会社を辞めてロンドンに逃避行してたよめはんが、ついに帰ってきた。
帰ってきてしまった。
束の間のシングルライフよ、さようなら・・・
きゅうくつな・・・いやいや、たのしいふたり暮らしよ、こんにちは。
生活が劇的に変わりそう。
これまでは、ひとり暮らしのオレん家に多忙のよめはんが居候するスタイルで、すべての家内の仕事と経済運営をオレがまわしてきた。
よめはんはただパラサイトとしてお世話をしてもらっていれば、衣食住が確保できた。
しかし、以降はそれらの仕事を完全によめはんに移譲することになる。
大丈夫なのか・・・
実家暮らしをしてた22の頃からずっと終電まで働き続けたよめはんは、家事一切がおぼつかない。
そんな仕事ニンゲンが、突如としてフリーの身になってしまったのだ。
こわい・・・
定年退職を迎えた旦那を日中の家に迎え入れる古女房の苦悩がわかる気がする。
しかし、やらねばならんのだ。
今後、食事の支度にも後片付けにも買い物にも洗濯にも掃除にもゴミ出しにも、オレは一切手を出さない決意でいる。
これを、やつはやらねばならない。
これを身につけねば、真っ当な人間とはなれないのだから(ま、フツー一般によめはんがやるべき仕事だけど)。
たのむぞまじで。
ああ、今まで通りにお酒が飲めるかなあ・・・
それがいちばん心配。

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ホームページをネット上に出してると、ちょくちょくと「ヒット数を上げませんか」とか「検索ランキングを上位に」とか「露出を高めますよ」的な電話がかかってきて、要するに彼らは「月ナンボかで客数を増やしますよ」と誘惑してくる。
だけどうちには十分に会員さんがいてむしろ飽和状態に近いし、ひとに頼らねばならんほどHPをいじる技術がないわけじゃないし、そもそも脅威に感じるライバル教室が周辺地域にないんで、これ以上の広告費投入の必要性を感じない。
というよりもオレは、駅前で配るチラシの効果を信じきってるので、会員さんが減れば現場に出て立ち働こう、という考えなんだった。
チラシ配りはいいよ、楽しいし、なんたって結果が裏切らない。
さてそんな折りに、また電話がかかってきたのだ。
受話器の向こうの相手は、「グーグルです」とでかい名前を出してくる。
さてはサギか、と感じたが、相手は声高にその表看板を掲げてるし、話もそれに添う内容になってる上に、金銭のやり取りが発生するわけでもない、という。
「おたくのサイトはこのままじゃまずいので、一度うかがって説明させてもらいたい」のだと。
ほう面白い、だったら勉強させてもらおうではないの、と工房まで足を運んでもらった。
待ち受けるオレの両隣には、パソコンのプログラミングの先生に、ウエブプロデューサーという布陣で(たまたまそこにいた)、ネット知識に抜かりはない。
現れた若造は、どうやら本当にグーグル(の枝葉会社)の社員らしい。
この人物がありがたいことに、わがHPを示しつつ、「こうだからだめだ」「こうすればよい」とお節介を焼いてくださる。
「トップ取んなきゃ意味ないっす」と、なんだかケンカ番長みたいな勢いだ。
しかしそもそも、練馬区で陶芸教室を検索してみたところで、ヒットするのはわずか数件なので、オレとしてはこの位置(三番目ってとこ)でかまわない。
なのに「いやいやいや、もっと上の方がいいですよ」となかなかしつこい。
このお定まりの口上の後に、さて営業、ということになるのだろうが、金の話は一切してはならぬ、と電話であらかじめ釘を刺しておいたので、新米め、カードの切りどころに逡巡があるようだ。
そんな頃合いだよ。
こちらが、「うちは地域密着型で、チラシ配りで対応してるんで」と発言すると、ここぞ!と思ったか、攻めに転じてきた。
「おっと、お待ちください」というわけだ。
「ネットの力を甘く見ないほうがいいですよ。チラシなんかよりすごいですよ」などとのたまいはじめる。
「絶大なのです!」と、全能の彼は言うのだった。
はて。
だとしたら、きみのやってることって・・・?
ターゲットのサイトを片っ端から調べ上げ、飛び込み営業でアプローチの電話をかけまくったのではないかと、オレは想像するのだが・・・?
さらにうちが反応を示したと見るや、あらんかぎりの言葉を尽くしてアポイントを取り、わざわざ時間を割いて現場まで足を運んでくださる。
この営業方法って、きみが言うところの「無駄骨」なんでないの・・・?
たしかきみのさっきの説によると、ネット上にその旨を示し、検索順位を上げ、じっと待ってさえいれば、顧客はあちらからじゃんじゃんとやってくるはず・・・
きみはきみが軽んじる古典的作法(電話・チラシ勧誘)を捨て、きみが自信を持って説くところの方法論(ネット集客)に殉ずる覚悟で、顧客を増やすべきなのでは・・・?
矛盾に満ちた彼は、おびただしい原始的努力と言葉数を乱費したにも関わらず、なんの契約を得ることもなく帰っていった。
彼の行動はどこかがおかしい・・・と違和感を感じてたのだが、今ふと気づき、書き出してみた。
グーグルも、けっこう現場主義で汗を流してるのだなあ。
しかしこれでは、なるほど説得力がない。

