まず、これをご覧くださいな。
セイコーさんが発売した、クイーンのギタリスト「ブライアン・メイ」モデルのダイバーズウォッチですわ。


なかなかえー話がありまして(写真はブライアン・メイのインスタから拝借、ごめん)、つまりクイーンは世界に認められる前にまず日本で人気が爆発したんで、フレディはじめクイーンメンバーは日本に特別な思いがあるのですな。
んでその世界に羽ばたくきっかけになった初日本公演で購入したセイコーのダイバーズウォッチを、ブライアンは後生大切に使ってるわけなんですと。
それが、本人がしてるこのモデルなわけですが・・・


しはんが中学生時代にばあちゃんに初めて買ってもらって、それきり使い続けてる腕時計とおんなじでしたわ。
ま、それだけなんですが。

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「国民のみなさん、お金を集めまーす」
と、国は言うわけだ。
「ひとりにつき9000円を払ってください。赤ちゃんも、死にかけのじいちゃんばあちゃんも全員、ひとりにつき9000円でーす」
そうアナウンスする菅官房長官には、容赦がない。
「夫婦なら18000円ね。はい、出して」
あ、うちのことか。
うちも支払わねばならんのだなあ。
「家族五人なら45000円。まからないよ、ちゃんと4万と5千円出してね、はいはいー」
弟んちはこれだけの額か、子だくさんな家は大変だ。
ま、出すしかないが、これっぽっちの金で、ちゃんと辺野古に飛行場はつくれるのか?
厳しいひとの試算によれば、この軟弱地盤に100メートルの杭を七万七千本打ち込むのに2兆円かかる、って話もある。
「そうなったらまた徴収しまーす」
と、安倍さんは言うのだろう。
なにしろ、税金を湯水のように使ってくれるひとだ。
あ、いやいや、その頃にはすっかりと政権は変わってるのだろうが。
「総額でひとり2万円は用意しといてくださいね。七人家族なら、14万円ね。大丈夫、全部辺野古に使いますから」
そういうことだなあ。
いやあ、金がかかるもんだなあ、米軍移設とは。

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読んだ本を大事に取っておくなんてもったいない、と思うのだ。
ん?
もう一度言うよ。
読んだ本を捨てないなんてもったいない、と思うのだ。
空間が。
本<空間、の価値観。
本とは、背表紙を書棚にため込むものではなく、内容を頭の中にため込むものだろう。
その本が300円としたところで、その本が占めるスペースにもまた300円分の価値がある。
そこで考える。
自由に使える部屋内の空っぽの容積(300円分の価値を持つ空間)に、300円だった本の体積を占有させるべきか、否か。
本に綴られてた300円分の価値は、すでに自分の脳内に移ったのだ。
だとしたら、その本の抜け殻に、300円の空間を占有させる価値が残ってるだろうか?
ここは考えどころだろうが、オレは空間を大切にしたいんで、本の方を捨てる。
本を大切にしたければ、空間を捨てるのも悪くない。
だけど、「せっかく買った本なんだから念のために(あるいは記念に、別の言い方をすれば自慢のために)取っておく」という考え方は、オロカに思える。
なぜなら、刻々と増えるそれらと相対的に、自分の使える空間がむしばまれていくんだから。
オレは、一度読んだ本は片っ端から捨てていく。
自由空間の方が断然大事!
必ず読み返すにちがいない大好きな本や、資料として価値のあるものだけは残すけど、それも30センチ立方の棚に収まるだけ!と決めてる。
なので、新しく収蔵したい一冊が現れれば、しばらく読むことのなかった一冊とはバイバイとなる。
ベンチ入りメンバーの選抜争いは、熾烈極まる。
かわいそうだが、このタガを外すと、スペースは際限なく侵されることになるのだ。
生活空間を脅かすほどに本を積み上げたとして、それらのおびただしい本をいつ読み返すというのか?
一冊の体積が、わが自由空間の容積300円分を侵すとして、部屋の一面を本が覆ったとしたら、その空間分の損失は数十万から数百万ってところになる。
その逸失利益は半永久的であり、しかも増大しつづけるものと考えるべきだ。
本を捨てないなんて、もったいない。
それは、体を伸ばせる場所を捨ててしまうようなものだ。
どれもこれも、捨ててしまおうではないか。
楽になろうではないか。
と思うのだ、捨てられないよめはんを見てると。
だけど、CDな・・・
これだけは、オレの部屋にも際限なく増えてくんだよなあ・・・
ダウンロードにすればいいと思う?
でもね、やり方が今だにわかんねーんだわ、サムライなんで・・・
そしてオレは、CDと、CDチェンジの時間を愛してるのだあ!
すまんが、これだけは残させてくれ。

