じゃ、円周の求め方だよ。
昔々から、円の直径に対する周の比は割り切れないんじゃないか・・・つまり、円周の値(π)は小数点以下が永遠につづく無限小数なんじゃないか、ってことはうすうすわかってたようだ。
円の面積もそうで、それと同じ面積の正方形を作図できるか、って問題は、当時の数学者の頭を悩ませてきた。
つわけで、どちらの例にしても、近似値を求めるしかないんだった。
さて、円周の近似値なんだけど、いちばんわかりやすい考え方は、「円に近い多角形を描いて、その周囲の長さを求める」ってものだ。


円に内接する多角形を描いてみる。
六角形はかなり粗い多角形なんで、近似値には遠いんだけど、これでも「π=3」くらいには近づけそうだ。
さて、次の作業なんだけど、ここが昔のひとの賢いところだ。


同じ円を使って、今度は外接する多角形の長さを求めたんだ。
これでもまた「π=3」くらいが求められる。


重要なのは、円に内接する多角形と外接する多角形の周囲長を比べることだ。
ふたつを同時に作図するとわかることだけど、πは内接する多角形よりも長く、外接する多角形よりも短い。
確定値とはいかなくても、このふたつの多角形の差をどんどん縮めていけば・・・つまり、多角形の角数を多くしていけば、πの数値の精度を高めることになる。
角数が増えれば、多角形の角は滑らかになり、円に近づいていくってわけだ。
6角形を8角形に、16角形に、32角形に、74角形に・・・1024角形に・・・
昔のひとはこうした執念じみた計算をして、真実に迫ろうとしてたんだね。
おしまい。

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円の面積の求め方って知ってる?
半径×半径×π、つまりπr2(二乗)だよね。
じゃ、なんでこんな式なのか知ってる?
これが面白いんだよ。
まずね、円の半径を底辺とした三角形を、円の内側に描くんだよ。


三角形の面積の求め方は、底辺×高さ÷2、じゃん。
底辺はrなんだから、高さがわかれば、この三角形の面積はわかりそうだよね。
じゃ、今度は、この三角形の高さを、極限まで低く見積もってみる。


すると、こんな扁平な三角形ができる。
rを底辺としたこの三角形の高さは、円における二本の半径間の弧の長さに限りなく近い値だ。


この三角形で、円の一周分を埋め尽くす。
言い換えれば、円を限りなくたくさんの三角形に分割する。
このひとつひとつの三角形の高さを足し合わせたもの、すなわち無数の弧の長さの合計は、円周と等しい(というか、限りなく近似値)。
つまり、すべてを合計した三角形の高さは、円の円周長という値でまかなえそうだ。


円周分の長さを、ニョニョっと直線に伸ばして、高さ分に取ってみる。


すると、底辺×高さ÷2は、半径×円周÷2、と置き換えられる。
これを約分すると、πr2(二乗)になるってわけなんだった。
かしこいひとっているね。
では、πの数値、すなわち直径に対する円周の比は、どうやって求めたんだろうか?
いつかにつづく。

