「中学の理科を大人のために網羅した」みたいな分厚いのを読んでるんだけど、こんなおさらいが結構面白い。
あの頃、教科書なんて少しも面白いと思わなかったけど、きちんと読み解くと、ファンタジーにあふれた世界が描かれてたんだなあ。
・・・いや、当時の文面を思い返してみても、こうは書かれてなかったはず。
教科書をつくるやつは、「伝えよう!」という執念と思い入れなんて持ってなかったにちがいない。
試験に必要な情報を詰め込むのに精一杯だったわけだ。
でなきゃ、ああまでクソ面白くない形に編纂できないよなあ。
あるいは、社会が悪かったのだ。
「学生には、質よりも量を詰め込むべし!」って、味に無頓着な学生街の大盛り飯屋をありがたがるようなもんだもんなあ。
とにかくまあ、こっちはガキだったのだ。
結局、未熟者なんで、どう書かれたところで、現象面の丸暗記はしても、真理の構造理解まではできようになかった。
京都、ね。
あの町は、中学生風情が修学旅行で回ったところで、たいして面白くない。
あそこは、知性と品格を身につけた大人が観てこそ、魅力が100%伝わる町。
それと同じで、中学生に物理学の真のシブさはわからない。
大人になってこそ、味わい深く楽しめるというもの。
いや、こうまで美しく構築されてたとは・・・
カミソリ一枚のすき間もなく、こうまで矛盾なく論理が整えられてたとは・・・
先人の心の砕き様と、その成果の精密さは、人類の営みの崇高さの現れ。
シンプルで初歩的な方程式を見てくだけでも、まったく、息を飲みたくなる。
ああ、勉強、楽しい。
そして残された時間を考えると、せつない。
頭がもうバカになってるから、入れても入れても抜けてく感がすごい。
もっとガキの頃にやっとくんだったなあ・・・
だけど、あの頃やってもつまんないだろうしなあ・・・
人間は、ジレンマに満ちてる。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
キャッシュレスの報道なんかを見るにつけ、ようやく日本の著しい遅れっぷりが露見してきたみたい。
日本は、世界の文化文明の成熟度から完全に置き去りにされて、今や海外の人々は、「なつかしい原始社会」を体験しに日本にきてるんじゃないかしらん(旅費がひどく安上がり、ってのも含めて)。
これを言うとまたアレになるけど、すべてが自民党のせいだなあ・・・
政治が古い、古すぎる。
過去を振り返ってばかりで、未来を見るということがついぞない。
海外がひたすら発展・未来化をつづけてきた三十年間において、この国はなにも変わることがなかった(ものすごく長い長い好景気らしいのになあ、政府発表)。
平成も終わろうかというこの時代になってもなお、景気にテコ入れをしよう!で考えるのが、公共事業に、オリンピックに、万博だって、ふわあ・・・
電気は、なんと原子力だってよ、ぷぷ・・・
車はハイブリッドだって、それっていつの文明?
そしていよいよ、日本はグローバル社会に向けて国を開こうとしてるわけである!
・・・世界中が、グローバル社会を過去のものとするパラダイムシフトでそのひずみを正していこう(荒らす方向だが)、って時代に至り、ついに。
ほんとにトラック一周ですんでるのか?日本のこの遅れっぷりときたら。
日本は先端技術を持ってるから大丈夫、って?
いやいやいや、今日びの日本なんて、なにひとつ持ってないよ。
それは昭和の先端技術(すなわち、いろんなテレビ番組がこぞって鼻高々に自慢してる「職人技」っての?)であって、そんなものは瞬く間に絶滅する。
「最」先端技術分野で、日本が世界に太刀打ちできるものなんて、絶無と言っていい。
躍進著しい中国や韓国が(いろんな側面はあるが)うらやましい・・・とは、日本国民は決して言うまいが、じつは、そう感じるべきなのだ。
彼らは、実にうまく立ち回った。
考えに考え、実行し、そして成功した。
そこには、きちんとした戦略があった。
対して、日本のこの手遅れ感は、全部自民党の頭の悪さのせいと言っていい。
ああ、それでも我が国は、自民党の方針に従うのだなあ。
残念だー。
なにが起ころうと、なにも起こるまいと、わが国民は、そんな党に支持を与える。
まるで考えもなしに。
ま、野党がもっと残念、ってことの裏返しだが。
この国は救われない。

