くそー、数学って酷なことをするぜ。
曲がった空間が、こうまで実生活に影響を及ぼしてるとは、思ってもみなかった・・・
つまり、よめはんのたたむタオルのエッジがそろってなくて、いつももやもやさせられるのだ。
そんな折り(折りたたみ作業なだけに)も折り、ゆうべタオルを折りたたむよめはんの手の動き、目の運びを見て、はたと得心がいったのだ。
オレはタオルをたたむとき、エッジ感重視なんで、二つ折りにした際に短い辺の両サイドの直角と直角とを重ね合わせ、折りたたむ。
そして次もまた角角合わせ、角角合わせ・・・とくり返してたたんでいく。
これが当たり前だと思ってたのだ。
ところが、よめはんの作業はそうではなかったのだ!
思い起こしてほしいのだが、使い込まれ、洗いざらしにされたタオルは、実は平面ではない。
経験者なら誰もが知るところの、「あり?角合わせをしても、辺がまっすぐに重ならないぞ?」のやつだ。
こすられ、なぶりあげられ、強烈な圧力でねじ込まれた末に、石鹸水につけられ、日光にあぶりたてられ、風にはためかされた平面長方形は、すでにどの鏡合わせにおいても非対称と成り果ててる。
こうなるとタオルは三次元構造となり、すなわち平行線公準が成り立たず、ユークリッド幾何学の範疇でとらえきれる形状ではなくなってる。
さて、そいつを折りたたもうとする者には、ふたつの選択肢が用意される。
すなわち、角角合わせか、「辺辺合わせ」かの二種類だ!
そうなのだ、よめはんは、角と角とを重ね合わせる道を捨て、「辺と辺とを同調」させてたのだ!
そのために、なるほど辺同士は美しくシンクロしてるが、エッジはバラバラとなり、見た目にだらしない積み上げとなってしまうんであった。
しかし・・・そこを選ぶか、よめはんよ・・・
気持ち悪くはないのか・・・?

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時間と三次元空間とは「時空」って形で渾然一体につながってんだよ、ついでに、質量は光の速度の二乗って係数を掛け合わせることでエネルギーに変換できるんだよ、っつーのが、アインシュタインさんの特殊相対性理論の言わんとするところなんだった。
その内容がうすぼんやりと理解できたところで、今度は「ところで、どこから『E=mc2』なんて式が?」って疑問が発生するのは、当然の成り行きなんではあるまいか。
理屈は、だいたいわかった。
この式の意味するものも、なんとなく理解できた。
が、アインシュタイン博士の思いつきからこの式に至る経緯が理解できない。
だって、まったく不思議なことじゃないの。
空間の都合で時間がゆがむ(なるほど)。
エネルギーが集中すると物質になる(まあいい)。
だけどそこに、光速に光速を乗っけたべき数が関係してくる!
・・・なんでだ?
つわけで、この構造を丁寧に解体し、着想から方法論にたどり着くまでのプロセスを追ったのが、本書なのだ。
中身は純粋に数論的なやつなんだが、噛んで含ませるような語り口のために、眠りに落ちることなく読み進むことができる。
そしてある瞬間から、まるでまじないにでもかかったような気分にさせられる。
なにしろ、わかることしか言われてないために、その当然の結実として、最終的にはすべてが本当にわかってしまうんだから。
高等数学でもなんでもない、中学生でもわかる程度の理屈によって、簡単な公式が難解極まる相対性理論にまで導かれていくんだから。
かいつまんで説明すると、最初はピタゴラスの定理から入る。
おなじみの、直角三角形の斜辺の長さの二乗は、他の二辺の長さを二乗した和に等しい、的なやつね(直角をはさむ二辺がaとb、斜辺がcなら、a2+b2=c2)。
こいつをベースに、光を間にはさんだ時間・空間の振る舞いの関係性と、宇宙の速度の限界値を、ミンコフスキー時空って設定の中で組み込むと、な、な、なんと、魔法のようにE=mc2に到達できるのだあ。
なんか難しく聞こえるけど、そこに出てくるすべての要素が、単純にして当たり前のやつなの。
速度ってのは、距離(空間)÷時間なんで、この世の最高速度を空間内に発生させれば時間との絡み合いを観察できる上に、その最高速度とは質量がゼロの光である、と決め込めば、時空の振る舞いに質量までをも巻き込んで等式(ピタゴラスの)に落とし込める。
オレはまったく個人的な意見として、アインシュタインの言う相対性とは、「光速をこの世の最高速度と決めてしまう!」「そして一切をその基準に従わせる!」ってことだと解釈してんだけど(これはある意味で間違ってるが)、つまりひとつの絶対座標さえ定まれば、全部の説明がつくんだよ、ってのがアインシュタイン博士の方法論なんだった。
とにかくこの本では、誰にでも理解ができるいっこいっこの算数のプロセスを経るうちに、いつの間にかゴール地点に立たされてしまってる。
まったく、狐につままれたような気分なんだが、とにかく、オレはこの公式を理解したらしい。
が、うまく説明もできない。
いやー、もう一回読まなきゃなあ。
読み終えた瞬間に、全部忘れたし。
でも、とにかく、理解はできてるはずなんだ・・・

