夕刻、工房を閉めます。
あと7時間半もあるので、ぼくは場末の酒場にいきます。
いつもの仲間と、あるいはひとりで、ちびちびと飲んで過ごします。
それから買い物。
10時の閉店間際の半額シールが並んでて、そこはビンボー人のパラダイス。
ちょこちょことカゴに入れ、ビールもしっかり買って、帰宅。
食事の下ごしらえをするのですが、あと4時間もあります。
立てひざでひとりちびちび飲みつつ、報道ステーションのお天気おねーさん・市川さんと再会。
あと3時間もあるので、オレは彼女の姿にうっとりと見入ります。
夜も更け、筑紫哲也のニュース23開始。
うとうとしはじめるとスポーツコーナー。
しっかりしなさいよ、おすもうさんたち、とひとりごちてみる。
あと2時間。
新聞をすみからすみまで読み返してるうちに、日付が変わります。
テレビでは実験系深夜バラエティーのオンパレード。
あと1時間なので、ごはんのスイッチを入れてみます。
その頃、一本の電話があります。
疲れ果てた声。
それを合図に野菜を切り、魚を解凍し、グリルに入れ、なんやかんやでキッチンの中をバタバタと右往左往しながら、またしてもビールのプルトップを引きます。
深夜1時半、門の開く音が聞こえ、残業続きのご主人様がようやくの帰宅。
洗顔を終え、パジャマ姿となった彼女が姿をあらわすと同時に、ちゃぶ台の上の夕食の準備が整います、わんわん。
ピタリのタイミング。
いただきまーす。
こんなにも甲斐甲斐しいダンナなのに、彼女は今回も気づかなかった。
ダンナが「モヒカン頭」になったことに!
男の子だって、髪型変えたら「お、いいね」とかひと言くらい欲しいのよね~。

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日本ではずいぶん前から「エコだ」「エネルギー節約だ」と熱心ですが、やっとアメリカも「CO2削減じゃ~」と重い腰を上げたようです。
さすがに世界から取り残されてひとりぼっちになるのは、番長のプライドが許さないか。
だけど大ざっぱなあの国のこと、たいして努力もしてません。
やることといえば、ハイブリッドカーに乗ることぐらいか。
それもお金持ちのステイタスの一環なんだけどね。
で、新聞の囲み記事を読んでてハッとしたんだけど、日本政府って何もしてませんよね。
たいした政策もなく、「国民よ、努力せよ」と空疎な音頭をとるのみ。
でも日本国民のエコ意識なんて限界にきてて、アイドリングストップだわ、エアコンの設定は28度だわ、って、あとなにすりゃいいの?ってとこまで追いつめられてます。
一方アメリカは、一年中エアコンは片時も切ることなく入れっ放し、外出は横ちょのコンビニまでいくにも自家用車、ってエネルギー垂れ流しの生活。
なにしろ国民一人当たりのエネルギー消費量が、アメリカは日本の倍以上あるらしい。
これから先、どっちが効率的にCO2削減できるかと言えば、ぜい肉つきすぎのアメリカに軍配が上がるのは間違いない。
もっとがんばれや、番長。
要するに、試合前のボクサーが減量に挑むような日本と、「やせないわ~、やせないわ~」とのたまいつつ、普通のコーラをダイエットコークにしてお茶をにごす肥満大国アメリカ、という構図。
えーかげんに本腰入れんと、ハリケーンは巨大化するばっかですぜ、と忠告してさしあげたい気分です。

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アメリカのふるまいで何がいちばんイライラするかってね、プリングルズ!
まあおいしいけどー、あかんであれはー。
容器がすてられん。
フタはプラスチック、ボディは紙、底は金属って、アタマわるすぎる。
再生ゴミ、可燃ゴミ、不燃ゴミ、三位一体。
しかもボディと底板が一体となった本体はすばらしく頑丈で、まったく切り離せん。
お願いしなくてもポロリとはがれてたちまちバラバラになってしまう中国製品のチープさを見習わんかい!
というわけで、オレは毎回いちいちカッターで、ボディと底板を切り離す作業を強いられるわけなんだが、これがまたあまりにタフな紙を使ってるため、刃が立たん。
紙に負けて、カッターが刃こぼれして、それが飛んで、目に刺さって、失明するのでは?という恐怖と戦いつつ、オレは今日もプリングルズのパッケージに刃を立てるのだ。
とにかく切断に大変な労力を費やしながら、呪詛を吐きちらす自分にも嫌気がさす。
だったら買うなよ、つー話なんだけど、これがつぎつぎと新しい味の新製品を発売しよるもんやから、買わずにはいられない。
なのに食べてみたら、味は似たりよったりやし・・・
まったくけしからん話やないですか。
でかい、頑丈、中身大ざっぱ=まさにアメリカそのものの姿。
環境問題を語りたいなら、プリングルズからなんとかしろ!アメリカ。

