年賀状は毎年、150枚くらい書いてたんだけど、ついに今年分からやめた。
年末のストレスがものすごいし。
大掃除がやっと終わった・・・とソファにからだを投げ出したところで、「制作しろ」という親方(よめ)方面からのプレッシャー。
そこから、撮影、デザイン、プリント、大量の宛名書き&一言添え。
帰省の新幹線の座席で、往復めいっぱいの時間を費やしてやっと仕上げ、Uターンで帰り着いた東京で3日に投函、ってのが例年だった。
一枚一枚に添える「ひとこと」すべてを三行も四行も書くひとなので、新幹線を降りて大きなウインドウの前を通りかかると、自分の顔が10歳分ほども老いさらばえてる。
こんな正月、あかんやろ!といつも思ってた。
つねに回収率(つの?返事が返ってくる率)は大負け越しだし、さてはこの人物もやめたか・・・ってのが年々増えてくんで、いっそきっぱりやめてみた。
そしたらあんた、年末年始の時間の自由なこと!
わたしは解放されたのだーっ・・・と叫びたくなったよ。
例えば、年賀状に自筆の一字もないものがくることがあるけど、心が乾いてる〜。
裏も表も、ロボットにやらせたか?
「出さねば!」の強迫観念だけが、その人物を動かしてるにちがいない。
こういうものは、送らないほうがマシ。
こちらとしても、その質では、DMとして扱うしかない。
それに対して、手づくりのものはあったかい・・・
ハンコものとか、絵手紙とか、頭をしぼりにしぼったデザインものとか、笑かしものとか、いいよなあ・・・
返事を差し上げねば、と思わされる。
でも、まあ、もう出さないんだけど。
みんなも考えて。
出すなら、きちんとしたものを、だろ。
でなきゃ、出す意味ねーだろ。

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いやー、おすもうさんたちの酒盛りときたら・・・ねえ。
報道されて最初の頃にいちばん感じたのは、「おすもうさんが、ビールをビンで頼むな!」ってことだったよ。
いちいち注ぐのめんどうだろ。
ピッチャーで飲めよ、プラの。
ビンがなければ、ビンで頭を小突くことなんてできないはずだしね。
何年か前の事件のときもそうだけど、おすもうさんはビールビンを凶器に用いがちなんで、目の前に置いたらダメ。
と思ったら、今度はカラオケのリモコンじゃない。
硬いものを探すな!横綱ともあろうものが。
ダメージを与えるためにそれを使うか、って話だよ・・・の前に、凶器を使うな、と思うんだけど。
でもやっぱしあいつらは、何度も繰り返しに間違いを繰り返してきた通りに凶器を用いがちなんで、こう言いたい!
「酒の席で、あたりめ(スルメイカ)以上の硬いもんを目の前に置くな!」と。
テーブルは、ダンボール!
グラスも、紙コップを使え!
ボトルは「大五郎」だろ、プラ容器の3リットル入りの!
ペットボトルで殴り合ってみろよ、たのしいよ、それこそ親睦だろ。
そして、あたりめは、他に例を見ないほどに硬いことこの上ない食べ物だけど、そいつを用いて頭を殴りつけてみると、案外やわらかくて、どれだけひどく叩きつけても、警察沙汰になるようなことはない。
おすもうさんの飲み会は、こうしたルールを厳密にすべきだろう。
なんかたのしそうじゃん!
これなら貴乃花さんも、八角さんも、落とし所として文句のつけようがないんじゃなかろうか。

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ロシア史、好き!
ロシア革命から、今月でちょうど100年なんだよ。
前にも取り上げた気がするけど、「ロシア指導者ハゲフサ理論」を知ってる?
ロシアの最高指導者の地位には必ず「ハゲ」と「フサ」が交互に就任する、という不文律があるのだ。
最初の指導者はレーニンで、みんなが知ってる通り、つるっパゲだよね。