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「フェルマーの最終定理」と「ポアンカレ予想」というスター級の数学問題をやっつけたんで、いよいよ数学界最大の未解決問題である「リーマン予想」を理解してみるかと企てたのだ。
これは、素数の配列に関して、リーマンって昔の数学者が予想したもので、リーマンブラザーズの破綻とはなんの関係もない。
さて、素数とはご存じの通りに「その数以外では割りきれない、数の元素」のことで、小さなものから順に、2、3、5、7、11、13、17・・・と無限にある。
と同時に、その配列の間隔はバラバラで、次に出現するパターンがまったくでたらめなように思える。
上では七つの素数を数え上げただけなんだが、これが進むにつれていよいよバラけていき、例えば数百も間隔が空いた直後、わずか二つ隣に現れたりする(素数がひとつ置かずに隣り合わせることは、偶数が2で割りきれることからして、あり得ない)。
その配列に規則性を見つけましょ、という試みがリーマン予想なんだった。
さて、その前に「ゼータ関数」を理解しなきゃならない。
ギターの弦一本をぽろ~ん、と弾くと、たとえば「ド」という周波数の音が発生する。
ところがこのドの音には、1オクターブ上のドの音(倍音)も含まれてるのだ。
ギターの弦で言えば、開放弦で弾いた音には、全開の音の中に、その倍の周波数の音(波形二分の一=弦のまん中を押さえた音)が含まれ、つまりこれが高い方のドの音だ。
弦の振動が複雑な波形を描くため、こういう現象が起きる。
さらにその振動の中には、解放の三分の一の波形も混じり合う。
三分の一の音とはつまり「ソ」の音階のことで、このために「ド」と「ソ」の音は完全に調和する。
さらにさらに、四分の一の音、五分の一の音、六分の一の音・・・が延々と連なって混じり合う。
ちなみに、この周波数の細切れの中に、レ、ミ、ファ、ラ、シ(と、♭♯同)は含まれない。
完全に割りきれる「ソ」以外の音は、周波数比で小数点以下が無限につづく無限少数になってしまうので、ドの音と正確にユニゾンすることはなく、それぞれの近似値を取って耳当たりがなるべくよろしい音に調整してあるのだ。
道がそれたが、とにかく、ギターのドの音の中には、1+1/2+1/3+1/4+1/5・・・という周波数比が渾然と交わり合ってるんであった。
この調和級数と呼ばれる無限和にはなにか秘密があるぞ、と直感でひらめいたひとがいて、この式を引っくり返していじくりたおした末に、すべての分母を2乗してみた。
するとこれが、なんとπの二乗の六分の一になるではないの。
なんでここに円周率が現れたのかは深淵なる謎なんだけど、やはりここにはなにかある、ってことになる。
こうして、調和級数のすべての分母をx乗して足し合わせたもの=ゼータxとして、こいつをゼータ関数としましょう、となったわけだ。
さて、この式がなにを意味するのかはわからないけど、とりあえず解を、等高線のような三次元の数直線上に並べてみる。
すると、数値のないいくつかの「ゼロ点」が現れた、というんだな。
これが、驚いたことに、素数の配置を示唆してるようなんだった。
パターンの取っ掛かりがまったくなく、ただただ神様が気まぐれテキトーにバラまいただけと見えた素数の配列が、実はゼータ関数の風景の中のゼロ点という規則に従ってた!・・・のかも知れないというのが、ざっくりとしたリーマン予想の中身のようだ。
こう書いてるオレにも、その内容がちゃんと理解できてるわけじゃないが。

数学では、どれだけ膨大なデータを集めて仮説を裏打ちしても、「なので、真実です」とはならない。
物理学あたりなら、「99,9999%程度の実験結果が合致したら認めます」となるところだが、数学においては、完全無欠の100%でないとだめなのだ。
どこにも漏れのない数式こそが真実であり、定理となるんである。
アインシュタインさんの相対性理論は、自然界の現象に照らしてほとんどすべてのケースを説明できるアイデアなんだけど、残念ながら、原子よりも小さな世界では矛盾が生じ得る。
数学にそんな曖昧さは許されない。
ところで、オレの好きな数学ネタがあって、下に書くんで、よく噛みしめて味わってみて。

x=0,9999・・・とする。
両辺を十倍。
10x=9,999・・・
10x−x=9,999・・・−0,9999・・・
9x=9
x=1
ゆえに
1=0,9999・・・である。

