よめはんが好きだ。
好きすぎる。
顔を合わせてる間じゅう笑い合ってられるし、無限にしゃべりつづけてられる。
一緒に風呂に入って子供みたいにくるぶしから出る垢の量を競ってゲラゲラし合えるかと思えば、不意にサルトルやトルストイの話を振っても即座に応じてもらえる。
もはやセクシャルな感情はないけど、部屋で過ごすときはいつもスプーンみたいにくっつき合ってるし、抱き合ってるし、チューしまくってる。
オレは相手のことを小さなムスメのように思い、相手はオレのことを柴犬のように思ってる、ってのが近いかもしれない。
なのに相手を心から尊敬し、崇拝し合えてる、ってのがいい。
最近はふたつの魂がひとつに溶け込んでんじゃねーか、ってくらいに、行動も思考もシンクロしはじめてる。
人間って不思議。
そんなよめはんが、会社を辞める。
おそらく最も優れた社員だったはずだけど、20年間も深夜まで働いて疲れ果てたうえに、会社の変質に苦しんでもいた。
このひとを辞めさせてしまう会社って、どうかしてるんじゃないかな。
だけど、いい機会だと思う。
働きづめだった20年間で、仕事以外のことがほとんどなにもできなかった。
普通のひとは、会社勤めの後に、友だちと会ったり、ジムにいったり、花を買ったり、なんてことをするわけだけど、毎日が終電帰りでは、そんな生活は夢の話。
帰ってきたら、腹ペコのお腹にメシを詰め込んで、眠るだけ。
風呂にさえ、週末にしか入れない。
そんな暮らしをやめて、彼女は自由になるのだ。
学生時代のように新鮮な気持ちでバイトでもはじめて、社会というものをいちから学んだらいいと思う。
フツーの人間の暮らしとはこうか、と。
好きなことをおやり、と言いたい。
聡明なひとだし、またすぐにやりたいことが見つかるにちがいない。
とりあえず、お疲れさま。

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1+2+3+4+5+6・・・という無限につづく計算をしてみる。
その解は、無限、となる。
こんなふうに無限級数の足し算の結果が無限になることを、「発散する」と表現する。
無限に足し合わせるんだから、無限って答えが出ることは、あたりまえに思える。
だけど、次の計算はどうだろう?
1+1/2+1/3+1/4+1/5+1/6・・・
数字がだんだんと減っていく。
最初のふたつを足して1.5、みっつを足して1.8くらい、よっつを足して2.1くらい・・・
遅々として進まないどころか、歩みを進めるごとにますます遅くなっていく。
10の46乗個を足し合わせても、100まで到達できない。
そりゃそうだよ、1/(10の46乗)なんて砂つぶよりも小さな数字をどれだけ積み上げたところで、たいして大きな数になるはずがない。
・・・と思うでしょ。
ところが、こちらの無限級数の足し算も、発散するのだ。
小っちゃな小っちゃな数字が、もっともっと小さくなっていって、限りなく0に近づいていくにも関わらず、それを無限に足し合わせると、無限になる。
なんだか不思議・・・
不思議だけど、あたりまえ・・・
あたりまえだけど、やっぱり不思議・・・