それを継いだのがスターリンで、フサフサだ。

その後にフルシチョフがくるんだけど、ツルッツル。

そして剛毛のブレジネフね。

そして短命のアンドロポフ=ハゲに、

同じく短命のチェルネンコ=フサ。

上の二名は、ハゲフサの歩幅合わせに利用されたとしか思えない。
こうして、満を辞してつるっパゲのゴルバチョフが就任。

クーデターが起きて、そのどさくさにまぎれて、フサフサのエリツィンが台頭。

完璧だ。
ところが、ここで問題が発生する。
微妙にフサのプーチンが就任してしまい、「ハゲフサ理論」が危機にさらされるのだ。

ここでロシア指導部は、ウルトラCを繰り出す。
いったんプーチンを退場させて、フサフサ極まるメドベージェフを担ぎ出したのだ。

そして再び、プーチンが最高指導者に返り咲き。

だいぶフサエリアの後退とハゲエリアの拡大が見られ、理論は命脈を保とうとしている。
こうした経緯に鑑みても、プーチンがつるっパゲになるまでこの座に留め置こう、という最高指導部の判断が働いたことは疑いがない。
こうして、ロシア指導部ハゲフサ理論は、未来永劫つづいていくのだ。
信じるか信じないかは、あなた次第です。

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で、「トゥルースリーパー」がやってきたわけだが。
巨大な箱が運び込まれたんで、こりゃ期待できるぞ!と思いきや、中身はスカスカ。
ちょっと大型のバウムクーヘン的な物体が入ってる。
ところがこいつをほどいてみると、みるみるうちに回復を見せはじめ、30分後には巨大なマットに早がわ・・・おそがわり。
真央ちゃんや康介くんがスーツケースの脇に携え、遠征先までわざわざ持ち込めるわけだ(あれはエアウィーヴか)。
さて、カバーを張って、シーツを敷き、夜を待つ。
そしてついに夜がきて、よめはんいよいよお試しの仕儀となった。
体を横たえると、吸いつくようなホールド感。
沈み込みが止まったところで、完全に体のラインにフィットし、骨や筋肉が最も自然な均衡状態に保たれる・・・的な謳い文句は伊達じゃない。
この食感・・・いや触感は、どこかで経験がある、と脳内のデータを洗い、「ハイチューだ!」と気づいた。
ハイチューのあの弾力とホールド感、そして回復力なのだった。
しっくり、ぴったりと食いつき、かといって肌離れもナチュラルな、ほどよい密着感。
寝返れば、先刻のくぼみはふさがり、新たに生じる肉体の起伏に合わせた凸凹を形成する。
この融通無碍っぷりも頼もしい。
こうして一晩を新しい相方に包まれ、明くる朝に起き出したよめはんの一言が、「一夜にして腰痛が治った!」。
たまりきった疲れをリセットし、生まれ変わったような爽快感・・・なのだそうな。
なんてものがうちにきたんだ、オレも欲しい。
しかし例によって、相撲部屋のちゃんこシステムが採用されてるしはん家。
よめはんが散々に使い倒した数年後に、くたびれきったものがダンナに回り、これより開発されるであろうハイパープレミアムな新製品がよめはんの元にいくものと思われる。
それまでは、年々やたらとうず高くなっていくよめはんの寝具を見上げながら過ごすとしよう。
それにしても、もったいないほどのこの名文・・・オレ、製品販促のコピーライターになれるな。
おしまい。