つわけで、99,9999・・・%とは100%のことではないのか?というロジックが成り立つんだけど、どこに矛盾があるか見つけられる?
それはまあ置いといて、とにかく数学においては、絶対的な正確さを証明しないかぎり、真実とは認めてもらえないんだった。
リーマン予想によれば、ゼータ関数の風景のゼロ点は一直線に並んでいなければならず、それを少しでも外れた場所にゼロ点が見つかれば、理論は破綻し、定理とは認められない。
この直線上に、ゼロ点が数十億個も(今ではおそらくそれ以上の数が)一直線に並んでおり、しかもひとつの例外もないことは確認されてるわけなんだが、そんなわずかな証拠ではまったく心もとない。
なにしろ、素数は無限にあるんで、10の一千億乗の一千億乗個の証拠を示したところで、その先に素数が永遠につづくかぎり、まるで意味がない。
また道がそれるけど、この「素数は無限にある」と証明したのはギリシャ時代の数学者・ユークリッドで、この背理法のロジックもなかなか面白いんで、一読してみて。

素数は有限個と仮定し、最大の素数をpとする。
pに至るまでのすべての素数を掛け合わせる。
2×3×5×7×11×13×17・・・×p
その数に1を足したものをxとする。
x=(2×3×5×7×11×13×17・・・×p)+1
xは、いかなる素数(カッコ内のすべての数)でも割りきれない。
2の倍数でもなく、3の倍数でもなく、5でも7でも11で割っても・・・のぼりつめて、最大素数のpで割っても、必ず1が余る。
よって、xはpよりも大きな素数である。
したがって、最大の素数は存在しない(素数は無限にある)。

今から二千年以上も前のひとがこんな考え方をしてたなんて、驚きだよね。

で、なんだっけ?ああ、リーマン予想なんだった。
そんなわけで、素数の配列を探るために、ゼータ関数の風景の一直線上にすべてのゼロ点が(無限に!)並んでることを証明したいんだけど、これが十九世紀以来、数学界最大の未解決問題となってるんだった。
巨大な素数の因数分解は、スーパーコンピューターでも解を得ることが困難(事実上不可能)なんで、素数はネット上の暗号としても重宝されてて、逆に言えば、素数の配列が確定されてしまうと社会が大混乱に落ち入る可能性があるため、この問題は「国際間の安全保障上において」と言ってもいいほどにとてつもなく重要なのだ。
どうしても解決したい一方で、解決されては困る、とも言えようか。
ところが、ここで劇的な展開が待ってたのだ。
ゼータ関数をいじくりまわしてゼロ点の散らかり具合いを研究してたある数学者が、ふとその配列を量子物理学者・・・つまり原子の構造を研究してる博士・・・に見せたのだ。
すると、見せられた物理博士はギョッとする。
「これって、素粒子のエネルギー準位の配列と瓜ふたつじゃね?」
この驚くべきペアリングの意味が理解できる?
学術史で最大の幸運と言われるこの出会いによって、「素粒子」と「素数」というまったくの別世界の、偶然では説明できない必然の関連性が明らかとなったのだあ。
「音の素」であるドレミからはじまった冒険の旅は、「数の素」である素数と「物質の素」である素粒子の配置がシンクロしてるという、信じがたい物語に至ろうとしてる。
というわけで、この未解決問題は、今や物質世界の構造にまで迫るものとなった。
しかし、ゼロ点の洗い出しとその方程式の構築は困難を極め、数学者の手に負えない。
が、なんとなんと、物理学者は知ってたのだ!
ゼロ点の探し方を。
ゼータ関数の風景を数学的なドラムの振動数と置き換えれば、その中でゼロ点をほじくり出すのは、ある種の流体の振る舞いを説明する問題の解き方と同じなんであって、つまりその古典的な作法は、すでに物理学者の間で知られてたものなんだと。
そしてそして、その流体力学において、ゼロ点を一直線上に並べて見せた人物こそが、十九世紀の数学者、ベルンハルト・リーマン、そのひとであったんだと。
うあー、一回転して戻ってきたーっ!
研究者はあわてて、リーマンが残した遺稿を調べようと、データを当たったんだそうな。
手に入れたい資料は二種類で、すなわち「ゼータ関数のゼロ点」に関するものと「流体力学」に関するもの。
ところが、出てきた遺稿は一山のみで、すなわち、ふたつは同じ原稿だった。
要するにリーマンは、素数探しにゼータ関数とその風景の中のゼロ点を利用したわけじゃなく、物理学上の問題を解くためにゼロ点の風景をさまよい歩く中で、不意に素数に出会ったらしいのだ。
逆経路だったのね。
というわけで、がぜん盛り上がってまいりました、リーマン予想。
いかなるエンディングが待ち構えてるのかは、乞うご期待。
早く解決してくれ、各方面の学者たちー。

