アマゾンは恐いな。
ちがうっ、ワニがいるから、とかじゃなく、ネット通販のアマゾンだよ、もうっ。
最近のこざかしいぼくは、パソコンの画面上で本を探すわけなんだけど、欲しい本のことごとくがそこに、ある。
「フィボナッチ数列」や「不確定性原理」なんてジャンルの本を、英林堂(街の本屋さん)で手に入れようと思ってもむつかしそうだけど、アマゾンで探すと、50種類くらいリストアップしてくれる。
驚くべき多様さ。
えらび放題のそこから垂涎のものをチョイスして、ポンとキーを叩けば、晴れてその本がわが家のポストまで送られてくる、って仕儀。
驚くべき利便性。
どんどん欲しくなり、どんどんキーを叩いてしまう。
先日も、4冊で計一万円なり、みたいな買い物をしてしまった。
感性がおかしくなってくのも恐いし、街の本屋さんがこれでやっていけるのか?ってのも恐い。
WAVEやタワレコなどのCDショップが次々とつぶれてて、ぼくはもうネットで音楽を手に入れるしかないんだけど、こっちを覚えると、もうショップなんかに足を運ぶのがバカバカしくなっちゃって、結果、淘汰が加速する。
こんなんでいいのかなあ?と憂いつつ、このずぶずぶからはもう抜け出すことができなくなってるんであった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
光よりも早くかっ飛ぶニュートリノが発見された、ってことで科学界が盛り上がってますが。
ニュートリノに質量がある、ってことは、例の小柴さんの実験で証明されてるんで、それがほんとなら、すごいことだよ。
なにがすごいって、実はオレ、22の頃に「時空越え(すなわち、タイムマシーン)」を完全に立証できるロジックを見つけてたのさ。
これは誰にでも理解できるシンプルな形式に要約できるんで、いつか発表してやろうと思ってんだけど(ほんとはすでに、以前のブログで発表してんだけど)、ところがそれは、アインシュタインの相対性理論があるとまずいことになって、つまり実現不可能な机上論だったの。
だけどその相対性理論に疑義が示されれば、つまり光よりも早い物質が存在しうるとすれば、オレの理論は正鵠を射てることになる。
タイムマシーンは、実現可能なんだよ。
オレの理論によると、人類は「未来を見る」ことができるんだ。
最近のサイエンスでは、宇宙空間の大半は暗黒エネルギーで満たされてる、とか、時空は10次元まで存在する、とか、人間の実感としては理解できないようなことばっかわかってるんだ。
だったら、光よりも早い物質があったっていいんじゃねっか、と思うんだ。
そんなものはね、人類のオツムが足りてないだけで、宇宙のどこかではやすやすと存在できてると思うんだ。
ああ、考えれば考えるほど面白いよ、物理学。
時間を忘れるさー。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
台風が列島に近づく中、岩手の盛岡にたどり着いた。
被災地でまともな仕事ができなかったんで、例によって「地元に金を落とす」経済活動にいそしむことにする。
陸前高田から出る早朝のバスに乗ったんで、盛岡着は午前11時ってとこ。
雨の中、宿を探すが、お決まりの「東横イン」に部屋を取ると、「チェックインは3時」という、当然の応対。
巨大な荷物だけは預かってもらい、街に出るとする。
4時間もの空き時間をつぶすため、まずは床屋(ヘアサロン、っつの?)に入った。
実はこの日のために、髪をぼーぼーに伸ばしてきたのだ。
オレは大学の頃からモヒカン or 丸ボーズだったんで、ずっと自分でバリカンを使って処理してきた。
こないだ同窓会のために(色気を出して)十何年かぶりに床屋に入ったけど、なかなかよいね。
つわけで、ホテルからいちばん近いサロンにひょいと飛び込んでみる。