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よめはんが今週で会社を辞める。
いやー、このひとが辞めるときは、狂うか、死ぬかしたときだろうと思ってたけど、生きて退社することができそうだよ、あと何日かあるからまだわかんないけどね。
なにしろ、残業100時間を20年間し通した。
ひどい会社ではあったし、そういう時代でもあったが、よめはんの律儀で真面目な性格が自主的にそうしたのでもあった。
要領よく生きられないし、汗をかかされるわりに損ばかりしてたけど、それは彼女の誇りでもあろう。
オレもそのことを、いらいらやきもきとしながらも、尊くまぶしく見てたさ。
とにかく彼女は、倒れることなく、死ぬことなく、生き残った。
やりきった、らしい。
よっしゃ、これからは普通の生活をしようではないの。
思えば彼女は、生活というものをしたことがない。
朝起きてメシも食わずに出社し、終電で帰ってきた後にやっと晩メシを食い、シャワーを浴びることもなく寝る、という、ある意味信じがたい毎日だったんだから。
ひるがえって、家庭内の仕事は全部、ダンナであるオレがやってきたんだから。
家計も全部オレが賄ってきたんで、よめはんはほとんど「パラサイト」という状態だった。
自分が生きていられるその舞台裏に、どんなバックアップがあったかなんて、まったく知ることなしに、機械的に動いてきたにちがいない。
いわばよめはんは、ひとり暮らしをしてるオレん家に、無銭で居候してるようなもんだった。
だけど、これからはすべての仕事をやってもらうんだ、るるん。
よめはんは、ようやくここから生活というものを覚え、経済観念というものを学び、人間的な日々というものを味わうことになる。
これって、なんだかうらやましいくらいの新鮮な感覚ではないの。
あれに似てるな、35を過ぎてから瀬戸の田舎でひとり暮らしを許され職業訓練に通わせてもらったオレ自身の経験に(あの1年間だけは、よめはんも自分の生活ってものをしてたんだなあ)。
とにかく、生活は一変する。
人生の一大転換期ってわけだ。
よめはんはすでに、一生分を働いた。
これからはのんびりとやりたいことをしたらいいわ。