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台風にやられました・・・
首都圏がものすごい風雨にじゅうたん爆撃された、明くる朝、陶製のポストが落っこちてました。
太いひもで結わえられて、強風の中をへいに必死でしがみついていたにちがいない彼は、まっぷたつに割れて、足もとに。
だけど固く固く焼き締めたおかげで、バラバラになることなく、きれいな裂け目をさらしてます。
「軟質な陶器は欠ける」「硬質なものは割れる」のは常識ですが、森魚工房の高温焼成が功を奏しました。
接着剤で修正。
また今日から働いてもらおう。(二代目も制作しちゃうけど)
それにしても台風の力ってのはすさまじいっすね。
最近「警戒態勢」が敷かれても、言うだけ番長みたいなだらしないのばっか上陸してくるもんだから、油断してました。
やっぱやつらは強いっす。
しかもこの壊れかけの地球の環境に助けられて、やつらはどんどん苛烈に、凶暴に成長してるんじゃなかろうか?
それは成長でなく、更新された、と表現すべきかも。
ニンゲンがあまりに自然を破壊するもんだから、それを回復しに、彼らは派遣されてくるわけです。
こんなにも広大な地表面をコンクリートでコーティングしたら、そりゃ地球だってむずがゆくなって、かきむしりたくもなりますわ。
そんな思いで「台風のツメあと」ってのをテレビ画面に見ると、そこには自然そのものの土と水の景色がありまして。
容赦なしに荒し、蹂躙し、痛めつけるニンゲンに対し、自然は自身を守ろうと、全力でたたかってるのでしょうか。

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月食が好き。
ゆうべは皆既月食だった。
だけどすっとまってても、雲が空をおおっててお月さまは出なかった。
もうっ。
それにしてもすごい現象だよねえ、食。
太陽と月の大きさがほぼぴったし、って地球の配置がまたすばらしい。
0,25:1:109 なんて比率の天体が、絶妙な距離のバランスによって同じ大きさの影になっちゃう。
皆既日食なんて、太陽と月のほんのわずかな大きさのずれのおかげで、細い細いリングになっちゃうんだもんね。
神様がこの世界をつくったのだと信じたくなる。
ところで食ってのは、地球と太陽と月の配置が一直線になるために起きる現象だよね。
月に地球の影が落ちると月食、太陽に月の後ろ姿がおさまると日食になる。
「皆既」というほどにどんぴしゃに入れるのはかなりむずかしい。
と、考えてたとき、思い出した。
人類(というか科学者)は、この地上でずっと宇宙人をさがしつづけてる、って話。
宇宙人が地球に向けてレーザー光線(あるいは電波)を放ってると仮定して、それを全方位的にめぐらせたレーダーでキャッチする、という方法。
地上でレーザーを受ける側は、もちろん宇宙人がレーザーを照射してるという仮定に立っていて、さらに宇宙人が「地球に高度生命体が存在するという仮定に立ってレーザーを照射している」という前提に立っていて・・・って、わりと非現実的。
だけど考えてみれば、昼間の月が自分の姿を人類に知らせようと思ったら、地球に自らの影を落とす(つまり食)しか手がないわけで、なるほど自分の存在に気づいてくれる天体外生物の存在を期待したければ、でたらめでもレーザーをあちこちに照射したくもなるか、と考えるのです。
宇宙人もけっこう一生懸命だ。(・・・という仮定に立っています)
ただ、それを受け取る側も大変。
くる日もくる日も、届かぬ手紙を待ちわびる地球人。
これで宇宙人とわが人類が邂逅できたら、それこそ神様が起こす奇跡だと思います。

