期日前投票、ってやつにいってきた。
別に当日いけなくはないんだけど、期日前の投票所のほうが近かったから。
工房から歩いて2分の「大泉学園町体育館」でも投票できるよ。
陶芸帰りにぜひ(せんでん)。
で、はじめての期日前投票。
簡単だった。
どこが当日の投票とちがうかというと、選管にわたす引き換え券(っつーの?)に名前を書くってことだけ。
あとはまったくおんなじ。
投票所は、いつもの投票当日よりも込んでるくらいだった。
みんな関心があるんだな。
やっぱし貴重な一票を無駄にしたくないもんね。
オレは、投票を棄権したひとには政治を批判する資格はない、という意見に賛成です。
そりゃそうだよねえ、白紙でまかせちゃうんだから。
「なんでもおやりください」ってことだ。
オレ自身は、なんでもやらせるわけにゃいかねーぜ、言いたいことは言わせてもらうぜ、ってタイプだから、今回もちゃんと投票しました。
怒ってるひと、納得してるひと、いきどおってるひと、なにかを守りたいひと・・・みんな投票にいくべきだ。
絶望してるひとだって、いくべきだと思う。
絶望からすくってくれるのは、投票しかないんだから。
みんなもいこうね、選挙。
あ、なにも考えてないひともいくべきだよ。
タダで競馬してると思えば、たのしいじゃん。
やつらは、目の前にぶら下がったニンジンで走ってる馬なんだからさ。
手元にある馬券をムダにするなよ~。

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陶芸教室の先生は生活に追われていてはいけない。
と思いますね、ぼかー。
ガツガツしてる陶芸教室なんて、やっぱちょっとつまんなそうだもんなー。
だからダラダラとひょうひょうとすごしてます。(生まれついてのものだが)
きちんとした生活を心がけてるひと、ごめんなさい。
でもやっぱ、粘土をこねるひとは何も考えないひとであるべきです。
のんきであるにこしたことはない。
焼き肉屋の亭主がげっそりやせ細ってちゃいけないのと同じ理屈かなー。
余裕を持って、ニュートラルでいたい。
だけど逆に、ビンボーでなければならない、とも思うのね。
だから、なるだけお金は稼がないようにしてます。
大金持ちの陶芸教室、ってのもなんだかと思うもんね。(それはそれでおもしろそうか)
生活はそこそこであるにこしたことはない。
ぼかーそう思うんですよ、なんとなく。

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柳が想う鉄、と書いて、ゆ・さんちょる、と読むわけです。
もちろん韓国のサッカー選手の名前です。
なんだか観念的でかっこいいですよね。
詩的ですらあります。
どんな親が何を思ってつけてくれたのでしょうか。
ぼくがこの世の中でいちばん美しいと思ってる名前は、かの文豪・大江健三郎氏のお母さんの名前です。
それはね、こんな名前。
「大江小石さん」
大きな江の小さな石ころ。
なんとわびておもむきのある名前でしょう。
ひとひらの詩として編み込まれたその四つの文字。
シンプルに世界観を表現しきってます。
静謐で、奥ゆかしく、そして劇的。
しかも閑寂な風景を想わせる中にも、あたたかいユーモアがにじんでます。
命名にもやはり絵心がなくては、と考えさせられる「さくひん」なのでした。
その感性が、息子をノーベル文学賞に導いたに違いない、とぼくは勝手に想像してます。
きっと名前は人間をつくる、と思うのです。

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えー、暑いので、涼しくなるお話をひとつ。
最近聞いた怖い話ね。

・・・

遮断機が下りた踏切で、通過電車を待ってたときのこと。
カンカンカン・・・
はー、長いなあ、この開かずの踏切め。
ぼーっとしながら、ふと踏切の向こう側を見ると、はて、どこかで見たような顔が。
きれいなひと。友達だっけ?親類?有名人?遠い日の記憶をさぐってみる。
目がピタリと合った。
彼女も、こっちをじっと見つめたままたたずんでる。
・・・思い出せない。誰だっけ・・・?なんで私、彼女のこと知ってるのかしら。
その彼女のあまりにはかなげなたたずまいに、ハッと気付いた。
(彼女・・・生きてないみたい・・・)
あまりに突拍子もないその考えを胸に押し込み、やっと上がった遮断機をくぐって踏切を渡ったのだ。
向かい側の彼女もまっすぐにこちらに歩いてくる。
まっすぐに、まっすぐにこちらに向かって近付いてくる。
そしてすれ違いざま、彼女は私の耳元でこうささやいたのだ。
「なんでわかったの・・・?」

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ひとは安心しきってると、腹を上にして眠る。
安心を欲してるときは、母親の胎内を思い出して横向きに眠る。
不安だと、うつぶせに眠る。
ぼくは日によって、仰向けかうつぶせかのどっちかなので、その眠り方で心の中を確認することができる。
うつぶせのときは、卍型になってる。
地球にしがみつきたいのかもしれない。
地球と眠る。
安心。
テキに対して腹を開いた状態で眠ることができるのは、人間だけ。
そんな油断が許されるほどに、人類は特別な存在となった。
それでも何ものかにおびえて、腹を隠したくなるときがある。
キバやツメやヤリや鉄砲玉を前に損傷するとき、からだの表も裏もダメージにさほど違いはないんだけど、本能が腹側を守ろうとするらしい。
凶暴な攻撃に対して、薄い背中に防御を託したくなるのは、人類が外敵と闘ってた頃の名残なのかも。
腹に地球を抱いてると、理屈を超えたおだやかなやすらぎがある。
そして背中は、腹にかかえた大切な何ものかを守るための頼りないタテとなる。
地球を抱いて眠るのは、そういう意味もあったりして。
とにかくゆうべは、うつぶせに眠ったのだった。

