こま犬は「阿」と「吽」対で一組。
だけどコンビなのに、ふたりは同じ種族じゃないらしい。
向かって右側にいる口をあんぐり開けたのが獅子、左側で口を真一文字に結んでるのがこま犬なんだ。
彼らはスフィンクスの子孫なんだけど、はるばる日本に渡ってきたときには、ご存知のとおり「あ」と「ん」で対になってた。
陰と陽、凹と凸、吸うと吐く、出口と入り口、ちんちんとおそそね。
中東にもインドにも中国にも朝鮮半島にも似たようなものがあるんだけど、左右対称じゃないのは日本のものだけ。
シンメトリーよりも、秩序の破綻を面白がる日本人の美意識がこの様式を好むのかもね。
こま犬は誕生以来ずっと、やんごとなきお方の御簾(みす)の重しとして使われてた。
それが転じて、神社を守る番犬となったってわけ。
こま犬やシーサーをつくるときは、こんなことも覚えておくといいね。

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イチローのインタビューを観ました。
相変わらず生意気で自信たっぷりナルシストな雰囲気を振りまいてたんだけど、やっぱ天才でした。
彼のすごいところは、深く深く考えてるとこです。
突き詰めて突き詰めて、考え抜いて、解答を出して、それを自分のものにするために骨を惜しまない。
彼が全身から発散する「わかっちゃってる感」は、本当に彼が「真実をわかっちゃってる」からなのでした。
一時間のインタビューの間に、何度も何度も心動かされました。
「バットの先にまで触覚神経がつながってる」とか、「その感覚を忘れないために他人のバットは決してにぎらない」とか、「50歳で四割打ちたい」とか、「あいつ遊んどるなー、と言われるようなプレイをしたい」とか、「引退するときは、腹が出たとき」とか・・・
これは達観に近いようにも思えるけど、彼の口からこんな言葉が出ると、むしろリアリズムになってしまいます。
そして彼が他のプレイヤーから際立って優れてる点は、この超人的な感覚をひとに伝えられる独自の言語表現を持ってるってこと。
彼の言葉はわかりやすくて、伝わりやすい。
つっけんどんに見えるけど、むしろ親しみやすく、ひとをひきつけます。
本当に頭のいいひとだと思います。
そしてこのインタービューにオーバーラップさせて、数々のプレイが映し出されまして。
世界一美しい打球、誰にもマネのできない身ごなし、百年後まで語り継がれるプレイ・・・
なんという芸術!
「『作品』と呼ばれるようなプレイをしたい」
↑他のプレイヤーがこれを口にしたらバカだけど、イチローにとってこのセリフはリアリズムなのです。
やっぱ天才でした。
このひとがナルシストに陥るのはもうどうしようもない運命だ、うん。

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「エスカレーターでは立ち止まったまま歩くべからず!」
と主張するひとがいて、びっくりしてしまいます。
いっとき、朝日新聞の読者意見ページで盛り上がってましたが、まだ「歩くな」というひとは根絶されません。
歩かせてください!
だいたい階段なんてものは歩くための装置です。
「歩いてぶつかったら危険じゃないか」というひとは、ものの本質を完全に取り違えてます。
ひとにぶつからないで歩く、なんてことはまったくの社会常識で、だったらぶつからないように歩けばいい、という話です。
この国の過保護はどこまで進むんでしょう。
ぼくらはエスカレーターで立ち止まってるひとに「歩け」と言ってるわけじゃありません。
立ってるひとのジャマなどしないから、そっちも道を空けといてね、というだけのことです。
お互いが譲り合えば、丸くおさまるじゃないですか。
階段を歩かないなんてことは、ぼくにはありえない行為です。
お願いだから、歩かせて。
それからあとひとつだけ言わせてください。
エスカレーターを、ひとにぶつかりながら歩くきみ。
「おまえは歩くんじゃない!」
ひととしてちゃんと振る舞えば、摩擦など起きないのです。