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キャッシュレス社会がついにはじまり、戦々恐々としておるのじゃ。
なにしろ、スマホはおろか、携帯も持ったことがない。
クレジットカードなど使ったこともないし、そもそも使い方そのものがわからぬ。
これまで財布も持たず、現金は直接にポケットという、男の中の男スタイルで通してきた。
それがかっこよいと固く信じてきたこの生涯ゆえ、カード決済、などと言われてもオロオロと戸惑うばかり。
ところがじゃ、社会は進んだのう、ワシの唯一持っておるPASMOでも事足りるようじゃぞ。
駅前にチャリで出かけて、駐輪場で、ピッ。
おお、これはなんと便利な。
いちいちチャリ銭を探さなくてもよいとは。
それからキヨスクでピッ、パン屋でピッ、カルディでピッ・・・
うほほー、まるで未来人にでもなったようじゃぞ、ドラえもーん。
いやはや、ついにサムライにもスマホを持たされる時代がきたかとおびえておったが、しばらくは大丈夫そうじゃわい。
ところが、PASMOの機能もさらに進んでおるらしく、よめの母親などは、チャージをいちいちせずともじゃんじゃん口座から振り込まれる、すなわち銀行から直接流れ込み式に設定しておるらしい。
しかしこんなことをして、ひとたびカードを落としたりでもしたら、いったいどんな惨劇になることじゃろう?
拾った者は、暗証番号もサインも必要なしに、こちらの貯蓄額が尽きるまで、パン屋でピッ、カルディでピッ・・・際限なく使えるではないの。
恐ろしい時代がきたもんじゃ・・・再びひざが震えるわい。
やはり現金を使った方がええんではなかろうかのう・・・

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ろくろや陶芸指導で女性に対するとき、「自分で考えてみて」とあえて突き放すことがある。
解答をさしあげることは容易だが、それをすると彼女のためにはならないのだ。
彼女たちは、主体的な創造という行為に慣れてない。
こちら(男)に頼ろうとするヘキが、身にしみてしまってる。
これは批判でも悪口でもなく、社会的な構造のことを言おうとしているんで、怒らないで理解してもらいたい。
特に年配の女性たちは、「自分で考える」という作業をさせてもらえなかった。
男に言われた通りにする。
考えないで、従う。
冒険せず、守る。
突出せず、隠れる。
そうした受け身の姿勢が美徳とされた時代だったわけだ。
ところがそれは、男に虐げられてきた、の裏返しに過ぎない。
考えていいのだよ。
能動的に動いていいのだよ。
自分の判断に従っていいのだよ。
指示を待つばかりでは、伸びることはできないよ。
自分でつかみにいくからこそ、得られるものがあるんだよ。
・・・しはんはそう言いたいんである。
主体的に考えることによって、はじめてくびきから逃れられる。
自由に手足を動かせるようになる。
真の自分が獲得できる。
社会的にかしこくなれる。
行動範囲がひろがる。
ヨロコビが生まれる。
んなわけで、しはんはあえて突き放すんである。
カンッタンな解答が、今ここにあるとする。
しかし女性(逆説的に差別するが)は、それを能動的につかまえようという行為にブレーキをかけてしまう。
「これを手に取っていいですか?」と、男の許可を求めずにはいられない。
男は、躊躇なくする・・・というよりも、やるなと言ってもやる。
女性は、そうじゃない。
苦しくも、彼女たちはそうした教育を受け、抑制を強いられてきたのだった。
自分コントローラーが、オフになってるわけだ。
彼女の胸にあるその簡単なスイッチを、しはんは切り替えたいんである。
しかしそのスイッチを押せるのはしはんではなく、彼女自身でしかありえないので、「自分で」ということになるんであった。
女性よ、自分を解放しろ〜!
暴言多謝。

