いい感じに5連休ができたんで、今度は陸前高田(思いつきで決めた)にいくことにした。
・・・はいいけど、いったいどのルートでいけばいいのか?
車なんてもちろんないんで、汽車か、バスか、船しかない。(同志が見つかれば「相乗り」って手もあるが)
それにしても、かの地の路線の心細さときたら。
交通機関をいろいろとネットであたったものの、情報きわめて少なし。
それに輪をかけた混乱と猥雑さ。
さしあたり陸前高田のボランティアセンターまでたどり着ければ、そこで仕事のマッチングをしてもらって、半日のがれき処理でもして、車の相乗りかヒッチハイクでベースキャンプにまで連れてってもらって、無料の雑魚寝部屋に泊めてもらえそう。(「してもらって」ばっかだね。しかし、これこそがボランティアさ)
が、肝心のボラセンまでの足が見つからない。
少し離れた気仙沼か一関か大船渡までいって、そこから路線バスに乗れば、とりあえず付近まではつながりそうだけど、そのバスがなんと一日に二本しか出てない。
しかも実働時間を大量ロスする、あり得ない時間帯の運行。
仙台か盛岡から高速バスが出てるが、こちらは移動に3時間ほどもかかり、東京から新幹線に乗ることを考え合わせたら、さらなるロスを食う。
朝出は無理そう。
なんとかなんねっかなー、と、根気づよくネットを渡り歩いてたら、ついに見つけた!
なんとそのバス会社に電話したら、「池袋からボラセンまで直接の深夜便がありますよ」ときた。
信じがたいほどのどんぴしゃアクセス。
なんだ、それならそうとちゃんとサイトに情報のっけといてよ、陸前高田災害ボランティアセンター。
まったく、お上仕事はこういうとこに気が利かねえよなあ。
情報は、出す側の都合じゃなく、受ける側の利便性に立って考えてほしい。(役人の最も苦手な思考方法だけど)
つわけで、とりあえずいってくらー。
気合い入れ直して、再び武装・・・いや、荷造り。
白暑の夏は去っても、まだまだ熱い気はみなぎってるぜ。
負けんな、東北。
いざ、助太刀に向かわん。

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正直に打ち明けるよ。
思えば、夏休みの宿題、というやつをやったことがなかった。
昭和時代には「夏のとも」という、四教科を網羅したドリル的なものがあったんだけど(今もあんのかな?)、まったくの白紙状態で提出してた。
いや、一、二行はやってたかもしれないけど、ほとんど手つかずだったな。
飽きちゃうんだよね。
あれは「作業」であって、学術の本質たる「創造」ではない、と気づいてたわけだ。
夏休みは遊ぶものだ、と信じ込んでた。
サボろうと思ってたわけじゃなく、ただ漫然と、宿題なんてしなくていいんじゃないか、と決め込んでたんだ。
「叱られてもいい」と腹をくくったというよりは、「しょうもない作業」とたかをくくったとこがあった。
子供時代の自分は劣等でも優等でもなかったけれど、思えば、剛胆だったもんだ。
そして、目にもまばゆい「白書」を提出しても、先生からはたいしたお叱りなどなかった。
その気風が、こんにちの自分をつくった。
そう思うんだよね。
子供たちよ、なんで宿題などするか?と思う。
あんなバカバカしい作業をさ。

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頭の中の迷宮で育てたイマジネーションを「音」という抽象記号に具現化(矛盾した表現ね)するのが、音楽家のお仕事。
その迷宮の深さ、広さ、部屋数とそれを解くカギのおびただしさ・・・
天才ジャズピアニストと呼ばせてもらうよ、ブラッド・メルドー。
その東京ライブです。
便利な世の中になったもので、パソコンのキーボードをポンと叩けば、CDがアメリカ大陸から空輸(船便?)されてくるんですな。
しかも絶対にショップには並んでないレアなライブなんかが掘り起こせるし(聴いてみるまで当たり外れがわかんないけど)、なんとユカイでらくちんなこと。
おまけにそれが、円高のおかげか(あるいは、すでにCD時代が終焉したためか)、一枚=数百円とかで購入できます。
調子にのって、このひとのアルバムだけで、はや二十数枚も積み上がってしまいました。
タワレコの試聴で偶然に知ったこの兄ちゃんの、いつの間にかとりこになってる自分がおり。
それらを工房で聴きまくってるわけですが(工房生、はた迷惑)、この東京公演がいちばんの出来。
音づくりの創造性、アレンジの独創性、音の重ね方、その厚み、そして動かし方・・・これはもう変態の域。
音楽を完全に理解してて、しかも高い技術で、感じた形をそのままつむいでいきます。
音の構築というよりは、このひとの場合、感性の揺らぎを素直に並べてく感じ。
しかも右手と左手でまったく別の音づくりをするので、まるで数人で連弾してるようにさえ聴こえます。
音のボキャブラリーも、ハンパない。
知性的でリリックなのに、やってることはアクロバティックな超絶職人芸。
本当に不思議な音です。
眠そうなメドベージェフ、って感じの風体ですが、とてつもなくロマンチストで、ナルシストで、自信満々のエゴイストと見えますね。
だけどそれが許される、他に比類がないほどの、ほんとに唯一無二的スタイルのピアニスト。