「かっこいい海兵隊カットにしてくれ。ああ、そうだ、天頂部にハンバーグを乗っけたように髪を残し、刈り上げた下半分から徐々にグラデーションにするタイプのやつだ」 と説明したのだが、できあがったものを見て思わず「これじゃ、こぶ平じゃねーか」とつぶやいたところ、「襲名後は、正蔵師匠になりましたよ」と、切ってくれたワカモノに諭される。
師匠か、ならまあよい。
店を出るが、まだまだ時間があるので、昼飯にする。
盛岡にきたら、なんといっても冷麺を食べなければならないので、名店「盛楼閣」を攻める。
・・・まあまあだった。(江古田の「焼き肉ハウス」の方がうまい)
ついでに別の店で、盛岡名物というじゃじゃ麺なるものを食べるが、まったく感心しなかった。(どこがうまいんだろ?)
その後、駅ビルの土産コーナーをさんざんひやかし、やっと午後3時となって、ホテルに投宿。
疲れ果ててたんで、そのままひと寝入り。
目覚めると、すでに夜だったんで、いよいよ、という気合いで街に繰り出した。
いろいろと入る店を検討したが、「散財」が目的なので、ちょっと敷居の高そうな「割烹料亭・扇屋」さんに足を踏み入れてみる。
やっぱし、旅先ではそれなりのものを食べなきゃ意味がないし。
店内には、カウンターにひとりだけのお客さん。
そのスキンヘッドの外人さんの、いっこトビの隣に腰掛けてみる。
50がらみの大男は、こちらと目を会わせてにっこりと微笑み、「ヨロシク」と声をかけてきた。
オレ「はじめまして」
外人さん「サミュエルだ、ヨロシク」
オレ「サムさんと呼んでいいかい?」
外人さん「ディックでいい」
フランクでなめらかな会話だ、すばらしい。
オレは、カウンターで隣り合わせた外人さんとは必ずコミュニケーションをとることにしてるのだ。
立派だよなあ。
↓以下、ディックとの和英ごちゃまぜの会話。
オレ「どこからきたんだい?」
外人さん「アメリカの東北さ」(←なかなか粋な言い回しでないの)
オレ「東北ってことは・・・ニューヨークのあたりだな?」
外人さん「ボストンさ」
聞けば、彼は先生で、そこでポリティカル・サイエンスを教えてるのだ、という。
オレ「政治学か、すげえな。まさか、あの大学じゃねーだろうな?」
外人さん「ビンゴ。M.I.T.さ。知ってるのか?」
オレ「オレはロバート・B・パーカーを読むんだ」
外人さん「マジか?うれしいぜ。オレの娘は『スペンサーシリーズ』が大好きで、愛犬にスペンスという名前を付けたくらいなんだ」
オレ「それはすばらしい。あの探偵は、いつもオランダのアムステルを飲んで、いつもあんたのマサチューセッツ工科大学の周りを走ってるんだ」
こんな会話ができるから、オレはほんとにすごいよなあ。
明日は市長と被災地を回るんだ、といって、サミュエル氏は帰ってった。
しかしかえりみるに、あの会話は全部ブラフだったのかもね。(ほんとだと思うけど)
とにかく、実に愉快で充実した時間だった。
さて、若きご店主。
このひとも何度も被災地に足を運び、復興の手助けになれば、とその地域(三陸)から素材を仕入れ、立派な仕事に仕立ててるという人物。
とにかく、東北のどこにいっても、身内や友だちの誰かしらが被害を受けてるんで、その一体感には感じ入らされるものがある。
東京や、それ以西のひとたちも、他人事だから、と忘れ去らないでほしいな。
なにかしよう、なんて思わなくていいんだよ。
ただ、忘れないでほしいのだった。
さて、ホテル泊をし、翌日には「ぴょんぴょん舎」の冷麺にチャレンジ。
こちらはさすがに日本一、おいしかった。
前日に下調べをしてたので、目をつけた土産物屋にふたたび足を運ぶ。
巨大な荷を背負うオレを見て、せんべい屋のおかみさんが「ボランティア」と気づき、深々と頭を下げてくれた。
「ありがとうございます。被災者になり代わり」と。
それが本当に深い礼なんで、つくづくと恐縮する。
それに見合う仕事を東京でも、と意を固めた。

