料理をするとき、「素材の味を最大限に引き出すこと」に心を砕くよめはんなんである。
昨日は、そうめんの付け合わせに、「ちくわを1センチ間隔に切ったもの」と「ピーマン単体を炒めたもの」が別々に出てきたよ。
・・・おい。
素材の味が最大限すぎるわ~っ!
「野菜を食べさせよ」と命ずると、ニンジン(のみ)を細く刻んだものに、酢、に極めて近い液体をかけて提出してくる。
おいー、引き出しすぎ、素材の味~っ!
もっと、もっとなんかあるやろ?何種類かまぜるとか、別のドレッシングとか、おいしくする方法が。
そこに知恵は、文化、文明はあるのか?
「今日のコンセプトは、豆料理ですよ~」というので、どんなフルコースかと待ってみる(人々を集めた宴会の席)。
すると、オードブルにエダ豆単体、次にインゲン豆単体、主菜にはそら豆単体を出してっきょる。
緑がまぶしすぎるわ~っ!
それが意図されたイタズラなのか、マジで考えナシの料理音痴なのかが、ほんとにわからない。
ただ、キョトンとする我々を見る目が半泣きになってるところを見ると、やはりこれは本気の全力投球料理・・・
この聡明なひとがなぜ?と、ヒトの脳の構造にがぜん興味をわかせる、よめはんの「素材一直線料理」なのだった。

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「お伊勢さん」ってのは、伊勢神宮のことだよ、関西圏だけかな?こんな言い方すんの。
いやー、いいもんだね、あの世界観・・・つったら俗世の言い回しになっちゃうけど。
森閑とした境内に居並ぶ巨樹群に隠れるようにして、奥ゆかしくたたずむ質素な建築群。
20年に一回、全部を建て替えるんだっけ?(あんまりよく知らないのだ)
おんなじものをすぐ横ちょにつくり直すバカバカしさといい、そこに敷きつめる白石を白装束のひとりひとりがいっこいっこ運ぶもどかしさといい、他に例を見ないほどの観光スポットとして大成功をおさめてる理由が得心できる。
むかしむかし、スゴ腕のプロデューサーがおったんじゃ、というところから伊勢物語をはじめたい気分だよ。
とはいえ、よその宗教施設では、大掛かりな建築物にごてごての装飾でドギモ抜かせたり、劇的で大げさな像を祀って畏怖させたり、って演出が定番なんだけど、お伊勢さんは際立って造りがわびて、寂び枯れてる印象。
そのおかげで、参宮したこちらの浄化の度合いもハンパない。
東大寺や善光寺や中尊寺を見ても、靖国神社や成田さんを見ても、あるいはナントカ教会やカントカ礼拝堂を見ても、ここまで純粋に清潔な気持ちにはなれないものね。
特に洋物は、美しさはあっても、作意がきつすぎる。
世界観をひと側に持ってきすぎてんだよな。
その点、なかなかの美意識だと思うよ、お伊勢さん。

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ハエトリソウは知ってるよね?
二枚貝みたいな形に開いてて、虫がその内側にとまると、パクッ、と食べちゃう(とじこめちゃう)食虫植物。
あのひとって、刺激を二度受けないと、チョウツガイを閉じないんだよ。
つまり、虫がとまって、動いて、はじめてそれを「虫だ」と感知するんだ。
見えてるんだよ。
知性を持ってるんだよ。
植物って、動物から進化した生き物なんじゃないかな?

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オレはブログで強い言葉も投げかけるけど、ネットで言いたい放題を言い散らかしてる「ハンドルネーム」の人々とは、別次元にいると自覚してるよ。
なんたってオレ、氏素性をつまびらかにしてるから。
その点で、自分の意見の説得力には絶対の自信を持ってるし、話した内容への責任感も持ってる。
と、ふと思ったよ。

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「はだしのゲン」が閲覧規制にかかるなんて、どうかしてるよ。
右思想の連中は、どうしてもあの戦争の暗部を隠したいらしい。
この国でつくられる戦争映画や「終戦記念ドラマ」みたいなのは、どれも兵隊を主人公にした美しい話に仕立てられてるけど、現実はそんなばっかじゃねーだろ。
殺しまくって、犯しまくって、傍若無人を働いた前面があっての、側面としてのそれでしょ。
そこんところを隠すから、この国は周辺国とうまくいかないどころか、国内にも「そんな残虐行為はなかった」なんて平気で言えるアタマのおかしい連中を培養することになるんだよ。
ドロドロした部分まで含め、全部見せなさいよ。
それをしないから、戦争大好きな連中が増えつづけてるんだよ。
ま、今回の事件(閲覧規制)で、かえって「はだしのゲン」を読もうって子が増えるにちがいないから、その宣伝効果だけはよかったと考えよう。