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今のローマ教皇はいいひとだ。
・・・というエクスキューズを冒頭に置いておいてから、さて、身もフタもない話をしようってわけだけど。
キリスト教の教皇は歴代、なんの罪もないひとを殺しまくってきた。
自分に従う人々には天国への切符を与える一方、「異端」と彼らが呼ぶ、つまり自分に従わない輩には残虐極まる拷問と死を課し、有無を言わせず西洋社会を支配しつづけた独裁的地位。
それが教皇という立場なんであり、その方法論で自分たちの独善的価値観をひろめていくのがキリスト教の本質なんだった。
イスラム教がどれだけひとを殺しまくってると言っても、キリスト教が殺しまくったケタには遠く及ばない。
なにしろ、普遍的と考えられる科学的知見を口にしただけで「気に入らん」と言われて火あぶりにされるんだから、その問答無用っぷりったらない。
ルネッサンス、ってみんな大好きだよね?
あれは、「新しい芸術運動!」なんかじゃないんだよ。
それも一面ではあるけど、ルネッサンスって事件は、要するにキリスト教のネガティブな実質面のあらわれなんだ。
芸術も、文学も、科学も、それを包含する文化も教養も哲学も、人類史上でピークはギリシャ時代にあった。
現代に知られてる知識や知性のほとんどは、ギリシャ時代にすでに着想され、熟成され、実用されてたんだ。
だけどキリスト教が台頭するローマ時代以降、それらの教養・文化は衰退の一途をたどった。
要するに、当時の教皇が「賢そうなことを言うな」「神様の言葉だけを信じろ」「でなきゃ、殺す」とやらかした。
その反動として、いやいやそりゃないぜ、ちゃんと真面目に考え直そうよギリシャ時代に理解されてた英知を、という反逆的再発見運動がルネッサンスなわけ。
キリスト教という名の恐怖のおかげで、人類は数百年もの間、バカのふりをして過ごさねばならず、成長のための貴重な時間を無駄にしたわけだ。
教皇をありがたがるなんてとんでもない、と科学史方面からしかキリスト教を眺めたことのないオレなどは思うんだけど、なんだかあのご立派なお姿を拝見すると頭を下げたくなってしまうんだなあ、下げんでよいぞ。
まあ、現代の教皇はいいことをしてるのかもしれないが、相変わらずキリスト教徒の間では「異端を決して許さない!」的な殺人がつづいてる。
そういう歴史が連綿とある、ってことだけは知っておくべきだろう。
世界中の政治家たちに「殺しちゃダメ」なんて説教してる教皇猊下を見るたびに、「どの口が?」とツッコまずにはいられない。
まずは「異端」なるひとたちに謝んなきゃ。
こんなことを書くオレにも、バチが当たるかな?
教皇さま、オレは罰せられます?火あぶりです?
社会から寛容さが失われた昨今だけど、これってキリスト教のせいなんじゃないの?とオレは考える。
そしてローマ教皇とは、神様でも預言者でも法力を持った聖人(これはなれる可能性がある)でもなく、組織のトップ、政治家だということを、まずはありがたがる際に思い出しておきたい。

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言葉って、不思議。
ありがとう、って言うだけで、自分も相手もしあわせになる。
ごめんね、って言うだけで、うそみたいに心が軽くなる。
言葉なんて、ただの観念、記号なのにね。
こんなものをつくるなんて、宇宙って天才。
こだまでしょうか。
いいえ、誰でも。


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巨大台風の上陸待ち。
世界の終わりとわかってる日を迎える気分だ。
正確には「日本の終わり」の日だけど。
この気分は、前に一度味わったことがある。
「冷却水が蒸発しまくってる」「燃料棒が露出した」と刻々と破裂するのを待つしかなかったあのときだ。
ある学者は、あの災害を「文明災」と言ったけど、台風もまた天災だった時代を終えて、人災に近づいてる。
日本人は学ばない。
世界を見渡しても、こうまで環境に負荷をかけてる国はない。
企業はテクニカルな面でそこそこがんばってるのかもしれないけど、政権のマインドがあまりにも環境保護に冷淡なんで、いつか罰を与えられるとは思ってた。
環境破壊と、神様の振る舞いとは、密接な関係がある。
自分たちがやってきたことの当然の報いを、これから毎年のように受けることになるわけだ。
グレタさんの予言は、すでに当たってるんだった。
祈るしかない・・・
だけど、これを乗り切った翌日には、この国ときたらまた海水温をあっためるべく、大量の石炭を燃やすわけだけど。
誰だ?こんな間抜けな決定をくだしつづけてるのは。
おい政権、いい加減にしろよ。