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鋸南町のお隣(かな?)である君津の宿でたっぷりと眠った翌朝。
この町のボランティアセンターに赴く。
ここもまた、強風による被害と、長期の停電で苦戦を強いられている町なのだ。
前日までの週末三連休が終わったため、ボランティアはかなり減っている。
その中で、屈強な男子のみの六人チームを組み、「桜の木が倒れてるので、そいつを伐採、解体、運搬せよ」という命を受ける。
はじめてのタイプの仕事で、なかなか興味深い。
現場に着くと、要請者である上品そうなお母さんが出迎えてくれた。
このひとがまた律儀なひとで、自分ちの瓦も落ち、屋根がブルーシートでパッチワークされているのに、「山のほこらをお助けいただきたいのです」と言う。
つまり、この家から少し山に入った場所に、小さな神さまを祀るほこらがあるのだが、その背後に立っていた立派な桜の木がほこらの小屋根に寄りかかって、潰れそうになっているのだった。
しかし、ギリギリ潰れなかった、という点がすごい。
そのお姿を見たら、不意にこの場に呼ばれたような気がしてくる。
がんばらねばならない。
が、この仕事が非常に難しい。
桜の木は、人間の背丈ほどのところで二股に分かれていて、それが風で根こそぎにされて倒れ込んでいる。
その片っぽがほこらの屋根にのしかかり、かろうじてバランスを保っているのだが、下手に切り倒すと、どこがどう動くかわからない。
先っちょの枝から少しずつ落としていき、まずは荷重を減らしていこう、ということになった。
このチームの若きリーダーは、自宅の裏山で枝打ちの真似事をしているという林業マニアで、チェーンソーから木登り用のハーネスまで持参という心強い人物だ。
われわれ素人軍団は、ノコギリを手に手に、三脚にのぼる。
こうして枝を落としていくわけだが、その下には、極めて心細いつくりの灯籠が二基、立っている。
しかも、あたりは一面、ぬかるみだ。
この水は、台風によるものではなく、近くでこんこんと湧いているものだという。
それを聞き、ますますこの地を守りたくなった。
ほこらにのっかった幹から先をすべて取り除くと、桜の根幹が人力でも動くようになった。
そこで、桜の幹の上部にロープをかけ、ほこらと逆方向に引っ張ろう、ということになった。
そうして張り詰めさせたまま、チェーンソーで徐々に切り刻んでいく。
ついに根っこの立ち上がりまできれいに伐採すると、ほこらに寄りかかっていた桜は、休憩にちょうどよろしい切り株となった。
ほこらのかたわらで成長したこの桜は、春になると、神さまの後光のように花を咲かせたのだという。
この子は、ただ台風の被害を受けただけで、悪さをしたわけではない。
なのに切り倒されてしまい、かわいそうなことだった。
しかし、無事に神さまをお救いすることができた。
上品なお母さんのところに戻り、遠慮遠慮の彼女の家の中も片づけさせてもらった。
帰り際、このひとがまた、ものすごく感謝してくれる。
泣きそうな勢いで拝み倒してくれるのだ。
いつもボランティア仕事の後には達成感があるけど、今回のはひとしおだった。
チームの仲間も最高だったし、清い湧き水もいただき、清々しい気持ちで現場を後にした。
夜は例によって、被災した町でふんだんにお金を落とすべく、がんばってお酒を飲むのだ。
宿に戻って湯船に浸かると、目の前に虹が立っていた。