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スポーツ中継を観ようと思わない。
プロ野球にも、サッカーにも、オリンピックにも、まったく興味がわかない。
「最近のスポーツはつまらん!」と言ってんじゃなくて、とにかく、オレ自身がスポーツ観戦そのものを面白いと思わないんだな。
確かに、スポーツニュースで観る各競技のダイジェストは、クライマックス部分だけを編集されてることもあって、ダイナミックで、劇的で、なかなか愉快だ。
だけど、そんな結果のみでお腹いっぱいになれるんだ、オレは。
ひとがやってる試合を二時間も三時間も観つづける、なんてできない体質なのかな。
考えるに、マンガ家時代に、そうしたものを観すぎたのかも。
あの頃は「勉強しなきゃ」「研究しなきゃ」「ネタを掘り起こさなきゃ」と思って、あらゆる種類のスポーツを無理やりに観てた。
(生来的に)大して面白いとも感じられないものを観るように無理強いされてるんだから、神経もイカレるよなあ。
つまらない人間とはつき合わない!と意思決定したことともつながってるかもしれない。
興味のないものは観ない!のだ。
というわけで、スポーツ観戦がつまらない、とはっきりと確信し得た今は、スポーツはぜんぜん観てない。
一方で意外だったのが、科学に対する興味だ。
ものすごくのめり込んでる。
天体物理学、量子力学、生命科学、数理科学・・・面白い!
へそ曲がりのオレの好奇心は、実はそっちの方に向いてたのだ。
世界の構造と生成過程、それに普遍的な法則を知るそのよろこびの大きさときたら。
それを知ることができただけで・・・つまり、「オレはそれを求めてたのだ!」という自分の欲求そのものを知ることができたことだけで、今はしあわせ。

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グーテンベルクが印刷機械を発明したのは、すごいことなんだ。
それまでの本は、手書きだったんだよ。
誰かが口にした言葉が、ひとの手で書き残され、書き写されて、少しずつ手から手に渡っていって・・・もちろん、識字率もあまり高くない時代だから、読めるひとも限られてたんで、読書(文字理解、と言ったほうがいいか)なんてのはせまいせまい文化だった。
知識が広くに拡散することはなかったし、一部の特権階級が情報を占有できた。
ところが、件の人物のおかげで印刷という技術が新たに生み出され、活用されたおかげで、たちまちひとびとは賢くなったんだ。
おびただしく複製された文字情報は、下層にまで行き渡り、世界にあまねく真実と英知がもたらされ、ついには革命が発生したわけだ。
一台の印刷機械が、世界を変えたんだよ。
イノベーションとはつまり、機械の開発じゃなく、社会の変革をうながすような価値の劇的な進歩のことなんだ。
ワットさんは蒸気機関を発明したけど、これは湯気が物を動かすメカニズムを考えついたことが偉いんじゃなく、エネルギーそのものを発生させるのに成功したことがすごいんだ。
エネルギー(それ以前は人力か馬力のみ)は物を動かすけど、物を動かすエネルギー自体をつくった、って点で、ワットさんの発明はイノベーションだったんだね。
基礎の大切さは、応用アイデアのはるか上をゆく。
ひらめきは優れてても商売が下手すぎる日本は、この方向でがんばりたいもんだね。

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脳の形成は出力依存なのだ。
情報は脳に詰め込めば詰め込むだけ、新皮質に場所を与えられて記憶されるけど、整頓はされない。
ごちゃごちゃのおもちゃ箱に放り込むだけでは、情報は「知識」とはならないんだ。
だけどそれを探し出し、他の情報と結びつけて言語化・映像化し、出力することで、情報処理の仕組みができていく。
出し入れの回路が強化され、よその情報との複雑な補完関係も手伝い、記憶が堅固なものとなる。
検索をかけることで、経路はフィードバックを繰り返して太くなるわけだ。
この整頓こそが、知識の正体なんだった。
ろくろ技術を教えるとき、ぼくは実践者に対して後ろから言語のみで指導し、(その人物の)手足をコントロールして工程を経験してもらうんだけど、この段階では、ぼくが彼女の手足を操縦してろくろ上の器をつくってるに等しい。
この操り糸から離れて、一度やった(そしてもはや忘れた)作業を頭の中から引っ張り出し、自分の力量のみでろくろを挽くとき、その人物はようやく「自分の作品をつくり得た」と言える。
そしてそのときはじめて、その人物は「ろくろ技術を身につけた」と胸を張って言える。
自分で考える。
このことが、いちばん重要。