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肩が凝る〜、腰が痛い〜、首筋が〜、頭痛が〜・・・とよめはんが夜な夜なやかましいので、なんとか始末をつけねば、と思ってたのだ。
そこに、あるひらめきが。
「ショップ・ジャパン」という通販番組が不意にテレビ画面の中ではじまったので、ぼんやりと観るでもなく観てたときだ。
そこで我々は、「トゥルースリーパー」を見出したのだった。
つまりこれは、低反発マットという布団の中敷きみたいなもので、その上で横たわると、からだの出っ張りに合わせて凹んでくれるので、快眠が約束されますよ、というものだ。
疲れも取れ、腰痛がなくなりました、とバレーボールの中田久美さんも大絶賛してるではないか。
こいつだ!と飛びついた。
わが家の布団物語は、話せば長くなるのだが、聞いてみる?
サムライであるオレが、独り暮らし時代から愛用する油揚げのように貧相な綿布団で凍えてたのに対し、よめはんは寝具を買うのに金に糸目をつけない女で、まずは羽毛布団を購入したのだ。
これが、なぜか自分の分だけだ。
「あなたはそれが好きで寝てるのでは?」と、オレ愛用の油揚げを指してのうのうとのたまうのだが、とにかく彼女はこれでふわふわを得た。
ところがこれが、冬は温かいが、それ以外の季節では暑すぎるというのだな。
寝汗かきで、眠ると温泉のようにホカホカになる彼女には、今少し薄いタイプが必要なようだ。
そこでもう一枚、「羽毛の量が半分ですよ」という軽めの羽毛布団を購入してきた。
こいつを春秋は彼女が使い、残った分厚い方がオレにあてがわれるわけだが、なるほど暑い!
そして冬になると、彼女が温かい方を用い、ダンナに薄い方があてがわれるわけだが、さぶい!
まあこれはこれでいい、よめはんがしあわせに過ごせるのなら。
このひとは枕にもうるさい女で、高いの、低いの、やらかいの、硬いの、自分でつくったの、ひとにつくってもらったの、いろいろと試すのだが、なかなか気に入ったものがない。
ところが、毎年宮古島で滞在するホテルのものが最高だ、とついに最高の一品にたどり着いたので、優しいダンナはそこに問い合わせ、手に入れる。
こうして掛け布団と枕問題には決着がついたわけだが、まだ敷き布団問題が残っている。
この最後の難題を、ついに「トゥルースリーパー」が解決してくれるというわけだ、たのむぞ。
さて、購入は、今回もまたよめはんの分一枚だけ。
からだに合わなければ、ダンナに回そう、という魂胆だが、まあいい。
長くなったので、つづく。

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東北新幹線で虹をくぐった後、一ノ関から気仙沼に向かう大船渡線の二両編成の電車に乗り込む。
ちょうどすべての座席がふさがろうかという乗り合い状況だった。
最後に空いた一席が、オレの左隣。
そこに、新たにふたりの、たぶん台湾からの観光客かなあ(台湾人と中国人の違いってすぐわかるの、なんで?)が乗ってきた。
これが30付近のカップルなのだ。
席がいっこしか空いてないんで、メガネの女子を座らせ、ノッポの男子はドア付近のバーにもたれて、仕方なしにスマホいじりをはじめた。
なんとか座れないもんかなあ、と考えてるところに、ふと向かい側を見ると、おばはん(ブス)が隣に高級そうなバッグ(たぶんパチもん)を置いて二席を占有し、ひとに座らせまいと居眠り(のフリに間違いない)を決め込んでる。
オノレ、と思い、睨みつけてみる。
オレは、外国文化との接点であるこうした不意なコミュニケーションの場は、外交の最前線と考え、日本国家の誇りと日本人としての自尊心にかんがみ、必ず介入することにしてるのだ。
ババア、かばんどけろや〜・・・と念じてるところへ、うまい具合いに、そのバッグ(パチもん)の中の携帯が鳴りはじめた。
おばはん(ブス)は舌打ちでもしたいところだろうが、こうまで派手に着信音が鳴っては、寝たふりをした目を開かざるを得ない。
そこへすかさずオレは席を立ち、「そこ、空いてんなら座らせてもらえます?」と・・・ここがオレのえらいところだが・・・天使の笑顔でお願いをする。
相手は、えっ、ああ、はい、などと口をモゴモゴさせつつ、バッグをひざにのっけた。
オレはその空いた席に座り込みつつ、ドア方面の台湾人♂に目配せ。
彼が移動すると、世にも美しくスマートな動線が描かれた。
相方との邂逅相成った台湾人♀(コミカルだが可愛い)は、輝かんばかりの笑顔でこちらに向かってお辞儀。
オレは再び天使の笑顔でそれに応える。
ピタシとパズルが嚙み合い、国家の誇りは守られ、日本人の美意識は海外に伝わり、完全無欠の一両が出来上がり、ってわけだ。
こうして前途洋々、発進した大船渡線、っつー旅路のはじまりであったとさ。