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あんなに神経を逆撫でたセミの絶叫も秋虫のささやき声にとって代わり、涼風も肌に心地よい季節となりました。
夏も終わったのですねえ。
・・・なんて、落ち着いてちゃだめですよ。
なにも終わっちゃいませんよ、と、再びヤボなレクチャーをさせてもらいます。
原子力のお話だよ、聞きたくないのんきさんは耳をふさいで夢でも見ててちょうだい。
なんだか「ゲンパツは安定したね、やれやれ、ホッ」な感じの昨今ですが、とんでもない勘違いですよ。
日々刻々、事態は深刻化しておりまして。
以下は、知りうるかぎりの情報から導きだした小生独自の分析(解釈)なので、多少の間違いはあるかもしれないけれど、国民にデタラメばっか流してる政府機関・電力会社方面の会見よりは正直かつ正確なものであると自信を持ってるので、開陳させてもらいます。

汚染水の浄化は上手にできてるようだねメデタシメデタシ、と考えてるおめでたいあなた。
その作業は「周辺処理」であって、最も瑣末で簡単な部分。
環境への配慮には効力を持つものの、事故の収束という意味ではまったく要を成さない、いわば「うんこ出してる最中の尻ぬぐい」ってことが理解できてますか?(きたない例えでごめん。だけどコレ、完全に事態を言い当てた表現ではないの)
本丸、すなわちズタズタの原子炉&抜け落ちた核燃料は、まるで手つかずですよ。
なにしろ、どうしたって人類が近づけないんで、作業用ロボットの開発待ち、ってんだから、途方に暮れたくなります。
その原子炉が今どうなってるかと言いますと、ご存知のように、核燃料が外に漏れ出ちゃってます。
完漏れ、全スルー、というのが正しい言い方でしょうか。
三つの原子炉からそれぞれに抜け落ちた核燃料は、「冷却水で安定状態まで冷やされてる」ことになってますが、あり得ません。
その冷却水とやらの温度は、入れても入れても95℃~120°をキープ。
つまり鍋で湯を沸かしてグラグラ煮立ってから、さらに火をつけっぱなしにしてのっぴきならないくらいまで沸騰しきった状態。
なにしろ核燃料は発熱すると2800℃にもなりまして、こいつはほっとくと永遠に熱を出しつづけ、永遠に放射能を出しつづけます。(人類の代替わりスパンで「永遠」と表現してます)
溶融前の直径1センチの燃料棒だったときは容易に冷やすことができたけれど、今やそれが何百本分もとろけて形をなさないひとかたまり。
水に触れてる表層だけは冷やせても、芯の部分、底の部分は、なにをどうしたって冷えようにない。
しかも、燃料棒だったときに表面を覆ってたジルコニウムやら、制御棒(臨界を阻止するための素材)やら、海水を沸騰させたために大量に残留しちゃった塩やら、なんやらかんやらがごちゃまぜの状態の中で核分裂中。
そもそも、核物質本体に水がゆきとどいてるのかどうかさえ、誰にもわからない。
さらに言えば、その核物質は容器からだだ漏れの状態にあって、ひどい話だが「どこにあるのかわからない」(東電説明)。
チャイナシンドロームは、アメリカの原発でメルトダウンが起き、核燃料が地中を食い破って食い破って、ついに地球と反対側の中国にまで達してしまう、というカリカチュアだけど、それが現実になりつつあります。
福島第一の核燃料は、圧力容器をすっかり抜け(確定)、一枚外の格納容器に達し、この最後の密閉容器を破れば晴れて外気、というその壁をじわじわと溶かしつつ、地中に向かってます。
すでにこの容器から汚染水が漏れてることは確認されてるので、普通に考えれば、すでに燃料はシャバの空気を吸ってるはず。(シャバに汚染をばらまいてる、と言うべきか)
この汚染水が地下水まで染み出たら、再びシリアスな事態になることを覚悟しなければなりません。
ましてや核物質本体が外に漏出すれば・・・あまり考えたくない事態だけど、んー・・・どうなるんだろ?
そんな事態を見越して東電は、原子炉建て屋の周囲ぐるりを掘り抜き、岩盤まで貫いてコンクリを巡らし、壮大な遮断壁を地下に築こうと1000億円を計上してまして。
そんなこんなの大騒ぎが、そっと、ほんのそっと、ささやかにしか報道されないのが不思議。
結局ね、このカタストロフはいつか起きるものだったのです。
今後も間違いなく、この程度の事故は起きます、1000%の確率で。
「1000%なんて大げさな」という方には、「その数字には裏付けがある」と申し上げたい。
使用済みの核燃料は、さっきも言ったように、永遠に発熱しつづけ、永遠に放射能を出しつづけます。
半減期をくり返して無毒になるまでのざっくり一万年、核廃棄物はひとの管理のもとでせっせと冷やしつづけなければならないのですよ。
その場所を「最終処分場」というのだけど、これを稼働させるあてがまったくない。
日本は地震国なので、核廃棄物をどこに置いておいても、結局は「1000年に一度の大地震」が一万年の間に10回はくることになります。
これが1000%の根拠です。
一万年という歳月は、縄文時代から現在まで程度の時間ですが、その期間、無事故でいられると思います?
その歳月ののち、どれだけ列島が変形してると思います?
それをふまえた上での核物質保管技術が確立し、絶対安全の保証がなされないかぎり、原子炉は動かすんじゃない!核燃料に手を出すんじゃない!と言いたいんであります。
このことを知らんやつよ、あるいは知っててだまそうとしてるやつよ、「原発は安全です」なんて、二度と言うな!
キヨシローに成り代わり、ぼくはそう言いたいんであります。