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まったくひどかった平成の世が終わるのだなあ・・・
次の世は、平穏な時代であることを願いたい・・・が、そうはいくわけがない。
ちょうど来年度(つまり、次の世)の予算が決まったニュースをやってるよ。
101兆円かあ・・・税収は50兆円くらいだよね?
この無節操な大借金時代を開始させたのが、「平成、デス!」の小渕さんだ。
最初は、例えば50兆円しか収入がないってのに「55兆円の予算を組もう!」「その借金分は、早めに返そう」って発想した人物は、足が震えたと思うよ。
なにしろ、この予算で贅沢をした分は、翌年に同じ50兆円の収入があるとして「45兆円の緊縮予算でいく」しかないんだから。
ところがこの狂った国は、「次は60兆円」「その次は70兆円」「その次は・・・」と、無際限に贅沢をしまくってきたんだった。
今現在、国の借金が1100兆円くらいでしょ?
絶対に、絶対に返しきれない額だ。
すごいよなあ、この国の無節操っぷりときたら・・・
転換期は何度かあったんだけど、例えば東北の大震災ね。
あのときに「原子力をあきらめましょう」と宣言するだけで、イノベーションは達成できたはず。
「100パー自然からタダの電力をつくる!」って大号令だけで、この国のポテンシャルはたちまちそれを実現させ、世界のトップランナーに立てたことだろう。
だけど、それができないんだな、業界べたべたのあの政権党には。
そもそも、国家予算を未来に投資せず、土木事業で国を潤しましょう、って発想が昭和的で古すぎる。
結局、思考そのものが止まっちゃってんだろうなあ。
教育と科学への投資を怠ったこの国は、今や世界から一周遅れの後進国だ。
オレは平成元年を知ってる世代だけど、平成30年になった今の風景があの頃と少しも変わってない(テレビの大きさとスマホの存在以外は)ってことに愕然とさせられる。
30年間で、この国は少しも前に進めなかった。
あの頃に「発展途上国」と蔑んでた国のひとたちから、今や日本は「安あがりに旅行ができる、昔のなつかしさがを楽しめる国」に成り果てちゃってる。
成り果てちゃったんじゃなく、変わらなすぎたんだね。
技術立国?
冗談やめてよ、この国には最先端のものなんてひとつもなく、今や機械の部品づくりしかできてない。
その部品づくりを「日本の職人技」と褒め称えるテレビ番組は、まさに、かつて貧困に悩んだ東南アジア諸国から「日本のこの風景って、昔の祖国みたいに古風で渋い」と眺められる視点と瓜二つだ。
借金を減らしはじめれば、この国の経済は回るようになる。
オリンピック(一年限りの好景気期待)をやめて子供(未来)に金をかければ、夢いっぱいの国になれる。
この簡単なことができない。
次の世でどんな景色が待ってるのかはわかんないけど、とにかく、光はなかろうと思う。
どんな名前がつくのか、楽しみだー。