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翌日には、超大型台風が関東から東北までを縦走してくことになるわけだが、テレビもラジオも(携帯も)ない陸前高田ベースキャンプでは、このことを知る由もない。
が、翌日から二日間続けての作業中止が決まった時点で、ここに滞在する意味はなくなった。
5日間の予定で被災地入りしたのに、半日×2日間働いただけで、無念の撤退を決意した。
そのことはさておき、雨足がますますひどくなる中、この夜は鍋宴会。

つか、正午に作業が終了したので、みんなやることがない。
長い午後は、酒でやり過ごすしかないのだった。
それにしても、おびただしい蛾、ね。
ハエはいないが、この巨大な蛾、こいつが気色悪い。
あまり愉快な画づらじゃないけど、貼っとくよ。

でかい!

門柱にびっしり。

トイレでも出くわす。

網戸にも。
「住田基地ってどんなとこ?」と問われたとき、この子たちを思い出すんだろうな・・・
そんな中、こよなくやさしいボランティア仲間たち。
お疲れさん、短い間だったけどがんばったな、お互いの地域でできることをしような、で、またどこかの現場で会おうな・・・
忸怩たる思いは残るものの、大切ないろいろを確認し合えて、うれしかった。
名残惜しい、とはこんな夜のことだね。
さて、朝。
日に二本きり、この周辺を走ってる路線バスが、早朝6時半に基地前を通りかかる。
そいつをつかまえないと、オレは本当に流浪の身と成り果てる。
早起きし、身支度を整え、間抜けな傘差し姿で基地を後にする。

思えば、徒歩行でこの場所というのは、いかにも無茶だった。
車ってのは便利なもんだなー、などとひとりごちつ、雨の中たたずむ。
山道でひとりきりバスを待つ、ってのは不安なもので、「ほんとに来んのか?」と懐疑的になってみたり。
しかし、やがて時間通りにオンボロバスは通りかかり、無事につかまえて、乗り込めた。
とりあえず盛岡(これもまた気まぐれ)まで出たかったんで、バスの運ちゃんに話しかける。
「だったら、このへんで降りるといいよ、盛岡往きのバスが通りかかるから」と、キテレツな返答をたしかに聞いた。
信じられないが、バス停もなにもない、山中の街道脇で降ろされる。
今思えば、あのバスはタヌキが化けてたんじゃねっかな?
とにかく、そこに盛岡往きのバスがくるなど、あり得ない感じなのだった。
案の定、待てども待てども、バスはこない。
雨は降ります、私の胸に、としゃれてる場合じゃない。
びしょ濡れでさぶい、ひとりぽっちでさびしい、こんなとこで死にたくない。
しかたない、ヒッチハイクをするしかない。
こういうこともあろうかと、あらかじめヒッチ用に用意してたスケッチブックに「→盛岡」と書き込んでみる。
と、そのとき、どうやらこの哀れな姿を遠目に見てたらしき人物が傘を片手に現れ、話しかけてきた。
近くの農家のじいちゃんだ。
「盛岡往き?ここでか?そんな話は聞いたことがねえ」
「でしょうね・・・」
「ずっと先の『向こう川口』ってところから、盛岡便なら出てるから、そこまで送ってやる」
「マジっすか?」
さっきのバスの運ちゃんがタヌキなら、このじいちゃんは天使の化身にちがいない。
じいちゃんの運転する軽トラに乗っけてもらい、盛岡往きが出るというバス停まで無事にたどり着くことができた。
感謝、感謝、感謝の連続。
ずっとずっと、ずーっと助けられてばかりのボランティア行だった。
が、またもじいちゃんに深々と頭を下げられた。
「ありがとうね。わざわざこんなところにまできてくれて、ありがとうね」
「そんな・・・」
「がんばるからね、がんばるから。ありがとうね、ありがとう・・・」
かえりみれば、身にあまる感謝の言葉を、地元に住む誰も彼もががかけてくれる。
そんな立場のわが身に、納得したり、自信を持ったり、誇らしく思ったり・・・してる場合じゃねーっ!と、今一度自分に、喝。
なんにもできなかった・・・
またこなきゃ・・・
それだけを噛みしめて、盛岡往きの立派な長距離バスのふかふかソファに尻を沈めた。