↓さらにくわしく解説。
「僭越ながら、レクチャー」

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いやー、面白い体験をしたよ。
一族そろって北海道にいったんだけど、競馬好きの妹夫妻が「ばんえい競馬」に連れてってくれたのさ。
道産子って馬はとてつもなく大きくて、頑丈で、タフなんで、こいつにすさまじく重いソリを引かせて、坂を設けた砂地の馬場を走らせ、競わせようってのが、ばんえい競馬ね。

出走馬をパドックで見ると、「これがほんとに馬か?」くらいのガタイで、筋骨隆々で、脚も野太くて、圧倒されるよ。

最近はばんえい競馬も斜陽で、この帯広の競馬場が残るきり。
だけど車で乗りつけると、場内はすごい人出で、お祭りみたいな雰囲気だった。
なんだ、けっこう人気あるじゃないの、と思ってたら、なんだかこの日は特別な日であるらしいのだな。

じゃ~ん。
目の前に、武豊、見参。
たまたま「武豊賞」なるレースが開催されてた、まさにその日なのでした。
衰退いちじるしいばんえい競馬を盛り上げようと、JRA(中央競馬界)のエースジョッキー有志たちが集結してるらしく、わが一族も大興奮。

表彰式が終わると、ファンが殺到。
タケ騎手もえらいひとで、いつまでもいつまでも、いつまでもサインしつづけてました。
熱いぜ。

ところがこの後、再びタケが姿を現し、興奮最高潮。
ばん馬に乗ってレースに出るらしいのですよ。
オレにはあんまりわかんないけど、アンカツ、吉田×2、松岡、勝浦、藤岡、三浦皇成 、ふじたしんじ、そしてタケという、いずれも名だたるG1ジョッキーたちが、ばんえい競馬で競うというわけ。
ジョッキーたちはいずれもジーパンにスニーカーってラフな格好だけど、この演出はニクい。

で、いざ、出走。
が、人気ジョッキーたちは、馬をあやつる地元の騎手たちの前に乗っかって、重石役(?)のテイ。
ばん馬の尻を叩くタケも半笑い。

それでも会場は大盛り上がり。
タケは総合優勝し、よめはんは640円をせしめ、ユタカな一日が終わりましたとさ。
がんばれ、ばんえい競馬!