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で、なんだっけ?ああ、リーマン予想なんだった。
そんなわけで、素数の配列を探るために、ゼータ関数の風景の一直線上にすべてのゼロ点が(無限に!)並んでることを証明したいんだけど、これが十九世紀以来、数学界最大の未解決問題となってるんだった。
巨大な素数の因数分解は、スーパーコンピューターでも解を得ることが困難(事実上不可能)なんで、素数はネット上の暗号としても重宝されてて、逆に言えば、素数の配列が確定されてしまうと社会が大混乱に落ち入る可能性があるため、この問題は「国際間の安全保障上において」と言ってもいいほどにとてつもなく重要なのだ。
どうしても解決したい一方で、解決されては困る、とも言えようか。
ところが、ここで劇的な展開が待ってたのだ。
ゼータ関数をいじくりまわしてゼロ点の散らかり具合いを研究してたある数学者が、ふとその配列を量子物理学者・・・つまり原子の構造を研究してる博士・・・に見せたのだ。
すると、見せられた物理博士はギョッとする。
「これって、素粒子のエネルギー準位の配列と瓜ふたつじゃね?」
この驚くべきペアリングの意味が理解できる?
学術史で最大の幸運と言われるこの出会いによって、「素粒子」と「素数」というまったくの別世界の、偶然では説明できない必然の関連性が明らかとなったのだあ。
「音の素」であるドレミからはじまった冒険の旅は、「数の素」である素数と「物質の素」である素粒子の配置がシンクロしてるという、信じがたい物語に至ろうとしてる。
というわけで、この未解決問題は、今や物質世界の構造にまで迫るものとなった。
しかし、ゼロ点の洗い出しとその方程式の構築は困難を極め、数学者の手に負えない。
が、なんとなんと、物理学者は知ってたのだ!
ゼロ点の探し方を。
ゼータ関数の風景を数学的なドラムの振動数と置き換えれば、その中でゼロ点をほじくり出すのは、ある種の流体の振る舞いを説明する問題の解き方と同じなんであって、つまりその古典的な作法は、すでに物理学者の間で知られてたものなんだと。
そしてそして、その流体力学において、ゼロ点を一直線上に並べて見せた人物こそが、十九世紀の数学者、ベルンハルト・リーマン、そのひとであったんだと。
うあー、一回転して戻ってきたーっ!
研究者はあわてて、リーマンが残した遺稿を調べようと、データを当たったんだそうな。
手に入れたい資料は二種類で、すなわち「ゼータ関数のゼロ点」に関するものと「流体力学」に関するもの。
ところが、出てきた遺稿は一山のみで、すなわち、ふたつは同じ原稿だった。
要するにリーマンは、素数探しにゼータ関数とその風景の中のゼロ点を利用したわけじゃなく、物理学上の問題を解くためにゼロ点の風景をさまよい歩く中で、不意に素数に出会ったらしいのだ。
逆経路だったのね。
というわけで、がぜん盛り上がってまいりました、リーマン予想。
いかなるエンディングが待ち構えてるのかは、乞うご期待。
早く解決してくれ、各方面の学者たちー。

おしまい

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数学では、どれだけ膨大なデータを集めて仮説を裏打ちしても、「なので、真実です」とはならない。
物理学あたりなら、「99,9999%程度の実験結果が合致したら認めます」となるところだが、数学においては、完全無欠の100%でないとだめなのだ。
どこにも漏れのない数式こそが真実であり、定理となるんである。
アインシュタインさんの相対性理論は、自然界の現象に照らしてほとんどすべてのケースを説明できるアイデアなんだけど、残念ながら、原子よりも小さな世界では矛盾が生じ得る。
数学にそんな曖昧さは許されない。
ところで、オレの好きな数学ネタがあって、下に書くんで、よく噛みしめて味わってみて。

x=0,9999・・・とする。
両辺を十倍。
10x=9,999・・・
10x−x=9,999・・・−0,9999・・・
9x=9
x=1
ゆえに
1=0,9999・・・である。