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会社を辞めてロンドンに逃避行してたよめはんが、ついに帰ってきた。
帰ってきてしまった。
束の間のシングルライフよ、さようなら・・・
きゅうくつな・・・いやいや、たのしいふたり暮らしよ、こんにちは。
生活が劇的に変わりそう。
これまでは、ひとり暮らしのオレん家に多忙のよめはんが居候するスタイルで、すべての家内の仕事と経済運営をオレがまわしてきた。
よめはんはただパラサイトとしてお世話をしてもらっていれば、衣食住が確保できた。
しかし、以降はそれらの仕事を完全によめはんに移譲することになる。
大丈夫なのか・・・
実家暮らしをしてた22の頃からずっと終電まで働き続けたよめはんは、家事一切がおぼつかない。
そんな仕事ニンゲンが、突如としてフリーの身になってしまったのだ。
こわい・・・
定年退職を迎えた旦那を日中の家に迎え入れる古女房の苦悩がわかる気がする。
しかし、やらねばならんのだ。
今後、食事の支度にも後片付けにも買い物にも洗濯にも掃除にもゴミ出しにも、オレは一切手を出さない決意でいる。
これを、やつはやらねばならない。
これを身につけねば、真っ当な人間とはなれないのだから(ま、フツー一般によめはんがやるべき仕事だけど)。
たのむぞまじで。
ああ、今まで通りにお酒が飲めるかなあ・・・
それがいちばん心配。

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ホームページをネット上に出してると、ちょくちょくと「ヒット数を上げませんか」とか「検索ランキングを上位に」とか「露出を高めますよ」的な電話がかかってきて、要するに彼らは「月ナンボかで客数を増やしますよ」と誘惑してくる。
だけどうちには十分に会員さんがいてむしろ飽和状態に近いし、ひとに頼らねばならんほどHPをいじる技術がないわけじゃないし、そもそも脅威に感じるライバル教室が周辺地域にないんで、これ以上の広告費投入の必要性を感じない。
というよりもオレは、駅前で配るチラシの効果を信じきってるので、会員さんが減れば現場に出て立ち働こう、という考えなんだった。
チラシ配りはいいよ、楽しいし、なんたって結果が裏切らない。
さてそんな折りに、また電話がかかってきたのだ。
受話器の向こうの相手は、「グーグルです」とでかい名前を出してくる。
さてはサギか、と感じたが、相手は声高にその表看板を掲げてるし、話もそれに添う内容になってる上に、金銭のやり取りが発生するわけでもない、という。
「おたくのサイトはこのままじゃまずいので、一度うかがって説明させてもらいたい」のだと。
ほう面白い、だったら勉強させてもらおうではないの、と工房まで足を運んでもらった。
待ち受けるオレの両隣には、パソコンのプログラミングの先生に、ウエブプロデューサーという布陣で(たまたまそこにいた)、ネット知識に抜かりはない。
現れた若造は、どうやら本当にグーグル(の枝葉会社)の社員らしい。
この人物がありがたいことに、わがHPを示しつつ、「こうだからだめだ」「こうすればよい」とお節介を焼いてくださる。
「トップ取んなきゃ意味ないっす」と、なんだかケンカ番長みたいな勢いだ。
しかしそもそも、練馬区で陶芸教室を検索してみたところで、ヒットするのはわずか数件なので、オレとしてはこの位置(三番目ってとこ)でかまわない。
なのに「いやいやいや、もっと上の方がいいですよ」となかなかしつこい。
このお定まりの口上の後に、さて営業、ということになるのだろうが、金の話は一切してはならぬ、と電話であらかじめ釘を刺しておいたので、新米め、カードの切りどころに逡巡があるようだ。
そんな頃合いだよ。
こちらが、「うちは地域密着型で、チラシ配りで対応してるんで」と発言すると、ここぞ!と思ったか、攻めに転じてきた。
「おっと、お待ちください」というわけだ。
「ネットの力を甘く見ないほうがいいですよ。チラシなんかよりすごいですよ」などとのたまいはじめる。
「絶大なのです!」と、全能の彼は言うのだった。
はて。
だとしたら、きみのやってることって・・・?
ターゲットのサイトを片っ端から調べ上げ、飛び込み営業でアプローチの電話をかけまくったのではないかと、オレは想像するのだが・・・?
さらにうちが反応を示したと見るや、あらんかぎりの言葉を尽くしてアポイントを取り、わざわざ時間を割いて現場まで足を運んでくださる。
この営業方法って、きみが言うところの「無駄骨」なんでないの・・・?
たしかきみのさっきの説によると、ネット上にその旨を示し、検索順位を上げ、じっと待ってさえいれば、顧客はあちらからじゃんじゃんとやってくるはず・・・
きみはきみが軽んじる古典的作法(電話・チラシ勧誘)を捨て、きみが自信を持って説くところの方法論(ネット集客)に殉ずる覚悟で、顧客を増やすべきなのでは・・・?
矛盾に満ちた彼は、おびただしい原始的努力と言葉数を乱費したにも関わらず、なんの契約を得ることもなく帰っていった。
彼の行動はどこかがおかしい・・・と違和感を感じてたのだが、今ふと気づき、書き出してみた。
グーグルも、けっこう現場主義で汗を流してるのだなあ。
しかしこれでは、なるほど説得力がない。