おしまい

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偶然に拾ってもらったバスに運ばれ、鋸南町の役場についた。
庁舎の外に「受付」が設けられていて、よその地域の役所から派遣された応援部隊が、ボランティア募集の対応に当たっている。
・・・かと思いきや、そこの係と思われるブスに声をかけてみると、「ボランティアの募集は12時で終了となりました」と言う。
時計を見ると、12時7分だ。
その場に並んでいたボランティア希望者数人も、帰れ、と言われて当惑している・・・というより、容赦のない対応にあきれ返っている。
クソ役人風情がっ!
・・・という言葉は飲み込み、「いやいや、いいじゃん~、おまけしてよ~」のトーンで手続きを促すと、しょうがないわね、の対応で受け入れてくださった(しねっ、ブス)。
さて、手続きを終えると、例の「マッチング」というやつだ。
被災者からいろいろな要望が届いているので、そのニーズに応じられる人員を束ね、現場に向かわせる作業だ。
被災者サイドは困窮しており、ボランティアサイドは助けたい気持ちに燃えている。
それを出会い系のようにマッチさせるのが、マッチング作業だ。
しかし、被災者の多様な要望に対して、ボランティアの手はまったく足りていない。
この状況を目にしていて、よく「12時でおしまいよ」とか言えるよなあ、やっぱ役人の根性ってすげえ。
さてオレだが、具合いよくそこにいた男子三人でチームを組み、吹っ飛ばされたトタン屋根の撤去、という現場をまかされた。
「日高屋(ラーメン屋)の工場で麵を打ってます」という、見るからに麵を打っていそうな気のいい兄ちゃんを相方に、ひたすらトタン片とガレキを軽トラまで運び、荷台がいっぱいになると、もうひとりのおっさんが処分場までピストン輸送する。
トタン屋根といっても、金属製の重厚なシロモノで、一枚がタタミ二畳分ほどもある。
それだけでなく、周囲に散乱した鉄骨やら看板やらも処分しなければならない。
集めたガレキは、金属と木材とプラ他に分別する(日本人はこのへんがエラい)。
次なる台風が列島に近づいていて、ものすごい強風吹きすさぶ中での重労働だ。
「海沿いのこのへんは、いつもこんな風だよ」と、なぜかお隣に住んでいるというチャラいおっさんが横にいる。
「だけどあの夜は、一晩中、竜巻の中にいるみたいだったよ」
このひとはさっきまで、洋館のような自分ちの屋根の修繕をしていたのだ。
軽トラを待つ手持ちぶさたの時間に、こっちから「手伝いますか?」と声をかけたところ、「いや、終わったんで、そっちを手伝うわ」と降りてきてくれたのだった。
この変人が、横倒しになった鉄柱を見て、よし、これを片付けよう、と言い出す。
いろんな電線がまだ地中につながっており、素人が手を出すのは危険極まりない。
「いや、鉄柱をこっちに振って揺すれば、引きちぎれるはずだ」などとのうのうとのたまう。
オレは電線を巨大ペンチで切ろうとして感電死しかけたことがあるので、必死に止めた。
そうこうするうちに、このおっさんもチームに紛れ込み、要望先の家屋(つまりお隣さん)のタタミ上げや家具の移動を手伝ってくれるようになった。
ボランティアとは、こうしたお節介焼きの集団なのだ。
困ってるひとを見ると、手伝わずにはいられないのだ。
なかなかいいチームが形成されたもんだ、とちょっと気分がよくなってくる。
いい働きもできたし、今夜はいい酒が飲めそうだ。
・・・と、帰りの電車に乗ろうと駅にたどり着くと、一時間半に一本の電車は、出たすぐ後なんであった。
無人駅でぼんやりと次の便を待つしかない。
すると、目の前に座ってるきれいなお姉ちゃんに話しかけられた。
文化放送の記者兼キャスターだという。
ヒマつぶしにインタビューを受けた(このひともヒマなのだ)。
「なぜボランティアを?」
「苦しんでるひとを見ると、こっちも苦しいし、うれしがってくれるひとを見ると、こっちもうれしいんで」
そんな一日目だった。