つわけで、99,9999・・・%とは100%のことではないのか?というロジックが成り立つんだけど、どこに矛盾があるか見つけられる?
それはまあ置いといて、とにかく数学においては、絶対的な正確さを証明しないかぎり、真実とは認めてもらえないんだった。
リーマン予想によれば、ゼータ関数の風景のゼロ点は一直線に並んでいなければならず、それを少しでも外れた場所にゼロ点が見つかれば、理論は破綻し、定理とは認められない。
この直線上に、ゼロ点が数十億個も(今ではおそらくそれ以上の数が)一直線に並んでおり、しかもひとつの例外もないことは確認されてるわけなんだが、そんなわずかな証拠ではまったく心もとない。
なにしろ、素数は無限にあるんで、10の一千億乗の一千億乗個の証拠を示したところで、その先に素数が永遠につづくかぎり、まるで意味がない。
また道がそれるけど、この「素数は無限にある」と証明したのはギリシャ時代の数学者・ユークリッドで、この背理法のロジックもなかなか面白いんで、一読してみて。

素数は有限個と仮定し、最大の素数をpとする。
pに至るまでのすべての素数を掛け合わせる。
2×3×5×7×11×13×17・・・×p
その数に1を足したものをxとする。
x=(2×3×5×7×11×13×17・・・×p)+1
xは、いかなる素数(カッコ内のすべての数)でも割りきれない。
2の倍数でもなく、3の倍数でもなく、5でも7でも11で割っても・・・のぼりつめて、最大素数のpで割っても、必ず1が余る。
よって、xはpよりも大きな素数である。
したがって、最大の素数は存在しない(素数は無限にある)。

今から二千年以上も前のひとがこんな考え方をしてたなんて、驚きだよね。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
「フェルマーの最終定理」と「ポアンカレ予想」というスター級の数学問題をやっつけたんで、いよいよ数学界最大の未解決問題である「リーマン予想」を理解してみるかと企てたのだ。
これは、素数の配列に関して、リーマンって昔の数学者が予想したもので、リーマンブラザーズの破綻とはなんの関係もない。
さて、素数とはご存じの通りに「その数以外では割りきれない、数の元素」のことで、小さなものから順に、2、3、5、7、11、13、17・・・と無限にある。
と同時に、その配列の間隔はバラバラで、次に出現するパターンがまったくでたらめなように思える。
上では七つの素数を数え上げただけなんだが、これが進むにつれていよいよバラけていき、例えば数百も間隔が空いた直後、わずか二つ隣に現れたりする(素数がひとつ置かずに隣り合わせることは、偶数が2で割りきれることからして、あり得ない)。
その配列に規則性を見つけましょ、という試みがリーマン予想なんだった。
さて、その前に「ゼータ関数」」を理解しなきゃならない。
ギターの弦一本をぽろ~ん、と弾くと、たとえば「ド」という周波数の音が発生する。
ところがこのドの音には、1オクターブ上のドの音(倍音)も含まれてるのだ。
ギターの弦で言えば、開放弦で弾いた音には、全開の音の中に、その倍の周波数の音(波形二分の一=弦のまん中を押さえた音)が含まれ、つまりこれが高い方のドの音だ。
弦の振動が複雑な波形を描くため、こういう現象が起きる。
さらにその振動の中には、解放の三分の一の波形も混じり合う。
三分の一の音とはつまり「ソ」の音階のことで、このために「ド」と「ソ」の音は完全に調和する。
さらにさらに、四分の一の音、五分の一の音、六分の一の音・・・が延々と連なって混じり合う。
ちなみに、この周波数の細切れの中に、レ、ミ、ファ、ラ、シ(と、♭♯同)は含まれない。
完全に割りきれる「ソ」以外の音は、周波数比で小数点以下が無限につづく無限少数になってしまうので、ドの音と正確にユニゾンすることはなく、それぞれの近似値を取って耳当たりがなるべくよろしい音に調整してあるのだ。
道がそれたが、とにかく、ギターのドの音の中には、1+1/2+1/3+1/4+1/5・・・という周波数比が渾然と交わり合ってるんであった。
この調和級数と呼ばれる無限和にはなにか秘密があるぞ、と直感でひらめいたひとがいて、この式を引っくり返していじくりたおした末に、すべての分母を2乗してみた。
するとこれが、なんとπの二乗の六分の一になるではないの。
なんでここに円周率が現れたのかは深淵なる謎なんだけど、やはりここにはなにかある、ってことになる。
こうして、調和級数のすべての分母をx乗して足し合わせたもの=ゼータxとして、こいつをゼータ関数としましょう、となったわけだ。
さて、この式がなにを意味するのかはわからないけど、とりあえず解を、等高線のような三次元の数直線上に並べてみる。
すると、数値のないいくつかの「ゼロ点」が現れた、というんだな。
これが、驚いたことに、素数の配置を示唆してるようなんだった。
パターンの取っ掛かりがまったくなく、ただただ神様が気まぐれテキトーにバラまいただけと見えた素数の配列が、実はゼータ関数の風景の中のゼロ点という規則に従ってた!・・・のかも知れないというのが、ざっくりとしたリーマン予想の中身のようだ。
こう書いてるオレにも、その内容がちゃんと理解できてるわけじゃないが。