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よめはんが今週で会社を辞める。
いやー、このひとが辞めるときは、狂うか、死ぬかしたときだろうと思ってたけど、生きて退社することができそうだよ、あと何日かあるからまだわかんないけどね。
なにしろ、残業100時間を20年間し通した。
ひどい会社ではあったし、そういう時代でもあったが、よめはんの律儀で真面目な性格が自主的にそうしたのでもあった。
要領よく生きられないし、汗をかかされるわりに損ばかりしてたけど、それは彼女の誇りでもあろう。
オレもそのことを、いらいらやきもきとしながらも、尊くまぶしく見てたさ。
とにかく彼女は、倒れることなく、死ぬことなく、生き残った。
やりきった、らしい。
よっしゃ、これからは普通の生活をしようではないの。
思えば彼女は、生活というものをしたことがない。
朝起きてメシも食わずに出社し、終電で帰ってきた後にやっと晩メシを食い、シャワーを浴びることもなく寝る、という、ある意味信じがたい毎日だったんだから。
ひるがえって、家庭内の仕事は全部、ダンナであるオレがやってきたんだから。
家計も全部オレが賄ってきたんで、よめはんはほとんど「パラサイト」という状態だった。
自分が生きていられるその舞台裏に、どんなバックアップがあったかなんて、まったく知ることなしに、機械的に動いてきたにちがいない。
いわばよめはんは、ひとり暮らしをしてるオレん家に、無銭で居候してるようなもんだった。
だけど、これからはすべての仕事をやってもらうんだ、るるん。
よめはんは、ようやくここから生活というものを覚え、経済観念というものを学び、人間的な日々というものを味わうことになる。
これって、なんだかうらやましいくらいの新鮮な感覚ではないの。
あれに似てるな、35を過ぎてから瀬戸の田舎でひとり暮らしを許され職業訓練に通わせてもらったオレ自身の経験に(あの1年間だけは、よめはんも自分の生活ってものをしてたんだなあ)。
とにかく、生活は一変する。
人生の一大転換期ってわけだ。
よめはんはすでに、一生分を働いた。
これからはのんびりとやりたいことをしたらいいわ。

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今のローマ教皇はいいひとだ。
・・・というエクスキューズを冒頭に置いておいてから、さて、身もフタもない話をしようってわけだけど。
キリスト教の教皇は歴代、なんの罪もないひとを殺しまくってきた。
自分に従う人々には天国への切符を与える一方、「異端」と彼らが呼ぶ、つまり自分に従わない輩には残虐極まる拷問と死を課し、有無を言わせず西洋社会を支配しつづけた独裁的地位。
それが教皇という立場なんであり、その方法論で自分たちの独善的価値観をひろめていくのがキリスト教の本質なんだった。
イスラム教がどれだけひとを殺しまくってると言っても、キリスト教が殺しまくったケタには遠く及ばない。
なにしろ、普遍的と考えられる科学的知見を口にしただけで「気に入らん」と言われて火あぶりにされるんだから、その問答無用っぷりったらない。
ルネッサンス、ってみんな大好きだよね?
あれは、「新しい芸術運動!」なんかじゃないんだよ。
それも一面ではあるけど、ルネッサンスって事件は、要するにキリスト教のネガティブな実質面のあらわれなんだ。
芸術も、文学も、科学も、それを包含する文化も教養も哲学も、人類史上でピークはギリシャ時代にあった。
現代に知られてる知識や知性のほとんどは、ギリシャ時代にすでに着想され、熟成され、実用されてたんだ。
だけどキリスト教が台頭するローマ時代以降、それらの教養・文化は衰退の一途をたどった。
要するに、当時の教皇が「賢そうなことを言うな」「神様の言葉だけを信じろ」「でなきゃ、殺す」とやらかした。
その反動として、いやいやそりゃないぜ、ちゃんと真面目に考え直そうよギリシャ時代に理解されてた英知を、という反逆的再発見運動がルネッサンスなわけ。
キリスト教という名の恐怖のおかげで、人類は数百年もの間、バカのふりをして過ごさねばならず、成長のための貴重な時間を無駄にしたわけだ。
教皇をありがたがるなんてとんでもない、と科学史方面からしかキリスト教を眺めたことのないオレなどは思うんだけど、なんだかあのご立派なお姿を拝見すると頭を下げたくなってしまうんだなあ、下げんでよいぞ。
まあ、現代の教皇はいいことをしてるのかもしれないが、相変わらずキリスト教徒の間では「異端を決して許さない!」的な殺人がつづいてる。
そういう歴史が連綿とある、ってことだけは知っておくべきだろう。
世界中の政治家たちに「殺しちゃダメ」なんて説教してる教皇猊下を見るたびに、「どの口が?」とツッコまずにはいられない。
まずは「異端」なるひとたちに謝んなきゃ。
こんなことを書くオレにも、バチが当たるかな?
教皇さま、オレは罰せられます?火あぶりです?
社会から寛容さが失われた昨今だけど、これってキリスト教のせいなんじゃないの?とオレは考える。
そしてローマ教皇とは、神様でも預言者でも法力を持った聖人(これはなれる可能性がある)でもなく、組織のトップ、政治家だということを、まずはありがたがる際に思い出しておきたい。

