〆切、というシステムを考えたひとは、ほんと天才だと思う。
これ無しに、ひとは仕事をするものなんだろうか?
それどころか、アイデアがまるで何も考えつかなかったここ一週間の苦悩がウソのように、翌日が〆切となるとなぜかイメージが固まってくる。
脳みそがあせってフル回転して、最後の搾りカスみたいなものをひり出してくれるんだろうね。
いやー、ありがたや、〆切。
なのに、なんでこんなに忌まわしいのか、〆切。

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お風呂で過ごす時間が好きでして、はい。
二時間ほど、ぬるーいお湯に半身浴。
汗をたっぷり出して、読書をして、もぐって遊んで、飽きたら眠って、起きたら思索に耽って・・・
まったくいい時間です。
人生の何%を浴槽で過ごしてるんでしょうか。
湯舟でうつらうつらしてると、人生の最後はここで迎えたいなー、なんて思ったり。
地球は「水の惑星」と呼ばれますが、「お湯の惑星」なんて星があったら、そこに移住したいもんです。

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「原爆の日」だそうです。
どんどん風化していく記憶。
だけどあの戦争を忘れちゃいけません。
アジア諸国を「ヨーロッパ列強の支配から開放する」という名目で強姦しつづけた日本。
その日本を「はやく戦争を終わらせるために」という名目のもとに原爆で粉砕し、黙らせたアメリカ。
どちらの名目も噴飯もので、醜悪きわまりないエクスキューズです。
だけど奇妙に、どちらの名目にも理があります。
当時の日本の「軍部がアジア諸国を犯しつつ、同時に自国民をも犯しつづけた」という特殊性は、戦後何年たっても問題を解決できない根源になってます。
「死ね」「帰ってくるな」という上意は、融通のきく余地なく下達され、当時の善良な百姓武士(前線の兵隊)たちの行き場を奪いました。
そして哀れ、やみくもに突撃し、隣国に怨念だけを植えつけて、果てたのです。
我が殿への忠義のためならいつでも腹かっ切りまする、という戦国時代の価値観を、軍閥が解釈を歪曲して持ち込み、陛下という金科玉条をダシに使って下々の者を支配しようとした狡智は、新興宗教の洗脳教育と瓜二つです。
殿さま気分で高揚した上官は前線の兵隊を捨てコマとしか考えず、狂った兵士は兵士で生き延びるためにどんなことでもする。
誰も彼もが加害者であり、被害者であり。
どうしようもないドロ沼で闘ってたのでした。
そんなことをいってはみても、蹂躙された側のかの国々に対する贖罪になるわけでもなし。
また、原爆を落としたアメリカに「なんてことをしてくれたんだ」とも言えず、「はやく戦争をやめさせてくれてありがとう」と言うこともできず。
ブザマなものです。
水木しげるさんはある本の中で「幸か不幸か、日本をほしいままにしていた軍部を、外国の力でたおすことができた」と語ってますが、達見です。
バカが戦争を起こし、戦争がバカをつくる。
まったく戦争ってのは愚かなことだ。
・・・ということだけを忘れないでいようと、ぼくは思ってます。

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また観てしまった、「となりのトトロ」。
やさしい映画だなー・・・
うっとりとおだやかな気持ちになれる。
この宮崎駿って監督は、さして面白いストーリーをつくらないんだけど、その奥を流れる世界観を描き出すのが抜群にうまいね。
世界観だけを徹底的に煮詰めて描き込んで、そこを舞台に、登場人物たちが勝手に動いてくれてる感じ。
ストーリーを組み立てる必要なんかないんだろう。
タテヨコの広さを限定されたスクリーンでは奥行きで世界を見せなきゃいけない、と開高さんが言ってるけど、その深さの使い方を知ってるんだよなー。
すごい芸術家です。
ところで「子供にしか見えないトトロの世界」をながめてるうちに、水木しげるさんの言葉を思い出した。
彼も妖怪が見えるのだ。
とても印象に残ってる言葉なんで、思い出して書いてみるね。
「いろんな民族学者や妖怪を知ってるひとと話をしたけれど、彼らの説はぼくの考えと違っているので、ぼくはいつも自分の意見を言わなかった。ぼくはもっと別の妖怪を考えている。すなわち、それは『いる』のだ。妖怪の姿を思いながら幼い頃からの自分の頭の中を観察してみると、やはりぼくは20回ちかく妖怪に出会っている。シッポはつかんでいる。いつかぼくは妖怪をタイホするときがくると思っている」
彼は妖怪を信じてるんではなく、実際に妖怪のいる世界に身を置いてるわけ。
それが彼にとっての自然なのでした。
そんな純心が、オレにもかつてあったのかなー・・・