つづく

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もはや趣味と言っていい感のある、災害ボランティア活動。
今回は、先日の首都圏直撃台風で大規模に被災した千葉に、緊急出動。
中でも、猛烈な強風で荒らされた君津と鋸南地区で働いてきた。
もちろん、こっそりとひとり行。
その模様をルポルタージュする。
さて、あらかじめ君津に宿を取り、新宿から内房線に乗って、現場に直行したのだった。
「ボランティア募集!ただし千葉県内在住者限定」というわけのわからない縛りがあるが、バカな行政の言うことなど聞く耳を持つ必要はない。
これまでの経験から、いけばなんとでもなるし。
つわけで、とにかく動くのだった。
初日は、いちばん手ひどく屋根を引っぱがされたと報道にのってる鋸南(きょなん)町がターゲット。
列車の車掌さんから被災情報を仕入れ、言われるままに、保田という特急の停まる駅で降りてみる。
毎度のことだが、こうした場所には人っ子ひとりいない。
そこで、道ゆく自衛隊員をつかまえ、さらなる情報収集を試みる。
ところがなんと、「ボランティアセンターは、ここからだと車でもだいぶかかる」らしい。
われわれ個人ボランティアは、ボラセンを通して仕事を獲得せねばならんのだ。
その手続きを経なければ、ボラ保険が効力を失うし(死亡時2000万円)、だいいち単独行動だと、詐欺か盗っ人かと怪しまれる。
かと言って、ボラセン方面に向かう電車は、一時間半に一本あるきり。
屋根にブルーシートを張るために出張ってきてる自衛隊(ひっきりなしに通りかかる)にヒッチハイクを頼むわけにもいかず、途方に暮れ、呆然とたたずむ。
と、そこへひとりのお母ちゃんが、やはり途方に暮れたように肩を落として歩いてきた。
訳を聞くと、「家が片づかん」のだという。
台風で屋根瓦を飛ばされ、びしょびしょの家の中をなんとかしたいのだが、駆けつけてくれた姪っ子と甥っ子だけでは手に負えないらしい。
待ってましたとばかりに、助太刀を申し出た。
闇営業は保険も利かないし、詐欺や盗っ人を疑われるかもしれないが、ここはやむを得まい。
しかし、そこは疑うことを知らない田舎のひとだ。
ありがとうありがとうと、手を引っ張られる。
連れていかれたのは、駅からすぐの大層な屋敷。
しかし、瓦が周辺に無残に散らかり、屋根にも窓にも、応急処置のブルーシートが張られている。
時あたかも、次なる台風の接近によって、ブルーシートまでめくりあげそうな強風が吹き荒れている。
作業を急がねばならない。
クツのまま上がっていいと言われ、長靴履きでお邪魔した家屋内は、凄絶な散乱っぷり。
ピアノ、桐ダンス、テーブル・・・部屋のあちこちにブルーシートが張りめぐらされ、雨露をしのいでいるが、畳はすでにぐしょぐしょだ。
こいつを剥がして、集積所まで運びたいのだという。
そこで、高校生のような甥っ子と姪っ子に指示を出し、まずはサイドボードやら飾り棚やら衣装タンスやらを畳の上からどかして、濡れ畳を引っぱがしにかかる。
じゅくじゅくに濡れそぼった畳の重さを知っとる?
津波で海水に浸かった石巻の畳は、六〜八人がかりでかつぎ上げ、やっと運び出せるくらいの重さだった。
だけどここのは、雨漏りがじわじわと染みたやつなんで、わりと無理なく持ち上がる。
若人たちと力を合わせて、もう使い物にならない10枚ばかりを、次々にめくっては運び出した。
それにしても、津波は下からの一瞬の水でやられてどうしようもないが、雨漏りってのもいつまでもいつまでもポツリポツリと攻め立ててきて、そのストレスときたら半端ないらしい。
湿気た畳は腐って臭いを放ちはじめるし、とにかく、一刻も早くなんとかせねばならんのだ。
つわけで、午前中いっぱいかけて、こちらの片づけをした。
「助かった、もう大丈夫」と言うので、心痛むが、家を後にする。
それでも、なかなかの仕事量をこなしたぞ。
さて、ここからボラセンまでの足をどうするか・・・考えあぐねる。
もう仕事を切り上げて飲んじゃおうかな・・・とくじけはじめた、しかしまさにそのときだ。
一台のバスが、目の前を通りかかるではないか。
あわてて飛びつくと、「ボラセンのある市役所方面までいきますよ」という。
なんということだろう。
一日に五本きりしか走っていないバスに、たまたま遭遇したのだった。
すぐさま乗り込み、運賃は?と訊くと、「こんな状況なんで、タダです」だって!
うあー。
こうしてオレは、次なる仕事を求め、鋸南町のボランティアセンターへと向かったのだった。

つづく

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東北の大震災から、ちょくちょく災害ボランティアに出かけては、ガレキをひっくり返したり、転がしたりしてます。
くわしくは→被災地ルポルタージュ
みんなもやってみたいでしょ?
やりたいに決まってますよね。
でも、もう一歩踏み出せなくて、それはなんでかっつったら、どうしていいかわかんないし、ってわけでしょ?
それで、ここに災害ボランティアの手引きを記すことにします。
参考にしてください。