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トイレの電球が切れたきり、二週間ほどすごしてます。
闇の中で老廃物排出。
だけどぼくはおしっこも座ってする派なので、たいした影響なし。
ただ、トイレは重要な読書の空間だったので、それだけが不便といえば不便か。
それにしても明るいです。
夜も窓の外からあかりがさし込んできます。
そりゃセミも夜通し鳴きたくなるよなー。
周囲が静まり返った深夜の彼らの声には精がみなぎってて、ほとほと感心させられるとともに、哀切を感じたくなります。
地上に出た7日間を生き急ぐ彼らは、昼夜問わずからだに震えを走らせ、絶叫しつづけなければならないわけです。
彼らが仰向けになってネズミ花火のようにコンクリの地面をのたうち回るあの季節が近づいてきましたが、一分一秒を惜しんで叫びつづけてほしいものです。
ところでトイレね、はいはい、閑話休題。
窓からさし込むあかりの正体は何ぞや?と考えるに、素直に言えば街灯だったり、お隣の窓のすき間からもれる蛍光灯の光だったり、また月明かりだったりするわけなんですが、ぼくはこう感じるのです。
地球という惑星が自身で発光をはじめたのではないか、と。
惑星は、煌々とかがやく太陽や他の星から受ける光を反射させて照ることしかできない土のかたまりなわけですが、宇宙から見るとわが地球は、まぎれもなく自身に光源を持って発光してます。
トイレの窓からさす明かりも、全部下からのものです。
そりゃ夜空の漆黒も軽薄になるわなー、と、お月さまも小さくならーなー、と、トイレで憂えたくなる日々なのであります。
暗闇ですごす・・・現代人に必要なことのひとつかもしれません。

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母さん、元気ですか?
最近、どうですか?(何が?)
ぼくはきのうもお酒を飲みました。
工房がはけないうちに酔っぱらっては、会員のみなさんに「しょうがない師範だな」とあきれられる毎日です。
ごめんなさい。
ところであなたは覚えてるでしょうか?
ぼくが保育園にいくのをいやがって、泣きわめいてダダをこねてたあの日々のことを。
ぼくはあなたに、アメ買ったる、と言われても、プラモ買ったる、と言われても、叱られても、なだめすかされても、がんとして首をたてにはふりませんでしたね。
ぼくはあなたと離れてるのがただいやだったのでした。
そこであなたはぼくに、保育園までついてったるわ、と言ってくれました。
ぼくは、保育園でもずっと一緒におってくれ、と言いました。
あなたは、うん、ええよ、と言いました。
そして、お手てつないで保育園にいきましたね。
ところが幼いぼくは、おともだちと顔をあわせると、すぐにあなたの存在を忘れてしまいました。
朝の出来事などなかったことにして、一日をおともだちと駆けまわってすごしたのです。
こうして、いつの間にか日が暮れました。
そして、おともだちとバイバイして、お教室から足を踏みだしたときに見たあの光景が、幼いぼくの心を打ったのでした。
まっかっかな夕焼けを背景に、あなたはひとり、運動場のブランコに座って、おにぎりを食べてました。
ぼくのわがままにつきあって、あなたはこの日一日を、そのブランコですごしてくれたのでした。
今のぼくなら、うっわやっべ、とでもつぶやきつつ、わりーわりーわすれてた、とでも言うところでしょうが、そのときの幼いぼくは、はげしく動揺して泣いてしまいました。
なのにあなたは、いちんちええ子やったね、よっちゃん、と言ってくれたのでした。
それ以来、素直なよい子になったこのぼくなわけですが、今はこんなふうにお酒を飲んでばかりいます。
しかも工房でも会員さんにあきれられてばかりです。
ゆるしてください。
ところで誕生日、おめでとう。
プレゼントは用意してませんが、いつも太陽をみて、星をみて、月をみて、海をみて、大きな樹をみて、サザエさんをみて、つじあやのさんをみて、そしてなんやかやみては、ほわん、とあなたを想っております。
いつまでもお元気で。

とか言ってみたりしてね。
マザコンでしょうか?

陶芸教室/森魚工房
「ありがとうございます865円でございますサービススタンプはご利用になりますか?」
と、こちらと目もあわすこともなく機械的に彼女は言うんですが、ぼくはなんとかスタンプは必要ないのでそれを伝えると、彼女はおつりを手渡しつつ、すでに視線は次のお客さんのカゴへ。
忙しいんだなー。
しかしそれほど深刻な行列ができてるわけでもなく。
身ごなしは完璧だ。
マニュアルどおりに、おつりを渡すときはこぼれないように手を添え、すぐに両手の平をあわせてヘソの前へ、お辞儀は45度、「またおこしくださいませ」。
ただ惜しいことに、心がない。
オレはレジであろうが食事の会計であろうが、とにかく店員さんと接点があった場合には、必ずひとこと言葉をかわす。
「ごちそさま」「ありがと」「どもども」「おっとっと、あ、大丈夫ですから」
それでコミュニケーションは円を閉じる。
それまで機械的だった彼女たちが、笑顔を見せてくれることもある。
ぎょっとされることもある。
戸惑われることもある。
が、それはいかに普段、彼女たちがお客さんと会話を交わさないかという証左でもある。
それはどちらの責任でもあると思う。
こんな小さな言葉のかわし合い、会話ともいえないようなひとことのやりとりほど、ニンゲンらしいふるまいはない。
やさしさ、おもんぱかり、思いやり、と言いかえてもいい。
それがないから、機械のようになる。
オレは、自分の生涯のどの部分を切り取ってもニンゲンらしくありたいと思ってるので、つねにニンゲンらしく振る舞う。
機械のようには接してもらいたくないし、ましてや自分が機械のように接することは断じてしたくない。
どうかみなさん、レジの向こうにいるのはニンゲンであるということをお忘れなく。

