかな。
哀しみと、悔しさと、辛抱強さをついに越えた炸裂を、なおも抑制するんだね。
なんと優れた美意識かと思う。
つか、やさしさかと。
で、すし哲。
「ごちそうさま」
と言うと、じいちゃん大将、
「ただいま、口直しの自家製シャーベットをお持ちしますが」
「いや、口、直したくないんで、このまま帰らせてください」
美しい間がありまして。
「余韻を楽しまれるわけですな」
「おいしかったです」
「ありがとうございます」
こういう会話ができるから、オレはつくづく立派だよなあ。
この日は、どこにも傷のない、まん丸の一日だった。
こんな具合に句読点を打って、被災地を後にしたよ。
学ぶことの多い東北行だった。
この旅を物見遊山にしないために、もう一度行かなきゃ、と思ってる。

おしまい

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生ビールが手に入らない、というので、ビンビールを手酌。
のちに知るところとなる「不世出の寿司職人(・・・という本が出てる)」なる人物と、カウンターをはさんで向かい合わせ。
ハンガーで吊られたように背中の丸まったおじいちゃんだ。
が、底の知れない格を感じさせられる。
「カツオの酢漬けというものがございます」
「聞いたことがないですね」
「当店のオリジナルでございます」
「じゃ、それをお願いします」
「ありがとうございます」
ピカピカに輝くカツオの薄づくりの上に、大根おろしがわっさーっとのったものが出された。
ダシと酢が効かせてあって、ペラペラだが名刺大ほどもあるカツオでくるくると巻いて食べると、典雅な味わい。
鼻に抜けるほんのりとした酸っぱさが、なるほど涼味でありまして。
「おいしいです」
「ありがとうございます」
鋭すぎる眼光を重いまぶたの裏に隠しつつ、じいちゃんは長々とした包丁を操りつづける。
どの客も3000円也の特上寿司を注文してる。
巨大な伊万里の皿に、色とりどりのネタ。
うまそう・・・だけど、ちょっと勇気が出ない。
ひとが入ってくるたびに、ハエがまぎれこんでくる。
街がハエに侵されてるのだった。
手で、しっ、しっ、と追い払ってくれるじいちゃん。
「かまいませんよ、昆虫は友だちですから」
と言うと、目を見開くようにしてから、再び目を細め、
「ありがとうございます」。
オレはこういう会話ができるから立派だよなあ。
ヒカリモノのお造りと、アワビの肝を焼いたの。
調子にのって注文するうちに、特上をたのんだほうがお得だったかも、と気づいたが、まあいいや。
焼酎にも手を出しちまったし、ここでは思いきり散財していこう。
店内はどこもかしこも磨き立てられてピッカピカで、引っかき傷ひとつ見当たらず、まるで銀座で飲んでるみたい(銀座で飲んだことなんて一度もないけどね)。
だけど後日ネットで調べると、この店もまた2m50のところまで津波に呑まれ、水が引いた後には、カウンターの上に冷蔵庫がのっかった状態だったんだそうな。
いち早い再開は、やはりこの街の魚文化を残そうという心意気。
そして「希望」の象徴としての自覚ではあるまいか。
「おいしいです」
「ありがとうございます」
こんなシンプルな会話がくり返される。