つづく

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くそー、数学って酷なことをするぜ。
曲がった空間が、こうまで実生活に影響を及ぼしてるとは、思ってもみなかった・・・
つまり、よめはんのたたむタオルのエッジがそろってなくて、いつももやもやさせられるのだ。
そんな折り(折りたたみ作業なだけに)も折り、ゆうべタオルを折りたたむよめはんの手の動き、目の運びを見て、はたと得心がいったのだ。
オレはタオルをたたむとき、エッジ感重視なんで、二つ折りにした際に短い辺の両サイドの直角と直角とを重ね合わせ、折りたたむ。
そして次もまた角角合わせ、角角合わせ・・・とくり返してたたんでいく。
これが当たり前だと思ってたのだ。
ところが、よめはんの作業はそうではなかったのだ!
思い起こしてほしいのだが、使い込まれ、洗いざらしにされたタオルは、実は平面ではない。
経験者なら誰もが知るところの、「あり?角合わせをしても、辺がまっすぐに重ならないぞ?」のやつだ。
こすられ、なぶりあげられ、強烈な圧力でねじ込まれた末に、石鹸水につけられ、日光にあぶりたてられ、風にはためかされた平面長方形は、すでにどの鏡合わせにおいても非対称と成り果ててる。
こうなるとタオルは三次元構造となり、すなわち平行線公準が成り立たず、ユークリッド幾何学の範疇でとらえきれる形状ではなくなってる。
さて、そいつを折りたたもうとする者には、ふたつの選択肢が用意される。
すなわち、角角合わせか、「辺辺合わせ」かの二種類だ!
そうなのだ、よめはんは、角と角とを重ね合わせる道を捨て、「辺と辺とを同調」させてたのだ!
そのために、なるほど辺同士は美しくシンクロしてるが、エッジはバラバラとなり、見た目にだらしない積み上げとなってしまうんであった。
しかし・・・そこを選ぶか、よめはんよ・・・
気持ち悪くはないのか・・・?

