これ無しに、ひとは仕事をするものなんだろうか?
それどころか、アイデアがまるで何も考えつかなかったここ一週間の苦悩がウソのように、翌日が〆切となるとなぜかイメージが固まってくる。
脳みそがあせってフル回転して、最後の搾りカスみたいなものをひり出してくれるんだろうね。
いやー、ありがたや、〆切。
なのに、なんでこんなに忌まわしいのか、〆切。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
オレは新聞を左開きに、すなわち一面から政治面→国際面→経済面という順序で読む。
ツマはその逆で右開きに、すなわちテレビ欄から三面記事→地方面→文化面という順序で読む。
オレは一面のトップ記事からトピック→社説→囲み記事など、各紙面の上半分を読む。
ツマは天気予報→有名人の死亡記事→不祥事会社のお詫び掲載→チケット情報→週刊誌の中刷り見出しと、下半分を読む。
ふたりで(図らずも)分担して、新聞一紙をすみからすみまで完全に読みつくす。
余すところなし。
その上、新聞紙は読み終えた後工房に流れ着き、タタラ成形のときの敷き紙や、焼き上がった作品を包む緩衝剤として利用される。
天寿を全うするといっていい。
わが家にきた新聞はしあわせだ。
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「愛」の反対の言葉はなんですか?
と訊かれて、多くのひとが「憎悪」と答えるそうです。
だけどマザーテレサは穏やかに頭をふって、愛の対極にあるのは「無関心」ですよ、とおっしゃったのだそうな。
なるほどなー。
憎悪には、わずかばかりの(あるいは大いなる)愛も含まれるものね。
「無関心」ほど冷たい態度はないかも。
人間は一人じゃないんだから、もっともっと周囲とつながってかなきゃいけないね。
北極の氷の上にシロクマがぽつねん、みたいな画を最近テレビでよく見るけど、都会の雑踏の中で、ぽつねん、と感じる孤独ってのは、実にしみじみとつらいものなあ。
こんなにも深い孤独を心の中に持ってる生物っていないかも・・・
無関心でいないで、つながっていこうよ。
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今や、卵の黄身にも着色する時代なんだって。
「いったいどの時点で?」なんて、今話題の中国産餃子みたいな話ですが。
まあ要するに、ニワトリのエサに天然着色剤(サフランとかクチナシとか)を入れて、色をコントロールしてるんだそうな。
黄身はもともと薄い黄色なんだけど、オレンジがかってると新鮮に見えるし、食欲もそそるってわけ。
生産業者はこのあたりのノウハウを熟知してて、ちゃんとカラーチャートで色合いを決め、そのとおりにニワトリに産ませる。
小売業者「この色の黄身で産ませてください」
生産業者「わかりました。じゃ、○○%配合しときます」
ちょっと恐いやり取りですね・・・
この調子で、養殖サケの切り身の色なんかも決められます。
肌合いが濃い方が、日本人にはウケがいいらしい。
色見本を持ち歩く養殖業者の姿は、一種異様に見えます。
ペンキ 屋さんじゃないんですから。
こんなことしてて、ほんとにバチあたんないのかな?
もはやこの時代の飽食は、神様の領域まで侵犯してるように思えますが・・・
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