まず、日本のどこかが被災しますね。
あなたは疼くわけです。
助けて差し上げたい、と。
そこでまず最初にしなきゃいけないのが、「ボランティア保険」に加入することです。
これは一年間限定の保険で、現地でケガをしたときに補償が出ますし、千円の加入金で、死んだら二千五百万円くらいもらえます(死ぬあなたにはすでに必要のないお金だけど)。
これは、現地で汗を流す際に必ず入ってなきゃならない保険なので、お忘れなく。
近くの社会福祉協議会まで足を運んでこれに入ったら(手間は10分、掛け金五百円からで入れます)、リュックを取り出して、出かける準備をします。
装備、というやつです。
必要となるのは、長グツ、ヘルメット、作業着(長袖、長ズボン)、作業用ゴーグル、粉塵用マスク、軍手、ゴム手袋、タオル・・・てなところ。
だけど被災から日がたつに従って、現地にも支援物資が行き渡るようになり、ボランティア基地などにいけば、ほとんどの装備品を貸してもらえる感じになります。
動ける格好でいけば、結構手ぶらでもOKです(そうでない場合もあるので、最低限は準備しましょ)。
食料や飲料ももちろん自前ですが、水などは救援物資として送られたものが余ってる場合があるので、基地でありがたく頂戴します。
が、基本は持参です。
で、出かけます。
災害直後は、大物をやっつけるための重機などが入ってるので、素人には手は出せません。
「せっかくきてもらっても、迷惑」の場合がありますし、交通網も遮断されてる可能性があるので、ちゃんとそのあたりを確認の上、旅立ちます。
あらかじめ、ネットなどで「ボランティア募集」などの情報をあたっといてください。
被災地である自治体が「ボランティアセンター」「受付」などを開設してくれるので、そこに飛び込むのがいちばん確実です。
それとは別に、民間の団体(NPOや地域有志が立ち上げるボランティア団体)が活動しはじめるので、それに乗っかるのも手です。
最寄りの場所から現地までバスを出したりしてくれるので、そこに潜り込めるとラッキーかも。
で、現地です。
自治体が運営のボランティアベースだと、だいたい受付時間が決められてて、時間がくると「仕事のマッチング」が行われます。
何件かの仕事依頼が被災者さん側から寄せられてるので、主催者がそれを示し、「この仕事をしたいひと~?」「力仕事、男12人募集~」などと呼びかけるわけです。
んで、あなたが手を上げると、他に手を上げてるひととグループになり、うまくいけば自分に合った仕事を割り当ててもらえます。
仕事内容は、ガレキ処理、重量物運搬などのガテン系から、掃除、水仕事、写真の洗浄、被災者さんのお手てモミモミまで、多岐に渡ります。
決まったら、ベースキャンプにたいがいそろってる、スコップ、ツルハシ、ハンマー、土嚢袋、ネコなんかを借りて、だいたい車(これもボランティアさんの供出)で作業現場に移動、となります。
仕事は、現場のリーダーとあなたの主体性に任されてるので、好きなだけ働きたおし、疲れたら好きなときに休憩し、どこもだいたい3時から4時に切り上げて、またベースキャンプに戻ります。
そして解散、また明日、となるわけです。
簡単でしょ?

あと、個人的な意見ですが、ボランティア作業が終わったら、その地域で存分に遊ぶのがいいと思います。
観光地をめぐったり、おいしいものを食べたり、経済活動でふんだんにお金を落とすのです。
せっかくその地まで赴いたんだから、被災者さんへのシンパシーはちょっと横に置いといて、その地ならではのものをたのしまないと。
それもまた、ボランティアさんたちに期待された活動だと思うのですよ。
地域を再起動させるための、重要な行為です。
それを含め、ボランティア活動自体をたのしめればいいかな、と思います。
なんたって、気持ちいいことですから。
ボランティア参加者さんは、半数は止むに止まれず乗り込んでくる一匹狼たち(物好きのおせっかい焼き)、あとはカレシとカノジョ、家族連れ、大学の友達同士、職場仲間が連れ立って、って感じが多いみたいです。
参考にして、よかったら実地に試してみてください。
ご安全に~。

