「殿の命令は絶対じゃ」
「ははーっ」
「命をかけて、殿をお守りするのじゃ」
「ははーっ」
「負けたら腹を切るのじゃ」
「ははーっ」
というのが、サムライの「義」の価値観だった。
それを利用し、「天皇」を「殿」に、「兵隊」を「義士」に見立てた、「大本営」すなわち「自称・家老職」たちは、なかなかの戦略家。
結局、天皇家は沈黙させられ、市民(兵隊)たちはだまされ、戦争大好きな大本営の面々が好き勝手に国家をあやつる、という構図ができたわけだ。
犯され、略奪され、蹂躙されたアジア諸国はいい迷惑だけれど、日本国もまたひどい目に遭わされたのだった、この層(軍上層部)のヒトビトに。
「幸か不幸か、日本をほしいままにしていた軍部を外国の力でたおすことができた」という水木しげる氏の解釈を、ぼくは毎年この時期に持ち出すわけだけど、ほんとにその時代の日本はひどい国だったんだと思う。
そして、それは今なお、同様だと思う。
「官僚たちはかしこい」と言われるが、結局、この国を滅ぼすのは小ずるい官僚たちにちがいない。
木を見て森を見ない彼らが、ついに日本国を地べたに這わし、国民はおろか、官僚すなわち自身をも無一文の物乞いに落ちぶれ果てさせるだろうことは、世の流れを見れば明確に予言できる。
残念ながら、わが国はついにあの66年も前の戦争から何ひとつを学ぶことができなかった、というわけだ。
あわれ。
が、今、未曾有の災害から何事かを学ぶチャンスに、千載一遇の機会に、ぼくらは立ち会ってる。
みんな、本気で考えようよ。
ここで間違ったら、もう「リアルに」アウトだよ。
ぼくは、流行りの「脱原発」とやらを超えた、生粋の「反原発」。
そして、経済成長よりも、収縮の清貧指向。
物質文化よりも精神文化を、理論よりも感性を大切にしたい「むかしのニンゲン」。
これらの価値観を、相対性よりも絶対性として、普遍的美意識として持ちつづけたいと思ってる「心のヒト」。
・・・でいたいと思ってる。
みんな、過去の失敗から、きちんと物事を学ぼうよ。
今こそちゃんと、ほんとに尊い「深いところ」まで考えてみないか?
ほんとに、本当に、この世界がなくなるかもしれないんだよ。
「そんなこと言って、こいつバカかな?」と思う?
そういう自分を、バカだと気づかない?
・・・そう言いたい終戦記念日なのだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園