おしまい

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住田基地は、午後10時に消灯。
ホールには50近い寝袋が敷かれ、みんなで雑魚寝する。(女子には別の部屋も用意してあるから、安心)
床は硬いけど、泥のように眠れた。
考えてみれば、前夜は夜通し深夜バスの座席だったし、まともに寝ることもなくそのまま現場に出たんで、へとへとになってるのだった。
さて、翌朝は6時起床。
外は、この日も雨。
超大型台風が近づいてるらしい。
しかし、8時半のマッチングに向けて、戦士たちはおのおのに朝飯を食らい、準備を怠らない。
8時近くになると、誰もが次々とボランティアセンターへと車を向かわせる。
バスも電車もないし、徒歩行ではとても無理な距離。
車を持たない者は、相乗りさせてくれる車をつかまえなきゃならない。
オレは、前夜の酒盛りで盛り上がった、太々としたまゆを持つ沖縄青年にお世話になることにした。
国家公務員さんらしいが、大きな有給休暇を取り、南の島からはるばる飛行機で仙台入りし、そこでレンタカーを借りて、ボランティアに参加してる剛の者だ。
同じ志しを持つ人物とは、車内での会話もたのしく、ためになる。
約30分で、ボラセンに到着。
付近は、ボランティア参加者たちの車で大渋滞で、ひろびろとした駐車場は満車状態。
雨降りにも関わらず、そして平日にもかかわらず、ヒトビトのこの熱さには打たれる。
さて、仕事のマッチング開始。
オレはこの日も、側溝掘り起こし作業(別の現場)をゲット。
新たに、京都で建設業をやってるというかっこいい青年に相乗りをお願いし、移動手段を確保した。
この青年は、三日がかりで被災地入りし、車中泊しつつ、いろんな現場を渡り歩いてるという。
南三陸、気仙沼、大船渡・・・この辺りにもたくさん現場はあるからね、いろんな状況を目で見て、肌で感じて歩くのも悪くない。
さて、昨日に増して雨足の強いこの日の現場は、側溝からのドロドロの泥出し。

たまった海砂に根深い草がはびこってるので、なかなかしんどい。
掘り起こしては、掘り起こしては、泥を土嚢袋に詰め、ネコ移送し、傍らに積み上げてく。
冷たい雨に叩かれつつ、カッパを泥まみれにしつつ、60代と見えるようなおっちゃんから、20代の女子まで、メンバーはみんな一生懸命だ。

「台風が接近中なので、作業は午前中で切り上げて」と、この日はあらかじめボラセンから言い渡されてたが、体力的にもそのへんが限界。
側溝を10数メートルほど復元した時点で、現場を後にした。
途中、別の現場を何ヶ所も通りかかった。
「なんとか大学」だの、「かんとか会社」だの、バス参加の団体組が、ひろびろとした平野に展開して、がれき処理をしてる。
誰もが心痛めてて、なんとか力になりたいと思ってて、だから一生懸命なのだった。
新たな意欲が湧いてくる。
さて、相乗りをお願いした京都の青年は、この夜の住田基地泊に興味を持ってたが、帰り着いた陸前高田ボラセンで「翌日は作業中止」の報を聞いて、仙台方面へと舵を切り、求職に向かった。
えらい子だ。
そして、熱いぜ。
ボラセンの道具の洗い場で、たまたま太々としたまゆを見つけたので、帰りの足もこの沖縄さんにお願いした。
さらに山深くにのぼった温泉にまで連れてってもらい、いい湯も満喫。
お世話になりっぱなし。
冷えたからだをあっためて、夜のためにビールを大量に買い込み、ベースキャンプに戻る。