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ニュートンさんに先駆けて、「ケプラーさん」がいた。
彼は、火星の位置の膨大なデータを解析して、その軌道をはじき出したひとだ。
それによって、惑星は正円じゃなく、楕円軌道で運行してるってことがわかったんだ。
しかもそのスピードは、太陽に近づくほど速くなり、遠ざかるに従って減速していく。
面白いのは、太陽を頂点に、惑星が一定時間で移動した二点間を底辺に取る三角形を作図すると、どの部分を抽出しても同面積!だというんだ。
つまり、惑星が速く進む太陽の近くで計っても(太陽に接する頂角は鈍角になる)、遠い場所にあるときに計っても(ゆっくり運行だから、シャープな鋭角三角形になる)、おんなじなの。
まてよ・・・これって、ボールを上空に向けて投げたときと同じ現象だよね。
放物線、というやつだ。
投げ上げたボールは、地上から遠ざかるにつれてスピードが落ち、頂点でついに最減速、やがて曲線を描いてUターン、落下がはじまり、加速しながら地上にもどってくる。
そこでニュートンさんは、「惑星の運行とは、つまり太陽に向けて落ちていくことなんだ」と解釈したのさ。
ガリレオさんが砲弾の軌道を研究してて思いついた「慣性の法則」=動きはじめたものは抵抗がないかぎり動きつづけ、引力などが働いた場合は楕円軌道になる、という約束事をあてはめると、惑星の動きはなるほどピタリと説明できる。
天体の運行に神様の力は必要なくて、実は地上界と同じルールが天界にも採用されてた、とわかった瞬間さ。
それが前回に出てきた「人間界と神様の世界を統合した」の意味だよ。
これでまた、ヒトビトの目に映る夜空の印象が劇的に変わったわけさ。
真実を理解すると、なんてスッキリと視界がひらけることだろう。
ついでだけど、ニュートンさんは、太陽と任意の惑星間だけじゃなく、惑星同士がお互いにおよぼしあう引力についても研究したんだ。
つまり、惑星同士が近づくと少しだけ軌道が揺らぐことを観測して、それも万有引力の法則で矛盾なく説明してみせた。(法則に矛盾がないことを証明してみせた)
例えば火星と木星が近づくと、予想された軌道よりも少し外れて、ゆらゆら、となる。
この現象を応用して、ニュートンさんはふたつの新惑星(冥王星と海王星)の存在を予言したんだよ。

おしまい

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クリスチャンのひとには申し訳ないけど、科学をこうまで遅らせたのは、キリスト教のせいだ。
数学も、物理学も、科学全般を論じるところの哲学も、ギリシャ時代にはすでにほとんど体系ができて、理解も深まってた。
ところが、ローマが勃興してキリスト教会が権力を持つと、「科学なんか信じたらダメ!」「神様の言うことがすべてなの!」と、論理的な思考を停止しちゃった。
こうして科学は、長い長い停滞の時期を耐えるしかなかったのだ。
しかし、ついにその闇が明け、「ルネッサ〜ンス!」となったわけ。
「コペルニクスさん」と「ガリレオさん」が地道な論拠を積み重ね、教会とやり合って、地球自体が動いて太陽を周回してることを周知のものとしたのもこの時期さ。
そして、いよいよ「ニュートンさん」の登場だ。
この大人物は、人間界と神様の世界を統合したひと、とされてるよ。
つまりそれ以前は、人間の住むこの地上界と、神様のおわす天界とは、まったく別のルールで動いてるという認識だったんだ。
そりゃそうだよね、地上では、どんな物質も安定を求めて地面に張り付いて不動なわけで、星のように空中にぷかぷか浮かんで、しかも自力で運行するなんてことはあり得ない。
あの大天空のレール上を太陽が運ばれていくのは、神様の特殊な力が作用してることは疑いがない・・・それ以前は、それが一般認識だった。
ところがある日、庭でうたた寝をしてたニュートンさんの目の前で、リンゴが樹からぽとりと落ちたわけ。
横から見てたらそれは、地球とリンゴがおたがいに引き合ってくっついたように見えた。
そこから、「地球もまた、リンゴに向かって落ちたのでは?」という、天才的なひらめきが生まれたんだ。
万有引力、すなわち質量のあるものはお互いに引き合ってんじゃねーの?という着想だ。
そこで終わらないのが、このひねくれた科学者のすごいとこだ。
この現象を天空に応用してみる。
つまり、「星ぼしはお互いに引き合って、落ち合い、その釣り合いで宙空を行き交ってんじゃね?」ってこと。
そうして計算すると、どうもしっくりときそうだぞ。