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ネット(こんなブログとかSNSとか)で、社会的、政治的、対個人的に、余計な発言をしてるぼくです。
言わなきゃいいのに、と思うでしょ?
ぼく自身もそう思います。
その方が楽ちん。
それに、この情報収拾にビッグデータ、プロファイリングの時代。
当局からチェックされ、監視を受けるかもしれませんね。
だけど、口をつぐもうとは思わないのですよ。
プチ運動家でいいよ、もう。
発言したいことは、発言すると決めてます。
窮屈な目に遭いたくないために、自由業を選んだんだもの。
逆に驚くべきは、発言しない人々の姿勢。
特に同業種の連中には言いたい。
いやしくもものをつくってる身でありながら、なにを躊躇するのか。
出るクイになりたくないとな?
ヘタレもいい加減にしろ。
そんなやつはものつくりをやめて、体制側の公務員になれ、わんわん。
発言を控えてる人間がつくり出すものは、この世界の真っ暗な将来そのもの。
あの軽蔑するべき政治家たちに、あなたたちはフリーハンドを与えてるわけだ。
こうまで彼らが横暴になったのはね、あなたたちの黙認のせいなんですよ。
声を出せ、勇気を出せ、と言いたい。
気に入らないことには、いちいち悶着を起こしていいのです。
そうすれば、多少は彼らも手こずると思うのですよ。
あきらめてます?
あきらめた先に、どんな世界が待ってるか、知ってます?
発言するの、怖いです?
本当に怖いのは、発言をしないで済ます世界と、その将来だとは理解できません?
というわけで、今日も余計なことを言ってるぼくなのです。

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新しいチラシの出来をあまりに気に入ってしまい、うれしくてたまらないんで、駅前でちょくちょくと配ってるのだが。
結局、誰がこれを手にしてくれるのか?という問題なのだよなあ。
つまり、ここにおいてすでに、人柄のいいひとだけが受け取ってくれる、という構造になってるわけだ。(昨日のブログのつづき気味)
「陶芸教室のご案内ですよ〜」かなんかとのどを枯らしてると、それに反応して足を止めてくれるのは、たいがい穏やかで、心優しく、そこそこ知的で、そこそこ可愛らしいお嬢さんたちだ。(それと、なんでもかんでも受け取ってみるという習性を持つおばちゃんたちと)
中には、わざわざ通り過ぎてしまったのちに振り返り、戻ってきて受け取ってくれるひとも少なくない。
その誰もが、目をキラキラさせてて、手渡すこっちとしても自然と気分よろしくなってしまう。
一方で、こうして駅前配布をしてると、絶対にこの人物は受け取ってくれまい、と相手の拒否反応まで察知できるようになる。
ここに例を挙げれば、

1、ものすごくおしゃれなひと
せっかく長く整えた爪を汚したくないのかもなあ。
2、ひどく威張って肩をいからせたひと
教えられる、という立場にそもそも興味がないようだ。
3、耳にイヤホンで歩きスマホのひと
こちらにも(車両にも)気づかないから仕方ない。
4、タバココーナーに急いでるひと
エネルギーが切れかかってるにちがいない。
5、眉間にしわを寄せたひと
おいおい怖いぞ、なにがあったんだ?
6、ひどく落ち込んで生気を失ってるひと
チラシどころじゃないのだなあ。

そんなわけで、激しい性格だったり、心がささくれ立ってたり、とてつもなく高い位に就いてたり、絶世の美女だったりする人物は、チラシを受け取らないようになってるんだった。
こうして無事にチラシは、人柄よろしき隣人たちに届けられる。
チラシは、受け取ってもらい、きちんと目を通してもらい、そして手元に残してもらう、という三拍子が必要なのだが、わが新作は、美しい配色をチラつかせて手に取るように誘導し、手にした以上はマンガで読まざるをえなくし、割り引きの半券に輝きを放たせて捨てることをためらうように、上手につくられてるのだ。
まったく、素晴らしいチラシができたものだとホレボレする。
ああ、あのときのきみよ、早く工房にきたらいいのに。
ま、いつでもその気になったらおいでくださいな。
チラシ配りは、希望の種をまくのと同じ。
けっこう好きな作業だなあ。





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みんなお待ちかねの窯出し・・・だけど、いちばん楽しみにしてるのは、実際に作業をするオレなのかも。
なんたって、面白いんだから。
十六時間焼いて、まる二日間冷まし、ついに扉を開けられる。
ほんとに待ちかねるよ。
そして、一点一点を鑑賞しながらの取り出し。
これが、大興奮。
みんなが悩み、苦しみ、汗をかきかき、そして楽しんでつくってくれた作品を、ついに焼き上がったホカホカの状態で手に取ることができるなんて。
こんなこと、ひとりきりでやらせてもらって、バチが当たんねーかな。
この上なく楽しい時間だ。
まったく、なんて素晴らしい仕事を選んでしまったんだろう、と本気で感じる。
あと、それに輪をかけてうれしいことがある。
陶芸教室をやっててしあわせなのは、人柄のよろしい人物しか集まらない、ってところ。
性格の悪いやつ、意地悪なやつ、横柄なやつ、「うぜー」「めんどくせー」「だせー」「きたねー」を口にするやつは、決して陶芸に手をつけようとはしない。
陶芸は、穏やかで質のいい人間だけがやりたがる、という魔法のような遊びなのだ。
「テロリストになるかわりに、芸術家になった」ってのはニキ・ド・サンファールの言だけど、「お寺にいくかわりに、陶芸をしてみた」ってのが工房生の心持ちなのかもしれない。
すげえなあ、陶芸。
これを見つけて、飛び込んでみて、しみじみと、よかった。