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タバコの自動販売機では、タスポなるカードがないと売ってくれなくなったらしい。
このくだらなすぎる装置のために800億円がかかったそうだ、ご苦労さん。
それにしても日本人の自動販売機好きなことよ。
タバコ屋の前にすら、タバコの自動販売機って、あるね。
意味がわからない。
そんなもん、おばちゃんから買えや。
どうもわが同胞は、コミュニケーションを避けよう避けようとする国民性があるのだった。
寿司屋でカウンター越しに「トロ」と注文するのがわずらわしくて、この国には自動的に寿司が流れるメカニズムの店ができた。
あれは寿司の自動販売と言える。
最近はラーメン屋でも、両サイドがつい立ての一人用ボックス席に目の前はカーテン、みたいなつくりの店ができてて、店員と会話の必要もなく事がすませるようになってる。
注文は、用紙に「しょうゆラーメン、固めん、煮卵付き」などと書き込み、無言でカーテン越しに渡す。
数分後に所望の品がカーテンの下から出てきて、誰にも顔を見られずに密やかにラーメンを味わえる。
密売かよ。
うまくもなんともなかったし、心があまりに渇ききってしまったので、酒場でも荒らしにいきたい気分になった。
最近は、積極的なコミュニケーションよりも、接触を極力回避するようなサービスが巷の人々になじんでるらしい。
ところで、会社の「えらいひと」という立場にいる友だちいわく、最近の若い部下は酒盛りになっても自分からまったく口をきこうとしなくて、こちらからせっせと話を振ってやらないと会話にならないのだそうな。
その友だちは、まあいいんだけど、としながらも、その部下たちが上の立場になったときに彼らの部下たちとどうつき合っていくのか楽しみだ、と意地の悪い笑顔を浮かべる。
だけど彼らは結局、周囲となんのコミュニケーションをとらなくてもまったく平気な人種であるので、ただただ会話のない社会を淡々と(寒々と)生きることになんの疑問も見いださないだろう。
だけどねえみなさん、ひとはひとりじゃ生きていけないよ。
周囲と関わり合いにならない人生は安全だろうけど、はたしてそれは楽しくて幸福な人生とよべるんだろうか?
関わり合いというのは、コミュニケーションのことであって、コミュニケーションというのは、要するに相手に働きかけること、かいつまんでいえば、相手のために一生懸命しゃべろうとするおもんぱかりのことだと思う。
素知らぬ振りもいいけど、それじゃほんとにあんたの人生が、件のラーメン屋みたいな荒野になっちまうぜ。
「タスポ」というタイトルにしたけど、いつの間にかここまで考え詰めてたよ。
さびしいんだろうね、オレも、ふっ・・・

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ひとはなんでがんばるのかっつーと、お金が欲しかったり、地位や名誉を望んでたり、上手になりたかったり出来るようになりたかったりかっこよくなりたかったり、っつーのも道すじの向こうにあるにはあるんだけど、直近の目標としては「相手をがっかりさせないため」っつーことだと思うんだな。
突き詰めれば、自尊心のため。
だからぼくはがんばれるのだった。
がんばれないひとはよく「今が楽しいからこれでいいんだ」と言うけれど、それはちがう。
それは「楽しい」のでなく、「楽」なの。
楽しいと楽とは根本的に別物なんだ。
がんばってがんばって、やっと楽しさが生まれるんだ。
ぼくは学生時代にラグビーをやってたんだけど、ちっとも練習にもこないでがんばることもしないチームメイトが、負け試合の後に泣いてたことがあった。
彼は悔しくて泣いてたらしいんだけど、普段の自分の態度をかえりみて、ほんとに心から泣けるもんだろうか?
結果というものは、プロセスから生まれるんだよ。
プロセスをはしょって結果に心が動いたとしても、それは「悔い」ってものだ。
悔いのない人生を送るには、がんばるしかないのだ。
「がんばれ」と言っちゃいけない、って風潮が幅を利かしてるけど、がんばってほしいひとにはきちんと「がんばれ」と言うべきでしょう。
そのほうが、どれだけ力が出ることか。
「がんばらなくていいんだよ」は、がんばりすぎてるひとに言う言葉だ。
ぼくは「がんばれがんばれ」と言われたい。
がんばんないけどね、へへっ。

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オレは新聞を左開きに、すなわち一面から政治面→国際面→経済面という順序で読む。
ツマはその逆で右開きに、すなわちテレビ欄から三面記事→地方面→文化面という順序で読む。
オレは一面のトップ記事からトピック→社説→囲み記事など、各紙面の上半分を読む。
ツマは天気予報→有名人の死亡記事→不祥事会社のお詫び掲載→チケット情報→週刊誌の中刷り見出しと、下半分を読む。
ふたりで(図らずも)分担して、新聞一紙をすみからすみまで完全に読みつくす。
余すところなし。
その上、新聞紙は読み終えた後工房に流れ着き、タタラ成形のときの敷き紙や、焼き上がった作品を包む緩衝剤として利用される。
天寿を全うするといっていい。
わが家にきた新聞はしあわせだ。

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「愛」の反対の言葉はなんですか?
と訊かれて、多くのひとが「憎悪」と答えるそうです。
だけどマザーテレサは穏やかに頭をふって、愛の対極にあるのは「無関心」ですよ、とおっしゃったのだそうな。
なるほどなー。
憎悪には、わずかばかりの(あるいは大いなる)愛も含まれるものね。
「無関心」ほど冷たい態度はないかも。
人間は一人じゃないんだから、もっともっと周囲とつながってかなきゃいけないね。
北極の氷の上にシロクマがぽつねん、みたいな画を最近テレビでよく見るけど、都会の雑踏の中で、ぽつねん、と感じる孤独ってのは、実にしみじみとつらいものなあ。
こんなにも深い孤独を心の中に持ってる生物っていないかも・・・
無関心でいないで、つながっていこうよ。