つづく

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ボランティアセンターに、スコップやネコなどの装備を返却し、さて、今夜の寝ぐらさがし、となる。
陸前高田には、ボランティアたちが無料で寝泊まりできる公共の施設「住田基地」がある。
・・・と、ネットに出てたので、そこにたどり着かなきゃならない。
ラッキーなことに、現場まで乗っけてもらったワゴンのおっちゃん二人組が、住田基地を拠点にしてるというので、再びご一緒させてもらうことに。
基地は、ボラセンからさらに30分ほども山深くに入った場所にある。
基地の周囲数キロ圏には商店もなにもないので、途中、街道に一軒きりのスーパーで、今夜と翌日分の食べ物、飲み物を買い出しし(このあたりも、ボランティアはすべて自己責任で準備する。そして、ゴミはすべて持ち帰る)、さて、基地着。

そこは、元小学校で、その後に公民館に改築されたらしい、けっこう立派な建物だった。
おっちゃん二人組は、校庭でテントを張り、数日間、そこをベースキャンプにして動いてるという。
小雨模様だったが、テントの外で煮炊きをし、折りたたみイスでくつろいで、実にフリーな雰囲気だった。
こんな生き方もいいなあ。
オレはというと、基地事務局で簡単な手続きをすませ、ホールのようなところで小さな一区画を確保し、テリトリーとした。



まだ誰も帰ってきてないので、施設内の探険開始。
キッチンルームがあって、冷蔵庫には「地元のひとたちが差し入れてくれる」食材が入っており、自由に調理していいらしい。
トイレも水洗、洗濯機も数台あり、使用自由。
即席に設置されたらしきシャワールームや、驚いたことに、風呂場まである。
ボランティアで滞在した器用な人物が大工仕事で建てた、と聞いたが、実に本格的なつくりで、恐れ入った。
こんな快適さは想像してなかったので、逆に拍子抜けする。

事務局の気のいい人物に、「お風呂に入りな」と声をかけてもらったので、試してみた。
実によろしく、まるで温泉場にきた気分。
湯舟で知り合った20代のワカモノは、長崎から三日間も車を走らせて、ボランティアに参加してる、という好青年。
職場の考え方が寛大で、「そういうことなら」と、盛大な休暇をもらえたらしい。
お互いに経験してきた現場の情報を交換したり、思いを語らったり、いい裸の付き合いができた。
こういう会話はたのしいし、気が引き締まるし、力になるね。
風呂から上がると、各現場から徐々にボランティアたちが帰ってくる。
数人で参加してる組もあるが、一匹狼が多い。
みんな、驚くべき多方面から参加してる。
埼玉、東京、京都、奈良、岡山、山口、沖縄・・・
誰も彼もが屈強の勇者・・・というわけでもなく、普通に生活を営む市井のひとだ。
日本人の意識の高さと、強い思いには、誇りを感じるよ。
ひとりひとりに気さくに話しかけ、仲間の輪をひろげてく。
この基地には、なんと「飲酒コーナー」まである。
極めて禁欲的で、ぴりぴりと緊張感がひしめいてた、前回のRQベースキャンプ(石巻・河北地区)とは、えらく雰囲気がちがう。
酒盛り場ともいうべきその場を取り仕切るオモロい「関西のオッサン」がいて、「おう、おまえも、どや?いける(酒を飲める)顔つきやないか」と誘ってくれる。
完全な酔いどれのクチで、面倒なことになりそうな予感もあるのだが、これが実に興味を引く酔漢なので、思いきって飛び込んでみた。

「おう、なんでも食え。酒もおごりや。なんぼでも出してきたるで」
この特殊な人物は、基地内に自分専用の酒庫を確保してるらしく、酒もツマミも多種多彩、無尽蔵に出してくれる。
住友金属かなんかを定年退職し、数ヶ月の単位でここを住み処にし、毎日、被災現場に通ってるという。
浪曲師のようなダミ声で、語り口は昭和時代の漫談師、といった風情のこのオッサンは、酒の場でのオレの心のお友だちとなった。