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時間と三次元空間とは「時空」って形で渾然一体につながってんだよ、ついでに、質量は光の速度の二乗って係数を掛け合わせることでエネルギーに変換できるんだよ、っつーのが、アインシュタインさんの特殊相対性理論の言わんとするところなんだった。
その内容がうすぼんやりと理解できたところで、今度は「ところで、どこから『E=mc2』なんて式が?」って疑問が発生するのは、当然の成り行きなんではあるまいか。
理屈は、だいたいわかった。
この式の意味するものも、なんとなく理解できた。
が、アインシュタイン博士の思いつきからこの式に至る経緯が理解できない。
だって、まったく不思議なことじゃないの。
空間の都合で時間がゆがむ(なるほど)。
エネルギーが集中すると物質になる(まあいい)。
だけどそこに、光速に光速を乗っけたべき数が関係してくる!
・・・なんでだ?
つわけで、この構造を丁寧に解体し、着想から方法論にたどり着くまでのプロセスを追ったのが、本書なのだ。
中身は純粋に数論的なやつなんだが、噛んで含ませるような語り口のために、眠りに落ちることなく読み進むことができる。
そしてある瞬間から、まるでまじないにでもかかったような気分にさせられる。
なにしろ、わかることしか言われてないために、その当然の結実として、最終的にはすべてが本当にわかってしまうんだから。
高等数学でもなんでもない、中学生でもわかる程度の理屈によって、簡単な公式が難解極まる相対性理論にまで導かれていくんだから。
かいつまんで説明すると、最初はピタゴラスの定理から入る。
おなじみの、直角三角形の斜辺の長さの二乗は、他の二辺の長さを二乗した和に等しい、的なやつね(直角をはさむ二辺がaとb、斜辺がcなら、a2+b2=c2)。
こいつをベースに、光を間にはさんだ時間・空間の振る舞いの関係性と、宇宙の速度の限界値を、ミンコフスキー時空って設定の中で組み込むと、な、な、なんと、魔法のようにE=mc2に到達できるのだあ。
なんか難しく聞こえるけど、そこに出てくるすべての要素が、単純にして当たり前のやつなの。
速度ってのは、距離(空間)÷時間なんで、この世の最高速度を空間内に発生させれば時間との絡み合いを観察できる上に、その最高速度とは質量がゼロの光である、と決め込めば、時空の振る舞いに質量までをも巻き込んで等式(ピタゴラスの)に落とし込める。
オレはまったく個人的な意見として、アインシュタインの言う相対性とは、「光速をこの世の最高速度と決めてしまう!」「そして一切をその基準に従わせる!」ってことだと解釈してんだけど(これはある意味で間違ってるが)、つまりひとつの絶対座標さえ定まれば、全部の説明がつくんだよ、ってのがアインシュタイン博士の方法論なんだった。
とにかくこの本では、誰にでも理解ができるいっこいっこの算数のプロセスを経るうちに、いつの間にかゴール地点に立たされてしまってる。
まったく、狐につままれたような気分なんだが、とにかく、オレはこの公式を理解したらしい。
が、うまく説明もできない。
いやー、もう一回読まなきゃなあ。
読み終えた瞬間に、全部忘れたし。
でも、とにかく、理解はできてるはずなんだ・・・

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キャッシュレス社会がついにはじまり、戦々恐々としておるのじゃ。
なにしろ、スマホはおろか、携帯も持ったことがない。
クレジットカードなど使ったこともないし、そもそも使い方そのものがわからぬ。
これまで財布も持たず、現金は直接にポケットという、男の中の男スタイルで通してきた。
それがかっこよいと固く信じてきたこの生涯ゆえ、カード決済、などと言われてもオロオロと戸惑うばかり。
ところがじゃ、社会は進んだのう、ワシの唯一持っておるPASMOでも事足りるようじゃぞ。
駅前にチャリで出かけて、駐輪場で、ピッ。
おお、これはなんと便利な。
いちいちチャリ銭を探さなくてもよいとは。
それからキヨスクでピッ、パン屋でピッ、カルディでピッ・・・
うほほー、まるで未来人にでもなったようじゃぞ、ドラえもーん。
いやはや、ついにサムライにもスマホを持たされる時代がきたかとおびえておったが、しばらくは大丈夫そうじゃわい。
ところが、PASMOの機能もさらに進んでおるらしく、よめの母親などは、チャージをいちいちせずともじゃんじゃん口座から振り込まれる、すなわち銀行から直接流れ込み式に設定しておるらしい。
しかしこんなことをして、ひとたびカードを落としたりでもしたら、いったいどんな惨劇になることじゃろう?
拾った者は、暗証番号もサインも必要なしに、こちらの貯蓄額が尽きるまで、パン屋でピッ、カルディでピッ・・・際限なく使えるではないの。
恐ろしい時代がきたもんじゃ・・・再びひざが震えるわい。
やはり現金を使った方がええんではなかろうかのう・・・

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園