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またわけのわからん目に遭ったわ・・・
焼肉屋で、隣のテーブルに座った四人連れの客。
あっちサイドの隅に、乳飲み子を抱えた若いお母ちゃんが座ってるわけ。
この状況で、赤ちゃんと対角に座ったこっちサイドの男(クズ)が、なんとタバコを吸い出すではないの。
この時点で人間として終わってるんだが、その横に座った妻らしき女(バカ)が、赤ちゃんの方に煙をよこすまいと、プラ板のようなメニューでこっち側に向けてあおぎはじめる。
神よ、なにゆえにこのように愚かな人間どもを創りたもうたか・・・
すべてがセットになって間違ってる。
ツレがいなければ、ケンカにしてやったんだがなあ。
ああ・・・飲食店でタバコ吸うやつ。
いつも考えるんだが、この手のやからの、自分がなにをしてるのか理解できない脳のスカスカぶりはタバコのせいなのか、脳がスカスカだからタバコを吸いたくなるのか・・・どっちなんだろう?
救いがない、正真正銘の害毒な人間だ。
あの赤ちゃんは、癌になる。
早々に死ぬであろう。
あの男のタバコのせいで。
賭けてもいい。

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おなじみのロックバンド、クイーンのボーカルであるフレディ・マーキュリーのお話です。
公開二日めのレイトショーにいってきましたが、シネコンのいちばん大きなハコはスカスカ気味。
そこで、予約席を勝手に立って、周囲に誰もいない最前列の中央で巨大スクリーンを楽しみました。
これが大正解。
サウンドもすごいが、画面の臨場感がハンパない。
おびただしいオーディエンスの前で、リアルにステージ場に立ってる感覚。
足での踏み鳴らしや手拍子(ドン、ドン、パン!)、拍手も指笛も自由にできるし、おススメします。
さて、よめはんにとっての神様・フレディには「様」付けをしないと叱られるわが家ですが、そのフレディ様の化身であるナントカという俳優がはじけてます。
大きな歯を歯茎の裏に仕込んでブサイク顔(ちょっと極端では?)になった彼は、まさしく生き写し・・・だけど、ちょっとタッパがなく、足が短いかな。
しかしまあ、不自然でもなく、スクリーン上を飛びまわります。
それに乗っけて、フレディ様本人の歌声!
こいつがすごい。
彼の声は、声帯の振動じゃなく、炸裂です。
「あ」の音声を出すとき、ひとは「ぅあ」と前段に呼気を漏らしがちになるわけですが、彼の声にはそんな頼りなさがありません。
いきなり、完璧に彫刻された声が、ぽんっ、と出てきます。
衝撃的な音の発動かつ声量で、しかもそいつが正確極まりない。
そんな力強い歌声に加えて、ステージ上のパフォーマンスも自信満々にみなぎりわたり、コミカルなまでにリズミカル。
同系統・・・と言っていいかどうかわからないけど、ミック・ジャガーのフレキシブルな曖昧さもなく、デビッド・ボウイの頽廃的な不健康さもなく、ただただ元気で健全。
しかも、高等音楽教育を受けたらしき演奏と楽曲は、洗練の極み。
ロックの完成形と言いたくなります。
なのに、なのにですよ、フレディ様ときたら、ヘンテコカラフルな全身タイツに、女装、胸毛をやみくもに誇張したかと思えば、ヒゲに赤いスカーフときてなぜかパンイチ・・・と、変態性のオンパレード。
わからない・・・そこだけは理解できない・・・
が、泣けてくるほどのすげーパフォーマンス・・・
掛け値無しの天才と言わねばなりますまい。
ところが、ステージを降りたフレディ様は、真の友だちもなく、自信のかけらもなく、ただただ少年のようにナイーブなひとりのゲイ。
常に思い悩み、道に迷い、人生をさまよってます。
ついにはエイズに侵され、衰弱していくわけですが(←これってネタバレじゃなく、誰でも知ってる事実だよね?)、ついに腹をくくります。
こうして迎える最後のステージは、圧巻!
前評判通りに、魂が震えました〜っ!
・・・と、ここで終わっといたらよかったのですが。
映画を観終えた後、調子に乗ってよめはんのフレディ様コレクションをブルーレイで観たら(よめはんは映像正面で正座)、本物のフレディ様は、まさしく本物でした。
やっぱぜんっぜん・・・言っちゃ悪いけど、まるっきり違う。
本物は断然、動きが大きいのに優雅で、からだのキレもケタ外れ。
その歌声ときたら、気宇壮大。
感動、感激、衝撃の渦にただただ巻き込まれ、耽溺するしかありません。
その尊いお姿に、心底震えました。
・・・というオチで、ごめん。