つづく

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雨足が強くなり、現場での事故が心配、ということで、ボラセン本部から作業中止勧告。
午後早くのサスペンデッドとなった。
道具を片付け、車に積み込み、撤収。
その帰りの道すがら、被災地の状況を垣間見ることができた。
その有り様たるや、すさまじい。
宮城野や石巻の海岸線にもギョッとしたけど、ひろびろと海抜ゼロメートル地帯のひろがる陸前高田の侵され方は半端じゃない。
壊滅状態。
家、街、市・・・生活環境の一切が解体し、海の藻くずとなって流され、潮が去ったあとには、広大ながれきの原がひろがってたのだと想像できる。
それらをいっこいっこ寄せ集め、几帳面に分別し(このへんが日本人はえらい)、木材の山、コンクリートの山、車体の山、タイヤの山・・・と、人間は遠大な山脈を築いてく。

かつて市街地が存在した場所は、つるんと更地にされ、あわてて設えた信号機と電柱だけが彼方まで連なる。
地盤沈下した土地は、いまだ海の波に洗われる場所もある。

被災地の撮影はあまりお行儀のいい行為じゃないので控えてるんだけど、少しだけ公開。
球場も海の底に沈み、いったいなんの競技場なのかわかんなくなってる。
ゼロメートル地帯はどこもこんな感じなので、どう生活を立て直したらいいのか、という根本的な問題に突き当たる。
その荒野のはるか後方に、山がせり出してくるわけなんだけど、その緑豊かな樹々の中で、最前列のものだけが葉を赤茶けさせ、塩枯れしてる。
どの山々のどの個所を見てもそうなってるので、本当に平野全体が津波に呑まれたのだとわかる。
フロントラインで身を呈して頓死するのはフォワードの宿命とはいえ、塩分で干涸びきって大往生する彼ら第一列の姿は劇的で、心動かされる。
その面積もすごいが、高さもすごい。
わずかに残った鉄筋の建物の中で、最も高層なビルがある。
その10階建ての9階までが、窓を突き破られてる。
そこまで水がきて、素通しに抜けてったのだと知れる。
ほとほと、自然の脅威に畏怖したくなった。

つづく

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まずすべきは、足の確保。
このボラセンから泥出しの現場までは、数キロもあるのだ。
徒歩行はもちろん無理。
同志となったとなりのおっちゃん二人組に話しかけ、ワゴンの後部に押し込んでもらうことに成功した。
この二人は、東京の町田から来てる仲良しご近所さんらしい。
テントで寝起きし、アウトドアの自活をしながら、数日間のボランティア参加中。
世の中には強くて楽しげなヒトビトがいるもんだ。
そんなこんなで、いざ出発。

途中、「奇跡の一本松」の脇を通り、その生命力に感動した。
この松は、海岸線に七万本も密生してた松原の中でただ一本、津波に耐えて生き残った、強くて孤独なコ。
樹丈が30メートルもあって、震災前から抜きん出てたらしいけど、あっち方に見えるユースホステルが身を呈して波から守ってくれたおかげで、奇跡的に助かったんだそう。
だけどいろんな理由づけの中でも、オレが信じるのは「意思」説ね。
やっぱしこのたたずまいは、どう考えてみても、神様からの「東北よ、がんばれ」のメッセージ。
その強い意志が、この松をがんばらせたのだと考えたい。
その点にも感銘を受けるけど、なによりもその凛とした美しさに見惚れたよ。
自然はすごいな。
・・・だけどこの奇跡も、風前の灯と言わざるをえないのがつらい・・・
一本松の塩枯れはかなり進んでて、幹は土気色、葉はまっ茶っちゃだった。
なんとか回復して長らえてほしい、と願わずにはいられないよ。
被災地のヒトビトのためにも、この日本の希望のためにもね。
さて、現場着。
高台に立つお寺の石段のふもとの側溝をきれいにせよ、というのがこの日に与えられたミッション。
しかし寺に着いてはみたものの、はて、側溝なるものの姿かたちが見えない。
聞けばこの辺りは、震災が起きた後の数ヶ月間は、海の底となってたらしい。
ようやく潮は引いたが、土地には海砂とヘドロが堆積し、溝という溝は埋め立てられ、平らな状態になってるという。
なるほど、と思い、まずは側溝の場所探し開始。
道路に積もった泥をこそげ取ってくと、「発見!」。
剣スコを突っ込み、砂質な泥を掻き出して、それがU字溝であることを確認した。
見つけたら、どんどん掘り起こして、長々と連なる側溝を復元してく。
まるで遺跡の発掘作業だ。
剣スコで泥をほじくり返し、角スコですくい出し、ネコで移送する。
泥といっても、海砂と汚泥の混合土がガチガチに固まったものなので、相当な力がいる。
しかも、至るところでがれき(生活用品など)が噛んだり、ごろた石が眠ったりしてて、なかなか順調にとはいかない。
被災地の草刈りなどをしててもわかるのだが、もともとあった土地の上に、汚泥が堆積し、そこにがれきや岩石が食いつき、その上を草が覆う、という構造になってる。
それらは重機ではなんともならないので、結局はひとの手でやるしかないのだ。
そして、まさにそのためにボランティアたちは集まってくるのだった。
雨は、降ったり、やんだり、強くなったり、そぼ降ったり。
カッパの外はびしょぬれ、内側は汗まみれ。
それでもみんな、黙々と作業を続け、時間を惜しみ、休むことを知らない。
発掘された側溝の底やサイドに張り付いた泥をこそぎ、ピカピカのコンクリのU字溝が現れ、それが長城のように伸びてく。
仕事の結果には充実感を覚える。
けど、まったく人手が足りず、たいした距離にはならない。
この側溝が付近住民の生活の役に立つ日は、ずっと先。
それでも、一千回もスコップを振るい、てんこ盛りのネコで定点間をひたすら往復する。
こうして、ちょっとずつ、ちょっとずつ、復興は進み、町はピカピカになってくのだった。