つづく

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せっかく東北まできたんだし、最後くらいうまい魚でも、と思ったのだ。
そこでボランティア仲間となった地元のおっさんに、どこへいけばいいか?と訊いてみる。
「それならなんたって塩釜にいきなよ」との答え。
塩釜なら電車ですぐなんで、草引きした汗みどろの姿のまま、いそいそと乗り込む。
塩釜の駅に着くとすぐに駅員さんに、どの店に行けばいいか?と訊ねる。
「それならなんたって『すし哲』さんにいきなよ」。
一発解答に、これは期待できそうだ、と心勇んで街に繰り出す。
ところが。
塩釜の街はひどい荒み様。
仙台の街はどこにも傷なく、まばゆく、にぎわしく、熱気に満ち満ち、震災の影はどこにも差してなかったんで、油断した。
塩釜の駅前は「空虚」と思えるほどがらんとしてて、二、三台のタクシーが途方に暮れるようにぽつねんと待機するばかり。
生命反応ときたら、それくらいのもの。
とりあえず教えられた道を歩きだすが、どの店も入り口が閉ざされ、それならまだしも、そのシャッターの閉まったワンブロックがベコベコに波打って、まるで巨大なアコーディオンのようになってる。
頭上は、アーケードが崩れて青空が素通しに見える。
足下はというと、地盤沈下のせいかあちこちに亀裂が走り、派手に土をさらして沈み込んでる。
そこここでブルーシートが張られ、ようやく生命に遭遇したと思ったら、家屋の修繕・・・というか、取り壊しというか、ガテンさんたちの無言の労働現場。
街全体が、いまだ重篤な大ケガを抱えたまま、起きあがれないでいるのだった。
ほんとにこんなとこで寿司が食えるのか?と、半信半疑に店を探す。
あった。
「すし哲」は、不規則にのたうつ町並みの一角に、輝かしく店構えをととのえてた。
ぱりんとノリの効いたまっ白な調理着姿の若衆たちが、何人も店先で立ち働いてる。
何事もなかったかのようなその振る舞い方に、この店の誇りが感じられる。
そのたたずまいは、復興の証、みたいに感じられて、胸がうち震えるような気分にさせられた。
敷居の高そうなその店に、うす汚れた姿のまま乗り込むのは恐縮したが、とにかく「えいっ」と入ってみる。
「いらっしゃい」でもなく、「ようこそ」でもなく、このボロ雑巾のような姿を一瞥して、まず「ありがとうございます」と言われた。
カウンターに座る。
ひとりきりで寿司屋のカウンターに、などという経験ははじめてなのだが、とにかく巨大な荷を背から降ろし、ビールをたのんだのだ。
「どちらからいらっしゃいました?」
「東京都です」
「すばらしいヘルメットですな」
「泥かきの手伝いをさせてもらいました」
「ありがとうございます」
「東北さんにはお世話になってますから」
そんな会話をする。

つづく

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ボランティアってのは、困ってない側のひとが、困ってる側のひととの距離を縮め、格差を埋めてこう、ってアクションだと思うんだよね。
意欲はもちろん「助けたい」ってところから発生してるんだけど、それは対「外」的な意味づけであって、内観すれば、それは「フェアでありたい」って心なんじゃないかな。
持てる者が持たざる者に施す、なんて慈悲心じゃなく、自分が窮地のヒトビトを救うのだ、って大仰な正義感でもなく、ましてや「かわいそうだから」って思い上がったような動機づけでもなく、それは「自分の心がその状況を許さないから」って、ただそれだけのことなんだよね。
フェアであらねばならない両者間の差を埋めて、平らかにしたいの。
渡されたカードが相手だけ何枚か少ない、ってゲームに興じることを自分に許さない、潔癖さというか、意気というか、そんなマインドが根にあるよ、きっと。
その自尊心のため、むしろ自分のために、ボランティアたちはボランティアをしてるのだった。
それは、自然な振る舞いだよ。
日本を救うのは結局、財政力じゃなく、テクノロジーでもなく、この不合理で、清らかこの上ない「感性」なのだ、と信じるよ。
オレのことじゃなく、ボランティア活動にたずさわるヒトビト全体を見渡してしみじみと感じる印象だよ。
それがわかっただけで、本当に、本当に価値ある経験だった。
だけど、またいくよ。
何度でもいかなきゃね。