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渋谷・新宿の道ゆくワカモノに「1945年の8月6日になにが起こったか知ってますか?」ときいたら、「原爆が落っこちた日」と答えることができたのは、ひとりもいなかったらしいです。
0%。
すばらしい。
この一点をとってみても、安倍さんのくわだては見事に成功しているといっていいでしょう。
あの戦争はなかったことにしましょ、とくに日本側に不都合な出来事はいっさい教育の現場から廃棄しましょ、というのが安倍さんの持論なわけですが、実に有効な結果を生んでます。
彼は「原爆の日」である今日、広島の慰霊式にノコノコと出席して「憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求する」とのたまってるわけですが、これからいそいそと国会を開いて、平和憲法の破棄、自衛隊→自衛軍への増強、アメリカと手をたずさえて海外で戦争に参加、という道を着々と築こうとしてます。
つか、もう半分は準備完了。
あとは9条をいじり倒した草案を示し、改正するかどうか国民の判断を待つだけ、というとこまできてます。
民意は半々ってとこらしいけど、こんなことして大丈夫なのかなー・・・ってのが正直なオレの気持ち。
オレ自身は、まあ自分の意見はおいとくとして、原則論者なので、「みんなが決めたことには従います」という立場です。
自分には徹底的なフェアさを課してますから、ええ。
だから発議する側も原則に基づき、投票後はきちんとフェアに振る舞ってほしい。
つまり、「9条改正が可決されたら、ちゃんとした軍隊つくって、米軍には出てってもらえ」、そのかわり「否決されたら、現憲法の言葉どおり、一切の軍備を放棄しろ」と言いたいです。
一票を投ずる側も、つまりみなさんもちゃんと考えてほしい。
つまり、「9条改正に賛成するなら、ちゃんと戦争に行って、ひとを殺し、死んでこい」、だけど「反対するなら、侵略されても文句言うな」ってことです。
これが本当の意味でフェアってもので、また「戦後レジームからのちゃんとした脱却」ってもんでしょう。

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投票しました。
今回は二大政党のどっちでもないひとに入れてみました。
大穴狙いです。
今現在、まだ当落が出てません。
どうかなー?
かなりきわどくて、どっきどきです。
たのしいな。
それにしても、若年層の投票率が相変わらず低いんですねー。
もったいないです、はっきりと。
このひとたちは、生活の格差が拡大する中でいちばん苦しめられてる世代なわけなんですが、投票しないんだから政治家から軽んじられて当然か、と言わざるをえません。
政治家とは、投票してくれるひとたちの要求を実現するひとたちなのであり、それがあるべき姿かはともかく、それが政治のメカニズムってものです。
お金持ちは、選挙になると必ず投票します。
だから政治家からありがたがられ、政策によってかえりみられ、彼らはお金持ちでありつづけられるのです。
つまり、自分がよき生活をおくりたいと願うなら投票すべきであり、その見返りとして政治に対してもの言う説得力を手に入れられるわけであり、その結果、暮らしはよくなっていくのです。
逆に投票しないのなら、そんな望みはあきらめるべきです。
「ああ結構、あきらめてやらー」と考えるひともあるかと思いますが、そういうひとは、今後さらにつらいつらい思いにさせられることになっても、その不条理に文句を言う権利も有しません。
ひどい年金システムにも、すさまじい大増税にも、憲法改悪にも、社会におけるさまざまな不備にも、素直に従ってください。
投票は、物申す、ということです。
「投票しなかったひとは、政治について何も語るべきではない」という常套句には、以上の論拠があります。
種をまかないかぎり、リンゴは収穫できませんぜ。
政治家は、投票しないひとを心からあなどってますよ、わるいけど。

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