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彼らは地震でぺしゃんこにされた。
津波に流された。
生活道具の一切が、それどころか、生活環境全体が根こそぎにされた。
その上に、放射能が降ってきた。
家族や友だちを亡くし、おまけに自分も死の影におびえなきゃいけない。
そんなひとたちが、鎮魂の祈りを書いた薪なんだ。
それを、よく突き返せるもんだなー。
少しくらい放射能は浴びてるかもしれんが、燃やしてやれんかね?
ほんのわずかな、それこそタバコの煙ほども害はない放射線は出すかもしれんが、それさえも浴びたくないかね?
あっちが汚れてくさまを遠目にながめつつ、こっちは絶対に汚れたくないってか?
さもしすぎて、泣けてくらあ。
そんなひとたちはもう、日本から出てくべきだね。
生涯、清潔な核シェルターに入っててほしい。
そのぴかぴな部屋にこもって、汚れたヒトビトとの交流を一切断ち、我が身だけのために祈るべきだ。
なんまいだ・・・

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「殿の命令は絶対じゃ」
「ははーっ」
「命をかけて、殿をお守りするのじゃ」
「ははーっ」
「負けたら腹を切るのじゃ」
「ははーっ」
というのが、サムライの「義」の価値観だった。
それを利用し、「天皇」を「殿」に、「兵隊」を「義士」に見立てた、「大本営」すなわち「自称・家老職」たちは、なかなかの戦略家。
結局、天皇家は沈黙させられ、市民(兵隊)たちはだまされ、戦争大好きな大本営の面々が好き勝手に国家をあやつる、という構図ができたわけだ。
犯され、略奪され、蹂躙されたアジア諸国はいい迷惑だけれど、日本国もまたひどい目に遭わされたのだった、この層(軍上層部)のヒトビトに。
「幸か不幸か、日本をほしいままにしていた軍部を外国の力でたおすことができた」という水木しげる氏の解釈を、ぼくは毎年この時期に持ち出すわけだけど、ほんとにその時代の日本はひどい国だったんだと思う。
そして、それは今なお、同様だと思う。
「官僚たちはかしこい」と言われるが、結局、この国を滅ぼすのは小ずるい官僚たちにちがいない。
木を見て森を見ない彼らが、ついに日本国を地べたに這わし、国民はおろか、官僚すなわち自身をも無一文の物乞いに落ちぶれ果てさせるだろうことは、世の流れを見れば明確に予言できる。
残念ながら、わが国はついにあの66年も前の戦争から何ひとつを学ぶことができなかった、というわけだ。
あわれ。
が、今、未曾有の災害から何事かを学ぶチャンスに、千載一遇の機会に、ぼくらは立ち会ってる。
みんな、本気で考えようよ。
ここで間違ったら、もう「リアルに」アウトだよ。
ぼくは、流行りの「脱原発」とやらを超えた、生粋の「反原発」。
そして、経済成長よりも、収縮の清貧指向。
物質文化よりも精神文化を、理論よりも感性を大切にしたい「むかしのニンゲン」。
これらの価値観を、相対性よりも絶対性として、普遍的美意識として持ちつづけたいと思ってる「心のヒト」。
・・・でいたいと思ってる。
みんな、過去の失敗から、きちんと物事を学ぼうよ。
今こそちゃんと、ほんとに尊い「深いところ」まで考えてみないか?
ほんとに、本当に、この世界がなくなるかもしれないんだよ。
「そんなこと言って、こいつバカかな?」と思う?
そういう自分を、バカだと気づかない?
・・・そう言いたい終戦記念日なのだった。

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とある酒場にて。
「またよめはんが、ロックフェスにいきゃーがったんですよ」
酒場の大将。
「へえ、ついこないだいったばっかりなのに?」
「二週間前のは、フジロック。今回は、サマソニ」
「サマソニ?へえ、どこなんです?」
「幕張だってさ」
「幕張。へえ、あんなとこに山があるんですか?」
「今度は山じゃないの。屋内にステージつくってやるんだってさ」
「ああ、ありますね、屋内につくるやつ。それにしても、お好きですね、奥さんも山登りが」
「ん?山登りじゃないよ?」
「ああ、岩登り、か。失礼しました」
間。
「・・・大将。ロックフェスは、そっちじゃないほうのロックなんだ・・・」
ほんとの会話です。

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