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言葉って、不思議。
ありがとう、って言うだけで、自分も相手もしあわせになる。
ごめんね、って言うだけで、うそみたいに心が軽くなる。
言葉なんて、ただの観念、記号なのにね。
こんなものをつくるなんて、宇宙って天才。
こだまでしょうか。
いいえ、誰でも。


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巨大台風の上陸待ち。
世界の終わりとわかってる日を迎える気分だ。
正確には「日本の終わり」の日だけど。
この気分は、前に一度味わったことがある。
「冷却水が蒸発しまくってる」「燃料棒が露出した」と刻々と破裂するのを待つしかなかったあのときだ。
ある学者は、あの災害を「文明災」と言ったけど、台風もまた天災だった時代を終えて、人災に近づいてる。
日本人は学ばない。
世界を見渡しても、こうまで環境に負荷をかけてる国はない。
企業はテクニカルな面でそこそこがんばってるのかもしれないけど、政権のマインドがあまりにも環境保護に冷淡なんで、いつか罰を与えられるとは思ってた。
環境破壊と、神様の振る舞いとは、密接な関係がある。
自分たちがやってきたことの当然の報いを、これから毎年のように受けることになるわけだ。
グレタさんの予言は、すでに当たってるんだった。
祈るしかない・・・
だけど、これを乗り切った翌日には、この国ときたらまた海水温をあっためるべく、大量の石炭を燃やすわけだけど。
誰だ?こんな間抜けな決定をくだしつづけてるのは。
おい政権、いい加減にしろよ。

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恥かきついでに、わが家の朝の光景も開陳する。
よめはんは仕事で疲れ果ててるので、ひとたび眠りに落ちると、朝方に目覚ましが鳴っても起き上がることができない。
なのでダンナは、あっち向きに寝てるよめはんを背中から抱きしめる。
よめはんのからだをホールドしたまま、天井方向に90度回転すると、ちょうどダンナの腹の上によめはんの背中が乗る。
「ゆうたいりだつ〜」のやつを思い出してくれたらいい。
そうしておいてダンナは、自分の上に重なったよめはんの左右の肩甲骨(背中の両サイド)に手を当て、同様に尻に足を当て、おもむろにジャッキアップする。
するとよめはんのからだは、「らん、らんらららんらんらん・・・らん、らんらららん・・・」、王蟲の触覚に持ち上げられたナウシカの状態になるのだ。
背筋が伸びて、気持ちよいらしいぞ。
これで寝起きの悪いよめはんも、一気にお目覚めというわけだ。
しばし空中遊泳をさせたのち、ダンナはよめはんの肩甲骨をさらに持ち上げると同時に、尻を徐々に下げていく。
すると、なんとしたことだろう、よめはんのからだは、ぴたり、シャン、と地に足をつけ、直立不動の状態にスタンダップしてるではないか。
「じゅってん、じゅってん、じゅってん・・・着地成功!」をやって、ついでに「コマネチっ」もやって(やらないが)、訳もわからぬままに立ち上がらされたよめはんはすたすたと歩き出し、その流れの勢いで出勤していくというわけだ。
ちょうど、サンダーバード基地のスコットやゴードンが、こんな装置で現場出動してたっけ。
そういうシステムを採用してるんである、わがしはん家も(人力だが)。
え〜と・・・バカバカしいと思ったら、読まなくていいんだよ、このブログ。

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