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恥かきついでに、わが家の朝の光景も開陳する。
よめはんは仕事で疲れ果ててるので、ひとたび眠りに落ちると、朝方に目覚ましが鳴っても起き上がることができない。
なのでダンナは、あっち向きに寝てるよめはんを背中から抱きしめる。
よめはんのからだをホールドしたまま、天井方向に90度回転すると、ちょうどダンナの腹の上によめはんの背中が乗る。
「ゆうたいりだつ〜」のやつを思い出してくれたらいい。
そうしておいてダンナは、自分の上に重なったよめはんの左右の肩甲骨(背中の両サイド)に手を当て、同様に尻に足を当て、おもむろにジャッキアップする。
するとよめはんのからだは、「らん、らんらららんらんらん・・・らん、らんらららん・・・」、王蟲の触覚に持ち上げられたナウシカの状態になるのだ。
背筋が伸びて、気持ちよいらしいぞ。
これで寝起きの悪いよめはんも、一気にお目覚めというわけだ。
しばし空中遊泳をさせたのち、ダンナはよめはんの肩甲骨をさらに持ち上げると同時に、尻を徐々に下げていく。
すると、なんとしたことだろう、よめはんのからだは、ぴたり、シャン、と地に足をつけ、直立不動の状態にスタンダップしてるではないか。
「じゅってん、じゅってん、じゅってん・・・着地成功!」をやって、ついでに「コマネチっ」もやって(やらないが)、訳もわからぬままに立ち上がらされたよめはんはすたすたと歩き出し、その流れの勢いで出勤していくというわけだ。
ちょうど、サンダーバード基地のスコットやゴードンが、こんな装置で現場出動してたっけ。
そういうシステムを採用してるんである、わがしはん家も(人力だが)。
え〜と・・・バカバカしいと思ったら、読まなくていいんだよ、このブログ。

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よめはんが好きだ。
好きすぎる。
顔を合わせてる間じゅう笑い合ってられるし、無限にしゃべりつづけてられる。
一緒に風呂に入って子供みたいにくるぶしから出る垢の量を競ってゲラゲラし合えるかと思えば、不意にサルトルやトルストイの話を振っても即座に応じてもらえる。
もはやセクシャルな感情はないけど、部屋で過ごすときはいつもスプーンみたいにくっつき合ってるし、抱き合ってるし、チューしまくってる。
オレは相手のことを小さなムスメのように思い、相手はオレのことを柴犬のように思ってる、ってのが近いかもしれない。
なのに相手を心から尊敬し、崇拝し合えてる、ってのがいい。
最近はふたつの魂がひとつに溶け込んでんじゃねーか、ってくらいに、行動も思考もシンクロしはじめてる。
人間って不思議。
そんなよめはんが、会社を辞める。
おそらく最も優れた社員だったはずだけど、20年間も深夜まで働いて疲れ果てたうえに、会社の変質に苦しんでもいた。
このひとを辞めさせてしまう会社って、どうかしてるんじゃないかな。
だけど、いい機会だと思う。
働きづめだった20年間で、仕事以外のことがほとんどなにもできなかった。
普通のひとは、会社勤めの後に、友だちと会ったり、ジムにいったり、花を買ったり、なんてことをするわけだけど、毎日が終電帰りでは、そんな生活は夢の話。
帰ってきたら、腹ペコのお腹にメシを詰め込んで、眠るだけ。
風呂にさえ、週末にしか入れない。
そんな暮らしをやめて、彼女は自由になるのだ。
学生時代のように新鮮な気持ちでバイトでもはじめて、社会というものをいちから学んだらいいと思う。
フツーの人間の暮らしとはこうか、と。
好きなことをおやり、と言いたい。
聡明なひとだし、またすぐにやりたいことが見つかるにちがいない。
とりあえず、お疲れさま。