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草を引いて、引いて、引きまくって、まっさら生まれたてみたいになったエンドーさんちの庭に、目にもあざやかなムラサキの花が「ちょん」と咲いてて、しばし陶然としてしまったよ。
「まあ、桔梗ね」と奥さんが言った。
「きれいね」って。
奥さんはいとおしそうにながめてた。
この光景を見るためにオレはこの地までナニモノかに運ばれてきた、とさえ思ったよ。
オレが動かされたのは、きれいな花を見たからじゃなくて、きれいな花を見てきれいと感じてる奥さんを見たからだ。
このこっぴどい目に遭ったひとの心に、花が咲きはじめたんだなあ。
いつかそれがお花畑になるといいな。

おしまい。

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翌朝ははりきって8時に出動。
ホテルを出て、ラッシュの電車に乗り込み、宮城野体育館に向かう。
最終日だ、悔いなくやったるでー。
ところが、受付時間の9時まであと15分もあるというのに、ホール内はすごい人いきれ。
ボランティア志願者たちが列をなしてる。
待ち合いのイスに腰掛けると、70番めくらいだった。
その後、200人近くが集まってから、主宰者側の説明(入札?)がはじまる。
「ナントカ地区で、どろんこ作業、15人募集です」
「泥かきと、家財運び出し、10人です」
市場のセリのように声がかかると、ヒトビトがいっせいに手を上げる。
そして、イスの前のほうから引っこ抜かれてく。
意外や、どろんこ仕事が大人気。
みんなこれを目的にやってきてるようで、70番めのオレはなかなか仕事が競り落とせない。
結局、「岡田地区、草むしり」が割り振られた(がっくー・・・)。
しかし、これも重要な仕事と理解してる。
がんばらねば。
リーダーを買って出て、40人を引き連れ、移動。
この日は前日とは別のお宅の、畑と庭の草刈り。
現場にいってみると、この地域でいちばんの地主サマらしく、広大な敷地と屋敷。
だが、その家屋の二階はかろうじて生きてるものの、一階部分はすべて流され、骨組みだけが残ってる状態。
この集落はどこもそんな感じで、きれいに下半分が流されてる。
一緒に草を引きながら、亭主と奥さんの話が聞けたが、当時の模様はすさまじいもんだ。
津波のイメージはこれまで、マンガや特撮映画の描写のせいで、白波の立つ波頭がかぶさるように迫ってくるもんだと思われてた。
だけど実際は、海が持ち上がり、その海水面が水平(文字通り)に、加速も減速もなくじわじわとどこまでも移動するものだとわかった。
標高0メートル地帯のこのあたりでは、粘性をもった水が数メートルの高さでにじり寄り、勢いというよりは圧力でもって、すべてのものを呑み込みつつ押し寄せてきたんだそうな。
必死でチャリをこぐ背後から、ご亭主はその化け物に追われたのだった。
・・・などと、諦念というよりは超然とした面持ちで語ってくれる。
それにしても救われるのは、その目に絶望の色も失意の影もまったくないことね。
人間の強さとともに、ボランティアの意味をはっきりと感じたよ。
彼ひとりでは、とてもこうはいかなかったと思うのだ。
支え合って、はげまし合って、そして素直に甘え合って、それで人間なのだねえ。