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アナログ時計の秒針には二種類ある。
すなわち、数字のならんだ外周をとどまることなくなめらかに回るタイプと、一秒一秒を刻んでめぐるタイプである。
子供の頃、この二種類の秒針のうち、はやく回るのはどっちだろう?と考えた時期があった。
半日以上もその二種類の時計を見比べた末に、もりを少年は結論をだした。
「なるほど、刻むタイプのほうが少しだけゆっくり回ってるな・・・」
結論がでた以上、はやく回るなめらかタイプのものが欲しくなる。
せっかちな少年は、時計にも急ぐことを要求していたのだ。
その頃、ちょうど弟がなめらかタイプの時計を持っていた。
そいつが欲しくて欲しくてたまらなかった。
ところが、あいにくその時計はデスクに組み込まれていたので、はずすことができなかった。
そこでデスクごと奪おうと企て、弟に説得を試みたのだが、あっけなく拒絶された。
それ以後、オレの時間はゆっくりと流れているのである。

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いつもひとりで酒を飲むとき、親友のオータと乾杯する。
ラグビー部で一緒だったオータは、ボールがころがると犬のように追っかけないではいられないヤツだった。
顔も性格も原始人類に近かったが、ただひどく知性的でもあった。
「薔薇の名前」って本を愛してて、むつかしい文学論もするが、ボーイスカウト時代に木陰で野グソ中にクマザサが肛門を直撃したときの模様を、ランボーがベトナムで拷問を受けるときの物まねで披露しては(いつまでもいつまでもやりつづけるのだ)、オレを死ぬほど笑わせるようなヤツだった。
幼い甥っ子が遊びにくることを知ると、そのためだけに徹夜をして精巧な三葉虫のレプリカをつくり、庭に埋めて待つような男だった。
「さてと、今日は化石の発掘でもするかな」
「え?そんなことができるの?」
「ワタシはここを掘るから、助手のきみはそっちを掘ってくれたまえ」
甥っ子の、好奇心に輝く目と、三葉虫を掘り出したときの心のふるえが伝わってくるようではないか。
魅力的な男なのだった。
ステップを切らないやつでもあった。
楕円球を持ったオータは、まっすぐに走ることしか知らない原始生物だった。
このバックスの切り札は、仲間を巡った最後のパスを受け取ると、サイドラインぎりぎりを、どこまでもどこまでもまっすぐに走った。
そのスピードは驚くべきもので、敵のディフェンスラインを引き裂いてエンドラインに飛び込んでいくその姿は、後方から見守るオレたちの心をどうしようもなく熱くさせた。
ステップを切ることを知らなかったオータは、突然飛び出してきたバカ歩行者をよけきれなくて自分の乗ってるバイクをこかしてしまったけど、今でもヤツの走る姿を思い出してうっとりとすることがある。
あいつが生きてたらなー、と思う。

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空気が湿気でねっとりと重いね。
潤いにかつえてたつい何週間か前が恋しいや。
「紫陽花」は、もちろんアジサイって読むんだけど、こういう日本語のセンスってなんだかいいね。
美しいね。
アジサイは「集真藍」から来たのである、ってお話もオレは大好きで、いったいいつ、誰がそう名付けたんだろ?なんて思ったりして。
食べられるわけでもなく、ヤリを削り出せるでもなく、縄をなえるわけでもなく、アジサイの利用価値なんてないに等しいんだけど、それでもその美しさを愛でるために、人はそれに名前をつけようとしたのである、なんて思いたかったりして。
まっしろヒゲの仙人みたいな老人が、小雨そぼ降る中、カタツムリの這うその美しい花をじっと見て、小ムツカシイ顔で考えつめてるわけですよ。
やがてそのくしゃくしゃにシワの寄った眉間を開いて、ぴーん、とか効果音が入ったりして、彼は「あじさいとしよう」などとつぶやくわけです。
「真の藍を集める、と書いて、あじさい、じゃ。なんと典雅な」などと。
で、カタツムリはその穏やかすぎる歩みをとめ、うん、いいね、とか言って、ツノをにょにょっと伸ばすわけです。
かくて、今までただ美しいってだけだったその花は、この季節の雨の中の信仰として人の目を惹きつけるようになったわけです。
なんて。

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階段は、二面の連続によって構成されている。
すなわち、高さをつくる垂直面と、広さをつくる水平面である。
この垂直面を「けこみ」といい、水平面を「ふみつら」と呼ぶ。
このことを知る者は多くはあるまい。  
けこみふみつら・・・なんだか高貴なお方の名前のようではないか。
こんなことを考えはじめると、半日は反芻して楽しめる。

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岐阜のハス畑のまん中に生まれ落ち、金沢の寒空に磨かれ、おっきくなってからは彫刻をしたり高校の先生をしたりしてましたが、一念発起して東京に出てからは、イラスト描いたり、マンガ編んだり、もの書きしたりして過ごしてきました。
また思いついたようにしばらく山にこもって陶芸修行をした後、一年半前に練馬区大泉学園に工房を開きました。
なんだか好き勝手やってる人生です。
生涯こんなだと思います。
漂えど沈まず。
飄々と浮き世をたゆたいつつ、超然と在りつづけてみせます!
父ちゃん、母ちゃん、この恐るべき才能を、ありがとう。
つわけで、左が母ちゃん、右が石になっちゃった父ちゃんです。

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