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日本国が借金でパンク寸前だったり、世界経済(あ、アメリカ経済か)のほころびがとりつくろえないほどにひろがりを見せたり、相変わらずあっちこっちでドンパチがはじまったり、自然環境が回復不能なほどに蹂躙されたり、と、地球上ではめちゃめちゃなことが日々起こってるわけですが、あけましておめでとうございます。
だけど株価の暴落だけは、ちょっとだけ愉快ですね。
苦もなく大枚をせしめようと目論むヒトビトが右往左往してる姿は、なかなかの画づらです。
それにしても2008は激変の年ですね。
アメリカは変革を求めて、女性か黒人さんの政権になりそうです。
しかしあの国が経済発展から環境重視にカジを切るとなると、世界の動きも相当振れてきそうです。
アメリカ寄りの経済は少々の停滞を余儀なくされるだろうし、そのスキを突いて、環境汚染などおかまいなしに大発展をつづけるアジア諸国が今以上に幅を利かせることになりますね。
オイルマネーを持った中東諸国も台頭してくるだろうし、知識と技術と資力を得たアフリカ諸国も勃興してきます。
破壊されっぱなしの環境をなんとかしようという努力は相殺され、先進国は今までのツケを払わされることになるでしょう。
ツケを払わされるといえば日本の借金ですが、いよいよ危険水域と言われた「赤字777兆円」が現実となってしまいました。
国家予算のおよそ9年分です。
この借金を返そうと思ったらわが国は、飲まず食わずで教育医療福祉なし、という地獄の9年間を過ごさなければなりません。
日本全体が夕張のような破綻状態。
なのに今年(来期)も政府は国家予算の半分近くを借金でまかなって大盤振る舞いし、選挙に備えてます。
GDPはついに18位まで落ち込んでますし、これ以降は巨大なユーラシア大陸か、あるいは世界の真反対のスカンジナビアあたりを中心に世界は回っていくわけですが、日本は完全にへんぴな地方の小さな島てな感じになるんでしょう。
今や日本の知性を集めた国家中枢は、いかにして没落していくか、ということに心を砕いています。
ゆっくりと、だれにも知られずにそっと沈んでいく。
これがけっこうむずかしい。
そしてこのオペレーションが成功した暁には、地図の端になじんだちっぽけな一国家として細々と生活を営んでいくことになるわけです。
だけど考えてみたら、これこそが日本人が望むべき世界でした。
つつましく、身の丈にあった生活をしていきましょう。
足るを知る。
過度な発展なんて必要ないじゃないですか。
どこまで快適にすれば気がすむんですか?
無理してお金を使って経済を回していくなんて、滑稽です。
おだやかに、質素に、だけど文化的に暮らす。
これが日本人には似合ってると思うんですが。
逆に、今年変化が起きなかったらもう知らんで、とも思ったり。
恐い恐い2008年ですな。

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「ありがとう」と「ごめんなさい」を素直に言えないひとは、不幸である。
・・・と思います。
この世の中には「ありがとう」と言う行為を屈辱、「ごめんなさい」と言う行為を敗北と感じるひとがいるようです。
愚かだし、滑稽だし、哀れむべき心持ちです。
・・・んーと、なんか牧師さんの説法みたいになってますね。
だけど、どうもこの言葉がないとコミュニケーションが完結しない、という状況があるじゃないっすか。
最後にこの言葉がありました、こうしてふたりのやり取りは落ち着きました、みたいな。
それを聞かされないと、どうにも腑に落ちなくて悶々としてしまう、みたいな。
「ありがとう」「ごめんなさい」の出し惜しみに、どんな得をも見いだすことができません。
そんな相手との関係は、健全なものであるわけがないですよね。
我が家では、このふたつの言葉は挨拶代わりってくらいにインフレに使ってます。
それで周囲が気持ちよくなってくれるのなら、ばんばん使えばいいじゃないっすか。
うちのツマなんか、残業してへとへとに疲れ果てて帰ってきて、部屋に入ってきた瞬間に「まいばんおそくてごめんね」と言います。
えらいひとです。
こうして世界平和は保たれるのです。
みなさん、もっとこの美しい言葉「ありがとう」と「ごめんなさい」を数多く世に送り出しましょう。
きっと周囲は、少しずつ明るく、やさしくなっていきますぞ。

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死刑が執行されました。
「殺してヨシ」のハンコを押した法務大臣は、死刑囚は順ぐりかつ自動的に処置(つまり階段送り)していけばいい、と言い放ったひとです。
大変な批判を浴びたこの発言ですが、考えさせられますね。
ところで死刑制度反対論者のほとんどが「加害者の人権」を語るわけですが、その前に、被害者の深刻な苦しみを具体的に考えるという作業をしてみませんか?
反対を唱えるのは、とりあえずその後にしましょうよ。
思い浮かべてください。
この世の中で、自分がいちばん愛するひとを。
恋人、ツマ、だんなさん、我が子、かあちゃん、とうちゃん、親友、恩師、敬愛する人物、尊敬する人物、心から愛する人物・・・
さて、さらに想像します。(しんどいけど)
その「いちばん愛するひと」が殺されます。
しかし、そのひとだけでは足りません。
「二番目に愛するひと」も、さらに、最愛の「複数名」もが殺されます。
ひとり殺しただけでは、死刑判決など下りませんから。
しかもその最愛の人物たちは、楽には死なせてなどもらえません。
そのやり口は、人間のすることとも思えないような残忍なものでなければなりません。
これらが満たされないと、死刑という判決には至らないのです。
最も愛する人物が、抵抗さえ許されないまま、相手の身勝手な欲望を肉体に加えさせられたうえ、切り刻まれるようなやり方で、げんこつで、刃物で、ロープで、タバコの火で、熱湯で、長期間悶え苦しまされた末に、輝けるものであったろう未来を断たれ、挙げ句に山中に、海底に、そこいらの道ばたに、ゴミのように廃棄される。
そして、それが二人に、三人に四人にくり返される。
これが、死刑囚がしでかしてきたことです。
さて、このことをリアルに想像し得たひとだけがやっと、「刑とは懲罰であるべきか、更生であるべきか」という議論に参加することができます。
みなさんはどちらに組します?
ぼくは批判を覚悟で言わせてもらえれば、「それをしでかしたひとには、国家が大金を費やしてまで更生してもらわなくてもかまわないのでは?」と考えてます。
無念には仇討ちを。
サムライ見習いとして、そう発想します。
いかがです?