えー、出動するかっこいいオレ、です。
たった四日間で、精悍に見えるようになるもんだ。
ムシよけスプレーを二本も持ってるところが気になるけれど。

つづく

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あるばあちゃんが、津波に呑まれたんだそうな。
ふと気づくと、自分は高台に打ち上げられ、助かっとった。
が、家族は全員、彼岸の果ての黄泉の国まで流されてしもうた。
茫然自失して自宅に戻ると、そこには家屋の原型だけは残っとったが、家財一切は消失し、庭はがれきですさみ果て、畑はヘドロに侵され、くらくらと腰が抜けそうになった。
避難所では、ただただうつらうつらと日々を送るしかない。
ボランティアのひとりが話しかけると、死にたい、と口にした。
どうしていいかわからんのじゃ、生きとる意味がわからんのじゃ。
こんなときにこそ、と、わが有志らは出動したんじゃ。
泥を掻き、がれきを取りのぞき、庭をととのえ、畑の草をむしった。
家は元どおりに・・・とはいかんが、もとの生活空間が、久しい故郷が、よみがえった。
その生き返ったわが家を見たばあちゃんは、目を輝かせ、何度も何度も、声を詰まらせながら、何度も何度も、ボランティアたちに感謝を、伝えきれない感謝を、伝えたんじゃ。
ボランティアたちもまた胸に込み上げるものあり、なにも言えず、ただただ、うんうん、と聞いておった。
それ以来ばあちゃんは、見違えるようにかくしゃくとなって、ふたたび畑にくわを打ち込みはじめたんじゃそうな。
・・・かなんかという話をミーティングで聞き、オレたちボランティアはまじないにかかるのだった。
草むしりとて立派な復興の手助け。
そして、困ったひとを絶望のふちから救う大切な作業なのよ。
かくして、オレは草ボーボーの原にカマの刃先を立てるのだった。
ボランティアは、総勢4~50人かなあ?
地元のおっさんあり、大学生グループあり、職場仲間のOLチームあり、そして一匹狼あり、の各種入り乱れ。
とてつもなく広い土地を人海戦術で切り開いてくこの光景は、およそ先進国のものとは思えない。
が、誇るべき文化、この国の豊かな心根の発露と思おう。
みんな、やむにやまれず、水木先生言うところの「やらずにはおられず」、参加してるのだった。
ひろびろとした平野部だが、あちこちに車の残骸、朽ち果てた家具、そして生活用品のあれやこれやが散乱してる。
見上げるほどの給水タンクが横倒しに転がり、トラクターは土中に半分うずまり、電車の車両までがサビついて、あり得ない場所で枯死してる。
1キロほど先の海岸線には、おびただしいがれきがまるで土手のようにうずたかく積まれ、それが何百メートルにも渡って連なってく。
巨大な下水処理施設が見えるが、ひどい有り様で、稼働するめどすら立たないらしい。
そんな場所で、草を刈っております、炎天下の午後。
飲めども飲めども、水気は汗となってそのまま体外へ。
刈れども刈れども、分け入っても分け入っても、青い草(山頭火?)。
そんな中、誰もが黙々と、粛々と、いや、生き生きと、手を動かし、足を動かす。
尊敬すべき、名も知らぬ仲間たち。
日が落ちはじめ、夕風がそよぐ頃に目を上げると、背後にはピカピカに拓かれた土地。
だけどオレたちは、土地でなく、ヒトビトの生活を切り開いてるのさ。
その充実感にひたりつつ、仙台に戻った。
で、また牛タンを食べた。

つづく

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仙台市では、独自にボランティア活動を展開し、常に人員を募集してる。
いつでも、誰でも、大歓迎、という市政・・・いや、姿勢だ。
そのシステムはこうだ。
まず、「午前9時に、宮城野球場の体育館に集まってください」とくる。
仙台駅から電車で10分ほどのそこに赴いてみると、なるほど、体育館全体が広大なボラ基地となってる(被災者さんを収容する避難所ともなってるらしい)。
外には洗濯物がはためき、仮設トイレが並び、ボランティアであることを示すオレンジのビブスを着たひとたちがせっせと立ち働いてる。
中に入ると、救援物資の入った段ボールが山積みされた廊下、そして別棟に避難所。
だだっ広いホール内はいくつかのシマに分割され、ボランティア受付、待ち合い、説明所、備品貸し出し所、そして事務仕事などを行う「役場の出張所」のようになってる。
蒸し暑い。
汗が滝のように流れる。
避難者さんたちのしんどさを思う。
受付をすませ、待ち合いブースの折りたたみイスに座って待つ。
この日は少々立ち遅れたので、みんなが出払った後らしく、2人、3人がぽつんといるきり。
ここで待ってるうちに、どこからか仕事が舞い込んでくるので、「この仕事をしてくれるひとは?」などと係員にそそのかされるままに手を上げれば、そのボランティア仕事が割り振ってもらえるというわけなのだった。
合理的だ。
待つこと15分。
「宮城野地区に出動」の命が下る。
集まった何人かと一緒にワゴンに乗り込み、現地に向かう。