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平成が終わるのですね。
天皇陛下、お疲れ様でした、と申し上げたいです。
代々、神様の家系だったものが、前の代で突然に「にんげん」に、しかも「象徴」となるべし、と決定されたのですから、その戸惑いはいかばかりだったかとお察しします。
この奇妙な「象徴」という言葉を、天皇家はおそらく「お手本」ととらえたのでしょうね。
その通りに、彼らは実に立派な、絵に描いたように穏やかで平和な家族を築き上げ(じゃなく、おそらくは演じ)て見せました。
そのお姿は、最高度に洗練されたサザエさん家のようでもありました。
日本の家庭はかくあるべし。
日本人の心はかくあるべし。
それは、まじないでもありました。
天皇陛下と皇后陛下、それにその周辺の皇族の振る舞いを日々目にする日本国民は、そのおかげで、常識的で抑制的であらねば、と自分を律することができたのだと思います。
陛下は象徴でありつつ、国民の鑑であったわけです。
決して乱れず、悪意を持たず、常に弱い者の身に寄り添う。
それは、立場や任務などという俗世の枠組みやきれいごとを超越して、まことに尊いお姿でありました。
ただただ人間として崇高な態度。
それが、今上天皇の真の価値だったんじゃないか、と思うのです。
お見事でありました。
サンキュー、陛下。
自由で楽しい余生を!

・・・こんなことばっか書いてるけど、オレ、右でも左でもないんで、よろしくです。

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日本の悪口ばっか言って、嫌なとこばっか並べ立てて、おまえは非国民かっ!
・・・と怒ってるおっちょこちょいがいそうですが、これがオレの愛国心ですから。
日本を誉めそやしてばかりのやつ、てめーの方こそちっとも日本のことを想ってねーだろ(あるいは、日本のことを知らないか)。
つわけで、また悪口です。
捕鯨してますよね、日本は、どれだけ諸外国様から非難を受けても。
んで、その非難の声に耐えかね、日本は IWC(捕鯨を管理する国際団体)を脱退する!ってことになったんでした。
オレもね、クジラは獲らない方がいいなあ、だいたいかわいそうだよ、だけどあのクソシーシェパードに対抗するためなら日本がんばれ、権利の限りにクジラを獲りまくったれ!だいたい鯨漁は日本の文化だ、それにクジラを間引かないと世界中の海の魚がクジラの餌として一網打尽になってしまう・・・ってふうに考えてました。
ところがですよ、ちょっと気になる情報を耳にしたのですね。
まんま垂れ流すんで、興味のあるひとは聞いてください。
日本の文化としての捕鯨は、別に IWC方面から止められてるわけじゃないみたいですよ。
昔から伝統的につづく「自国沿岸での捕鯨はやってくれてかまわない」と、三度に渡ってお達しをいただいてるようです。
が、なぜか日本はこの提案を蹴るのですね。
「我々がクジラを獲りまくりたいのは、南氷洋だ!」と。
・・・これって、日本の古来からの捕鯨文化とはまるで関係のない主張です。
そしてその南半球というひとの庭で、日本は「調査」と称して、捕鯨に乗り出してるのです。
なんの意味があるんすかね?そもそもそこまで船を出すと何十億円という出費がかさみ、売れども売れども採算がとれるわけがない。
しかもこれが、ミンククジラあたりの、それこそ伝統的に食されてきたやつにしとけばいいのに、「でっかいザトウクジラを獲る!しかも50頭いただく!」と宣言し、獲りまくってるというのですよ。
ここからがえげつない話になるのですが!
このオセアニアから南氷洋という地域(海)は、国際的に「クジラのサンクチュアリ(聖域)」と定められてて、捕鯨を認められた数少ない他国も絶対に足を踏み入れないエリアにも関わらず、そこで日本船は平気で狩りまくってるというのですよ。
楽園のようなサバンナ・セレンゲティで、ライオンを撃ちまくるような感覚ですかね。
その狩りまくってるザトウクジラというのがまた、付近の保護団体が一頭一頭に名前をつけ、家族のような(あんたのとこのペットみたいなもん)気持ちで見守ってるという尊い個体群。
それが、日本の捕鯨船の無法によって、一頭、また一頭と姿を消していくのですと。
彼らの憤怒と怨恨に燃える気持ち、ちょっと理解できてきました?
そこで立ち上がったのが、シーシェパード、ってわけですよ。
こうなってくると、風向きは変わります。
ちょっと応援したくなりません?シーシェパード。
有名人たちがこぞって支援金を出したくなるわけです。
んで、なんで日本がそうまでして捕鯨をつづけるのか?っつーと、これが何者かの利権がらみなんですと。
こんなことがですね、山本太郎の国会質問であったんで、一応お耳に入れときます。
ここんとこ、日本は国際社会において、ひんしゅくを買うことおびただしい(環境系、兵器系、人権系・・・枚挙にいとまなし)。
今日び、「あの国は、恥というものを知らんのか?」と囁かれてはじめてることを、日本国民は知ってるんですかね?
また安倍さんの話になりますが、本当にこの人物が総理大臣になって以来、日本は変わりました。
支持、不支持、はこの際もうどうでもいいけど、この国で起こってることと、他の国からこの国がどう見えてるのかってこと、それだけはちゃんと客観視しといた方がよろしい。
それでも安倍さんを支持できるなら、見事、と言わせてもらいましょう。