つづく

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折りたたみイスを引っぱり出し、ひとりぽつねんと文庫本を開く午前7時。
たしかここで、8時半になったらボランティア団体の「マッチング」が行われるはずなのだ。

マッチングというのは、被災地の各方面から出された要望と仕事の諸条件を、全国から集まってくるボランティアたちに提示し、突き合わせる作業だ。
ボランティア団体とは、主にそのコーディネイトのために存在する。
この小雨そぼ降る山間部の掘っ建て小屋がほんとにそんな競り場になるのか?と、少々の疑義が脳裏にきざすが、信じて待ってみる。
するとすると、8時を過ぎた頃から見る見るうちにひとが集まりはじめ、マッチング予定時刻には500人を超える勇者たちが、この敷地を埋め尽くしてしまった。
ちょっと感動を覚えたほどだよ。
何人かで車で乗り合わせてこの場に駆けつける者たちもいれば、大荷物を背にチャリで乗り込む猛者らもいる。
「参加は二名以上のグループ限定(安全確保のため)」との触れ込みだったが、オレ自身を含めた無鉄砲な個人参加者も数多い。
しかしなんといっても目立つのが、観光バスをチャーターして大挙する学生や企業の団体だ。
東京経済大学、ものつくり大学、専修大学、新潟なんとか大学・・・
彼らはたぶん、昼間に被災地で汗を流し、夜には温泉宿に逗留する「ボラツアー組」なんだけど、なんとすばらしい活動ではないの、どんどんやんなさい。
オレは、被災地をその目で見ることが最大最重要の目的と考えてて、これ以降の日本のルール、ひいては世界スタンダードな思想・人間性を形成するために、現場に足を運ぶのは必要不可避な作業だと思ってる。
見て、何かを感じるためにバスを出してくれるなら、ほんとにそれは「誰のためにもなる」すばらしいことではないの。