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1+2+3+4+5+6・・・という無限につづく計算をしてみる。
その解は、無限、となる。
こんなふうに無限級数の足し算の結果が無限になることを、「発散する」と表現する。
無限に足し合わせるんだから、無限って答えが出ることは、あたりまえに思える。
だけど、次の計算はどうだろう?
1+1/2+1/3+1/4+1/5+1/6・・・
数字がだんだんと減っていく。
最初のふたつを足して1.5、みっつを足して1.8くらい、よっつを足して2.1くらい・・・
遅々として進まないどころか、歩みを進めるごとにますます遅くなっていく。
10の46乗個を足し合わせても、100まで到達できない。
そりゃそうだよ、1/(10の46乗)なんて砂つぶよりも小さな数字をどれだけ積み上げたところで、たいして大きな数になるはずがない。
・・・と思うでしょ。
ところが、こちらの無限級数の足し算も、発散するのだ。
小っちゃな小っちゃな数字が、もっともっと小さくなっていって、限りなく0に近づいていくにも関わらず、それを無限に足し合わせると、無限になる。
なんだか不思議・・・
不思議だけど、あたりまえ・・・
あたりまえだけど、やっぱり不思議・・・

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鋸南町のお隣(かな?)である君津の宿でたっぷりと眠った翌朝。
この町のボランティアセンターに赴く。
ここもまた、強風による被害と、長期の停電で苦戦を強いられている町なのだ。
前日までの週末三連休が終わったため、ボランティアはかなり減っている。
その中で、屈強な男子のみの六人チームを組み、「桜の木が倒れてるので、そいつを伐採、解体、運搬せよ」という命を受ける。
はじめてのタイプの仕事で、なかなか興味深い。
現場に着くと、要請者である上品そうなお母さんが出迎えてくれた。
このひとがまた律儀なひとで、自分ちの瓦も落ち、屋根がブルーシートでパッチワークされているのに、「山のほこらをお助けいただきたいのです」と言う。
つまり、この家から少し山に入った場所に、小さな神さまを祀るほこらがあるのだが、その背後に立っていた立派な桜の木がほこらの小屋根に寄りかかって、潰れそうになっているのだった。
しかし、ギリギリ潰れなかった、という点がすごい。
そのお姿を見たら、不意にこの場に呼ばれたような気がしてくる。
がんばらねばならない。
が、この仕事が非常に難しい。
桜の木は、人間の背丈ほどのところで二股に分かれていて、それが風で根こそぎにされて倒れ込んでいる。
その片っぽがほこらの屋根にのしかかり、かろうじてバランスを保っているのだが、下手に切り倒すと、どこがどう動くかわからない。
先っちょの枝から少しずつ落としていき、まずは荷重を減らしていこう、ということになった。
このチームの若きリーダーは、自宅の裏山で枝打ちの真似事をしているという林業マニアで、チェーンソーから木登り用のハーネスまで持参という心強い人物だ。
われわれ素人軍団は、ノコギリを手に手に、三脚にのぼる。
こうして枝を落としていくわけだが、その下には、極めて心細いつくりの灯籠が二基、立っている。
しかも、あたりは一面、ぬかるみだ。
この水は、台風によるものではなく、近くでこんこんと湧いているものだという。
それを聞き、ますますこの地を守りたくなった。
ほこらにのっかった幹から先をすべて取り除くと、桜の根幹が人力でも動くようになった。
そこで、桜の幹の上部にロープをかけ、ほこらと逆方向に引っ張ろう、ということになった。
そうして張り詰めさせたまま、チェーンソーで徐々に切り刻んでいく。
ついに根っこの立ち上がりまできれいに伐採すると、ほこらに寄りかかっていた桜は、休憩にちょうどよろしい切り株となった。
ほこらのかたわらで成長したこの桜は、春になると、神さまの後光のように花を咲かせたのだという。
この子は、ただ台風の被害を受けただけで、悪さをしたわけではない。
なのに切り倒されてしまい、かわいそうなことだった。
しかし、無事に神さまをお救いすることができた。
上品なお母さんのところに戻り、遠慮遠慮の彼女の家の中も片づけさせてもらった。
帰り際、このひとがまた、ものすごく感謝してくれる。
泣きそうな勢いで拝み倒してくれるのだ。
いつもボランティア仕事の後には達成感があるけど、今回のはひとしおだった。
チームの仲間も最高だったし、清い湧き水もいただき、清々しい気持ちで現場を後にした。
夜は例によって、被災した町でふんだんにお金を落とすべく、がんばってお酒を飲むのだ。
宿に戻って湯船に浸かると、目の前に虹が立っていた。

おしまい

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