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シモキタっていっても、下北半島じゃないよ。
下北沢。
新しい会員さんである花下さんは、シンガーソングライティングしてライヴまでこなしてしまう女の子。
彼女が、さまざまバンド入り乱れ形式なロックフェス(大げさ)の大トリをかざるというので、このワカモノの街まで出かけてみました。
ライブハウスは久しぶり。
マックのポテト片手に防音ドアを開けると、音の洪水です。
薄闇のハウス内は、立錐の余地もない、まさに熱気のうず。
人波をかき分けかき分け、舞台ソデの好位置(アンプの目の前)を確保します。
そのとき演奏してたバンドは、ケレン味全開のファンク系タテノリバンド。
ブギウギか、スカのようでもある。
ものすごいテクニックで、見せ場満載。
この後を継ぐ花下さん率いるバンド「おんなみち」、大丈夫なのか?
親心にも似た気分でドキドキします。
熱狂の中、このハイクオリティバンドが引き下がり、いよいよわれらが「おんなみち」登場。
これがたまらん雰囲気を醸し出してます。
タテノリから、いきなりのギアチェンジでふんわりした横ノリへ。
曲調は和POPSで、ときにクラッシュのリズムを織り交ぜながらワルツな雰囲気もあり、低音域でリアルな女の恋の辛辣を聞かせつつ、高音のリフレインへ。
ほんわかとした空気感とエッジの効いた情念が混在してます。
なのに声音はあくまでナチュラル。
それになんといっても、ヴォーカル・花下さんのMCが秀逸です。
演奏前に「わー、こまったよう」、一曲終わると「ふう、緊張したねえ」、歌詞につまずくと「えっと、なんだっけ」。
応援したくなってしまう・・・
最後は彼女の会社の社長がドラムをぶち(彼女自身もトリシマリヤクなのだが)、ソ連製のなぞの電磁楽器・テルミンまで出動させての盛大なジャム。
燃えた、というより、たのしいたのしいライヴでした。
ファン会員にならねば。

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バード、といえば、ジャズのアルトサックス奏者・チャーリー・パーカーのことです。
彼はおしっこしながら演奏したり、飲んだくれてまともにラッパの音も出てない音源をレコードにしちゃったり、壊れたプラスチックのサックスをガムで補修したシロモノで伝説的ライヴを残したりしてるわけですが、ようするにどうしようもないろくでなしのサックスバカです。
彼の奏法は知性と熱とひらめきにあふれ、「nobody play like bird」=「誰もバードのようには演奏できない」と言われました。
のーばでぃ ぷれい らいく ばーど・・・
その言葉は「誰も鳥のようには遊べない」とも訳せるわけですが、見事にこの天才のことを言い当ててて、ヒマな待ち時間なんかによく思い返して味わいます。

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「米洗う 前に蛍が ふたつみつ」
という句があるのだ、と、国語の先生は言うのです。
ほーほー、と、中学時代のぼくは聞き入ります。
しかしこれでは蛍が、じっとしてるのか、動いてるのかがわからん、と先生。
そこで、こうつくりかえます。
「米洗う 前へ蛍が ふたつみつ」
なるほど、これで動いてる感じがでた。
だけどまだこれでは、あっちからこっちへ、という方向が示されただけで、縦横無尽に動いてるようには感じないじゃろ、と先生。
そこでもうひと工夫。
「米洗う 前を蛍が ふたつみつ」
これで蛍は自由さを得て、生き生きと飛び交いはじめるのじゃ、と先生。
なるほど。
「に」では位置をあらわし(点・一次元)、「へ」では方向をあらわし(線・二次元)、「を」では立体的な動きを表現(奥行き・三次元)してるんだなー、と、遠い日の授業を突然思い出した電車の中で、考えまとめる師範です。
日本語は正確に。
そして、色どり豊かに使いましょう。

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世界のひとたちが全員アメリカのような暮らしをしようとしたら、地球が5.3個必要なんだって。
ちなみに日本みたいな暮らしをしようとしたら、2.4個必要。
そりゃ、宇宙に逃げ出すしか方法がないよなあ。
ぼくらのぜいたくは、発展途上国のがまんによって成り立ってるのです。
ところで今月6日をもって、この地球は「赤字」に入っております。
今年中に利用できる分のエネルギー量は、10月5日をもって使いきりました。
以降に使う分は、すべて未来からの借り入れ、ということになります。
やせ細っていく未来よ・・・

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