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以前は、株価が落ちれば「金持ちが困ってやがるザマーミロわっはっは」と愉快だったけど、今じゃそうはいかないのだあ。
なにしろ、自分の大切な年金が、国家によって勝手に株にぶっ込まれてんだもんなあ。
なんかもう、わが子を見守るように株価の折れ線を見守ってしまうよ。
「たった!」「あ、ころんだ!」なんて。
将来、大丈夫なのかなあ・・・まあねえ、今さら年金がもらえるなんて思ってないけどさ。
とにかく、そのぶっ込まれる額たるや甚大なんで、もう手のつけようがないように思える。
たぶん、たぶんの話ねここからは(政府が情報をよこさないからしょうがない)。
昨今の「好景気」と喧伝されてる時期の株価は、国家が国民から預かってるはずの年金をじゃぶじゃぶにマーケットにつぎ込むことで、高値で安定させてたわけよ。
政府発表は「収支はプラス」ってことだけど、そりゃ儲かるだろ、自分で手持ちの株を売り買いして株価の上昇下落をコントロールしてんだから(このへん、なんでインサイダーを問われないのかが不思議だよ・・・)。
そうして、海外のトレーダーを悦ばせてさしあげてきたわけだ。
しかし、今やめちゃくちゃに、本当にデタラメなほどにめちゃくちゃに株を買い進めてしまったわが国は、株価が落ちはじめると、さらに逆張り的に買い支えて、安定状態に戻すしかない。
こうして自らの損を隠し通すために株券の入った金庫を膨らませていくわけだが、こいつがもう、売りたくても売りようがない。
利益を出そうというほどの量を売れば、相対的に株価を下落させてしまうのは必至なんだから。
つまり、株価が上がっても、売り抜けられないわけだ(利益を出せない)。
逆に、下がれば、株価を支えるために買うしかない(損をする)。
このジレンマ、理解できる?
上がれば売るわけだが、持ち株の量が尋常じゃないんで、売れば下がり、下がれば上げるために買うしかなく、どうしても、どうやっても、得分は相殺され、損分は取り返すことができない構造だ。
株価がそこそこで安定してる局面ならまだいいが、ふと急激に落ち込んだときが怖い。
含み損を抱えて塩漬けにするか、さらにさらに買い進めて株価を戻すしかない。
その購入量は、わが国における国債発行量と同様に、際限なく膨らみつづけるものと思われる。
最終的にわが国は、わがはいの計算上、わが国の企業発行の株の大半を保有するに至る(今もすでにそれに近い気がするが)。
さて、ここでまた安倍さんなのだ。
安倍さんが考え出すあらゆる政策は、この国を共産主義か、あるいはナチスみたいな国家社会主義(政府による産業の国有化と統制経済)にしようと努めてるものと思われるんだが、この意図しないところの(とはいえ必然だが)株の買い占めによって、それは皮肉にも実現されてしまうかもしれないね。
すべての日本企業は、日本政府による株の買い占めによって、国有化される・・・というのが、わがはいの見立てなんである。
そのとき、年金はどうなるんだろう・・・?
株券でもらうことになるのかなあ?

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