フットハットがゆく! -123ページ目

(第22回)下等着のまま

 
 今から十二年ほど前、東京の大学にいた頃、学校をさぼってバイトに励み、夏休みにネパールへ貧乏一人旅にでかけた。そして何をするでもなく、一ヶ月あまり滞在した。

 旅の後半、僕はネパール西部のポカラという町に滞在していた。一泊二百円ほどの民宿みたいなところに泊まっていたが、僕はそこのオーナー家族にとても気に入られた。両親に四人の息子と一人の娘という、七人家族であった。

 ある日オヤジさんが、息子の保証人になってほしいと、僕に頼んだ。
「次男坊を日本で働かせたい。しかし、日本は労働ビザの規制が厳しから、タイチロウが保証人になって日本での住居を提供してくれれば、ビザがおりやすい」
 と彼はいった。
 学生であった僕がおこがましいのだが、やはり若気のいたりというか、
「日本で何かを学んで、ネパールの発展に貢献してほしい」
 と夢想めいた考えを抱いてしまい、保証人の件を承諾した。

 そんな僕の思いとはうらはらに、彼らはとにかくジャパンマネーで一旗上げたい、という考えであった。
 当時の日本はバブル崩壊の前、多くのアジア人が日本で働くことを夢見ていた。物価の違いから、日本の円はネパールでは十倍以上の価値があった。

 ある若いネパール人の女性が、日本の瓶詰め工場で半年間働いて、五百万円稼いだという伝説が、当時のポカラに広まっていた。しかし、瓶詰め工場で半年五百万円はおかしい。何か裏がありそうな話だが、
「女が半年で五百万円稼げるなら、男はその倍は稼げるだろう。たとえ一年しかビザが下りなくても、2千万円は儲かる!」
 というのが彼らの発想であった。僕が、
「日本に来て肉体労働をしても、そんなに稼ぐのは無理だ」
 と、どう説明しても、ジャパンマネーでポカラにホテルを建てたという、若い女性の伝説のみを、彼らは信じた。

 そしてガンシャムという当時二四才の次男坊が、僕と一緒に日本に来た。

 ガンシャムは、僕の六畳一間の安アパートに住みついた。僕は彼のために必死に仕事を探したが、そう簡単には見つからなかった。
 ガンシャムは結局労働ビザを取得できず、三ヶ月の観光ビザで入国していた。丁度その頃、海外からやってくる不法労働者を厳しく取り締まるため、労働ビザのない外国人が働いた場合はもちろん、雇った方も罰せられるという、新しい東京の条例ができたばかりであったのだ。

 七人家族の代表として日本にやって来てはみたが、槍を振るって虎の子を得ることもないまま、ガンシャムの一ヶ月が過ぎた。一方、彼の世話で大学にも行けずイライラの募った僕は、度々ガンシャムと喧嘩するようになった。

 ある日彼は、渋谷にいる友人宅を訪ねてみる、といってアパートを出たまま、行方知れずになってしまった。ポカラの実家に手紙を出してみたが、返事もない。警察や入国管理局から何の連絡もなかったので、なんとかうまくやったのかもしれない。

 彼が、来た時と同じみすぼらしい服装で国に帰ったのか、スーツでも着て帰ったのか、今の僕には知る由もない…。

2002年10月1日号掲載 


加藤清正
加藤清正
安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳七本槍の一人。

追記・・・世の中には加藤清正のようにぐんぐん出世する人と、夢破れて散っていく人といます。今頃、ガンシャムはどこで何をしているのだろう…。まぁどちらかというと現在僕も、『夢破れ組』なんすけど…(汗)


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地球の歩き方編集室

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