というわけで、午前8時半ピッタシにマッチング開始。
バス組は、広大な土地に残されたがれき処理のために、十把一からげに次々と狩り出されてく。
オレたち個人参加組は、被災現場からの要望書にリストアップされた比較的小規模な仕事の中から、おのおのに求職する。
具体的には、こんな感じ。
「なんとか町、かんとかさん家の畑、草刈りとがれき撤去、30名」
「なんとかさん家の家財道具移送、男子3名」
「なんとか寺の前の側溝の泥出し、屈強なひと10名」
あと、水没しちゃったジャズ喫茶のレコードのリストアップに女子二名、とか、掘り出されたアルバムや写真の洗浄に女子数名、とか、力がいらない仕事も山ほどあるんで、「力になりたいけど足手まといになるんじゃないかしら?」と悩んでるか弱いヒトビトも、まずはいってみてよね。
力になれないひとなんてひとりもいないんだ。
さて、んなわけで、マッチング担当者が「やってくれるひと~」と仕事を提示したときに、挙手の早いもん勝ちで競り落とさなければならないので、そこはほとんど魚市場の雰囲気となる。
オレはもちろん、マッチョ仕事希望。(力仕事は、なぜか非常に競争率が高い。わかりやすく役立ってることが自覚できるせいか?)
最前列に陣取ってたおかげで、無事に「お寺の門前の側溝の泥出し仕事」を獲得した。
聞けば、あの「奇跡の一本松」のすぐ近くらしい。
作業着に着替え、ヘルメット、雨ガッパ、さらにクギ踏み抜き防止の鉄板入り長靴を装着。
仲間は10名。
角スコ、剣スコ、ネコ(一輪車)、土嚢袋、装備完了。
いざ、張りつめて。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
午後10時50分、池袋発の深夜バス「けせんライナー」で、被災地・陸前高田に向かった。
だけど、現地がどんな状況なのか、まったく情報なし。
ま、なんとかなるだろう、という、いつもの出たとこ勝負な旅。
ところが今回は、想像をはるかに超える、オモシロ悲しい出来事の連続でありました。
例によって、現象面の描写(ウエット忌避)による紀行記としたいので、「たのしんで」読んでちょうだい。

さて、定期便バスはゆきます、およそ7時間の走行。
「陸前高田です。お降りの方~」というバス運転手の声に起こされ、小雨そぼ降るその地に降り立った勇者・わが輩。
第一印象は、ズバリ、
「・・・!」。
「うわあ、悲惨・・・」でも「ようし、がんばらねば・・・」でもない意味で、思わず息を呑んだ。
なんでかっつーと、放り出されたその場所は、山ふところにいだかれた中腹にたった一軒きり建つ小さな小さなスポーツジム、だったからさ。

起き抜けのボケた頭で考えてみるが、どうにもわけがわからない。
なぜここで降ろす?
もちょっと大きな駅の前とかじゃなくて?
周囲を見渡すと、ここで降車した数人のヒトビトは、どうやらボランティアというわけではなく、お里帰りな雰囲気。
それぞれにお迎えの車がきてて、次々に乗り込み、散ってく。
目の前にぽつねんとたたずむ平屋建てのスポーツジムは、もちろんこの早朝6時には扉を閉ざしてる。
公共交通機関も皆無。
よし、だったら徒歩で、と地図を見ると、ボランティアセンターまでは、一本道を「すぐそこ」と見える距離。
ところが現地のひとに聞いても、とても歩ける距離じゃないよ、道路がないからシンプルに見えるだけだよ、という。
が、途方に暮れててもしょうがないので、いざ、ヒッチハイク開始。
「役場で臨時職員をやってます」という初老のご夫婦が相乗りを受け入れてくださり、命拾いした。
助けにきたつもりが、はやくも助けられる、間抜けな旅のはじまりと相成ったわけだ。
ご夫婦は、家を流され、老いた母親をさらわれ、現在に至ってもまだ仮設住宅に身を置く被災者さんだった。
車中、様々な重い話をほがらかな口調で語ってくださる。
大変な思いをされてるのに、「一目見てガテン系ボランティア」のオレをボラセン前で降ろすと、ふたりで深々と頭を下げてくださった。
お礼を言うべきはこちらのほうなのに、と当惑しつつ、決意が固まってく。
なのに、目の前に現れたボラセンを見て再び、
「・・・!」。

周囲になにもない山腹の平場に、コンテナ、プレハブ、物置き小屋を配置しただけのその施設には、人っ子ひとりいない。
本当にここで何事かが行われるのか?
いよいよ途方に暮れつつ、まずはセルフタイマーで記念写真を撮った。


つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園