降ろされたのは、宮城野の岡田という集落にある、前線のベースキャンプ。
古民家であることはRQチームと同様だが、どこかリゾートな雰囲気が漂ってる。
ここでは、長靴、手袋、ヘルメット、マスク、そして水やアルカリ飲料などの物資が、希望者に支給してもらえる。
さすがに自治体の後ろ盾があるとあって、フォローが手厚い。
手軽な気分でボランティアをしたいひとには、ここは最適かも。
しかしこちとら、過酷な現場を(二日間だけだけど)しのいできた歴戦の勇者だ。
自前の重装備で望む。
なのに、与えられた仕事は「畑の草刈り」。
「そこにチャリがあるから、ただちに現場に急行してくれたまえ!」
「ラジャー!」
拍子抜けしながら、長靴でペダルをこいだ。

つづく

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オレたち硬派組とは別行動の温泉宿泊組は、この日の作業が終わったら東京へトンボ帰りのスケジュール。
バスの時間が迫り、さよならの挨拶を交わす。
ロイター特派員のリサと息子のジョシンも、汗みどろ、泥まみれで、名残惜しそうな顔をしてる。
「Thank you ! for Japan !」と、日本を代表して、力強く述べておいた。
オレは外国人と接するとき、常に日本代表の心づもりでいる。
異文化交流は、官邸ではなく、常にフロントライン(最前線)で行われてるのだ。
オレは総理大臣代行として、彼女とその息子に接するのだ。
そんなあっぱれな人物に、コネチカットのジャーナリストは「日本のためにありがとう」と言われてる。
それは、ただの挨拶ではないよ。
それによって、どれだけ彼女が今回の仕事を「誉れ」に思えるか、という、これは重要なひと言なのだ。
そう信ずればこそ、オレは彼女らに対して、そのひと言を言わねばならんのだった。
彼女らは、この困り果てた日本を憂い、思いやり、ついに行動を起こし、被災地を(少しだけ)救った。
その対価を彼女らは受け取らなければならず、オレはそれを国家を代表して贈ったというわけだ。
なんとすばらしいやり取りではないの。
とても意味のあるひと言というものがこの世の中にはあるが、これがそのひと言である、と断言するよ。
彼女らは、これで報いられたのだった。
ただ、こじきのおっさんがひと言の挨拶もなしにバスに乗車。
おまえ、オレのことが好きやったんちゃうんか~!
ちょっぴり切ない・・・
ともあれ、バスは去り、フリーランス組は残される。
・・・が、ここでとある問題が提起される。
オレ個人と救援団体との間の齟齬が露見したのだ。
いわば、いつもの酒場のケンカみたいなものなのだが、実にこの問題には相容れないものがあった。
こちらとしては、「義」の気持ちだけでこの活動に参加してるという自尊心もあり。
この団体の活動には心から賛同するし、尊敬もしてるのだが、その点だけは譲れなかったので、現場を離脱せざるを得なかった。
本当にオレ、アホなんかな?
とにかく、ひとり石巻を離れ、あてもなく仙台に移動。
しかし、いくらなんでもこのままおめおめとは帰れない。
飛び込んだホテルのネットで検索し、この地で働ける口を探す。
すると、「いつきてくれてもOKヨ」みたいな軽薄な文言に突き当たり、そこを頼ることにする。
すぐさま出発!
したかった・・・が、その前に腹ごしらえだ。
体重が落ちすぎてて、このままでは死んでしまう。
とりあえず、牛タン屋に駆け込み、生ビールを口にした。

つづく

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