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宇宙には最初、水素しかなかったんだよ。
「水兵リーベ、ぼくの舟名前ある・・・」の最初のやつさ。
そのガスが宇宙空間を漂い、やがて万有引力ってやつでお互いに引かれ合い、集まってソリッドになり、そのかたまり同士もまた引かれあって天体となり、星が生まれた。
星は大きくなればなるほど万有引力で密度が増し(星を構成するすべての物質は星の中心に向かって落ちてくから、質量=重力が大きくなるほど、物質がせめぎ合ってギューギュー詰めになるわけだ)、密度が増せば増すほど中心部分は高温高圧になり、やがて原子同士も押しつぶし合って、例の核融合ってことになるんだった。
そうやって、ヘリウムやら、炭素やら、酸素やらってものがつくられ、順ぐりに重金属までがそろってったんだってさ。
その自然現象を人工の容器の中で再現して、人類は「自然界最重位」のウランから、新しくプルトニウムってものをつくったんだ。
えげつないね。
神様の技をついに手に入れて、新たな宇宙を創造しちゃったわけだ。
やがてこの技は、星いっこを粉々にするくらいの力を手に入れるのかな。
知能って、神様なのかしら、悪魔なのかしら。

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みなさまご存知のメルカトル図法による世界地図。
球体の表面を、赤道に接する円筒形に投影してるんで、極に近付くほど面積がひろがってくわけ。


その面積比を修正したもの。
立体を平面に変換する時点で抽象化されるんで、平面地図に正解ってものはないんだけど、この違いにはあぜんとさせられるよ。
メルカトル、もう少しやりようはなかったのか?

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終戦の日、かー。
もう忘れられかけてる、遠い日の出来事だねえ・・・
戦争をするってことは、要するに「相手を皆殺しに出かける」ってことだよ。
日本軍も、大陸やら島々やらに渡って、訳もわからず殺しまくった。
「物資や食料は現地で調達しろ」ってんだから、武器を持ってないひとたちまで皆殺しにするしかなかったんだね。
敵対するアメリカさんも、たくさん持ってる飛行機をありったけ飛ばして、ありったけの爆弾を日本に落としてくれた。
爆弾の下にいるのは、武器も持ってない、普通の生活者たちだよ。
それが根こそぎに殺されるわけだ。
最初はアメリカ側も、この戦法だけは抑制しよう、って論調だったんだけど、皆殺しにした方が戦争をはやく終わらせられる、ってロジックで、とにかく殺しまくった。
一発で20キロ圏を全滅させる新型爆弾を、大きな都市のまん中で爆発させるなんて、悪魔の発想だよね。
だけど、それをできるのが戦争なんだった。
憲法9条を変えたら、日本は戦争のできる国になるわけなんだけど、ほんとにそれでいいのかなあ?
変えたいひとって、殺したいの?殺されたいの?どっちなの?
いったん戦争がはじまったら、国民なんて、政府の言いなりなんだよ。(そして政府はアメリカの言いなり)
毎年この日には水木しげるさんの言葉を借りてるけど、御大は日本が戦争に負けた日のことを、「軍部が国民をいじめるのをやめてくれた日」と解釈してる。
全部、日本国内の問題だったんだね。
なのに、また苦しめられるなんて、思想が現代的じゃないよ。
戦後レジームを脱却して、戦前レジームに戻すなんて、正気の沙汰じゃないと思う。
あの頃の日本は、「美しい国」なんかじゃなかったぞ。
真に美しいのは、この憲法の、戦争放棄の条項だと思う。

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エアコンがないのに、防音のために窓を閉めきらなきゃならない(雨戸もカーテンも)。
扇風機は回すけど、直撃だと楽譜がハタハタしてしまう。
なので、上半身裸で汗まみれになってピアノを弾いてる、奇妙な光景になってます。
ホットヨガ、ってのはあるけど、ホットピアノ、って新しいんじゃないかな。
倒れないように気をつけてやろう。

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安倍政権の支持率が相変わらず高い。
その理由の圧倒的一位意見は、「他に支持政党がないから」というもの。
よくわかるよ、この構造。
自民党を毛嫌いし、安倍さんを白い目で見てるしはんでさえ、「ああ、民主党政権が終わってよかった」と心からホッとしてるところだもの。
相対性理論なんだよね、支持率って。
それにしても、それを「支持」といえるのか?って点が引っかかるよ。
「はずれクジでさえなければ、あたりです」ってクジを引かされてるぼくらは、その箱の中には絶望しかないってことを知り抜いてても、その中でも「すごく絶望」よりは「かるく絶望」のほうを選びたい。
そして絶望しては絶望しては、次も、よりマシな絶望に手を出してみるんだった。
・・・って構図?

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