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汁をアテに酒を、って飲み方が気に入ってて、最近はもっぱらおツユをすすりつつ、焼酎をくいっとやってまして。
シブすぎるかなあ。
でももう唐揚げとかベタベタのもんなんて食べられないし、焼き鳥クラスも胃に重たくきちゃうの・・・
汁はいい。
裏切らない。
ものすごくうまいスープを出してくれるお店があるんで、チューチューしまくってる。
スープの底に沈んでる、鯛のお頭を焦がしたのとか、里芋のマッシュを素揚げたものとかを突きくずしつつ、それらが放出した成分をたぶたぶに溶かし込んだあっちっちのダシをチュー。
んで、冷たいのをぐい呑みからチュー。
こういう飲み方、未来かなあ。
流動食時代が開けても、オレはわりと大丈夫そうだ。

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クリストファー・ノーラン監督は、かの名作「バットマン/ダークナイト」を撮った、美意識の高い職人さん。
この「ダンケルク」では、ドイツ軍によりフランス北端の海岸に追い詰められたイギリス兵たち(このへん、歴史的にわかりにくい)が、ドーバー海峡を渡って撤退する模様を描きます。
ナチスドイツは一時フランスを征服するんだけど、そんな劣勢のフランス軍を援護したのがチャーチルのイギリス軍、って構図です。
だけど敗走して、何十万という兵が海岸に追い詰められるわけです。
追い詰められると言っても、敵軍との直接のドンパチが繰りひろげられるわけでもなく、ただただ本国からの船を延々と待ちわびる、って超地味な画づら。
ノーラン監督は、このやんなるくらいに長い場面を、彩度を落とした色彩と、底の重い音楽とで、ものすごい緊張した空気感に仕上げてくれます。
その臨場感ね。
リアルな表現、ってのとも一線を画す、胃が痛くなるようなマジ戦争(本物の戦争は派手じゃなく、もっとずっと疼痛みたいに意地の悪いものなのだ)の現実に引き込みます。
ストーリーらしいストーリーはなく、ディテールがあるのみ。
登場人物は、背景や履歴もろくに説明されてない多くの一般兵たちで、それぞれが必死に「ここから逃げのびる」ことだけを考え・・・というよりは乞い願い、ただ待ち、こらえ、動いては水泡と帰し、あきらめ、また待ちわびる、って延々のループ地獄に置かれて、それを見せられる観客側もただただ耐えるしかありません。
とにかくデフォルメもなにもなく、面白みもなく、ああこれが戦場の現実かあ・・・という、つまり、息詰まらされては、息を呑み、息を殺し、息をつかせない、という場面の連続。
音楽はずっと底暗いのが流れつづけてるし、こちらの心理状況も完全にあちら側(戦場)に連れていかれたまま、戻ってこられません。
窒息しそう。
ところがついに後半で、劇的な開放がやってくるのです。
それはもう、見事な対比。
二度の泣かせどころが用意されてるわけですが、解き放たれた瞬間の胸をすく感動ときたらない。
その鮮やかさ、のびやかさ、清浄すぎる静けさ・・・
ずっと、ずーっと、延々ととどめ置かれてきたそれまでの重苦しい気持ちを一気に吹き飛ばす、素晴らしい滑空感!
目が潤んで、その美しさに陶然としました。
ノーラン監督史上、最も地味な作品、と言われてますが、その手際と美意識には度肝を抜かれます。
胸を突かれました。
つか、戦争したがってるやつ、全員これを観て苦しんでみろ〜。