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カミオカンデがニュートリノを観測するメカニズムがいまいちよくわからなかったんだけど、ようやく理解できたよ。
みんな、知りたいよね?
あのね、超音速飛行機が音速を超える瞬間、ドップラー効果による衝撃波が発生するじゃん。
動いてる物体から発生する音の波長が進行方向に向けて圧縮されて高音になるのが、ドップラー効果。
さらに超音速で動く物体ともなれば、前方で圧縮されて圧縮されて詰まりに詰まった音の壁を、ついには自身が突き抜けてしまう。
自分が出すすべての音を、自身が突き抜け、背後に追いやってしまうわけだ。
ドカーン!
ここで発生するのが、衝撃波。
さて、こいつを光の波長に置き換えてみる。
高速で飛ぶ物体が出す光もまた、ドップラー効果によって前方に波を圧縮させてる。
具体的に言うと、こちらに向かってくる白い光は青寄りに見え、遠ざかると赤寄りに見えるのだ。
「夜空に輝く一切の銀河は、地球から遠ざかってる!」と、ハッブル(&最近変更されたところによるとルメートルも)が発見し、宇宙が刻一刻と膨張してることが確認されたわけなんだけど(すなわち、それを逆再生すると、宇宙は一点に向かって縮み、ビッグバンの特異点に収斂する)、これは天体の赤方偏移によってわかったことだよ。
えーと、それでですね、カミオカンデなんだった。
要するに、物質が・・・ここではニュートリノって素粒子なんだけど・・・が光速を超えてくれさえすれば、ドップラー効果により、衝撃波的なものが発生してくれるんで、それを観測したい。
観測できれば、「ニュートリノに質量が存在する」って証拠にもなる。
が、この一文にはさまざまな矛盾が含まれてる。
質量を持つものは決して光速には至らない、と特殊相対性理論が言ってるし、そもそも光速はこの世で最速なんだから、そのスピードキングを追い抜くなんてことはあり得ない。
が、水中では違うのだった。
なにしろ、あれほどせっかちな光が、ゆっくりと動いてくださる!
つわけで、鉱山跡の巨大な空間に純粋な水が満たされたわけなんだった。
このデパートほどもある水槽が、カミオカンデね。
さて、ここにニュートリノを突っ込ませる。
水中での光速は、普段の75%。
このスピードなら、追い抜けないこともない。
ところが、どんなものもすり抜けてしまうオバケのような存在が、ニュートリノだ。
何個かを突っ込ませてみても、観測はできない。
が、おびただしい数を突っ込ませれば、どうだろうか?
ニュートリノ自体の観測は難しくても、どれかがまんまんに満たされた水分子とぶつかって、酸素からか水素からか、電子をはじき出してくれる。
この飛び出した電子が、水中ではなぜか光よりも速いらしい。
電子が超光速に至った瞬間に、例のチェレンコフ光ってやつが、つまり超音速における衝撃波のように発生する。
カミオカンデは、この発光を巨大水槽の周囲ぐるりに張り巡らせた増幅器とセンサーで捉える、という装置なのだ。
ニュートリノが押し出す電子から発生するチェレンコフ光・・・
よくこんな小さなサインを感知できるもんだ。
こんなバカげたことを考えて、実際につくっちゃったおなじみの小柴さん(ノーベル賞のおっちゃん)なんだけど、カミオカンデ完成の直後(かつ自身の退任直前)に、383年ぶりなんていうすぐお隣の銀河の超新星爆発にかち合い、ケタ外れのニュートリノが降り注ぐという幸運に恵まれて、そのうちのわずか11個を捕まえることができたんだ。
いやー、実験物理学ってのも面白いもんだね。

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金に汚い、わめき散らす、不倫をする、嘘をつく、不勉強で受け答えがどうしようもない・・・
そして、誰もが問題を起こしては、雲隠れする。
国会内に、まともな女性議員が皆無、って状況。
結局、政治の世界で女性が活躍できないのは、彼女ら、実際に当選した女性国会議員たちの振る舞いのせいなんじゃないだろうか?
本当に、出てくるやつ出てくるやつ、どうしようもない女ばかりなのはなぜ?
ま、考えてみたら、男性議員はもっと粗末だが。

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