つづく

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宇宙は思ってたよりも広そうだ。
となると、空の天体配置モデルに修正を加える必要がある。
根本から宇宙の構造を見直そう、って話だ。
そこで、さらに夜空を注意深く観察してみる。
東から西へと一様にめぐる星々の中で、惑うようにうろちょろと動く数個の「惑星」にヒントがあるはずだ。
水星と金星、と呼ばれる星が、太陽の周囲を回っていることはよくわかる。
現在の太陽系モデルを知ってるぼくらからすれば当然のことなんだが、この二つの星は、地球よりも太陽に近いところを回ってるんで、その周回が観測しやすいんだ。
ところが、火星や木星の運動の解釈はむずかしい。
なにしろ、地球よりも離れたところを周回するこれらの星々は、きみが南にのぼった太陽を正面に見るとして、太陽の裏側をぐるっと巡った後、さらに地球の背面にまで回り込む軌道を取ってるんで、これまでの天体運行モデルを完全に捨てて思考を跳躍させないと、その動きの意味がわからないんだ。
しかし、今や人類は知り得た!
惑星たちが太陽の周りを回っていることを。
もはや地球が、宇宙の中心ではないことを。
ここで、さらなる思考の跳躍が起こる。
つまり、「いっそ、この地球も太陽のまわりを回ってるのでは?」という、驚天動地の考え方だ。
ところが、これがしっくりとくる。
この大地がそっくりそのまま、あの太陽を中心に周回してると仮定すれば、これまでのモデルで問題となってた惑星の運行の矛盾点すべてに説明がつく。
地球は転がるように回ってる。
これは、全天の風景がいっせいに上空を巡ることから見ても明らかだ。
しかし、その地球は、他の惑星とともに、太陽の周りを周回してる。
ヒトビトが見上げる夜空の光景が一変した瞬間だ。
このコペルニクス的転換によって、人類は外からの視線で「真の」自分たちを見ることができるようになった。
宇宙における大空間の中の自分たちの立ち位置。
それは、多くの天体の中の、いっこ。
たくさんある中の、たまたまぼくらが住んでるこの星。
ちっぽけなちっぽけなそこに自分を置くことで、ジンルイは巨大な視野を手に入れたんだった。

つづく

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文明が生まれてからちょっとたって、文化が成熟しはじめた頃。
東からのぼった太陽が南へ進み、西に沈んでくという同じリズムに、人類は気がついた。
そこで、太陽の通り道には「黄道」というレールが敷かれてて、あの大きな燃える球体はそこを運ばれてく、と彼らは考えた。
地上はどこまでも平らで、不動だ。
その上を、星が貼りついたドーム屋根が覆ってることに疑いはない。
その全天が、東から西に転がりめぐりつつ、太陽と月だけは太いレール上を運行してるわけだ。
だけど時代が下るにつれ、かしこくなった人類は、どうやらこの地上は丸くて、俯瞰すると大きな球なんだ、と理解しはじめた。
それでもなお、彼らの中で、地球=巨大すぎるこの大地は、全天を含むこの世界の中心だった。
なるほど、夜空のたくさんの星ぼしは、いっせいに、一様に、東から西に向かって動いてる。
その点で、頭上に天蓋をかぶせた天動説は、世界のメカニズムをうまく説明できてて、揺るぎない。
・・・ように見える。
が、夜空をよくよく観察すると、それと逆行するような動きを見せる、つまり集団から独立して行動する星が何個かある。
説明のつかない、やんちゃな「例外」が存在することに、人類は頭を悩ませた。
金星などは極端で、明け方か暮れ方のいっときにしか姿を現さない。
それどころか、その動きを数日単位で観測すると、夜空をUターンしたり、ループしたりしてるようだ。
そこで熟考してみる。
すると、「あの星ってひょっとして、いつも太陽の側にいるんじゃね?」ってことがわかる。
考えてみれば、「暁の明星」「宵の明星」と呼ばれるその星は、裏を返せば、太陽が姿を消した深夜には決して見ることができない。
これは、太陽が地球の裏側にいる時間帯に、一緒にくっついて地球の裏側にいる、ってことだ。
太陽にお供して、地球の裏側にいっちゃってるわけだ。
あの星は間違いなく、太陽の周りを回っている!
この地球じゃなく!
かくて、地球の裏側には大きな空間がひろがってる上に、太陽の裏側にまで広い空間があるぞ!とわかったわけ。

つづく

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