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下のブログ、激しいね。
だけどオレは、タバコ吸いと投票棄権者に対しては、どれだけペシャンコに言っても省みないことにしてるんだ。
なにしろやつらには、なにも言い返す権利がないからね。
言いたい放題にしていい連中だと思ってる。
例えば、子育て世代の若いお母ちゃん。
選挙いった?
なにっ、いってないとな?
だったら、「子育てに援助を!」なんて図々しいことを言うべきじゃない。
福祉が、若者よりも老人に手厚いのはなんで?
権力者たち(選挙で選ばれた側のヒトビト)はこう考えてる。
「若い世代に、年金をくれてやる必要はない」
「あいつらは票にならないからね。ほっといていい」
「どれだけ痛い目に遭わせても、批判しようとしないんで、あの世代はらくでいいわ」
「それよりも、老人たちにもっとサービスをしてあげなさい」
「老人は必ず投票にいくからね。おー、こわ」
「ビンボー人対策?放っておきなさい」
「それよりも、金持ちをもっと金持ちにしてあげなければ」
「金持ちは、必ず投票にいくからね。絶対にサービスを怠ってはなりませんぞ〜」
・・・かように、投票行為と国家の政策とは密接なので、投票する一団はひたすらに優遇され、投票しない一団はひたすらに軽んじられるんである。
若いひとたちの給料が上がらない?
当たり前じゃん、投票にいったの?
大企業が国家に優遇されてる?
そりゃそうだろ、ものすごく票をつぎ込んだからね。
なるほど、こう書くと、投票があざとい行為に見える。
しかし、政策への意見の反映とはこうした行動によってのみ行われる。
投票しない一団が割りを食うのは、因果律なのだ。
投票行動をしないヒトビトは、「それでもいいよっ」と言うかもしれない。
なるほど、それはかっこいい態度だ。
ただ、それなら投票結果に対し、絶対に不平不満を言ってはいけない。
国家の進む方向を決めるのは、投票した(きみの代わりにしてくれた、と言わねばならないが)ひとたちだからね。
投票しなかったきみは、政治に関しての一切に口をつぐむことだ。
この禁を犯すから、オレは投票しなかった連中をさげすみたくなるのだ。
「投票しないのなら、黙ってろ!」とだけは断固として言わせてもらう。

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あまりにくだらなすぎる今回の選挙への投票をボイコットしよう、って動きがあるみたいだけど、バカは本当にバカなことを考えつくなあ・・・
こういうのにかぎって、酒の席なんかで政治のことを語りたくてしょうがないんだから、筋が通らない。
投票しないんだったら、黙ってろ、って話だよ。
語りたいんだったら、投票しろ、って話だよ。
だいたいおかしいだろ、投票を棄権するってことは、白紙委任だろ?
自分の代わりに投票してくださった方々の意見に「手放しで従います!」ってことだよ。
その意味では、勇ましいことだ。
日本の政治がどっちに向かおうと構わない、って宣言してるわけだもんね。
税金は今までの十倍支払いなさい、と言われようと、5歳から80歳までの健康男女全員を軍隊に徴兵する、と言われようと、政権に一言でも文句を言った人物は死刑、と言われようと、従ってくださるわけだ?
「おまかせコース(投票棄権)」を選んだってことは、それは自身の責任(他者への委任)においてつくられた法律ってことになる。
こういう白紙委任の構造と意味が理解できてんのかなあ・・・
そこが理解できないからバカなんだろうけど。
だけどね、バカもほどほどにしときなよ。
オレは本当に、投票にいかないやつをバカだと思ってるし、侮蔑するべき存在だと思ってるんだ。
ちゃんとものを考えてない、って意味で、この人物は実際的にバカなんだから。
ただ、白紙委任をした結果において決められたことには全的に従う、という潔い精神であえて棄権しようってんなら許せるな。
そういう人物は、次の選挙まで政治に関しては一切の不満も漏らさず、地蔵のように口をつぐんでるはずなので、無害でいい。
国家に忠誠を誓う人物とは、こうあらねばならんからね。
投票棄権をしようとしてるあなたは、結局、他のひとが選んでくださる投票結果と、次の政権の振る舞いに対し、土下座をしようとしてるんだった。

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