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唐津を旅してきました。
やっぱいいね、唐津焼。
なんつっても、シブい。
でも、現代作家のものでいい品(仕事というべきか)は少なかったなあ。
古いものとはまったく質が違う・・・
ひとの手のひらの中で年代をへて焼き物は熟成されていく、ってこともあるんだろうけど。
それを思うと、太陽センセーの唐津はすごかったなあ・・・(遠い目)

さて、サムライ気分で唐津城にのぼってみた。
お城の中に、古唐津の展示スペースがあるのだ。
フロント(城門か)で、意気込んで400円払ったぞ。
だけど城内に入った途端、異常にうるさい音がするの。
ぱたーん、ざっざ、がちーん、ぱたーん、ざっざ、がちーん・・・
息絶え絶えの巨大ロボットが這いつくばって歩いてるのかと思った。
でもちがった。(あたりまえか)
見れば、警備員のおっさん(60くらい)が階段を掃除してるのだ。
それが、アタマ悪いんやろね、階段の下から上に向かって一段一段ほうきで掃き、いちいちフタ付きのチリトリでゴミを集めてるわけ。
まあほっとこうと思って、忍者の矢じりだの坊さんの掛け軸だのが並んだ場内を閲覧してたの。
ところが、下から上にのぼってくるそのバカ警備員が、階上へ階上へとオレを追っかけてくる形。
いよいよ目的の古唐津の展示室ってところで、運悪く、ついに追いつかれてしまった。
すぱたーん、ざっざかざー、がちこーん、すぱたーん、ざっざかざー、がちこーん・・・うるさーい!
その作業があまりに粗雑なんで、やむなく注意しにいったのよ。
以下、そのときのまんま再現。

オレ「ちょっとすいません。ゴミは上から下に掃いていって、階下でまとめてチリトリにおさめたほうがいいのでは?」
バカ「あ?(なんだこいつ?)」
オレ「そのほうが音が出ないし」
バカ「でもいつもこのやり方なんでね」
オレ(かるくイラッとしつつ)「あのですね、率直にいわせてもらえば、うるさいんです」
バカ「そう?でもねえ、こんな時間だし、急がないと」腕時計を見る。6時閉館だが、現在5時半。
オレ(↑余裕やんけ!つか、そんなのこの会話にかんけーねーじゃん!)「ぼくらお金を払って、展示品を観てるんです。落ち着いて観させてください」
バカ「これくらいがまんしてくださいよ」
オレ(マジ切れ5秒前)「あなたバカですか?(←これは言いたかったけど言わなかった)もう少し工夫と配慮さえあれば、音を出さないように掃除できますよね。ちゃんとプロの仕事してください」
バカ「はあ?」

まあこんな感じですわ。
こちとら東京くんだりから真剣に古唐津を観にきとんのじゃ。
集中させてくれやー!
その後、バカ警備員は最上階に移動して新たな清掃方法を模索しはじめたんだけど、こちらの言うとおりのやり方を試してみて目からウロコが落ちる思いをしたにちがいない。

さて、このおっさんをオレは「バカ」「バカ」と呼んでるわけですが、そこには「アタマが悪い」の他に「ひとの気持ちを思いやれない」という決定的な人間としての欠陥が含まれてます。
自分の行為が周囲に与える影響、ってものをイメージできないのかな?
オレはそんなやからを「バカ」呼ばわりして、決して省みようとは思わない。
ひとをおもんぱかる気持ちさえあれば、彼も人間の世界にもどることができるのです。
感謝してほしいよ、もう。

静かな環境で観た古唐津は、すばらしかった。

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今や、卵の黄身にも着色する時代なんだって。
「いったいどの時点で?」なんて、今話題の中国産餃子みたいな話ですが。
まあ要するに、ニワトリのエサに天然着色剤(サフランとかクチナシとか)を入れて、色をコントロールしてるんだそうな。
黄身はもともと薄い黄色なんだけど、オレンジがかってると新鮮に見えるし、食欲もそそるってわけ。
生産業者はこのあたりのノウハウを熟知してて、ちゃんとカラーチャートで色合いを決め、そのとおりにニワトリに産ませる。
小売業者「この色の黄身で産ませてください」
生産業者「わかりました。じゃ、○○%配合しときます」
ちょっと恐いやり取りですね・・・
この調子で、養殖サケの切り身の色なんかも決められます。
肌合いが濃い方が、日本人にはウケがいいらしい。
色見本を持ち歩く養殖業者の姿は、一種異様に見えます。
ペンキ屋さんじゃないんですから。
こんなことしてて、ほんとにバチあたんないのかな?
もはやこの時代の飽食は、神様の領域まで侵犯してるように思えますが・・・

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